第43話
「……ぐッ」
「お。悲鳴上げないだけ男らしいやん。でも――――」
アトレアはケタケタと笑い出した。狂気的に狂喜的に。
その様子は例え冗談であっても少女のそれとは思えなかった。
それは鬼、と呼ぶに相応しい。
世界に狂わされた新人類。鬼。成程『赤き戦鬼』の名は伊達では無い。
「もっと悲鳴上げてもええんやで? もっと泣いてもええんや。自分、もうすぐ殺されるんやろ? もっと素になれや。もっと自分に正直に生きたらええやん。楽しく逝こうや」
ケタケタ、と笑うアトレアを見据えた後、俺はゆっくりとククリ刀を左手から引き抜いた。
そして、
「ほら」とククリ刀をアトレアに向かって投げ渡した。
「返すよ。俺は使わないし」
「…………。何のつもりや、自分」
そんな俺を訝しげな表情でアトレアは睨み付けた。
しかし俺は動じない様子彼女を見返す。
「……いやさ。俺、ナイフとか上手く扱えないんだよ。料理とかしようとしてもどうしたって失敗しちまう。あれだな、ベタだけど果物の皮とか剥いている時、うっかり手とか切っちまうんだ。だからそんなククリ刀なんか持って戦おうとすればそれこそうっかり自分の心臓突き刺しちまうと思うんだよな。良くても動脈切ったりなんかしちゃったりして。だからそれ言うのは扱える人間が持てば良いんだよ」
「…………」
端的に。只々そうするのが自然だったがごとく。
俺がアトレアに返したククリ刀はもう一度、今度は左肩辺りに突き刺さっていた。
「…………」
「……何や? 自分、そうやって奇抜な態度見せとけば酷い事はされへんとかそういう夢物語みたいな事思うとったんか? ……アホやな、ホンマ。自分、ホンマもんのアホやで」
「そうかも知れないな――っと」
俺は左肩に刺さったククリ刀を引き抜くと、またアトレアに向かって放り投げた。
「…………」
さすがのアトレアもこれには絶句してしまった。
「……何、考えとるんや?」
「だからこのククリ刀はお前のものだろ。持ち主に物を返しただけ。そう驚かれる事でも無い」
「…………。ならその銃、使わへんの? さっきから右手に握っとるけど」
「ああ、これ?」
俺は拳銃を持っていた右手を彼女に向けて、そして撃った。
拳銃の弾は彼女から大きく逸れて飛んでいく。アトレアはそれを呆れた表情で見つめていた。
「こりゃ、文字通りの自衛用っつーか。普通に牽制の為だけに持っているだけだ。目標に向けて撃ったところで万に一つも当たらねえよ。そもそも俺、射撃センスゼロだし」
「……それ、うちに言っても良いんか?」
「構わないだろ。仮に俺が銃の射撃センスが合ったところでどうせ当たらない。俺は新人類の親代わりなんだぜ? それぐらい承知の上だよ。それはそうと――――」
若干喋らせて貰える余裕がありそうなので俺は先程から言いたかった事を言う。
「お前、その格好だけどさ――――露出度、高すぎじゃね?」
「…………え?」
アトレアは俺の質問に呆けた様子で口を開けた。
どうも分かっていないようなので俺は彼女に向かってもっと分かりやすいように教えてやる。
「お前の恰好、エロ過ぎなんだよ。何だよそのチューブトップにジーンズ姿とか欲情しちまって仕方が無いじゃねえか。お前、自分の足の綺麗さを自覚した事あるか? すっげー綺麗だから! もう何なの? 足に余分な脂肪も付いていなければ、かと言って骨ばってもいない。これ以上無いくらい柔らかそうで舐めまわしたくなる太腿だぜ。それにチューブトップから見えている鎖骨、それちょっとコリコリしても良い? 尻のラインもくっきりしていて超可愛い。こう言うの桃尻って言うんだろうな。そんな恰好でさっきエロい事言いまくってただろ、お前。そりゃこっちは黙るっつうの。あの時、俺の脳内はピンク色の妄想で一杯だったわ!」
「な……ッ」
彼女の顔がみるみる内に赤くなっていくのが分かった。彼女の赤毛と見比べたところで遜色ない程に赤く染まっていく。
「い、いきなり何言うとるんや、自分ッ! う、うちの足とか胸の辺りとかそんな風に見とったんか! 本当に混じりっ気無しに真正の変態やないか!」
「いやいや。これくらいで真正の変態呼ばわりされて貰っては困るな」
俺は彼女に向かって堂々とした口調でこう口にした。
