第42話
正直かなり難航するかと思われたイマレウス=マーチハウンドとのコンタクトだが、思いの外簡単に彼とコンタクトを取る約束を取り付ける事が出来た。
しかも「出来る限り早急に」とのこちらの要求もどうやらあっさり呑んでくれたようでその日中に会える事が決定した。それどころかあちらから迎えの馬車が来るそうで数刻の後に本当にやってきた迎えの馬車に乗って俺はイマレウス邸へと向かった。
――――まあ確実に罠だろう。
罠、と言うかここまで上手く行ってこの後簡単にナナを返してくれる運びになるとはとても思えない。
恐らく彼――『魔帝』には自信があるのだ。
自分の懐に誰を迎え入れたところでその喉元にナイフの切っ先の一つも届かない事を。
そして交渉には乗らず、誰の口車にも乗せられる事が無い絶対的な意志力に。
絶対の――――自信があるのだ。
だからこうして迎えを寄越してやる余裕もあるし、勿論無下に扱う事も無い。
しかしこちらがあちらの意向に沿わない『敵』だと認識された瞬間、彼の牙はこちらの心臓を容易に穿つのだろう。
俺は馬車に揺られながらどうしたものか、と作戦を練っていた。
まあ実際のところはそんなものは無い。
――――だって必要が無いのだから。
命を捨てる覚悟――――それは時として羊が狼を屈服させる事さえ有り得る。
俺は羊ほどの強さも無い。そして彼は狼ほど弱くも無い。
けれど少女の為に明日を捨てる覚悟が俺にはある。
それがどれだけ怖い事か――――彼が知らない訳では無いだろう。
……なんて。そんな事を思っている内に広大な荒野に差しかかった。
送迎者に尋ねるとどうやらイマレウス邸までもう半分のところまで来ているらしい。
その事実に否が応にも背筋が凍り始める。
命のかかったやり取り――それに身を窶さなければならない事に辟易し始める。
三人娘は――戦場に向かうあいつらはいつもこんな気持ちだったのだ。
身が引き裂かれそうで心臓が凍り付きそうで――かと思えば血液が燃え上がりそうな感覚。
これでどうして正気で居られると言うのだろうか。笑顔で居られると言うのだろうか。
改めて俺はあいつらが凄いと思った。
こんな事を何度となく繰り返していれば冗談では無く心が壊れる。
……でも。今度は俺の番だ。しかも彼女達が敵わなかった相手を前にして俺は絶対に勝たなければならない勝負を挑まなければならない。
絶対に――――負けられない。
そう決意を新たにした――そんな時だった。
辺りに轟音が響いた。耳が弾丸のような衝撃を覚える。
そして馬車が揺れたかと思えば次に気が付いた時、俺は反転した世界に居た。
上下が逆になっているのだ。逆立ちした訳でも無いのに俺は逆さになっていた。
それは馬車が逆さまなったと言う事だ。どうやら横転したらしい。
「……一体何が」
俺は送迎者に尋ねた。しかし返事は一向に帰ってこなかった。
――――もしかしたらこれが罠だろうか。
俺は喉元にナイフが突きつけられる錯覚を覚える。恐怖が背中を撫でた。
そんな想像を振り切り、俺はやっとの思いで馬車の中から這い出る。
広大な大地の上、寝転がっている返事のしなかった送迎者を見つけた。首の無い状態で。
馬は興奮しているのか、まるで言う事を聞かない。一頻り暴れた後馬は――元々何かしらによって切られる寸前だったのだろう――手綱を切って広大な荒野を走り去っていった。
荒野に一人残された俺は途方に暮れる。
小雨が降っている。普段はからっからに渇いていたであろう大地がぬかるんでいた。
「…………」
俺はこの状況を整理する為に考えを無言で考えを巡らせた。
送迎者がこの場に居なければ俺はイマレウス=マーチハウンドが仕掛けた罠だと疑うだろう。
しかし送迎者諸共罠にかけるという事があるのだろうか。俺は『魔帝』と呼ばれる人物がいかなる者か知らなかったが、味方諸共罠にかけるような外道を行う人間なのだろうか。それが分からない以上その可能性も捨てきれないが、しかし可能性としては低い部類だろうと思う。
ならばこれはイマレウス=マーチハウンドが想定しない事であると見るべきだろう。
何らかの事故であるという可能性を考えたがそれは無い。
落石による事故は場所が広い荒野である以上有り得ないし、送迎者の首の断面はどう考えても鋭利なナイフで斬り落とされたものだ。もしも何かの不注意で持っていた爆薬が爆発したとかであれば首はあんな風にはならない。
どういう事なのだろう――――俺は一応護身用に持っていた拳銃を片手に辺りを見渡す。
「――――自分が“お兄ちゃん”か?」
背後から少女の声がした。
振り返ると見た目ナナとそう変わらないくらいの年齢に見える少女がそこには立っていた。
赤毛のポニーテールにツリ目、チューブトップにジーンズを穿いて耳には派手なピアスを着けて、腕には腕輪を嵌めている。見た目俗な少女。
そんな少女は右手にべっとりと血の付いたククリ刀を持っていて凶暴な笑みを見せていた。
「自分、『金色の悪魔』の言っている“お兄ちゃん”で間違いないやろ? そうやな?」
「……お前は?」
