第124話 目覚め
前回までのライブ配信。
アイリスとマリカは皇居に辿り着くが、皇帝の邸宅に入れない。しかし、第二皇子ミカエルに助けられ皇帝の部屋にまで入ることに成功する。彼女たちは治療を行い、皇帝を危篤状態から救う。その直後に皇妃が部屋に入ってくるのだった。
「薄汚い剣奴のくせに何を! 今すぐ立ち去りなさい!」
怒った皇妃が私に向けて言い放った。
私はうつむきながら彼女を観察する。
戦闘モードなせいか、罵倒されても何も感じない。
「何? 聞こえてないの? 性根だけかと思ったら耳も悪かった?」
「すぐにお応えできませんでしたが、聞こえております」
謝罪は含めないように応えた。
「あら。では知能が低いのね。とにかく、すぐにそのドアから出て行きなさい。薄汚い剣奴の居る場所ではないの」
「母上、彼女は――」
「アーネス。貴方は黙っていなさい」
彼女の注意がアーネス皇子に移る。
その隙に、周りを確認した。
アーネス皇子は下を向いて口を結んでいる。
侍医は目を伏せ、ビブルス長官は深刻そうな顔をしていた。
ミカエルは涼しげな顔だったが、一歩皇妃に歩み寄る。
「母上。今、陛下がどのような状況がお分かりですか?」
彼は軽い調子で聞いた。
「だから言ってるでしょう? 陛下の今際の際に小汚い剣奴を置いておく訳には――」
「違いますよ、母上。陛下は快復されました」
「快復? どういうこと?」
「文字通りの意味です」
ハッとした皇妃が皇帝に駆け寄ろうとしたのが分かる。
今、近づかれるのはまずいな。
マリカが皇帝に抱きついて心臓をサポートしている。
私は皇妃が動き出す前に道を塞いでいた。
彼女はすぐに私に気付く。
驚いた顔をしたのは一瞬で、すぐに激高した。
「退きなさい!」
「大変申し訳ありません。現在、陛下は治療中です」
その一言で、彼女の顔が怒りに染まる。
「何を! 退きな――」
「全ての者は行動を止めよ! 皇帝は毒物によって暗殺されるところだった。よって、今後この場は私、親衛隊長官ビブルスが取り仕切る!」
皇妃の言葉に長官が割り込んだ。
「――は?」
「失礼だが、皇族の方々も即刻退去していただきたい」
「うん。行こうか、レン」
「はい」
「あとは任せるよ」
恐らく私に呼びかけて、ミカエルはあっさりと出て行ってしまった。
彼らが出て行くと静かになる。
不自然な静けさだ。
「あなた方もお願いします」
ビブルス長官は、皇妃やアーネス皇子に向けて言い放った。
≫いつになく強気だな!≫
≫ビブルスのおっさん覚醒したか!≫
≫アイリスに賭けて儲けたから強気なんじゃ?≫
≫ちょーかん、がんばえー≫
長官がいつの間にか視聴者に愛されてる……。
「ビブルス。貴方、自分が何を言っているのか分かってるの?」
「はい」
「長官にしてあげた恩も忘れて?」
「長官にしていただいたからこそ、職務を全うしようと考えております」
「ふうん。今の言葉、しっかり覚えておくことね。ユミル」
「はっ」
皇妃は後ろに控えていたユミルさんを伴って出て行った。
「――アイリス。無理はしないでくれ」
皇妃が出て行ったのを見てから、アーネス皇子も出て行く。
もう1人居た60歳くらいの男性も出て行った。
話を聞くと、元老院議員の次席のようだった。
首席は皇帝が兼任しているらしい。
「私も席を外した方がよろしいでしょうか?」
皇帝の侍医が長官に聞く。
「ああ、そうしてくれ」
こうして、部屋には私とマリカ、ビブルス長官と皇帝だけになった。
「皇妃と対立することになってよかったんですか?」
小声で長官に聞いてみる。
部屋の外に護衛が居るからだ。
防音のために真空の魔術を使えば良いことを思い出したけど、集中力が低下しているためか使えなかった。
「彼女とはいずれ対立することになっただろう。遅いか早いかの違いだ」
「私のためですよね。すみません。助かりました」
私が皇妃に詰められてたので、助け船を出してくれたのだと思う。
