第41話
俺――俺はその事実を簡単に受け入れる事が出来なかった。
戦場から帰ってきたフィオ―レとミーシャの二人は全身の数ヶ所の骨折及び無数の打撲、裂傷を負っていた。またミーシャに至っては腹部に深い傷を負い血の多くを失っていた。
そしてナナは――――
「済まない……済まなかった……」
ロンドが拳を震わせながら頭を下げた。
「カルラ……、君との約束『酷い戦場には決して送らない』。それを僕は守れなかった。僕が情報収集を怠った所為でお嬢ちゃん達を危険に晒してしまった……。結果、フィオちゃんとミーシャちゃんが大怪我を……そしてナナちゃんは……連れ去られてしまった……。あの『魔帝』イマレウス=マーチハウンドに……。あいつはプレステュードでも名のある家名を持つ貴族、こっちが何と言おうと決して交渉には応じてくれないだろう。済まない……僕には……どうする事も出来ない……ッ」
「ロンド……顔を上げてくれ。あの『魔帝』が出てくるという情報はお前にも伏せられていたんだ。決してお前の所為じゃない」
そう――――ロンドの責任では無い。こいつはこいつの仕事に誇りを持っている奴だし、何より信用のおける奴だ。決して俺との約束を蔑ろにするような奴じゃない。
恐らくは――軍部の連中が故意的に隠していたのだろう。
「私からも謝ろう。申し訳無かった」
無精髭を生やした短髪の粗野な外見の男――ヒンメルさんが頭を下げた。
「その情報は軍部の……私よりも上層部の連中によって秘匿されていた。奴――イマレウス=マーチハウンドを止めるにはこっちとしても相当の戦力を削らなければならない。故に君達、新人類を犠牲にする事によって軍部の連中は戦力の節約しようとしたんだ」
「……冗談じゃないッ」
俺はヒンメルさんに掴みかかる。
「何で……何で……ッ! あいつらが犠牲にならなければならない! フィオ―レもミーシャも大怪我しているにも関わらず帰って来た時何て言ったか分かるか? 『ごめんなさい』――もう一度意識を失うまでそれしか言わなかったんだぞ!? お前にあいつらの気持ちが分かるか!? そして捕虜として連れ去られたナナの気持ちがッ! お前みたいな奴に分かるって言うのか!? ああッ!?」
あいつらは――フィオとミーシャの二人は自身が受けた傷に泣き言など言わなかったし、そして言い訳も何一つしなかった。
只々ごめんなさい、と。
そう――――彼女達は口にしていた。
今、彼女達は緊急の治療を受けている。どうやらヒンメルさんが手配してくれたらしい。
そのヒンメルさんは情けない顔を見せている。
「……本当に済まなかったと思っている。私は一度、彼女達に命を救われているんだ。私個人も今回の上層部の作戦には疑問を覚えざるを得ない。……恩を仇で返す形になってしまった事を深く謝りたいと思う」
「……このッ」
「落ち着いて下さい、カルラ様」
尚もヒンメルさんに向かって当たり散らそうとする俺の腕をメイド服姿の女性――真弓が掴んでいた。
「この状況で考えなければならないのはナナ様の安否及び救出の方法です。この御方に掴みかかったところで事態は解決するどころを悪くなるばかりです。もっと冷静になって下さい。貴方様はお三方の父親、なんですよ? その貴方様が泣き喚いていてどうするのですか?」
「…………。すまない、真弓」
「いえ。それよりヒンメルさんで宜しいですか? 軍部の方から『魔帝』イマレウス=マーチハウンドとコンタクトを取る事は出来ないのですか?」
真弓の質問にヒンメルさんは少しだけ考えた後に答えた。
「……コンタクトを取るだけならば可能だ。しかし交渉は不可能だ。上層部はこの事に関して君達の側に歩み寄る気が無いらしい。故に軍部として出来る事は殆ど、無い」
「…………」
「……カルラ。いい加減、ヒンメルさんを許してやったらどうだい? 彼は以前、お嬢ちゃん達を敵視し蔑んでいたが、今では考えを改めてくれたようだし何より僕らの味方になってくれている。そんな協力者を排斥していては器が知れるよ」
ロンドが歯軋りする俺を諌めてくれた。
確かに――――ヒンメルさんはこうも歩み寄ってくれているのだ。
何より三人娘に心を開いてくれる人間は数少ない。それをどうして俺のちゃちなプライドで邪魔出来ると言うのだろう。
「……済まない、ヒンメルさん」
俺は頭を下げる。それにヒンメルさんは頭を下げ返した。
「いや、謝るのは全面的にこちらの方だ、カルラさん。前に私が君達を偏見の目で見てしまった事もそうだし、此度私達のした事は土台許される話では無い。だから私個人としても出来る限りの事はしたいんだ。……受け入れてくれるか?」