「お前の許可さえ下りれば俺は一日中だってアトレア、お前を舐め回せる自信がある。塩かけたり、胡椒まぶしたり、その他調味料によって味を変えて汗との調和を楽しむという組み合わせ次第ではそれ以上――無限の可能性を秘めているのがお前の身体だ!」
「ど、ど変態や――――――――――――ッ!!」
彼女の悲鳴が広大な荒野に響き渡った。
……いや。まさかそこまでどん引かれるとは思っていなかったけど。
「さっきまでお前、エロい事言いまくってたじゃないか……。なのに俺の事だけをそう非難するのは……反則じゃね?」
「そ、そんなのうちに関係無い事やからこそ言えるに決まっとるやろ! う、うちの足が綺麗? 鎖骨がエロい? うち、まだ十二歳やぞ。そんな少女に欲情しまくるとか変態以外の何やと思えばええんや!」
「……まあ。そうですけど」
しかし少女に欲情するのはそうおかしな事では無いと思うんだ。
可愛らしい少女に可愛いと言い、それを愛でる――――それは全く以て普通の事だ。
だからロリコンは罪じゃない。誰かこの理論をどうか認めて下さい。
「しっかし――――本当、お兄やんは『金色の悪魔』の事、心配やないんか? うちは一応、冗談で言ったつもりやけど、それでもその可能性は否めないで?」
「いや……」
「何や? もしかして本当は『金色の悪魔』も他二人の新人類の事も好きや無いんやろ、自分。お兄やんも現人類や。どうせうちらに這い寄って、ゴマ擦って利用しようとしたんやろ?」
「…………」
「ま、それでも蔑まないだけマシやけどな。利用するだけの価値があると認識しているだけその辺に居る馬鹿な奴よりは随分と話が出来る。それに利用されているにしろそれなりの生活が保障されているんだからあのアホの三人組は幸せ者やな」
「――――幸せ」
「……あ?」
「幸せ――本当にそう思うか? あいつらの事が幸せだってお前、本当にそう思うか?」
「何、……言うとるんや?」
アトレアが困惑しているのが分かった。
そうだろう。いきなりこんな事を口にする奴、それこそ狂っていると言われても仕方が無い。
でもその言葉にだけは反論せずには居られなかった。
俺は徐々に言葉を並べていった。
「あいつらが――――幸せ? 本当に――本当にそう思うか?」
「いや、まあ……。利用されているんだとしてもあんたみたいな奴が居る分だけあの三人は幸せ者やろ。ホント、ぬかるみに嵌っているどうしようも無い愚かな奴やと思うよ。それに加えてあいつらはこの世界が素晴らしいものだと思いこんどる。どうしようもない――愚か者や。それでも普通の人間として扱って貰える分だけマシや」
「この世界が素晴らしい、か。あいつらは俺にもそう言うよ」
でも、と俺は付け加え――続けた。
「決してそんな事は無い。俺にだって分かっている――この世界は腐っている。どうしようも無く……その点で言えばあいつらは少しだけ分かっていない」
「何や……えらい簡単に白状しよったな。そう言うって事はお兄やん、やっぱりあいつらの事誑かして利用しとったんやな。……ま、ええよ、ええよ。馬鹿な奴は利用されるのが当然やし……精々扱き使ったらええんや」
「――――違うな、アトレア」
俺は彼女の言い分を否定した。
「……あ?」
「違う。全く以て違う。俺はあいつらの認識が正しいとは思わない――そう言った」
「そうやな。……何が間違うとる言うとるんや?」
アトレアは俺を睥睨としつつ、訊いた。
その手にはククリ刀が握られている。
多分、気に入らない答えを俺が口にした瞬間――――俺は死ぬ。
だが構わず俺は言う。
それは――――言わなければならない事だから。
「でもさ、あいつらは間違っている――――それで良いんだよ」
「は? やっぱり騙しとる――――」
「違う。俺は少女であるあいつらが答えを間違える事がそう悪い事だとは思えないんだよ」
「……どういう事や?」
「いやな。この世界の事をあいつらは――ナナもフィオもミーシャも皆――勘違いしている。この世界はあいつらが思っている程、素敵じゃない。でも……そう思っていて良いじゃないか。間違ったって良いじゃないか。だってあいつらはまだ子供なんだから。あどけない――少女なんだから」
「…………」
「だから――――だから間違ったって構わない」
「アホか」
その俺の言葉をアトレアは即座に否定した。
