第45話
「……そろそろ時間だな」
『空想』の発動時間はくっきり180秒だ。その時間がそろそろ終わろうとしていた。
指輪が鈍く明滅していた。俺は右手に空いた貫通傷を治す。
その瞬間――『空想』の輝きは完全に消え失せた。
――――また一つ、俺は人間としての機能を失ったのだ。
それが何であるかはまだ分からない。何を失ったか、俺には分からないのだ。
そもそも認識出来ない事さえ、ある。
だって失ったものが失った事を認識する事は――――難しいのだ。
「イマレウス=マーチハウンド。俺はお前と交渉がしたい」
「…………」
「ナナを――――返してくれ」
「……良いだろう。私は今現時点に置いて貴様に勝つ術を持たない。この状況では貴様は勝者であり、私は敗者だ。敗者は勝者に従うのが義務だからな」
イマレウスは静かにそう言った。足に縫い付けてあった装飾具が鈍く光る。
すると気付けばイマレウスの傍ら、椅子に座っていたナナの身体が俺の両手に収まっていた。
どうやらイマレウスの持つ古代兵装の能力らしい。確か……瞬間移動に使っていた能力だったが、自分以外を瞬間移動させる事も可能のようだ。
「交渉成立だな――――じゃあ俺は帰らせてもらうよ」
俺は踵を返して部屋を出ようとした。こんな威圧感溢れる男の前には一秒たりとも長く居たくは無い。
すると、
「待て」と野太い声が背中に刺さった。
俺はどうやらもう一度振り返るより他無いらしい。
「一つだけ私は貴様に確認しなければならない」
「……どうぞ」
「貴様はこれより先、覇権を目指すつもりか?」
イマレウスの質問は端的で、それ故に誤魔化す事が許されなかった。
――――でも。
でもこの質問を受けての答えを俺はもう既に決めていた。
この質問に対する解答を俺はこの十年間――出さなかった。
けれどもう――決めた。決めていた。
俺はその答えを覇権に一番に近い男の前で堂々と語った。
「ずっと――ずっと考えていた。この世界は腐っているって。でもそれでも良いと思っていた。そんな世界であっても俺には関係が無い。どんなに世界が腐っていても俺は娘達――ナナ、フィオ、ミーシャと真弓が居れば良いとそう思っていた。そう思ってずっと――生きてきた」
「…………」
「でもそんな世界で閉じ籠ろうとしても世界はいつの間にか俺の膝元にやってきて、そして俺の幸せを邪魔しようとする。ロンドやヒンメルさん……少しだけだけど、ほんの少しだけだけど俺達を肯定してくれる人間達も居る。でも大部分は俺達を否定する。新人類というちょっとだけ他人と違う、そんな存在を彼らは大枠から否定する。ナナもフィオもミーシャも皆、可愛らしくて素敵な女の子なのに……奴らはそんな中身を見ようともしない。世界が新人類を否定しているから――そんなつまらない偏見で彼らは俺の可愛い娘達を否定する」
俺は誰にも否定されないように生きようと思っていた。
だからどの国にも属さず人里離れた所に自分達で家を建て、そこに住んでいた。
そこは誰にも否定されない俺達だけの場所だ。
それだけで――――俺はそれだけで良かったのだ。
でも――――駄目だった。
「俺達が俺達だけで生きようとしても駄目なんだ。いつだって誰かが俺達の邪魔をする。それによって生じる歪みを俺の可愛い娘達が受けてしまう。そして涙を流す。流す必要の無い涙を、感じる必要の無い悲しみを――俺の可愛い娘達が。それは何故か? 根本からこの世界が間違っているからだ。こんな腐った世界など壊れてしまえば良いと何度となく思った。でも誰もこの世界を壊してはくれない」
今現在もこの世界は軍事国家『トルテミア』と神聖国『プレステュード』という二大勢力に分かれて長い間諍いを起こしているだけだ。
その諍いも結局は世界を壊すには至らない。
腐った世界が腐っている事に気付かない連中はいつまでも愚かだった。
だから――――変えねばならない。
変えなければ――――誰かが壊さなければ何も変わらない。
それを誰がやる?
――――答えは、出ていた。
「俺が――このカルラ=ミレアルートがこの腐った世界を壊す。そして世界を創り変えてやる。新人類であっても現人類であっても――――子供が子供らしく暮らせる世界を創る。その為に俺が覇権を握ろう。その為に俺は剣を振るう。『空想』を――理想を――現実へと変えてやる!」
その為に俺はどんな泥でも被ろう。どんなに俺が薄汚れても構わない。
だって――だって俺は――
――――だって俺は少女の幸せの為になら自らの明日を犠牲に出来るのだから。
「――――決まりだ」
重々しく、されど狂気的な笑みを浮かべた男が口にした。
イマレウス=マーチハウンドは笑っていたのだ。
「たった今、貴様は我が宿敵となった。覇権を争う上での我が宿敵となったのだ。私はそれを喜ぼう。それを受け入れよう。我が宿敵、カルラ=ミレアルートよ」
「…………」
俺は俺を宿敵と呼ぶ男を見据えた。
俺の理想を現実とする上で避けては通れない敵の存在を――――確認する。
「今宵は楽しい夜だった。血が騒ぐ、滾る。私は私の宿敵と会えた事を神に感謝する」
「…………紐には勿体無い賛辞だよ」
俺は肩を竦めながら、そう漏らしていた。
少女の――ナナを抱えていた両腕から伝わる温もりが俺を辛うじて立たせていた。
大それた宣言をしてしまったけれど……、それでも少女の幸せを願ういちロリコンとして少女の前で格好付けられる男であったらと――――そう願いながら。




