第32話
普通に更新忘れてた模様。すいません!
玄関の戸が開く音がした。続いて足音が静かに響いてリビングに居る俺に届く。
すたすたすた、と迷いの無い足取りで玄関から廊下を通り、そしてリビングへと近づいてきた。最後にリビングに通じる扉が開かれメイド服姿の女性――真弓が姿を現した。
「……おかえり」
「はい。ただいま戻りました、カルラ様」
真弓は淡々とした口調でそう告げると羽織っていた外套を椅子にかけて自身も椅子に座った。
「……お三方は?」
「もう眠ったよ。結構遅いし……それにあんな事があったらな」
「…………」
「お茶、飲むか?」
「お気遣い無く。カルラ様こそ何かお飲みになられるのでしたら直ぐにでも準備致しますが」
「良いから。……疲れたろ?」
「……ではお手数ですがお願い致します」
そう言う真弓に頷いて見せると俺は台所に行ってお茶の準備をしてリビングへと持っていく。
普段全ての家事を真弓に任せている俺だが、さすがにこの程度の事は出来る。
お茶の入った湯呑を一つ真弓の前、テーブルに置くともう一つの湯呑を真弓の対面に湯呑を置き、俺はそこに腰を下ろした。
「いただきます」
真弓は礼儀良く述べつつ、湯呑を口に運ぶ。そしてゆっくりとお茶を飲んだ。
俺もそれに倣い礼をした後、お茶を飲む。熱かったが気分がちょっと落ち着いた。
「……カルラ様でも美味しく作れるものがあったんですね。驚きです」
「お前は素直に褒めるって事を知らんのか……俺限定で」
「良いじゃないですか、特別扱い。男性の中では虐げられる事に喜びを感じる方も大勢いらっしゃるのですよ、良かったですね」
「俺はそんな特殊性癖を持ち合わせてはいない」
そんなものはロリコンだけで十分である。
「…………。それで?」
暫くお互いにお茶を味わった後、気になる事を尋ねる。
「そうですね。問題無く済みました」
真弓は一度言葉を区切り、そして続けた。
「ユリ様はきちんと自宅まで送らせて戴きました」
「……そうか」
俺は彼女の言葉に頷いた。
あの後――ユリにはすぐに自宅へと帰って貰った。
もうユリと俺達は一秒たりとも長く一緒に居るべきでは無かったからだ。
その方が俺達にとっても、そしてユリにとっても良いのだろう。
「しかしユリ、暴れなかったか? 正直、ここまでユリを連れ帰るのだって大変だったぜ?」
山岳地帯からユリを連れ帰るのは実際骨が折れた。
ユリは俺達と一緒に居れば殺されると思っているのだ。
当然、暴れる。抱えていれば殴る蹴るは勿論、引っ掻きあるいは噛みつきさえした。
怨嗟の言葉と共に放たれる暴力はこちらの体力と気力を根こそぎ奪い取る。
お陰で俺の全身は引っ掻き傷と歯型がびっしりだ。これが少女によるものだと思うと多少は気も晴れるが、それでも同時にこれは少女に拒絶された証でもあるのでやりきれない。
「ええ。ですから家まで送る際は最初からユリ様の身体を縛らせて戴きました」
「……まるで誘拐犯だな」
「彼女と彼女の村での私達の扱いはそれと寸分違わないでしょう。しかしそうする事がお互いの為なのです。これ以上、私達は双方に歩み寄る事など不可能でしたから」
「真弓。辛い役目を押しつけて悪かったな」
「いえ。仕事ですから」
真弓は憮然とした態度でそう言った。
……俺には彼女のそんな強さが羨ましかった。
「何で……こうなっちゃったんだろうな」
「あるいは……必然だったのかも知れませんね」
「…………。かもな」
俺は真弓に同意する。
ユリは俺達を――新人類を――悪魔の子供達を――――拒絶した。
それに関しちゃあユリは正直、全く以て悪くない。
彼女はそう言う偏見を押しつけられたに過ぎないからだ。