「確かにあいつらは――うちらは子供や。けど――新人類や。現人類とは違って早熟な人種。どうしたって早く大人にならなければならない。大人になって――そして差別されようが嫌われようが疎まれようが拒絶されようが……生きれるようにならなければならん。一人の力で生きれるようにならなければならんかった。だってそうやなければうちらは死ぬだけやったから。周りは誰も助けてくれん。実際、うちの他の新人類は――大人になりきれんかった新人類は現人類に淘汰されて死んでいった……。それはあいつらが賢くなかった所為や。現人類に馬鹿にされる程、愚かだった所為や。うちらには自分一人で生きられる力がある」
「でも――子供、じゃないか。俺にとって三人娘は子供には違いないんだ。子供は大人に守られなければならない。それが例え新人類でも――同じ事だ。一人で生きられる力があるからと言って一人で生きなければならない道理は無い。それを強要する時点でこの世界は間違っているんだよ。それでもあいつらがこの世界を美しく思う事は例え間違いであっても、俺は正すつもりは無い。もし間違っていたとしてもいつか――いつかその答えを自分自身の力で正せば良いんだ。それが大人になるって事だ。だから今は間違っていたって構わない」
「自分……どうしようも無い理想主義者やな。この腐りきった世界でそんなお為ごかしが新人類相手に通用する訳無いやろ」
「理想主義者で構わないさ。大人は子供に理想を抱いて欲しいものなんだ。子供の内くらい夢を見させてやりたいんだよ、父親代わりとしてはな。あいつらはいつか大人になる。この腐っているどうしようもない世界の中で大人になる。その時まであいつらに俺は夢を見ていて欲しい。そして素敵な大人になって欲しい。ナナにもフィオにもミーシャにも――――それぞれに」
「……下らんわ、ホンマ」
そう吐き捨てるアトレア。だがそんなアトレアに向かって俺は夢を語った。
「下らなくて良いんだよ。夢なんて実際、そんなもんだ。けれど……さ」
「…………」
「そんな下らない夢を見ていられる少女に育ってくれた娘達を俺は本当に誇りに思っている」
「……でも現実は甘くないで。さっきも言ったやろ。もう『金色の悪魔』はヤバい事になっているかも知らん。それこそ夢なんて荒唐無稽なもの抱いていられないくらいに」
「そんな事は分かっているさ」
「なら――――」
そう言って続きを口にしようとするアトレアを俺は見た。
彼女はそれを――俺の目を見て口を閉じた。
俺は彼女の見据えたまま、海の底を思わせる寒々しい口調でこう言った。
「あいつらが自ら大人になって夢を見なくなる――少女でなくなる。それは良い。それは成長という言葉で即ち褒めるべき事だから。でもあいつらが傷つけられて他人によって夢を壊される事があるなら俺は彼女達の夢を壊した連中に容赦はしない。俺の全てが犠牲になって良い。どんな事をしてでもそいつらには報いを受けさせる。この世に生まれてきた事を後悔させる」
「ふーん……成程」
アトレアはゆっくりと口角を上げ、そして笑って見せた。
「これが……これが『金色の悪魔』『微笑む絶望』『冷血の凶報』が心酔する“お兄ちゃん”か……。想像以上、かも知らんな。奴らが誑かされるのも分かる気がするわ」
「……心酔している訳でも誑かした訳でも無いけどな。それに俺には多分一生、あいつらの愛情が『分からない』。だから俺は必要以上にあいつらを愛し続けるんだからな」
「何やよー分からん事、言うとるな……」
「別に。伝えたい事は伝え終わったからな。どうする? お前は今、俺を殺すか?」
「いや、ええよ。ええ。何と言うか興が削がれた言うか……それに」
アトレアは布を取り出すとククリ刀にべったりと付着していた血を拭き取る。そして言った。
「お兄やんならもしかしたら――――うちの想像を上回ってくれるんやないかと思ってな。新人類を蔑まない現人類。ふふん……中々、豪気な奴が居るもんや無いか。じゃあな、お兄やん。もしも生きてて縁があったらどっかで会おうや」
そう言ってアトレアは飛ぶように荒野を駆けだすと数秒後には視界から消え去っていた。
俺はそれを確認した後に歩き出した。イマレウス邸の場所は案内されずとも分かっている。有名な場所だ。歩いて行っても夜までには到着する事だろう、きっと。
俺は大地の上をただひたすらに歩き始めた。
雨はいつの間にか止んでいた。雲間にはまだ光は差していない。