「気にすることはない。私が良いと判断しただけだ。それに、こういう場合の計画もすでにある」
「計画? それを考えたのは――」
「もちろん、彼だ」
やっぱりカトー議員か。
「その『彼』は今どこにいらっしゃいます?」
「別室にいらっしゃるはずだ」
「今のままだと家に帰されてしまいそうですね」
話していたところ、再び部屋の外が騒がしくなってきた。
空間把握で探ると、2人の人物が護衛と話している。
ドアが開いた。
「侍医を追い出すとはけしからん! 理由を説明して貰おう!」
そう言って入ってきたのはカトー議員だった。
皇帝の侍医も後ろに居る。
後ろの侍医は焦っているようだが、カトー議員は気にもしていない。
議員は私たちに満面の笑みを見せている。
「皇帝を暗殺しようとした者が居ます。よって、この場を親衛隊の管轄に置かせて貰いました」
「暗殺だとぉ! 本当かね!?」
無駄にテンション高いな。
「毒物を使用した疑いがあります。幸い、アイリス、マリカの両名の活躍により最悪の状況を回避できました。まだまだ予断を許しませんが」
「犯人は? 犯人の目星はついているのかね!?」
「いえ。そのため、可能性のある方々に退出して貰いました」
「つまりは陛下の侍医も容疑者と!」
カトー議員はくわっと侍医に圧を掛ける。
「め、滅相もないことでございます。私が陛下に危害を加えようなどということは……」
「犯人は皆そう言うのだ!」
ビシッと侍医を指さした。
「わ、わ、私ではございませんっ」
やりたい放題だな……。
侍医の人が可哀想な気もする。
カトー議員のことだから、意味はあるんだろうけど。
あるよね?
「では犯人は誰だと言うのだね!」
「分かりませぬ!」
侍医は必死で否定した。
「――陛下に毒物を盛れる人物など限られているであろう? 心当たりがあるのではないかね? んん?」
これまでとは違い、静かに語りかける。
しかも耳に手を当てて返事を待っている。
「わ、分かりませぬ」
「――妃陛下」
ぼそっとカトー議員がつぶやくと、侍医は驚きながら彼の目を見てしまった。
コメントによると妃陛下とは皇妃のことらしい。
「――もこちらにいらっしゃったのか? そういう話を聞いたのだが?」
ニチャアと笑いながら言葉を続ける。
「は、はははい。いらいりゃっしゃいました」
侍医は気の毒なくらい動揺していた。
「そうか」
その返事は侍医にまともに聞こえてない。
カトー議員は毒物と皇帝の現在の容態などを私に聞いてきた。
私は毒物が砒素であることと、そう判断した理由や、皇帝が処置後に落ち着いたことを話す。
また、慢性と急性という2つの砒素中毒についても話した。
カトー議員も砒素が毒物であるということだけは知っていたみたいだ。
「侍医」
議員に呼ばれても侍医は反応しなかった。
「おい、侍医」
「――え? あ、申し訳ございません。な、何かご用でしたか?」
「お前の見解はどうだ? 毒物、しかも砒素だと断定してしまって良いのか?」
カトー議員に聞かれると、侍医はそれまでの狼狽していた様子がなくなった。
彼はじっと考える。
「――正直なところを申しますと、私には判断がつきません」
「ほう。では、この者たちがデタラメを言っている可能性もあるな」
「いえ、その可能性は低いでしょう。現に陛下の容態は良くなりました」
「治療内容はどうだ?」
「残念ながらそれも私には理解しかねるものです」
「アイリス。内容を説明できるか?」
「はい」
私は、魔術で胃の洗浄をしたことと、砒素の身体への吸収を減らすために木炭を飲ませたことを伝えた。
「魔術を使うのか」
「そうですね。普通は他人の身体に魔術を使うことが出来ませんが、抱きつくことで使うことが出来ます」
「なるほど。彼女が陛下に抱きついているのは、『陛下大好き!』という訳ではなかったのだな」
「はい。断じて違います」
「なに! 違うだと! 私は大好きだぞ! 陛下大好き!」
「そうでしたか。知りませんでした」
棒読み気味に言っておく。
「アイリス。君はどうかね? 陛下のことをどう思っているのだね?」