「質問に答えろや。自分、状況分かっとらんのか? ボケボケやな」
赤毛の少女は乱暴な口調でそう言った。
彼女の目を見る。……まあ少なくとも友好的な相手では無いだろう。
俺は両手を上げて敵意を示さないようにする。
「ナナの事を『金色の悪魔』と呼ぶって事はお前、軍の所属が傭兵か? まだ女の子だろう」
「あったまわるッ……。そんなこっちを伺うような口調すんなや。ホンマは分かっとるんやろ?」
「…………」
「うちが新人類やって事気付いとるやろ、自分。次恍けた事言ったら殺すで」
「…………。どう見たってナナの友達、って訳じゃないよな? 名前は?」
俺の言葉に赤毛の少女は呆れた表情ながらも答えてくれた。
「うちの事、新人類って聞いてすぐに蔑まないとこはさすが『金色の悪魔』他二人の新人類を誑かしているだけはあるわ。言うとくけど褒め言葉やで? うちら新人類が他人に、それも現人類に心を開くなんて早々無い話やし。それに敬意を払って自分の質問、答えたるわ。うちの名前は――アトレアや。よろしゅうな」
「……ああ」
彼女の名前を聞いてようやく俺は納得がいった。
これが――この少女がアトレアなのかと。
俺が知っている中で最も新人類らしい少女。
現人類を嫌っていて、荒んでいて、そして――――およそ少女らしくない残虐な性格。
俺は三人娘からアトレアという少女についてそう聞き及んでいる。
「……ま。よろしゅうとは言うても“お兄ちゃん”――いや、うち的にお兄やんって呼ばせて貰うわ。お兄やん、もうすぐ死ぬやろうけどな」
「……お前が殺すのか?」
「いや? うちが殺すかどうかは気分次第やけど、どっちにしろ自分、もうすぐ死ぬやろ?」
アトレアは小首を傾げてそう口にした。
俺はそれに反論を覚える。
「何でだよ? お前が今から俺を殺すと言うならもうすぐ死ぬんだろうけど……。しかしそうでないならば今から死ぬ予定なんか無いぞ」
「はあ? 自分、アホちゃうか?」
何言っているのか分からない、と言いたげにアトレアは言う。
「今からイマレウスのおっさんのとこ行くんやろ。そりゃあ殺されに行くも同じ事やん。今更恍けてどないすんねん」
「……知っているのか」
まあ雰囲気から察するにその事を知ってこの馬車を襲ったんだろうけど。
予想通り見抜かれていた事にアトレアは何の驚きも覚えない。
「まあな。今日、うちは戦場に出なかったんやけど聞いた話、自分とこのアホの三人組は何も知らんと戦場に出てそんでイマレウスのおっさんにこっぴどくやられたそうやないか。しかも『金色の悪魔』は捕虜として連れ去られたとか。ばっかやなー、イマレウスのおっさんに勝負挑もうとかうちかて考えられへんのに。ま、大方そっちの軍部の連中に騙されたんやろうけど。どっちにしたって自分らもうお終いやな。『金色の悪魔』はこれから捕虜としてひっどい事されるんやろうなー。イマレウスのおっさんは何やいつもつまらなそうな顔してそんなんに一ミリも興味持ってないみたいな顔してるけど、他の奴はそうやないやろうし。今頃あいつも『女』を知っとるのかも知れんなー。アハハハ! うちかてそういうんは経験無いのに……、こりゃあもしかしたらあいつもラッキーやった思うとるかもな。ほら、あいつ、そういうの疎そうな顔してるけど、ああいう奴が以外と嵌るらしいで。ま、嵌るというか嵌められるんやけどな。それにマニア受けしそうな身体しとるし……。取り敢えずこれで『金色の悪魔』も現実を知るやろ。世界がどうしようも無く腐っている事に」
「…………」
「何や、無言になって――――あ、もしかして怒ったんか? それとも『金色の悪魔』が奉仕されているとこ、想像しておっ立ててるんか? 下品やなー、自分。しっかしこれが現実やで? そんな酷い事されんと思うとるんやったら甘すぎるわ。あの甘々な連中にしてこのお兄やんありやな。イマレウスのおっさんの所から出てくる馬車があるから気になって後追ってみたらなんやトルテミアの駐屯地に入ってくやないか。これはいよいよきな臭い思うとったら、何かひょろそうな奴が乗り込むやないか。これにはピーンと来たわ。こいつが『金色の悪魔』の言っとった“お兄ちゃん”やって。『金色の悪魔』がおっさんと殺り合って捕虜になったんは聞いとったからな。近い内、『金色の悪魔』の関係者が何か行動するとは思うとったけど、こんなに早く行動するとは思わなかったな。そんなにあいつの事が心配なんか? 変態やな、自分。その歳であんな少女に催すとか良い趣味しとるわ。あいつがお兄ちゃん、お兄ちゃんうるさいからどんな人物かと思って一度会いたかったけど……。まあ死ぬ前に一目見れて良かったわ」
「……何だ。三人娘から聞く限りどんな少女かと思ったけど」
「――あ?」
「普通にナナの事が気になる可愛らしい少女じゃないか。ナナは素直じゃないからな。もっと素直に愛情表現しないと振り向いて貰えないぜ?」
「…………。ふざけとんのか、自分」
彼女がそう言った刹那――俺の左手にククリ刀がざっくりと突き刺さっていた。
肉に刃が食い込み、骨に達している。熾火に晒されたかのような熱さを左手に感じた。