「……ああ。宜しく頼む」
俺の言葉を受けて尚、ヒンメルさんは下唇を噛んでいる。口からは血が滲んでいた。
彼の言っている事も態度も嘘なんかでは無い――――さすがの俺もここまで真摯な態度見せられればそれが分からない筈が無い。
なら俺は彼らをもっと信じるべきなのだろう。頼ってみるべきなのだろう
そうすれば俺にも――――出来る事があるのだから。
「じゃあヒンメルさん――――一つ、頼んでも良いですか?」
「ああ。何でも言ってくれ。私が出来る範囲の事であれば何でもしてやる」
「ではイマレウス=マーチハウンドと俺がコンタクト出来るよう取り計らってはくれないですか?」
「何だと? 君が?」
ヒンメルさんは驚いた口調でそう言った。
まあそれは無理からぬ話だろう。
「確かに私も軍では多少の地位はある。あの『魔帝』とでもコンタクトを取るくらいの事は出来る。さっきはそう言った。……しかし君があの『魔帝』とコンタクト取ると言うのかい?」
繁々とこちらの下から上を観察しながらヒンメルさんは言う。
ヒンメルさんの言う事は当然の事なのだ。
俺みたいに鍛えても居らず、何の取り得も無さそうな無職が出しゃばったところで出来る事などたかが知れている。そう見られたところで仕方の無い事だ。
しかし、
「ええ。俺がイマレウス=マーチハウンドを説得します。出来ればすぐにでも奴と連絡を取って下さい。もたもたしていたらナナがどうなるか分からない。あいつがもしもの事があったら――――俺は生きている意味を失うのと同じ事ですから。そうなる前に俺が何とかします」
「し、しかしカルラ! あのイマレウス=マーチハウンドだぞ!? イマレウスの家名はその昔、あの帝国――ミレアルート帝国と最後まで覇権を競い合った『有力家名』なんだ! その家名の現当主であるイマレウス=マーチハウンドは歴代でも最強の実力と精神力を誇り、そしてその意志の強さも随一だ。決して交渉に応じてくれるような柔い奴では無い。会ったところで奴の意に沿わぬ事を言えば即刻八つ裂きにされるぞ! 『魔帝』と呼ばれるに相応しい実力を持っているんだ! 僕は……そんな危険を冒してまで君を行かせる訳にはいかない!」
「ロンド……」
「僕は君の友人なんだッ! お嬢ちゃんどころか君までも僕は失いたくはない!」
ロンドの表情は鉄の意志を思わせるもので生半可な説得が通じるとは思わなかった。
ならば俺も――――俺の気持ちをぶつけよう。
「ロンド……お前は本当に良い奴だよ。俺みたいな無職で紐やっているような奴を相手に本気で心配してくれている」
「そりゃあ……」
「だが心配するな、ロンド。俺はあくまで交渉に行ってくるだけなんだ。なに……やっこさんだって話せばきっと分かってくれる」
「だからそんなのが通用する相手じゃ――――」
更に反論を重ねようとするロンドを俺は右手で制した。
沸々と煮え繰り返りそうな――――そんな感情を顕わにしながら。
ロンドはそれを見て一瞬だけ顔を強張らせた。
そんな彼に向かって俺は深呼吸をしてから笑顔を向けた。
そしてゆっくりと語る。
「俺はさ、ロンド。自分が許せないんだよ。俺は俺が許せない……。魔帝だか何だか知らないがどこの馬の骨とも知れん奴に自分の娘を連れ去られてしまった……。まったくロリコン失格だよ。少女のピンチに駆けつけてやれなかった自分が歯痒くて歯痒くて仕方が無い。ロリコンを自称しながらあいつらを守れなかった自分を俺は嫌いになりそうだ。だから行かなければならない。誰が相手だろうと娘を無断で連れて行くような奴は父親として一喝してやる必要があるんだ。だから――――俺は止まれないんだ」
「カルラ……」
ロンドは息を吐き出すと、肩を竦めた。
「もう止まれないんだな?」
「ああ。仕方が無いんだ。だって俺は――――ロリコンだからな」
「そうか……じゃあ止めないよ、僕は。父親として『魔帝』をぶん殴って来い」
そう言ってロンドはそれ以上何も言わなかった。
俺は真弓の方を向いて、口を開く。
「真弓。二人の事は頼んだぞ」
「ええ。お任せ下さい、カルラ様」
それ以上、俺と真弓の間に言葉は必要無かった。
長年一緒に居てお互いを助け合ってきたのだ。それ以上必要な言葉など無い。
……まあ迷惑かけてばっかりの気もするけど、それでも理不尽な文句も沢山言われているし……。おあいこって事にしておこう。
「ではヒンメルさん、頼みます」
「ああ。じゃあついて来い」
ヒンメルさんはそう言うと歩き出した。俺も彼の後ろに続く。
「じゃあ――――行ってくるぜ」
拳を掲げ後ろを向いて歩き出す。
もうつまらない言葉は要らない――それが伝わっていると信じて。




