第34話
フィオの言葉通りナナの自室を尋ねると、彼女はそこには居なかった。
ならば、とばかりに俺はある場所へと向かう。
俺だって伊達にナナと一緒に長い時――もう七年近くにもなる――を過ごしていない。長年の経験からこういう時にナナが何処にいるかなんてある程度の予想が尽くくらいにはなった。
俺は一旦家から外に出る。すると闇夜を割らんとする美しい歌声が耳に入ってきた。美しく響き渡り、そしてとても――――悲しい歌詞の、そんな歌が。
俺は歌声の主に会う為に、そこへと向かう。
自宅のヘリをよじ登り、一歩ずつ外壁伝いに昇っていった。
「少し冷えないか、ナナ」
「……お兄ちゃん」
歌うのを止めたナナは外壁伝いに屋根の上へと昇って来た俺へびっくりした様子を見せる。まあ新人類であるナナならばジャンプ一つで屋根まで上れるのに対し、俺はへばりつくようにゆっくりとでしか屋根の上へは昇れない。驚くのも無理は無いだろう。
「……こんな時間にどうしたの、お兄ちゃん? ひょっとしてうるさかった?」
「あんな綺麗な歌声が子守唄になる事はあれど、うるさく感じる事なんて無いよ――続き」
「……へ?」
「途中だったろ? 続き。聴かせてくれよ」
「う、うん。分かった」
ナナは戸惑いながらも俺のお願いを聞き入れてくれて、先程の歌の途中から始めた。
――――綺麗な、途轍も無く華麗な歌声だった。
満月の光というスポットライトで照らされ、星々の煌めきという観客が見守る中、薄暗闇の中で歌うナナの姿は輝いて見えた。
ナナは手を振り上げ、芯に迫るように歌う。まるで届かないものに手を伸ばすように、そして何かを伝えるように。美しい少女がそこには居た。
そして――――そして。そんな風に歌う彼女の歌はとても悲しいものに思えた。
歌詞の内容は戦場にて人を殺す少女の悲しみを謳ったものだった。少女は人を殺し、死体をうず高く積んで、その山に埋もれて哀しみを抱き、そして絶望の内に自殺する。
そんな歌をナナは美しく、されど悲しく歌い上げ、闇夜を染め上げる。
見事なものだ、俺は感心してしまった。
「すごい。すごい上手かったぞ、ナナ。惚れ惚れした」
「…………そ、そうかな?」
指を絡ませつつナナは羞恥に顔を赤く染めながら、しかし嬉しそうに俺の言葉を受け取った。
「最高だった。今すぐ抱きしめたいくらいだ」
「だ、抱きしめ!?」
「ああ。抱きしめて、それで頭を撫でて褒めてやりたいくらいのもの…………どうした?」
「……いつまでも子供扱いしないでよ」
ナナは不満そうに頬を膨らませる。それを見て俺は微笑んだ。
「ナナ。確かにお前は俺に比べれば何でも出来るような奴だ。でもな……」
「……でも、何よ?」
「そんな服を着て、足元を気にしないような奴はまだまだ甘いんだよ。……さっき、パンツ丸見えだったぜ」
そう――ナナはいつも着ているようなホットパンツと違い、寝間着として愛用しているワンピースっぽい可愛らしい服を着ている。そんな服で屋上に立っていれば、そりゃあ下からやってくる俺にパンツが丸見えであっても仕方の無い事だろう。
「……え、あ!?」
「ふふふふふ……。今日はすこーしだけいつもよりも大胆な下着を着ているな、ナナ。ただし少しは身の丈にあったパンツを着るべ――――うお、危ねえ!?」
間一髪で俺は顎を砕く目的で狙ったナナのアッパーカットを避ける。
……あんなもの喰らえば一発で気を失った挙句、屋根から叩き落とされるに決まっている。幾ら身体が丈夫な俺とて、そうなれば死は免れない。
「ふしゅー、ふしゅー……罪を――罪を償って貰うわ、お兄ちゃん」
「ま、待て! 奇妙な警告音を発する程、興奮しているようだが一つだけ聞いてくれ!」
「……何よ?」
「大人になりたくてパンツだけでも背伸びする姿勢――――俺はそんな子供、実のところ嫌いじゃないぜ。可愛い女の子が女性というまだ見ぬ未来に手を伸ばす瞬間、それもまた――良し」
「あたしはパンツの感想に怒っている訳じゃないのよ、変態! エッチ!」
「俺は只々、真っ直ぐに生きたいだけだ! それの何が悪い!?」
「ならばあたしの制裁を受け入れ、真っ直ぐに逝きなさい!」