「壇上で声を掛けていただいただけですが、好感は持っています」
「好感! つまり大好きってことか!」
「違います」
「なにい! では侍医。お前はどうだ?」
「わ、私でございますか。――尊敬の念を抱いております」
「それは素晴らしい! 君も侍医になって長いのだろう?」
「かれこれ15年になります」
「そんなにか。陛下からの信頼も厚いのだろうな」
「大変良くしていただいております」
カトー議員と侍医がそんな感じで話していく。
話していくと、侍医の表情も柔らかくなっていった。
皇帝への親愛の情みたいなものが感じられる。
「――議員になったばかりの頃、悪目立ちしてたオレには敵が多くてな。全て返り討ちにしてたんだが、ある日議会で問題になったんだよ。それを陛下に仲裁していただいてね。その手腕は見事だった。陛下の度量に感服したよ」
「私にも似たことがございました」
「ほう。聞かせてくれ」
侍医が語ったところによると、医師仲間からのやっかみや、皇帝の病状が快復しないことへの批判を上手く取りなしてくれたらしい。
「オレは陛下に恩を返しきれていない。是非にとも快復していただきたいものだ」
「そうでございますね」
2人とも皇帝への思いを共有することで、距離が縮まった気がする。
すると、カトー議員がビブルス長官にアイコンタクトをとる。
長官は苦笑しながら頷いた。
どういうことだろう?
「アイリス。君は休みなさい」
ビブルス長官が私の近くまで来て言った。
「まだ何があるか分かりませんし……」
「何かあればすぐに起こす。あれだけの戦いをし、更には暴動も制圧したのだろう?」
「どうして暴動を制圧したことを?」
「君がここに居るということは、ある程度は決着したということだろう? 違うかね?」
「その通りです」
やり取りを聞きながら、侍医だけが不思議そうな顔をしていた。
「彼女が何者か気になるかね? 気になるだろう! 聞いて驚くが良い。彼女は今年のトーナメントの優勝者だよ。君も今日は円形闘技場に来てたんだろう?」
「え? ――ああぁ!」
侍医が私を見た。
彼は声を出した自分に驚いたのか、口を押さえる。
「――まさか。いや。そういう。いえ、失礼いたしました」
「気にするな。驚かせるために聞かせたのだ!」
カトー議員は楽しそうに笑った。
それからは、私を休ませる方向に話が向き、大きな布まで持ってこられた。
私は部屋の隅で休ませて貰うことになる。
最初は休むことに積極的じゃなかったけど、横になって布を被るといつの間にか意識を失っていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
ふと目覚めた。
一瞬、どこなのか分からなかったけど、皇帝の治療に来たことを思い出す。
顔を上げようとすると筋肉痛だった。
身体中の筋肉が軋む。
それでも何とか近くに居たビブルス長官を見つけた。
「陛下の様子はどうですか?」
「――起きたのか。とりあえずは安心して欲しい。短い間だったが皇帝はお目覚めになった。今はまたお休みになられている」
「――よかったです」
「まだ時間はある。ゆっくり休むと良い」
「ありがとうございます」
私は再び眠りについた。
次に起きると辺りは明るくなっていた。
周りを見渡すと、ガラス窓があってそこから陽の光が射し込んでいる。
筋肉痛は更にひどくなっていて、少し動こうとしただけで痛い。
「ぐっ、おはようございます。陛下の様子はどうですか?」
「おはよう」
ビブルス長官は私を見てから視線を皇帝のベッドに向けた。
視線に釣られるようにベッドを見ると、皇帝と目が合う。
「――君も私を助けてくれたそうだね。礼を言う」
「いえ、みっともない姿をお見せして申し訳ありません」
「――良い。そのまま休んでいなさい」
筋肉痛を堪えて立ち上がろうとすると、皇帝は弱々しく目を細めた。
「アイリス。マリカが何か言いたそうだぞ」
ニヤニヤしながらカトー議員が言った。
