第114話 天使の梯子
前回までのライブ配信。
アイリスはトーナメントの2回戦を苦戦せずに勝ち上がる。彼女は3回戦の相手が第四席『剣帝』ロンギヌスと考えていたが、彼が敗北したことを知るのだった。
トーナメント3回戦が始まった。
まずは、私と謎の青年の対戦だ。
彼は第四席のロンギヌスさんに余裕をもって勝ったと話題になってる。
「無名ながらに優勝候補の一角『剣帝』ロンギヌスを下し、遠くヒエラポリスから単身やってきた謎の青年、ラルバトゥス!」
私の紹介のあと、謎の青年ことラルバトゥスさんが紹介された。
彼は軽い足取りでくるくる回りながら手を振っている。
歓声もそこそこある。
私は彼の雰囲気を確認していった。
まず思ったより若い。
私と同じか1、2歳上くらいなんじゃないだろうか。
身体も細身といった感じで、それほど筋肉はついていない。
剣闘士というよりも普通の人といった感じだ。
気負ってる様子もない。
対戦前だというのに余裕がありすぎる。
私の視線に気づいた彼は意味ありげに笑ってから、満面の笑顔を向けてきた。
獰猛な笑みではなく、好意的なものだ。
――なんだろう。
気になる魔術の光も全く見えない。
「中央へ」
彼が選んだ剣は普通の片手剣。
盾も小さめで前腕の長さよりも小さい。
私と同じか。
力もなさそうだし、仕方ないのかも知れない。
私は目を閉じた。
考えるのはここまでだ。
息を肺に取り込み、胸の重さを感じ、肩の力みを抜き、空気の渦に融ける。
「始め!」
私が前に出るより早く彼は突進してきた。
動きが軽く、鋭く、速い。
でも関係ない。
私が見てるのは流れる渦だけだ。
最初の剣撃。
右手でくると思っていたらいつの間にか左手で突いてきていた。
いつの間に持ち替えたんだ?
私の身体は、彼の攻撃を左に避けながら抜刀術のように斜め下から斬り上げていた。
それを察知したトントンとバックステップする。
避けられたか。
私が避けてから攻撃したのがいけなかったのか。
でも、並の相手ならあのタイミングでバックステップで避けることなんて出来ない。
彼はやっぱり強いんだろう。
少し楽しくなってきた。
彼は剣を左手から右手に投げて持ち替える。
更に右手から左手に剣を投げる。
――と。
もう1度、剣を右手に投げながら前に出てきた。
止まったと思うと右へ左へと移動する。
かなり速い。
もっとも、私にとっては攻撃前の動きはあまり関係がない。
そう思った瞬間、渦がこちらに向かってくる。
私の身体が動いた。
彼の攻撃は蹴りだった。
地面から私の目の前に蹴り上げてくる。
私の身体は下がりながら蹴ってきた足に斬りつけていた。
彼は途中で蹴りの軌道を変えた。
私の顔を狙った蹴りだ。
私は蹴りを肩の防具で受け流す。
受け流しながら、盾で私自身の剣の軌道を変え、彼に斬りつける。
彼は軸になっていた足を地面から離して落ちた。
それで私の剣を避ける。
そのまま、器用に背中で跳ねるようにして立ち上がり間合いをとった。
鎧を着たまま、よくそんなことができるな。
身体能力が高い。
それにしても、こっちの攻撃が当たらないな。
受け流したのちの攻撃は通じないか。
受け流すと同時に攻撃をしないと。
その後も彼は曲芸のように剣や身体全体を使いながら私を攻撃してきた。
速さはかなりのものだ。
でも、モルフェウスさんほどじゃない。
ただ、緩急つけてるからか彼の方が速く感じる。
勝手に反応できる私にとっては緩急は意味ないので、モルフェウスさんより戦いやすいけど。
彼の左手の突き。
渦の流れからいってフェイント。
彼は空中で剣を手放す。
剣が宙に留まる。