「行き違いだ! 俺は自殺願望者じゃない!」
「そんな事、どっちでも良いのよ! あたしの拳の味を知りなさい!」
拳の味は錆びついた鉄の様相を呈していた。結局、アッパーカットをマトモに受けて屋根の上から叩き落とされた俺は三途の川をチラ見してきたが、一応すぐさま起き上がる事が叶った。
あ、思ったより大丈夫。人間って案外、しぶとい。
「……何でケロッとしているのよ。お兄ちゃんこそ、普通の人間とは思えないわ……」
ナナは呆然としながらも、しっかりスカートの裾をガードしていた。
これで図らずしてナナが大人として一歩成長する要因を俺は担ってしまった訳だ。ロリコンとしてはナナが大人になっていくのは寂しい気持ちも少なからずあるが、成長過程を直に感じられるというのはロリコン的にもご褒美的な面は少なからずある。
俺はロリコンとは言え、その守備範囲には定評がある人間だ。
少女達の色んな側面を受け入れるくらい、どうと言う事も無い。
「それで?」
もう一度屋根へと上った俺にナナは何やら疑問を尋ねてきた。
俺は意図を理解出来ず顰め面で返す。
「……それでって?」
「だーかーらー! 何でお兄ちゃんはこんな時間にこんな所に居るのかって聞いているのよ。普通ならお兄ちゃんだってこんな夜更け、寝ている時間でしょう?」
「それはこっちのセリフだよ、ナナ。お前だってこんな時間は寝ているだろう。それに」
俺は付け足すようにして、言う。
「お前が歌っている時は往々にして何か悩みがある時だろう? ほら父親として聞いてやるから言ってみろよ。楽になるかも知れないぜ」
俺はちょっとばかし声を重くして父親っぽく言ってみる。
するとナナは何か不服なのか、口を真一文字に結び、こちらを見上げた。
「どうした? まさか……お前は俺では役不足だと言うのか? む、娘が反抗期にッ!?」
「ち、違うわよ!」
ナナは絶望で頽れる俺に対し、かぶりを振る。
「じゃあ何故!?」
「――――お兄ちゃんとして」
「……うん?」
「父親としてじゃ無く、お兄ちゃん――カルラとして聞いて欲しいの! ……駄目?」
「駄目……じゃあ無いが……」
それは何だろう、お前はまだ父親としては底が浅いから役不足も甚だしいという事だろうか。
……まだナナに認めては貰えていないという事か。少しは評価されているつもりだったのだが……。まあ父親代わりを自称するのはそう簡単な事では無いのだろう。
ならばこういうコミュニケーションの繰り返しによって認めて貰おうじゃないか。
「良し! ナナ、お前の願いしかと聞き入れた! このカルラ! 座して聞こうでは無いか! ほら何でも聞けよ! 俺は悩みを聞くという一点に置いては神と言われてもおかしくは無い、そんな男だ! 万事解決、万事御礼! さあ、後はお前が悩みを言うだけだぜ!?」
「う、うん……」
俺が的外れな事を言って場を和ませようとしたのに、ナナはそれを上の空でスルーした。
……ふむ。ナナが少しばかり突っ込んでくれないと、俺のボケは成立しないのだが……。
何やら「……やった。これで対等な立場で聞いて貰える」なんて小さく呟いているし。
一体何を言っているのだろうか。
……まあ。俺としてはナナの悩みを解決出来る事こそが第一なので、俺の評価など二の次でも構わないが。しかしこうも予想に反した反応をされると調子が狂う。
「……え、えと。じゃあ……良いかな、お兄ちゃ……い、いや。――カルラ」
「…………。どうしていきなり呼び方変えたんだ、お前?」
「い、良いの! そこは別に気にしなくても良いから!」
「……別に構わないけど」
ナナの様子がおかしいのはさて置くとして、俺もそろそろ真面目に取り組まなければ。
「……じゃあ。ナナは何か思うところはあるのか?」
「う、うん……」
ナナは緊張しているのか息を吐いて、それで思い切り吸う。
そして「よ、よし」と自分を鼓舞しつつ、それでようやく口を開いた。
「悩み……ううん、そんな確固としたものじゃない。不安、かな」
「不安……」
「うん……今日――ユリちゃんを見てあたし、思ったの」
「…………」
「あたし達の居場所って――いや、そんなものがあるとして……」