「マリカ? どうしたの? 言ってみて」
彼女はこちらを必死で見つめてきている。
「陛下への治療行為はいつまで行うのがよろしいのかと……」
マリカが余所行きの声で聞いてきた。
恥ずかしそうだ。
――起きてる皇帝に抱きついてるんだから当然か。
「ごめん。ちょっとだけ待って。陛下、魔術で身体の中を探ることをお許しいただけますか? 現在の体調を見るために必要な行為です」
マリカが驚いたような顔を見せた。
あ、そういえば階級の差があるのに、いきなり質問するのは不作法なんだっけ。
礼儀について習ったのに全く身についてないな。
「良い。任せる」
皇帝はそれでも素直に応えてくれた。
「不作法、失礼しました。それでは、探らせてください。触れたりはしないのでご安心を」
正しい敬語かどうか分からないけど、丁寧っぽく言っておく。
その後すぐに筋肉痛の痛みに耐えて立ち上がり、皇帝の身体の血流を確かめた。
今は正常だな。
マリカが調整してくれてるから当たり前だけど。
「マリカ。酸素はそのまま維持して心臓のサポートだけ止めてみて」
「承知しました」
彼女が応えると、心臓の魔術の光が消えた。
その後の様子を観察する。
≫木炭の排出のため下剤があれば処方を≫
≫あと慢性中毒にはニンニクが良いらしいな≫
≫動物実験レベルだが≫
「陛下の侍医の方。下剤があればお願いしてもよろしいですか?」
「承知しました。サイリウムでよろしいでしょうか?」
彼の私への言葉遣いが丁寧になってるな。
彼は奴隷階級なのだろうか。
言葉遣いはともかく、サイリウムは下剤としても使える薬としてこっちで習った。
薬と言っても植物の種だ。
ヲタ芸で振り回す、あの光る棒とは違う。
「はい。お願いします」
皇帝の血流は少し弱いような気もするけど、私と比べても大きく違うって感じじゃないな。
ほぼ正常と言ってもいいだろう。
顔色も良い。
「マリカ。陛下の脈はどう?」
マリカが礼儀正しく皇帝から許可を貰って手首の脈を診る。
自身の脈も確認し、強さを比較しているようだった。
「滞りないように見受けられます」
「ありがとう。じゃ、心臓のサポートは一旦止めて貰っても大丈夫」
「承知しました」
マリカはほっとしたように「失礼いたしました」と言って皇帝から離れた。
そのまま姿勢を正して立つ。
立ってる様子すらいつもと違う。
「そろそろ、私の身体のことを聞かせてくれ」
静かになったところで皇帝が言った。
ビブルス長官はカトー議員を見たが、議員は我関せずと頭を傾けて首の筋を伸ばしていた。
長官はすぐに私に目を合わせてくる。
その長官の目には覚悟が伴っていた。
毒物を盛られたことはまだ話してなかったのか。
でも、結局どこかで話さないといけない内容だ。
幸い皇帝の意識はしっかりしている。
私は彼に向けて軽く頷いた。
≫砒素の話するなら防音にした方が良くね?≫
≫真空の魔術の出番か≫
コメント見てすぐにドアの辺りに真空の魔術を使っておく。
休ませて貰ったからか集中力は戻っているな。
ドアの外には結構な人数の人が居た。
「――私よりお話します。今回リドニアス皇帝が倒れたことは我々親衛隊にも関わる内容ですから」
長官が話すと皇帝の目が見開かれた。
「陛下はお察しかと思いますが、私どもは暗殺の可能性を疑っております。毒物による暗殺の可能性です。それどころか、数年来体調がすぐれなかったことも毒物が関係している恐れがあります」
話を聞いた皇帝はしばらく宙の一点を見つめていた。
「――毒物か」
「はい。可能性の段階ですが」
「――デラス、お前はどう思う?」
皇帝は侍医に顔を向けた。
「はっ! アイリス様は毒物――砒素を原因と見抜かれた上で対処を行い、陛下を救済いたしました。原因が砒素でなければ対処の効果は低かったことでしょう。可能性は高いかと」
「――そうか」
皇帝は息を吐いてから天井を見上げる。
「アイリス」
「はい」
「改めて礼を言おう。私がこうしていられるのはお前のお陰だ。感謝する。そこのマリカにもな」