その間に彼自身は左に移動していた。
僅かに落下した剣を右手で拾い、そこから突き込んでくる。
面白い動きだけど、私の身体はそういう動きには慣れ初めていた。
突きをギリギリまで引きつける。
神経の電子が見えると同時に左に動きながら彼のワキ下に斬撃のカウンターを決めていた。
「うおっと」
手応えはあったのに彼は涼しい顔で間合いを空ける。
「すごいね、キミ」
言葉は聞こえるけど、私は渦しか見てない。
「少し速くするよ」
彼が言うと、今度は神経に直接電気の魔術を使い始める。
確かに速い。
単純なスピードだけならモルフェウスさんに匹敵する。
ただ、私にとっては彼の方が対応が簡単だ。
それは連続攻撃が少ないからだった。
私にはフェイントを入れても意味がない。
攻撃の意志がない時点で分かってしまう。
やっぱり怖いのは追いつめてくる連続攻撃だ。
分かっていても避けられない状況に追い込まれると、どうしようもない。
彼は連続攻撃するといってもせいぜい3回までだ。
4回以上も出来るのかも知れないけど、少なくとも私相手には使ってこない。
この戦い方では私は追いつめられない。
左右の素早いフェイントからのしゃがんでから突き。
私は下がりながら彼の顔を蹴っていた。
完全に不意をついたようで、彼の身体が一瞬ふらつく。
私は動きを切り返して前に出ながら剣を振るっていた。
彼はそのまま浮き上がり、宙に浮いた。
彼から突風が吹いてくる。
風の魔術で飛んだ?
私は下がって彼に突風の魔術をぶつけた。
無意識だったので全力に近い。
彼はそのまま一気に吹き飛び、闘技場の最上部の壁辺りにぶつかる前に停止した。
彼の足下から風が激しく渦巻いているのが見える。
観客もその風にあおられて転がっていた。
彼の足の辺りが光っている。
かなり強い光だ。
その彼が宙を飛んだまま戻ってくる。
見たところ、足から出てる風だけで飛んでいる。
どういう魔術なんだろう?
あと、あれで立った姿勢を保てるのがすごい。
並のバランス感覚じゃないな。
前に『武術家さん』に教えて貰った立位姿勢制御を思い出す。
人は立つ姿勢を、『踏み出すこと』と『足首の力』と『お尻の位置』の3つでコントロールしてるという考え方だ。
彼の持つ驚異的な運動能力で調整してるんだろうな。
その彼は少しずつスピードを上げ、私の近くまで来ると空中を滑るように移動しながら私を攻撃してきた。
攻撃するときだけ私の腰の高さまで降りてくる。
スピードと落下の勢いで攻撃力そのものはありそうだ。
それにしても、ここまで自由自在に飛べるものなのか。
何度か突風の魔術も使ってみたけど、発動しなかった。
魔術無効を使っているんだろうな。
それでも、攻撃を避けること自体は難しくない。
動きの切り返しが甘いし、一撃離脱で連続攻撃もしてこない。
ただ、ほとんど体験したことのない動きだからか、無意識での対処はできない。
どうしようか。
――あれ?
ふと、思いついた。
兜を止めていたあごの紐を解く。
兜に魔術を通した。
これでいけるはずだ。
神経を研ぎ澄ます。
力は抜く。
彼が向かってくる。
彼は攻撃するとき剣は振らない。
でも、少しだけ力が入る。
その一瞬を狙う。
彼は私に狙いを絞らせないように真っ直ぐは来ない。
縦横無尽に上下左右に移動しながら近づいてくる。
私は彼から剣を隠した。
剣に意識を向けさせるためだ。
そして来る一瞬に備える。
交差する瞬間。
彼は私の右斜め上に移動しながら、私の兜を狙って剣を突き出してくる。
その瞬間を狙って、兜の下に溜めていた空気を解放した。
兜はスポーンと飛び、彼にぶつかる。
ガンッ!