「それは――新人類のって事か?」
居場所。
新人類の――――居場所。
それはつまり存在を肯定される場所。
「そう――だね。あたし達、新人類の居場所」
俺は数刻前の光景を思い浮かべる。
ユリのあの怯えきった表情。
存在を認めるどころか蔑むべき対象としてしか見えていない。
あの――――表情。
ナナは少しだけ間を置いて、そして――言った。
「あたし達の居場所って……戦場の上、ただ一つだけなんだなって」
「…………」
殺し、殺される。死で以て形を為すしか術を持たないあの忌々しい場所。
しかし。そんな所であっても――そんな忌々しい場所であっても。
新人類にとっては唯一、自身を肯定して貰える居場所なのだ。
「これから先――あたし達が誰とどんな関係性を築こうと思っても、あたし達の本性がバレてしまえば……それが戦場で無い限り――いや、例え戦場であってもその存在を肯定して貰えるのは難しいんだなって……」
「…………」
俺はこの時きっと慰めるべきだったのだろう。
しかし、俺はこの時ばかり何故かそうする方法を選べなかった。
突きつけたのは残酷な――――真実。
「お前らが新人類である以上――その存在を肯定して貰えるのは非常に難しい」
「…………」
ナナは泣きも喚きもしなかった。
そんな事は――――もう飽きてしまったのだろう。
「じゃあ……希望を求めて、あたし達は戦場に帰るしか無いね」
「――――ごめんな、ナナ」
「……何でおに――カルラが謝るのよ」
「――――何となく、だ」
そう――これは何となくなのだろう。
どちらにしろその理由はもうずっと前に過ぎた事だった。
「悩み。もう一つ、良い?」
「もう一つ?」
「うん……。悩みって言うか、その、ちょっとばかし違うかも知れないけど。……あたしってば二人――フィオ、ミーシャのお姉ちゃんじゃない?」
「まあ年齢的にはそうなるよな」
ナナは十二歳、フィオは十一歳、ミーシャは十歳。
彼女が三人娘の中で一番お姉さん。それは間違いないだろう。
「それがどうかしたのか?」
「……あたしね、時々思うの。お姉さんとして妹を――フィオとミーシャをこれからもずっと守り続けていられるかどうか、あたしはそれが心配なの」
「よくやっている。……そう思うけどな」
俺はナナの言葉を聞いて、本心を呟いた。
実際、ナナは二人に対する面倒見も悪くない。そんな彼女を妹二人はよく慕っている。
「……違うの。そうじゃなくて」
しかしナナは俺の言葉を素直に受け止めはしなかった。
「ならどうしたって言うんだよ?」
「戦場で――ナナとミーシャをあたしの責任で死なせる事にならないか。それが心配なの」
「…………」
俺は押し黙った。
傭兵として戦場に立つ三人娘。彼女達は身体能力に秀でた新人類だ。そう簡単に殺られるような事は無いだろう。だが、それで命が保障されている訳では、無い。
死ぬ時は簡単に……さっくりと――――死ぬだろう。
彼女達は列記とした人間、なのだから。
「前から言っているだろ? 俺はお前らに戦場なんて場所に立って欲しくは無い。辞めたいのならいつだって辞めても良い。戦場はそんな状態で出られるような場所じゃない。違うか?」
「ううん、違わない。……けど、それはあたし達が勝手にやっている事。あたし達の責任で以てやっている事だから。あたしは辞めない」
「……そうか」
「――――でもフィオとミーシャは違うかも知れない」
ナナは静かにそう口にした。
「あたしは一応、皆の中ではお姉ちゃんだし、それに一番長い間ここ――カルラの近くに居る。もしかしたら二人はあたしが言っているから、それに合わせてくれているだけなのかも知れない。年長者のあたしが言う事に只々、従っているだけなのかも知れない」
「そればっかりは――俺にだって分からないな。俺が幾らロリコンだったとしても……あいつらの心まで見透かせる訳じゃないから」
俺は正直なところを口にする。ここで嘘を言っても仕方無いから。
それと同時に――――ナナとの出会いを思い出した。
ナナとは七年前、とある国のとある民家で出会った。
民家に盗賊が押し入り、ナナの両親を殺し、そしてナナをも殺そうとする寸前――――俺が間一髪で彼女を助けた。そして身寄りが無くなった彼女を引き取り――――今に至る。
