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第115話 名前

前回までのライブ配信。


アイリスは3回戦で謎の青年ことラルバトゥスと戦う。アイリスが戦いを有利に進める中、彼は強烈な魔術の光を宿す。その直後、円形闘技場に巨大なユーピテルが現れるのだった。

 対戦中、突然現れたユーピテル。

 以前にも見た巨大な姿だ。

 その大きさは円形闘技場(コロッセウム)の天幕に達するほど。

 真上に見上げる形になる。


 ≫なんだ?≫

 ≫でか!≫

 ≫前にも見た。ユーピテルらしいぞ≫

 ≫ギリシア神話でいうゼウスか≫


 最初はざわついていた観客席も、次第に静かになり、今ではほとんど音がしない。


 私は比較的冷静だった。

 ユーピテルの姿に魔術の光が重なっていることを察知する。

 でも、恐らくユーピテル本人じゃない。

 光が重なっているだけで輝いては見えない。


 本人なら、今、(ひざまづ)いているラルバトゥスさんのように光り輝いているだろう。

 

 原理は分からないけど、立体映像のように別の場所から映し出してるんじゃないだろうか?


 さて、見上げていても首が疲れるだけか。

 私は少し離れてからユーピテルの腰あたりまでを見るようにした。


 ユーピテルはラルバトゥスさんと何か話を始めたみたいだった。

 ラルバトゥスさんがかなり(かしこ)まっている感じだ。


 しばらく話していたかと思うと、ラルバトゥスさんの身体に宿っていた巨大な魔術の光がすっと消えた。


 何が起きた?


 ――と、私の頭の右側に突然魔術の光が現れた。

 反射的に退(しりぞ)く。


 すぐにまた魔術の光が現れたので避ける。

 いったい何だ?

 思わず身構える。


 しばらく何が起きているのかと身構えたままだった。

 何も起きない。


 ≫どうした?≫

 ≫ユーピテルが何かしようとしたとか?≫


「アイリス。ユーピテル様がキミと話したいってさ。そんなに嫌がらないであげてよ」


 所々、笑いを(こら)えながらラルバトゥスさんが私に向けて言った。


 ユーピテルが私に?