「ッ!」
兜は完全にカウンターになり、私は反動で彼の剣を避けていた。
彼はバランスを失い地面を転がった。
兜の中にあった私の髪が解き放たれ、ふわっと降りてくる。
私は彼に向き直った。
「痛たた。何? って見れば分かるか。面白いことするよね」
土を払いながら彼が立ち上がる。
私は応えずに、首を振って髪が目に掛からないようにして半身になった。
「へー、やっぱり美人だね。お茶でもどう?」
「今忙しいのですみません」
「ふうん。すぐ終わらせるから待っててよ」
彼の足――靴が光っている。
ルキヴィス先生の義手と同じかそれ以上に光っている。
靴からはまるで羽のように光がほとばしっていた。
なるほど。
あの靴は神に関係した道具か。
さて、地上からくるか空から来るか。
考えながら私は『渦』に融けた。
消えるような速度で彼が目の前に現れる。
チッ。
身体が僅かに動く。
胴体への突きを僅かに逸らしていた。
火花が散る。
私は同時に彼の横腹に剣の柄を叩き込んでいた。
「ぐはっ!」
彼のスピードそのものが横腹への威力となった。
コマのように回転しながらすごい勢いで地面を転がる。
そのまま身悶えていた。
全力で走っているところに固定された棒がお腹にぶつかったようなものだからな。
あれは痛い。
攻撃した私の手も衝撃で震えているくらいだ。
それにしてもルキヴィス先生が自分より強いかもと言っていたのはなんだったんだろう。
そこまで強いとは思えないんだけど。
私は彼に近づいていって剣を向けた。
彼はお腹を押さえながら空に逃げる。
今なら魔術無効を使う余裕はないはずだ。
私は彼の真下から上空に突風の魔術を使ってみた。
無事に発動して、彼に直撃する。
靴の力で抵抗してたみたいだけど、抵抗しきれずに吹き飛んだ。
吹き飛んだ彼は円形闘技場の天幕の高さを越えて外に消えた。
ほぼ真っ直ぐ上に向けたので、そのまま落ちてくるはずだ。
私は彼が落ちてくるのを注意深く待つ。
地面に落下するのを防ぐためだ。
でも、全く落ちてくる気配がない。
空にある靴の光も輝き続けている。
係の人もやってきて空を見上げている。
上空に居ることは間違いないんだよな。
もしかしてダメージの回復を待ってるのか?
観客もざわつき始めた。
別の係の人もやってきて、何かを話し始めた。
このまま対戦は終了するんだろうか?
観客のざわつきは段々と大きくなっている。
係の人たちが何か頷き合う。
私にも視線を合わせてくる。
「静まれ!」
係の人がそう言うと、その言葉が観客席にもいる係員を通して伝播していく。
1、2分後に静かになり始めた。
「本闘技だがラルバトゥス闘士の場外により――」
そのとき、上空から一筋の光が地面を照らした。
係の人も照らされて、言葉を止めた。
その光が増えていく。
雲間の光が神々(こうごう)しく広がっていく。
確か、天使の梯子とも呼ばれてる神秘的な光景だ。
それとは別に上空に太陽と見間違うくらいの光が出現した。
な、なんだ?
その光が人影と共にゆっくり降りてきた。
一段と観客のざわめきが大きくなる。
「静まれ!」
係の人がもう1度言うけど、今度はその声もざわめきにかき消される。
その光が降りてきて着地した。
目の前にすると、その光の強さがよく分かる。
ケライノさんなんて比べものにならない。
私は奥歯を噛みしめていることに気付いた。
「そんなに震えてどうしたんだい?」
震えて?
肺の奥辺りの震えが止まらない。
それでも無理に笑顔を作った。
「さすがに僕も死んじゃうかと思っちゃったよ。ちょっとお仕置きしないとね。あ、キミたちどいてどいて」
係の人たちを追い払うと彼は私の正面に立った。
光が強いのもそうだけど彼の存在が感じられない。
これは人じゃないと直感した。
彼だけじゃなく彼の靴も強く輝いている。
こちらも今までと比べものにならないくらい光っていた。
溜める動作。
来る!