後に分かった事だが……。新人類であるナナを疎ましく思っていた近隣の住民が盗賊に『お願い』した事がこれらの原因の一端を担っていたらしい。
当然、盗賊の動機――金銭目当てと人を殺したいという汚らしい欲求が殆どの原因だ。それでもそんな事を吹聴した近隣の住民に罪が無いとは言えない。
当然ながら――――これをナナは知らない。知る筈も無い。
両親を奪った相手が強盗だけでは無く仲良くしていた筈の人間である――――そんな事を知る必要は絶対に無いのだから。
俺は考える――どうしてこうも新人類は人と『違う』かのように扱われるのだろう。
どうしてこうも蔑まれるのだろう。
――――こんなに良い娘なのに。
――――こんなに可愛いのに。
――――こんなに綺麗なのに。
それでもこの可愛さを万人は受け入れない。
そんな世界など――――消えてしまって良い。
こんな俺に――紐なんかに言える義理では無いだろうけれど、それでも世界が腐っていると声高々に叫ぶ、そんな事くらい許されても良いのではないだろうか。
「カルラ――――あたしは…………怖いの」
ナナは震える声で、雲散霧消しそうなくらい掠れた声で、言った。
心なしか手も――震えていた。
「あたしは十二歳…………新人類で言えば身体能力的に言ってピークに達する頃合い。これからはゆっくりと、しかし着実にあたしの身体能力は下降の一途を辿る事になる。そしてそんな風に弱くなっていったら、あたしは戦場でフィオとミーシャの二人を守れなくなるかも知れない。あたしが弱くなった所為で二人が殺されでもしたらと思うと……。あたし、怖い。そんな風になったら、あたしはロンドさん、真弓さん、そして――カルラにどんな顔して謝れば良いの? フィオとミーシャにどうやって詫びれば良いの? 分からない。だから怖い……」
ナナの――少女の見た目頼りない腕は震え、そして答えを探して宙を彷徨った。
だが星も月も答えなどくれはしない。手は空を切るばかりだった。
でも俺は――俺だけはそんな少女をロリコンとして放って置く事が……出来ない。
「大丈夫。大丈夫だよ、ナナ」
俺はナナの手を握った。強く。震えが止まるよう、空寒さを感じぬよう、熱を伝えながら。
「……カルラ?」
「一人で背負わなくても良いんだ。一人で背負わなくたって、そう――俺がいるから」
「俺って……。お兄……カルラはあたし達より弱いじゃん」
「弱い。確かに俺は弱い。お前達どころかその辺の虫にすら負ける脆弱さだ」
「……そんな事を誇って言われても」
半笑いで俺を見るナナ。そんな彼女の目を見つめ、俺は強い口調で言った。
「けど、それでも出来る事がある」
「……出来る、事?」
「例えばお前らの居場所になってやる事だ。帰ってくるべき道標になってやる事だ。帰れる場所がある人間は強い。俺はそれを――――知っている」
「…………」
「それに俺だって伊達に歳喰っている訳じゃあ、無い。暴力で解決する事はとても多いけれど、全てが暴力で解決出来る訳じゃない。時には力以外のものが必要だったりもするんだよ。ロンドを見れば分かるだろう? アイツは口が達者だから、色んな奴と交渉して、それで成功している。そういう戦い方もあるんだよ。そんな風にお前らが危なくなったら、俺は交渉しに行ってやるよ。必死に願えば助かる事だって、そう少なくは無いさ」
「……そんな簡単じゃあ、無い。命のかかった交渉はそう楽じゃ無いわよ」
「なら俺は命を賭して交渉しよう」
俺は断言した。確信を以て言える。
何故なら俺はこいつら――ナナ、フィオ、ミーシャ。それに加えて真弓とロンドの為だったら自分の命なんて喜んで差し出せるだろうから。
――――笑って、死ねるだろうから。
そうだ。少女の為ならば――少女の明日の為ならば――俺は自分の全てを差し出せる。
俺は言葉を続けた。
「命を賭ければ出来る事も多いだろう。もしもお前らが大怪我したとしても、地獄の淵からだって呼び戻して見せるさ。それに――――約束、しただろう?」
「……約束」
そうさ、と俺はナナに告げる。