 ――あ、もしかして耳元へ魔術を使って私だけに聞こえるように話そうとしてたのか。

 私はそれを全部避けてしまっていた、と。


「――分かりました」


 私が言うと、また私の耳元に魔術が来る。


『アイリスよ』


 声がした。

 見上げるとユーピテルも私を見ている。

 立体映像のはずなのに、本当にそこに実在するような雰囲気がある。


「はい。なんでしょう」


『見違えた。ずいぶんと美しく強くなったな』


「――いえ」


 なんて言ったらいいのか分からないので、思わず否定っぽく返してしまった。


『だが、何か困っていることがあるのではないか?』


「ありがとうございます。しかし特に困っていることはありません。大丈夫です」


 下手に困ってるなんて言ったら、つけ込まれる気がする。

 彼はいきなり「愛人にならないか?」と言ってきたくらいだ。

 私のユーピテルへの警戒心は高い。


 ≫アイリスちゃん、誰かと話してるのか?≫

 ≫でかいのと話してるんじゃないか?≫

 ≫でかいのってw 最高神様だぞw≫


 やっぱり視聴者にユーピテルの声は聞こえないのか。


(きさき)の行いで困っているのではないか?』


「ご心配ありがとうございます。妃というのは、皇妃のことでしょうか?」


『人はそう呼んでいるようだな』


「彼女からは確かに困るようなことをされています。しかし、思いがけず良いこともたくさんありました。結果としては彼女の行いに感謝しています」


 言葉を選びながら応える。

 機嫌を損ねないようにしつつ、恩も受けないように、余計なことを話さないように気を遣って返した。


『そうか。では、妃の後ろには危険な存在が居るということも承知していたか?』


「皇妃の後ろに危険な存在が居るんですか?」


『人では(あらが)うことすら難しいであろうな』


 やっぱり討伐軍に参加したときに襲ってきた怪物だろうな。

 ケライノさんにも気をつけろと言われた。


「そうでしたか……」


『助けてやっても良い』


 そう方向で来たか。

 でも、下心ありそうな人――いや神か――に借りを作りたくないんだよな。


「ありがとうございます。しかし、お手を(わずら)わせるわけにはいきません。まずは自分の力でやってみます。助けが必要になったらお願いしたいと思います」


 会話をしていても疲れるだけだ。

 話を打ち切っていこう。


『なかなか殊勝(しゅしょう)な心懸けだな』


「ありがとうございます」


 頭を下げて待つ。


『よい。助けが欲しければ我が神殿に(おもむ)け』


「お気遣いありがとうございます」


 その後、ユーピテルはラルバトゥスさんと何か話していたかと思うと消えた。

 静まりかえっていた観客席がざわつき始めた。


 ふぅ、と息を吐く。

 戦うより疲れるな。


「うわー、いたたた! 僕は降参する!」


 下手な演技をしながらラルバトゥスさんが腕から盾を外して投げた

 もう彼の身体のどこにも魔術の光は存在していない。


 係の人がハッとしたように状況を確認していた。

 すぐにラルバトゥスさんの元に駆け寄る。

 そして、彼に何か聞くと手を挙げた。


「ラルバトゥス闘士が戦闘続行不可能のため、アイリス闘士の勝利とする!」


 宣言が復唱され、観客席にも広がっていく。

 またざわつきが大きくなっていった。


 それから闘技場が落ち着きを取り戻すまでにはずいぶんと時間が掛かる。


 元老員の代表という人が出てきて、演説を初め、それで落ち着きを取り戻していった。

 皇帝は今日は来ていないという話だ。


 彼の演説によると、ユーピテルが降臨することは極めて稀なことらしい。

 短い期間で降臨が2度もあることはローマ史上初めてのことであり、重要なこととのことだった。


 実際にユーピテルと話してた私からすると全然重大な出来事じゃないんだけど、何か面倒なことになりそうだなという予感はする。


「ところでさ」


 ラルバトゥスさんだ。