いきなり、竜巻のような渦が左側に現れる。
死を覚悟するような大渦。
私の身体は渦に逆らわないように回転しながら剣を斜めに向けた。
ガリッ。
金属が削れる音とともに私の身体が飛ばされる。
その着地した地点にも一瞬で大渦が移ってきていた。
いや、無理。
と思いながらも、身体を曲げ背中を使って剣をいなす。
同時に剣も振っている。
カウンターではないけど、相手が崩れているなら当たるタイミングだ。
モルフェウスさんとの戦いの経験が生きてる。
でも、私の攻撃を察知した彼はすぐに下がった。
渦が収まる。
「今のとやり合えちゃうんだ。キミは本当に人なのかな?」
3メートルくらい離れた場所からラルバトゥスさんが声を掛けてきた。
「どうでしょう? 貴方は人じゃないですよね?」
「それは秘密。秘密な方が魅力的でしょ」
一気に間合いが詰められた。
と思ったら消えた。
ただ、消えてるように見えるだけで、上に居ることは分かっている。
あの光る靴があるので、空中でも動きが速い。
一回転しての斬撃。
私には完全にその動きが読めていた。
――が、剣を引く動きが見えた。
フェイント?
構わず後ろに下がりながら、彼の着地の硬直を狙って剣を横凪ぎに振る。
ガンッ。
私の剣が彼の兜に当たった。
硬い。
びくともしない。
私はすぐに切り返して彼の懐に飛び込む。
彼の靴の輝きが増し、足裏がこちらを向く。
離れるつもりか。
でも逃がしたくない。
思考が加速する。
久しぶりの感覚。
次から次に浮かぶアイデア。
私は彼の腰を動かないようにすることを選ぶ。
理由まで考えてられない。
それでいけると思ったので選択した。
同時に手が動いていた。
とにかく、彼の腰を固定するために手元にあった剣を伸ばす。
少し距離が足りず、彼の腰には届かない。
でもこれでもいい。
移動の一瞬のときに届けばいい。
彼の両足から突風が吹き出す。
渦が濁流のように迫る。
私はその濁流の間に吸い込まれるように踏み込んでいた。
彼の足と足の間だ。
剣先が彼の腰の防具に触れる。
一気に彼の身体が加速する。
ここだ!
私は身体をいっぱいに伸ばして、剣で彼の腰を押し出した。
「ッ!」
彼の足は地面にぶつかり、跳ね返った勢いでコントロールを失い、地面にぶつかりながら転がる。
ただ、距離は短かい。
しかも、最後には立っていた。
さすがの運動能力だ。
彼が周りを確認していた。
何が起きたか不思議なんだろう。
「――あたた。今、何をしたのかな?」
「秘密です」
後から考えてみると、どうして私が彼の腰の動きを制限したのが分かる。
人は立っている姿勢を維持するために、3つの方法を使う。
踏み出すこと。
足首の力。
お尻の位置。
特に靴で飛んでるのなら、バランスのコントロールはほとんどお尻で行うはず。
しかもかなり精密に。
だから、お尻――腰の動きを制限した。
「秘密かあ。なんだかもっとキミが魅力的に見えてきたよ。ゾクゾクするね」
人ではない者の狂気を感じた。
再度、胸の重さと肩の脱力をして渦に融ける。
「あー、でもごめんね。僕ももう少し楽しみたいんだけど、時間切れみたいだ」
時間切れ?
そう考えた次の週間、空から凄まじい魔力が降ってきた。
ケライノさんとか比べものにならない。
目の前のラルバトゥスさんですら霞む。
まるでローマ中が光に包まれたように思える。
警戒しながら何が起こっているのか、確かめようと見渡してみる。
光り輝くラルバトゥスさんが跪いていた。
彼の視線を辿る。
そこには大きな人の形をした何者かが半透明の状態で浮かんでいる。
思わず唾を飲み込んだ。
私はそれが何かを知っていた。
でもどうして今?
彼の名はローマ神話の最高神ユーピテル。
私の記憶にある姿がそこにあった。