「『絶対に生きて帰って来る事』それこそ俺がお前らと交わした約束だ。是が非でも守って貰うぜ? その為なら俺は何だってやる。何だって出来る。だからお前一人で背負わなくても良いんだよ。分かるだろう?」
「分からないわよ、そんな無茶苦茶な理論」
でも、と彼女は闇夜にぽつりと息を漏らした。
「……不思議。カルラに言われると何とかなる気がしてきた」
「だろう? 俺は重みのある言葉に関しては一家言持っている人間だぜ?」
「……そうなの?」
「『間違っている理論でも言い方さえ間違えなければ、少なくともその場はやり過ごせる』――――これこそが俺流の会話の基礎だ」
「……根本から間違っているわよ、それ」
そう言ってナナは溜息を吐くと、次に――笑った。
……どうやら、どうにか元気を出して貰えたようだ。
これならピエロを演じた甲斐があったってもんだ。俺は胸を撫で下ろす。
「ありがと、カルラ。すっきりしたわ」
「どうって事はねえよ。……それよりそろそろ寝るか。……あと」
「何?」
屋根から飛び降りようと身を屈ませるナナに向かい、言う。
「さっき。お前は『あたし達の居場所は戦場の上、ただ一つだけ』――そう言ったな」
「……うん。だってそうだもん」
ナナは下唇を噛みながらも頷いた。
「ナナ。『今』はそうかも知れない。……けれど『これから』はどうか分からない」
「そう――かな?」
「ああ。きっと――いや必ず変えてみせるさ」
俺は高らかに宣言した。
「俺がこの世界を変えてみせる。この腐った世界の根幹を俺が変えてみせるさ」
「…………」
ナナは少しだけ俺を見つめていた。多分、測りかねているのだろう。
俺の言っている事が冗談かはたまた――――
「……紐なのに?」
そして彼女はそう言ってからかうように笑った。
「それも『今』は、な……。明日から……そう――明日からきっと……」
「……それ、前にも言ってなかった?」
ナナは肩を竦める。
大丈夫。そう大丈夫……。明日の俺は――明日の俺はきっとヤル気のある俺だから。
だから紐から脱出出来るよう――何とかしているさ…………多分。
それはそれとして。俺はそんな彼女にもう一つ言うべき事を言う。
「ナナ。……呼び方は変えたままにするのか?」
何となく。
何となくカルラと呼び捨てにされるのはこそばゆい。自身の内側に手を入れられているような錯覚に陥る。呼ばれ続けば慣れるのだろうが、それでも違和感を覚えずにはいられない。
「……やっぱりロリコン的にはお兄ちゃんって呼ばれるのが良いの? やっぱり変態なのね」
「否定はしないな」
「そういう潔いところがお兄ちゃんの良いところよ」
ナナはそう言って微笑を浮かべつつ、屋根から飛び降りた。
そう高くは無いと言っても屋根からは結構な高さがあるんだけどな。それを何でも無いかのように飛び降りるナナ以下新人類には驚きを禁じ得ない。
まあ先程、ナナに突き落とされた恐怖も合わさって飛び降りるなんて真似をとても出来ない俺はゆっくりと壁伝いにして屋根から降りて行った。秋風が背を撫でて、ヒヤッとした。
俺は家に入る前にもう一度空を見上げた。
気付けば月や星に陰りが見えていた。
これからは多分……今日のような快晴とは行かないだろう。天気も崩れるに違いない。
そんな事を何とも無しに考えながら俺は家に入って、自室のベッドに潜り込んだ。
瞼を閉じて思う。三人娘が無事帰って来るようにと。
そんな事を必死に願っている内に意識はゆっくりと遠のいて行った。
数日後。ロンドから連絡が入った。
「戦場に来て欲しい」――――そんな連絡が。
それを少女達に伝える時、彼女達はこう言った――――大丈夫、と。
俺も思った。信じていた。大丈夫だと。
――――しかしながら。
この時、俺の認識は甘すぎたのだと言わざるを得ない。
最悪の可能性は常に念頭に置いていたけれども……それでも――俺は甘かったのだ。
俺は思いもしなかった。彼女達――彼女が戦場から帰って来ない――そんな日が来る事を俺は予想していたが理解していなかった。結局のところちゃんと分かっていなかったのである。
雨が世界に向かって叩きつけられる。それを俺は意識の片隅で聞き続けていた。