 彼は演説の最中、私の傍に来ていた。


「僕に聞きたいことがあるんじゃないかい?」


「ええ、まあ」


 彼の顔は見ないで小声で応える。


「だったら、このあとお茶でもどうかな?」


「――分かりました。でも、私はお茶をしたことがありません。どうすれば良いかは教えてください」


「へー、そうなんだ? もちろん僕に全て任せておいてよ。やさしくするからさ。じゃ、着替え終わったら外の大きな像で待ち合わせね」


 こうして、私はユーピテルの降臨で混乱したままの円形闘技場(コロッセウム)をあとにした。

 まずは着替えるために更衣室に戻る。

 途中、視聴者に向けて「この後、すぐに相談させてください」と伝えておいた。


 更衣室で着替えながら、人気(ひとけ)のない場所を空間把握で探していく。

 その場所はすぐに見つかった。

 猛獣の檻への通路だ。

 なんだか懐かしいな。


 声は響くだろうけど真空の魔術でなんとかなるはずだ。


 私は着替えを終えると、周りに人がいないかを確認しながら通路へと向かった。


「皆さん、お待たせしました。早速、相談させてください」


 視聴者に呼びかける。

 相談内容は、ユーピテルが現れた目的についてだ。


 その前情報として、最初人だと思われていたラルバトゥスさんが強烈な魔術の光を宿していたことも伝える。


 すぐにコメントがついた。

 ユーピテルの話だったり、ラルバトゥスさんの話だったり、全然関係ないことだったり内容はいろいろだ。

 コメントを読むスピードが間に合わなくなる。


 ≫まずラルバトゥス氏について整理しましょう≫


 丁寧語さんと思われる人がコメントの交通整理を行ってくれ始めた。


「では、ラルバトゥスさんについて私の知ってることを話します」


 私は彼について、さっき話した内容よりも詳しく話す。


 魔術の光はケライノさんよりも強いこと。

 彼が器用なことや運動神経の良さ。

 空を飛ぶ靴を持っていて使いこなしてること。

 剣はそこまで得意じゃなさそうなこと。


 ≫それ、もうメリクリウスだろw≫

 ≫メリクリウス?≫

 ≫英語でマーキュリー≫

 ≫ギリシア神話のヘルメスだな≫

 ≫大物だな。こんな雑用みたいなことするか?≫

 ≫でも、軽薄っぽいのも一致するんだよなあ≫

 ≫ロクでもない神様だからなw≫


 え、そうなんだ。


 ≫彼はユーピテルの伝令役ですからね≫

 ≫ユーピテルが出てきたのにも説明つくな≫

 ≫何が目的だったんだ?≫

 ≫アイリスを探るように言われたとか?≫

 ≫例の怪物のこと探りにきたのかもよ?≫


 私を探るよりは怪物を探る方が目的としてはありそうだけど。


 ≫ラルバトゥス氏について他の意見あります?≫

 ≫ウィキ見てるがメリクリウスしかないだろ≫

 ≫空飛ぶ靴の時点でメリクリウスしかないな≫

 ≫ペルセウスとかは?≫

 ≫メドゥーサ殺しの英雄!≫

 ≫あの男とペルセウスじゃイメージが違うな≫

 ≫ペルセウスには軽薄なイメージないからな≫

 ≫分からんぞ? 共にユーピテルの息子だし≫


「ペルセウスも剣は得意じゃないんですか?」


 ≫メリクリウスから鎌を借りて使ったはず≫

 ≫ただ運動神経が良いというより力持ちの印象≫


「なるほど。戦ってて、ラルバトゥスさんは力押しのタイプではありませんでした。どちらかと言うと彼の持ち味は器用さとスピードですね」


 ≫神話の印象だとメリクリウスが第一候補だな≫

 ≫メリクリウスで決まりでいいのでは?≫

 ≫神話とそのメリクリウスが同じとは限らない≫

 ≫それもそうか≫


「その空飛ぶ靴に名前は付いてますか?」


 ≫付いてるぞ。タラリアだ≫


 タラリアか。

 忘れそうだ。

 一応、タランチュラマリア様と覚えておこう。


「覚えにくそうですね。忘れるかも知れないので、私がサインを送ったら『タラリア』とコメントして貰えると助かります。サインは、ラルバトゥスさんとの会話中に手のひらを見せたのち足先を真上に向けたらで」