「身に余るお言葉をいただき光栄です」
マリカが綺麗に頭を下げた。
「――光栄です」
私は慌ててマリカの言葉を追いかけた。
危なく「いえ」と否定してしまうところだったので助かった。
「お前たちの立場では、ここまで来ることすら困難だったろう。そなたたちの行為にはビブルスもカトーも関与していないと聞いた。何故そこまでした? 誰かに頼まれたのか?」
「全ては私の独断です。私の我が儘でここまで来てしまいました」
「何故だ?」
「壇上で陛下が私に『明日への勇気を貰った』と話してくださったからです。私は陛下に明日を見て欲しかった」
「――まさかそれだけの理由か?」
「はい。陛下とは他に接点もないのでそれだけです」
驚いたように皇帝は私を見た。
そのまま固まっている。
「ぷっ、くっくっく。アイリス、全くお前らしいな。陛下、このアイリスはこういう人間です。決勝をご覧になられたでしょう? この細い身体1つで無理を通してしまう」
カトー議員が堪えきれずに笑ったと思うと、そう付け足した。
「今回ばかりは、マリカが居なかったら難しかったですけどね」
「――人とは分からぬものだな。近しい人間に毒を盛られたと思えば、1度だけ話した人間に命を救われる」
皇帝は独り言のようにつぶやくと息を吐いた。
「ビブルス。もう1度聞くが、ここに居る者は信頼の置ける人物なのだな?」
「はい。他の者は皇族も含め退出させました」
≫侍医は暗殺に関わってる可能性あるだろ≫
≫侍医は一応、アイリスに情報くれたけどな≫
≫可能性がないのはマリカとアイリスだけ≫
≫2人は俺たちの監視下に置かれてるからな!≫
≫キモ!w≫
「つまり私は親衛隊の庇護下に入ったことになる訳か。今後の方針を聞かせてくれ」
「はい。親衛隊から2名、信頼のおける護衛を皇帝に配属させます。同時に屋内の警備も強化いたします。また、マリカを侍女として付けることを提案します。彼女であれば立ち振る舞いに関しても申し分ありません」
「なかなか良い案だな」
カトー議員は伸びをした。
≫アイリスさんの立ち振る舞いが否定されたw≫
≫仕方ないだろ現代日本で育ったんだから≫
≫信頼できる護衛って1人はアイリスだろ≫
≫あり得る。また男装か≫
「マリカはどのような出自の者だ?」
皇帝が視線をマリカに向けた。
「亡くなった騎士マリウスの長女です。母親が出産時に奴隷だったため彼女も奴隷階級となっているようです」
長官が答える。
「そういうことであったか。分かった。彼女を侍女にすることを許可する」
「承知いたしました。カトー議員。マリカの手配をお願いしたい。よろしいか?」
「ああ。任せておけ」
手配?
マリカがローマ所有の奴隷だからだろうか。
結局、マリカの意志は聞かれることなく、話が決まりそうな雰囲気だ。
やっぱり奴隷だと意志は尊重されないんだな。
マリカを見ると顔をひきつらせていた。
「――アイリスの今後はどうなっている?」
皇帝が私とビブルス長官を交互に見た。
私?
どうして今、私のことを聞くのだろう。
皇帝は強く布団の端を握っていた。
≫皇帝も不安なのかもな≫
≫女の子に助けてとは言いにくいわな≫
≫確実な味方はアイリスとマリカだけだしな≫
≫いや、長官とカトーも大丈夫だろ≫
≫皇帝の目線ではってことだよ≫
「――アイリス。この部屋の周りに人が居るか分かるだろうか? 分かれば教えて欲しい」
長官が聞いてきた。
「入り口の護衛2人と少し離れたところに何人か居ます。ただ、既に防音の魔術を使っているので、こちらの会話は聞こえないはずです」
「分かった。侍医、席を外してくれ。今後の護衛体制の話になる」
「はっ、承知しました」
すぐに侍医は出て行った。
彼が部屋を出る瞬間だけ魔術を解除し、再び真空の魔術を使った。
空気が乱れ、風が吹く。
「皇帝に付く護衛の内、1人はアイリスです」
ドアが閉まるのを見届けると長官が口を開いた。
「誠か!?」
勢いよく皇帝が身体を乗り出す。
