第8話
家と一概に言っても実に様々なものがある。
大きい家から小さい家。木造で作られたものから茅葺屋根のような趣を感じさせるもの。家自体では無く居場所であるとか誰かの隣であるとか、そう言った概念を端的に『家』を称すロマンチックな輩も居る。まあ家にも千差万別、色々形があるのだろう。
そんな中俺達の家はと言えば小高い丘の上に立つ小さな一軒家がそれに当たる。俺達の家以外には周囲に家、それどころか建築物の一件も立っていない。お隣さんなんて表現は俺達の家には皆無である。言うに及ばず文字通りの離れ家。それが俺達の家だ。
木を一本一本切り倒して俺と真弓の二人で協力し一から作り上げたこの家は今や俺と真弓、後から加わったナナ、フィオ、ミーシャで合わせて五人暮らし。部屋の数は四つ。一つは俺、一つは真弓、一つはナナ、一つはフィオとミーシャで使っている。後はリビングに居間、キッチン、トイレ、浴室と言った配置だ。部屋の数はそれなりにあるが、かと言ってそれ程広い訳でも無いので時折手狭に感じられる事はあるが、それはそれで温もりが感じられて悪くない。
空気が澄んでいる日なら窓からの眺めは中々の絶景と言っても良いのが自慢である。
「さあ皆様出来ましたよ」
真弓の声がリビングに響く。俺以下三人娘は既に準備を整えていてもう待ちくたびれていたところだったので、真弓の声が聞こえた時は俺も思わず笑みを零してしまった。
ナナなどはもう涎を垂らさんばかりの勢いである。
「今日のメニューは羊肉のシチューに野菜スープで御座います」
「待ってました!」
俺は真弓がキッチンから持って来る夕食のメニューを見て叫んでしまう。キッチンからここまで届いていた香りがより一層強くなり食欲を掻き立てた。野菜の甘い香りと羊肉の癖になる匂いに喉がごくりと鳴る。
「市場で野菜が安かったのでシチューにもスープにも沢山入れております。シチューの中の羊肉は以前買って置いたものが腐りかけの丁度良い食べ頃です。是非味わって下さいませ」
真弓はゆっくりと俺達の前に食事を置いていく。余りの美味しそうな様に口の中があわや洪水の騒ぎである。香りは鼻から吸い込まれ喉を通り抜け肺へと達し、空っぽの胃に準備を促す。もう待ってられないとばかりに舌は動き回り唇は波打つが、真弓が全ての準備を整えるまでは食べてはいけない。我慢しきれずつまみ食いでもしようものなら真弓は凄まじい剣幕で怒りだすだろう。彼女はそういうマナーには結構厳しい。
五つの席にはそれぞれシチューとスープが置かれ真ん中にパンが置かれた。これでようやく食事の準備は全て終了だろう。真弓も俺達同様席に着いた。
「じゃあ――――いただきます!」
俺に合わせ全員で合掌。良い食材とそれを調理した真弓に感謝しつつ夕食を食べ始めた。
夕食が開始されてから暫くは誰一人口を開こうとしない。当然だ。皆が皆、相当お腹を空かせていた上に真弓が料理を作っている間、終始美味しそうな匂いを嗅ぎ続けていたのだから。真弓も含めて無言で暖かい食事を味わい続ける。
低い温度でゆっくりと煮られた羊肉はホロリ、と崩れる程柔らかく口の中に入れると旨さを残して舌の上で溶けていった。何とも癖のある風味と肉でしか味わえないパンチのある旨味に筋肉が弛緩したまま、締まるのを忘れたかのようである。続いて玉ねぎやジャガイモの甘味も絶妙だ。パンを口に放り込んでしっとりとした味を楽しんだ後、野菜スープを口に含む。野菜とベーコンの旨味に少しトマトで味付けしたミネストローネ風のスープは野菜とベーコンの味が効いていて少しあっさりとしたものになっている。
「……幸せだ」
俺は何とも無しに呟く。皆も顔を綻ばせながら頷いた。
「真弓さん、最高です! いっつも美味しい料理ありがとうございます!」
「確かに美味しいです。このシチューなんか特に……。でもナナちゃん、食べ過ぎないようにしないと。この間も美味しい美味しい言って食べ過ぎて暫く腹痛で苦しんだでしょう? ナナちゃんはもっと女の子として気を付けないといけないです」
「うっ! で、でもフィオだって……太るぞ? さっきから見ていればシチューもスープもパンも凄い勢いで平らげいるじゃん!」
「……そうかな? そう言えば最近、結構体重が気になって……」
「ほら見ろ、フィオ! 油断するとぶくぶく太って、その内豚のように……」
「きゃ、キャ――――ッ! な、ナナちゃん、それ以上言ったら駄目ですぅ!!」
「……だい、じょうぶだよ、フィオねぇ」
「え。そ、そうかな? ミーシャちゃん、フィオは大丈夫だと思うです? フィオって太ってないですか?」
「ううん、そう……じゃなくて。フィオの肉はみ、んなお胸に取られているから……問題無い」
「そ、そうだぁ! フィオはおっぱいお化けだもんな! ……うう、何て妬ましい。削げろ」
「お、おっぱいお化けなんて……。いっつも意地悪言ってナナちゃんは酷いです……」
「……フィオねぇ。ナナねぇ、はフィオねぇと違って……お胸、小さいから。……嫉妬してる、の……。あんまり責めちゃ……駄目、だよ……」
「み、ミーシャ! 自分だってあたしと全然変わらない癖に……生意気な事を言うなッ!!」
「ナナねぇ……。ぼく、の方が少し大きい……よ?」
「あ、あたしのは今から大きくなるの! ナイスバディになるのはこれからなの! だから憐れむような目を止めなさい! ムキ――――ッ!!」
「ふふっ。どうやら喜んで戴けたようで何よりです」
真弓は満足気な表情を見せる。確かにこれ程の味ならば得意になっても構わないだろう。
彼女は俺が幼い頃――いや彼女自身が生まれた日からメイドとして訓練を受けている。
彼女の家である櫛形家はもう何代も使用人である事を家業としており彼女も一流の使用人となるべくして生まれた生粋のメイドだ。料理などを基本とした家事は完璧である事は勿論、主人をサポートするという意味合いから大抵の事に知識があり、また気遣いの面ではそんじょそこらの使用人には引けを取らないスペシャリスト。
本来ならば俺の下で使用人をする事など勿体無いくらいの人間である。
それが何故俺みたいな奴の元に居るかを言えば……。まあ腐れ縁と言った所である。
――――そう俺は彼女から『教わっている』。
「……はぁ。これで毒舌じゃなければ最高のメイドなんだがなあ」
「カルラ様。何か言いましたか? 事と次第によっては私の握ったフォークが羊肉とは違う肉を刺す事になりますが?」
「…………。別に」
彼女はにこにこと微笑みながら、しかし目は凍り付いたまま俺を睨んでいる。
どうやら主人である俺が使用人である彼女に敵う日は遠いらしい。
俺はスープを口に流し込みつつ溜息を吐く。
それは野菜スープのそのあまりの美味しさから出た溜息なのか、はたまたその料理を完璧なまでに調理してみせたメイドから与えられる心労から出た溜息なのか。それは定かでは無い。
あるいは――――その両方かも知れない。
それから暫くは目の前の皿を空にするべく俺は料理を頬張る為だけに口を動かし続けた。
……いや? 決して俺が真弓を前にビビっている訳じゃないよ?
そんな後ろめたさも美味しい料理の前では形を保っていられないらしく羊肉と共に舌の上からモヤモヤとした感情は溶けて消えていった。