 ≫OK≫

 ≫分かった≫


 ずらーとOKが表示された。


「ありがとうございます」


 ≫他にラルバトゥス氏についてありますか?≫


 丁寧語さんが聞くと、他の意見は特にないみたいだった。


 ≫では、最後に私から良いですか?≫

 ≫もちろん、ラルバトゥス氏についてです≫


 丁寧語さんが言ったのは、ラルバトゥスさんが人になってまで調べている目的の話だった。

 神話では、メリクリウスは冥界と関わりがあるらしい。


 その冥界の入り口は、彼がやってきた都市『ヒエラポリス』にあるのではないかと言われている。


 ≫マジかよ≫

 ≫知識がすごいなw≫

 ≫旅行に行ったので覚えていただけです≫


「彼が人になってまで調べているのは、冥界と何か関係があると思われるってことでいいんですか?」


 ≫可能性としてはあるな≫

 ≫なんでわざわざ人に?≫

 ≫それこそ聞いてみないと分からないだろうな≫


 それから、話は『ユーピテルがなぜ現れたか』に移る。


「ひとまず、私の知っていることとその上での仮説を話させてください。ラルバトゥスさんが神という仮定で話します」


 対戦が始まったとき、ラルバトゥスさんは人だった。

 それなのに、上空で神と化したように思えた。

 その上、戦いの最中の『時間切れみたいだ』という言葉だ。


「彼の『時間切れ』という言葉の直後にユーピテルが現れました。これは、ラルバトゥスさんが神として活動することを禁止されていたからだと考えています」


 ≫なるほどな≫

 ≫禁止されてた理由は?≫


「すみません。そこまでは考えていません」


 ≫他の神にバレるとマズいとか?≫

 ≫調査してることそのものが秘密なのかもな≫

 ≫冥界関係?≫ 

 ≫ならなんでローマに来たんだろう≫

 ≫ローマに何かあるとか?≫

 ≫単純にアイリスの様子を見に来ただけかもよ≫


 いろいろな意見が出る。

 でも、さすがにまだ推測するだけの情報が足りないと感じた。


 ≫話すときその辺突っ込まない方が良いかもな≫

 ≫なんでだ?≫

 ≫秘密裏の調査がバレたらどうするのが早い?≫

 ≫その場で口を封じるの早いな≫

 ≫そういうこと。(やぶ)はつつかない方が良い≫

 ≫ローマ神話だと神は人に容赦ないからなw≫


 そうか。

 彼らが秘密にしてることを(あば)く方向には話を進めないのが良いかも。


「分かりました。気を付けます。相談に乗ってくれてありがとうございました。また、どんなことでもいいので思いついたらコメントして貰えると助かります」


 私は少し時間を掛けすぎたかな、と思いながらラルバトゥスさんとの待ち合わせ場所に向かった。


待ち合わせ場所は、円形闘技場(コロッセウム)の外にある大きな像だ。


 像の存在は知っていたのですぐに見つかった。

 遠くから見てると、視聴者がこの像に感動している。

 なにやら、現代では失われているネロ皇帝の像らしい。


 私でもさすがにネロ皇帝の名前くらいは知ってる。


「こっちこっち!」


 ラルバトゥスさんを探していると声を掛けられた。


「さっきも良かったけど、その姿も良いね」


「――ありがとうございます」


「さ、行こうか。ほら」


 満面な笑みで手のひらを私に近づけてくる。

 いかにも手を引くから掴めという仕草だ。


「はい」


 私はその手に気付かないフリをして、彼の手が視界から外れるように歩を進めた。


「ふうん。あ、こっちだから」


「お願いします」


 私たちはお茶をしにお店に向かった。

 たまに円形闘技場(コロッセウム)から歓声のようなものが聞こえてくる。


 道を歩いていくと、人通りは普段と変わらないくらいだった。

 さすがに、みんながみんなトーナメントを見てる訳じゃないのか。


「あの店だよ」


 ラルバトゥスさんに(うなが)されて空いていた席に近づいた。

 外のテラス席だ。


 その席に座ろうと思ったときだった。

 重要なことに気が付く。

 よく考えたらお金を持ってない。


「ラルバトゥスさん。すみません。立ち話かまたの機会ではダメでしょうか? せっかく連れてきて貰ったのですが、そのなんと言うかお金の持ち合わせがなくて」


 私が言うとラルバトゥスさんは少しの間固まった。


「あはは。久しぶりだよ、そういうの。でもさ、誘ったのは僕だよ?」


 彼が顔を近づけてくる。


「恥をかかせないで欲しいね」


 笑顔だ。

 思わず座ってしまいそうな圧がある。

 私はなんとなく圧を避けて席の近くから離れた。


「ラルバトゥスさんはいつまでローマに居るんですか?」


「トーナメントが終わるまでだよ」


「では、そのときまでにお金を返します」


「やだよ。面倒くさい」


「あのー、お取り込みのところ失礼しますが、どうしますか?」


 店員さんが私たちに話しかけてきた。

 思わず、ラルバトゥスさんと顔を見合わせる。


「とりあえず座ろうか」


「――はい」


 私たちは座ってそれぞれの注文をするのだった。


 お茶が来るまでは、彼がどうやってローマまで来たのか、みたいな世間話をする。

 彼の話によると船で地中海を渡ってきたらしい。


 しばらくすると、私が頼んだはちみち入りのローズヒップティーと、ラルバトゥスさんが頼んだワインがやってくる。

 コメントによると、古代ローマ時代には既にかなりの種類のハーブティーがあったらしい。


「さて、本題といこうか。キミはどこから来たんだい?」