急に動いたからか、しばらくせき込む。
マリカがすぐに失礼しますと言ってさすっていた。
皆が心配する中、皇帝の咳が治まるのを待つ。
マリカの酸素も効果があるのか息苦しくはなさそうだ。
「――アイリスの護衛の件、続きを聞かせてくれ」
落ち着きを取り戻すと皇帝が言った。
「はい。彼女は既に正式な親衛隊の協力者です。よって、彼女を皇帝の護衛にすることには何の問題もありません。今現在、皇帝にとって彼女ほど信頼のおける者は居ないでしょう。アイリス、護衛を頼んでも良いか?」
「はい」
私は力強く応えた。
「そうか。助かる。頼んだぞ」
皇帝が私を見つめる。
「任せてください」
私も皇帝を見つめて言った。
お互い自然と頷き合う。
「――心強いな。さて、私は少し疲れた。休ませてくれ」
「はい。私はまだしばらくこちらに居るつもりです。安心してお休みください」
私は皇帝に微笑み掛けた。
≫アイリスが珍しく強気だな≫
≫皇帝を安心させるためだろ≫
≫実際、護衛としてはベストな人選だからな≫
私は今回の犯人を追いつめるつもりでいた。
守るというよりも攻めるつもりだ。
あと、皇妃についても探らせて貰う。
今回の毒殺未遂の首謀者が彼女という線も考えている。
「ところでカトー議員、まだお時間は取れますか?」
皇帝に配慮したのだろうか、ビブルス長官が声のトーンを落として言った。
「ああ」
「ありがとうございます。アイリス、防音をしばらく頼めるか?」
「はい。問題ありません」
「君も話し合いに参加してくれ」
「はい」
返事をすると皇帝が驚いたような表情を見せた。
私が剣奴出身だからかな?
そんな私が、立場ではローマでもトップクラスの2人と話をする訳だから驚くか。
私たち3人が話を始めると、皇帝は起こしていた上半身を横たえた。
目は閉じているが、意識だけは私たちに向いているようだ。
横たえるときにはマリカがサポートしていた。
「まずは護衛体制について話したい」
話し合いはビブルス長官によって進められる。
内容は、皇帝の護衛体制と暗殺の首謀者を見つける調査の進め方だ。
全て私がメインで動くことになる。
「護衛中はいいんですけど、私が休むときも陛下の近くに居た方が良いですよね? どうしましょう?」
男装するなら着替える場所も必要だ。
「隊の宿舎……は遠いか」
「アーネス殿下の邸宅とかどうだ? 殿下なら喜んで引く受けてくれるだろ」
ニヤニヤしながらカトー議員が言った。
相変わらずどこまで本気か分からない。
「そこに暗殺の関係者が居るかも知れないの分かって言ってますよね?」
アーネス皇子の傍には必ず皇妃の関係者が居るだろう。
「まあな。だが喜んで迎え入れてくれる相手なんぞ他に居るか?」
手をひらひらと振る。
「アイリスは正体を隠してアーネス皇子の護衛もしています。正体を明かすのは避けたいところです」
「ならどうする?」
あ、これ副官モードのカトー議員か。
積極的に作戦は立てないけど、頭の整理はさせてくれるように突っ込みだけ入れてくれるモードだ。
「そうですね。改めて必要な条件を確認するとしましょう。アイリス、どの範囲であれば異常を察知できる?」
「異常の察知ですか。同じ建物内じゃないと難しいと思います」
「そうか。と、なると――」
「1つ言っておくがウチのラデュケはここには貸せないぞ。危ない場所での立ち回りは教えていないからな」
目を閉じた皇帝がそのまま苦笑している。
皇帝はその危ない場所に住んでるもんな……。
「ラデュケを派遣してくれるんですか?」
「せざるを得んだろ。お前の男装だけじゃなくてマリカの見栄えもそれなりににしないとな」
「ありがとうございます。それで、異常の察知の件ですけど、建物外でも300パッススくらいの範囲なら魔術の信号とか『怪物』を捉えられます」
「300パッススか。その距離ならアーネス皇子かミカエル皇子の邸宅も入るか。となると消去法でミカエル皇子になるな」
考えながらビブルス長官が言った。
それにしてもミカエル?