 店員さんが離れるとラルバトゥスさんが言った。

 軽薄な気配が消えて鋭い目つきになっている。


「日本という国です」


 彼が求める答えでなさそうだなと思ったけど、今はそう答えるしかない。


「聞いたことないなあ。どの辺りにある国?」


「東の果てですね。中国(シエナ)の更に向こうです」


「ふうん。実はもっと遠いところから来たんじゃないの?」


「どういうことでしょう?」


「別の世界とか」


 そういうと彼はワインを口にした。


「別の世界というと冥界などですか?」


「違うよ。もっと遠いところ」


「そんな世界があると?」


「僕も詳しくは知らない」


「誰から聞いたんですか?」


「当ててみて」


 ≫メリクリウスは口が(たく)みで(だま)しの神です≫

 ≫そのことを踏まえてお願いします≫


 コメントしてくれたのは丁寧語さんだろう。

 騙しの神って……。

 どちらにしても、彼と探り合いしても良いことはないなと思った。

 素直に話すことにする。


「聞いたのはユーピテル様でしょうか」


「面白い答えだね」


 にまっと笑った。

 全く動揺してないな。


「私が最初にこちらの世界にやってきたときに、ユーピテル様がそういうことを言っていた気がします」


「やっぱり別の世界から来たんだ」


「はい」


「あれ? 素直だね?」


「貴方には素直に答えた方が良いと思いました」


「惚れた?」


「いえ」


「残念だなあ。じゃ、どうして?」


「貴方が神だと考えているからですね」


「例えば誰だい?」


「メリクリウス様ですね」


「なるほどなるほど。根拠を聞いてもいいかな?」


「根拠は、貴方がユーピテル様に(ひざまず)いて何か指示を受けていたこと。タラリアのような靴で飛んでたことです」


「それだけ?」


「人間離れした器用さやスピードもあります。私は以前、ハルピュイアのケライノさんと戦いましたが、貴方はそれ以上でした」


「それで僕が神だというわけか。嬉しいなあ」


 ニコニコと本当に嬉しそうだ。

 表情や態度からは何も読みとれない。


「キミが元居た世界のことだけど、どんな世界なんだい?」


「こっちの世界とほとんど同じです。今は滅んでいますが過去にはローマ帝国もありました。歴史も途中までは同じようです。ただ、魔術や神の存在は確認されていません」


「確認されてない? 遠回しな言い方だね」


「存在を信じてる人は居ます。ただ、信じてない人にその証拠を見せられません」


「ローマの神々を信じてる人は居るのかな?」


「もう居ないと思いますが……」


「昔は居たんだ」


「居たようです。私たちは歴史や過去の神話としてしか触れません」


 そのあと、私が元居た世界の宗教の話になった。

 視聴者のコメントも参考にして説明していく。


 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がアブラハムの宗教と呼ばれていることすら初めて知った。

 こんなことなら世界史をとっておけば良かったと後悔する。


「期待以上に興味深い話が聞けたよ。キミはその歳でずいぶんいろんなこと知ってるんだね」


「教えてくれた人たちのお陰です」


 どうして彼はこちらの世界で役に立たないことに興味あるんだろう?

 それに、私の妄想かも知れない異世界の話を簡単に信じるんだろう?


 元居た世界からの影響が、私自身以外にもあるんだろうか?


「私が来たことで何か影響みたいなことがあるんでしょうか?」


 思わず出てきた問い。

 どうとでも解釈できる曖昧な問いだった。


 その問いで場が静かになる。


 あれ? と思ってラルバトゥスさんの顔に焦点を合わせると薄く怖く笑っている。


「ふうん。僕が何を調べてると思ってるんだい?」


 緊迫した空気。

 『冥界』という単語が浮かび、それと私が来たこの影響を考えてしまう。

 もちろん、口には出さない。

 口には出さないけど、無言になってしまった。


「――冥界」


 私に向けられたはっきりとした彼の言葉。

 驚いて彼の目を見てしまう。


「なーんだ。あはは。困るなー」


 鳥肌が立った。

 私の思考が読める?

 神とは言えそんなことが出来るんだろうか?


「困ったらどうするつもりですか?」


「人聞きが悪いなあ。どうもしないよ。それに僕はただの人間だよ? あんなにも強いキミに何も出来ないって。それとも、キミをどうにかしちゃって良いのかな?」


「え、遠慮します」


「じゃ、何にもしないからもう1つ聞かせてよ」


「――なんでしょう」


「こっちの世界にはどうやって来たの?」


円形闘技場(コロッセウム)のエレベーターは知ってますよね?」


「うん」


「向こうの世界にもエレベーターがあるんです。ただ、人の力じゃなくて電気という力を使って動きます」


「デンキ?」


「雷の力を人が扱えるようにしたものですね」


「うん? まあいいや。続けて」


「はい。その向こうのエレベーターに乗ったら、円形闘技場(コロッセウム)のエレベーターにいつの間にか居ました。気が付いたら居たという感じです」


「エレベーターか。両方動いてた?」


「はい」


「他に条件みたいなものはある?」


「これと思う条件はありません。向こうの時間で深夜だったのがこっちに来たときには夕方でした。あと、その後、円形闘技場(コロッセウム)のエレベーターに乗りましたが、向こうに戻れませんでした」


 ≫緯度(いど)が関係あるんじゃないか?≫

 ≫緯度?≫

 ≫赤道から南北への角度だよ≫

 ≫経度(けいど)とごっちゃになるんだよなあ≫

 ≫緯度はY度。Yesの読みとY軸を掛けてる≫

 ≫なるほど≫

 ≫函館とローマは緯度ほぼ同じなんだよな≫

 ≫そういやそうだったな≫

 ≫ちょっと待ってろ。正確な緯度調べてみる≫


「なるほどね。ちょっと僕じゃ分かりそうにもないな。参考にはなったよ」


「はい。ラルバトゥスさんも『人が元の世界には戻る方法』のことを知らないってことでいいんですよね?」


「知ってたら僕が教えて貰いたいくらいだからね」


「そうですか」


 彼はユーピテルに近いはずだ。

 その彼が分からないんじゃ、他のローマの神々も元の世界に戻る方法を知らないんだろうな。


 ――本当は知ってて嘘つかれてる可能性もあるけど。


 その場合は、私が戻る方法を知っていることで口封じされてたかも知れない。

 知らなくて良かったのかも。


 考えていると、円形闘技場(コロッセウム)の方向から何か歓声が聞こえてくる。


「対戦でも終わったかな? そういえばさ。キミはどうやってあそこまで強くなったの?」


「話せば長くなるんですが……」


 皇妃に恨まれてるみたいなこととか、いろいろな人の助けで生き残ってこれたことを伝える。

 皇妃については開けた場所で話すわけにもいかないので曖昧に言ったけど。


「彼女にねえ。よく生き残れたね」


「彼女を知ってるんですか?」


「会ったことはないよ。ただいろいろ噂は聞くね。あ、そうだ。話を聞かせて貰ったお礼に彼女について1つだけ答えるよ」


 急にそんなこと言われた。

 彼女について聞きたいことか。


「少しだけ考えさせてください」


 私はすぐに左目に手のひらを向けた。

 視聴者の意見も聞きたい。


 まず、質問すること自体は構わない気がする。

 借りを作る訳でもないし。

 

 じゃあ、何を聞くのがいいだろう?


 何故、彼女は私を嫌うのか――とかはさすがに本人に聞かないと分からない。

 あと、彼女のこれまでの悪行を聞いても私にとって役に立つ情報かどうかは分からない。


 コメントでも次から次に聞きたいことが流れていく。

 その中で目を引くものがあった。


 ≫怪物の名前と目的≫


 そうか。

 ユーピテルも言っていた。

 危険な存在が彼女の後ろに居ると。


 名前と言えば、ラルバトゥスさんの本当の名前がメリクリウスという情報も役に立った気がする。

 名前を知るということは私たちにとって重要なことかも知れない。

 コメントでも割と賛成する声があった。


「決まりました」


「何? 言ってみてよ」


 嬉しそうなラルバトゥスさんの顔。


「――彼女の背後に居る怪物について、です」


 彼の口角が横に広がり、親しみやすそうな目が細く怖いものになった。


「良い質問だね」


 そう言ってから、身体を背もたれにつける。

 顔を皇宮の方に向けた。


「『について』だと少し曖昧かな。具体的には何?」


「名前や目的ですね」


「2つになっちゃうけど?」


「う、じゃあ名前をお願いします」


「嘘、嘘。彼女の目的は僕にもまだ分からなくってね」


「そうなんですか」


「うん。でも名前は分かる。彼女の名はスピンクス。妃がまだ(とつ)ぐ前から(そば)に居るって話だよ」


 彼は私に親しみやすそうな笑顔を向けてきた。

 私は笑顔で話すようなことじゃないんだけどなあ、と思いながらも笑顔を返した。

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