いや、いやいやいや。
あんなのと一緒に過ごすとか無理。
「おっ、ずいぶん嫌そうな顔するな。確か、お前の師匠もミカエル殿下のとこに居ただろ」
ルキヴィス先生のことか。
「アイリスはミカエル皇子の侍医としてここに来たのだったな。元々皇子と知り合いなのかね?」
「いつの間にか殿下の侍医になってたんだな。それならなんの問題もないじゃないか」
カトー議員が満面の笑みを見せてくる。
――ぐっ。
その笑顔の意味が分かってしまう。
ミカエルは私を『侍医』と公言した。
その言葉を盾に彼の邸宅に潜り込むことは出来てしまうだろう。
「まぁ、オレも殿下の噂は聞いてる。ラデュケとマリカについては万が一がないように言っておくから安心していいぞ」
ミカエルの噂って女癖の悪さのことだろうか?
さすがに皇帝の前でその確認は出来ない。
「わ、私は?」
「お前は解放奴隷だろ。自分の身は自分で守れ。なあ、ビブルス?」
「――そういう訳にはいきません。臨時とはいえ彼女は親衛隊員なのですから」
「ちぇ」
その後も話し合いは続いた。
途中、カトー議員が、事件が解決するまで私たち親衛隊側と接触しないと言い出す。
私はカトー議員が居ないのならと、セーラを皇宮内の留置所に移動して貰うことにした。
≫カトー抜きで大丈夫なのか?≫
≫アイリス、マリカ、セーラ、長官で充分だろ≫
≫そのメンツだと老獪さが足りないな≫
≫長官じゃダメか≫
≫長官はなんか頼りない……≫
≫クルストゥス先生はどうだ?≫
≫政治的手腕は未知数だからなあ≫
≫コメントでカバー出来ればいいが≫
≫カトーのことだから考えての決定だろ≫
確かにカトー議員は何か考えてるとは思う。
――考えてるよね?
でも、私はこれまでと同じように出来る範囲でやるだけだ。
さて、話し合いの中で、今回の事件に対しては3つの部隊が動くことが決まった。
1つは通常の親衛隊。
1つはエレディアスさんの隊。
最後の1つは私やマリカを中心とした数人の部隊だ。
親衛隊には皇妃派も含まれる。
彼らは通常のようにローテーションで護衛と調査に当たることになる。
エレディアスさんの隊は私たちと同じく秘密裏に調査を行う隊になる。
彼らが事件を解決しても良いが、どちらかと言うと私たちのダミー部隊という立ち位置だ。
そして、私を中心とする部隊は背後関係まで調べた厳選された人員で構成される。
各人員は基本的に私と1対1の関係で物事を進める。
自分以外の隊員が誰かというのは知らされない。
「隊員はどうやって選ぶつもりですか?」
一応、私自身の部隊のことなので聞いてみる。
「こちらから声を掛ける、という形を取りたい。いかがでしょう?」
ビブルス長官はカトー議員に話を振った。
「そうだな。ただ、声を掛ける前にひと手間加えた方が良いな。アイリスのような舐められやすいのが上に立つ場合は、きっちり格付けを行った方が良い。考えて貰うのも面倒だから、オレのやり方を言っておく」
カトー議員は、選抜試験という名目を使って、私が剣で叩きのめせば良いと語った。
例えば10回戦って完膚なきまでに叩きのめせば相手の『心を折る』ことが出来る。
『心を折る』ことで格付けがはっきりして、反抗心は押さえられるとのことだ。
「その選抜試験の後、秘密裏に声を掛けるということですね?」
「そうなるな。心を折る側のアイリス君にはたくさん頑張って貰う必要があるが」
「――アイリス、負担を掛けるが大丈夫か?」
「はい」
筋肉痛は明日も続いてそうな気がする。
でも、やれる範囲で頑張ってみよう。
「助かる。それに思い切って選抜試験に合格を昇進の評価にも加えようと思う。それなら隊員も本気になるだろう」
「それは良い考えだ」
そのあとも少しだけ話し合いが続いた。
「こんなとこか? さて、オレはそろそろ帰らないとな」
話し合いが終わりに向かうと、カトー議員が腕を解いた。
「このたびのご乱入、ありがとうございました」
ビブルス長官が冗談めかして言う。
「クク、お前がそういう言い回しをするとはな。長生きはするもんだ。それじゃ、陛下のことは任せたぞ」
「はい」
2人は微笑み合う。
カトー議員はそこに居た全員に声を掛けて去っていった。
彼は部屋を出るなり、「陛下が! 陛下が目覚められたぞ!」と騒ぎ、心配していた人たちがこの部屋に集まってくるのだった。