つまりそれは彼女をそういう風に育てた親の責任であり、そしてその親をそういう風に育てた社会の責任であり、その偏見を育んだ世界の責任だ。
そう言った意味でこの世界は究極的に間違っている。
「私達は――――」
「…………真弓」
「私達は――――ある意味こういう事には慣れています。“昔”から……そうでしたから。しかしお三方――ナナ様、フィオ様、ミーシャ様もまた、そうです。私達とは違った意味で常に偏見に晒され続けた少女達。そして新人類という拭えぬ十字架を背負った少女達。お三方はここまで至っても尚、世界を恨まないのでしょうね」
「本当、強いよな。俺には到底真似出来ん」
そう――――彼女達は強い。
少女にも関わらず、だ。強すぎて、強すぎて。
その強さが実のところ虚勢なんじゃないかと心配になってしまう。
「カルラ様、お訊きしても宜しいですか?」
「……何だよ?」
「カルラ様は彼女達が――新人類が生き辛いこの世界をどう思っていますか?」
「…………。いきなりだな」
「いえ。良い機会だと思ったもので」
真弓は淡々とした口調で俺へと尋ねてきた。
俺はそれこそ毎日思っている事を復唱するような気分で答えた。
「新人類が――少女が少女らしく生きられない世界なんて壊れてしまえば良い」
「……綺麗ですね。ロリコンのカルラ様らしい真っ直ぐな答えです」
「…………」
「……あまりに綺麗過ぎるくらいです」
真弓は針に糸でも通すかのような慎重さで言葉を積み上げた。
「綺麗です。とことん綺麗で清純でそして――吐き気がするような綺麗事で満ち満ちています。まるで綺麗過ぎる湖のようですね。そう――それは生き物が住めないくらい、プランクトンの一匹でさえ生きられないような、そんな息苦しそうな綺麗さです。完璧過ぎて、潔癖過ぎて、逆に汚らわしい人形のような人間味の無さ。新人類を差別しないその姿勢は美徳と呼べるでしょう。しかしカルラ様、それはあまりに突拍子が無さすぎるでしょう?」
「……何が言いたい?」
静かに、けれど冷たい言葉が口から飛び出る。
それでも真弓は少しでさえ臆さない。
「カルラ様。カルラ様は間違っているのかも知れない――――私はそう思うのです」
「……本気で言っているのか、それ?」
「私が冗談を言うとでも?」
真弓の眉はぴくりとも動かない。目は真っ直ぐと俺を射抜いている。
どす黒い墨汁のような色になるであろう、そんな重い息を俺はゆっくりと吐いた。
「数日前の事だ。あいつら――ナナ、フィオ、ミーシャが俺に向かって何て言ったと思う?」
「お三方は……何と言ったのですか?」
「真弓。大体、察しはついているんだろう? あいつら、言ったんだ。存在意義を認められる事が嬉しい――それが例え兵器としてでもって」
「…………」
「そんなのは――間違っている。破綻している」
「カルラ様。宜しいでしょうか?」
真弓は言葉を挟んだ。俺は彼女に目を向ける。
「お三方のその考えは正しいですよ。新人類は兵器として生きる事が今現在、最もスタンダードな考え方なんです。間違っているのは……壊れているのはむしろカルラ様の方でしょう」
「…………」
俺は感情を極力表に出さないよう努力したが、それでもこめかみの動きは止められなかっただろう。結果、真弓を睨み付けてしまう。
だが真弓は、それを何とも思わないような仕草で見返した。
「別に我慢しなくても宜しいですよ、カルラ様。私はカルラ様に恨まれるかも知れない、それぐらいの覚悟で喋っていますから」
「……恨むとかはねえよ。お前とはそれ以前に主従関係だ。どんな事があったところで俺はお前を見捨て無いし、お前は俺を見捨てない。そんな会話一つで関係性が壊れるような柔な付き合い方なんてしてないだろうが」
「そうかも知れませんね」
「……でも。それでも怒りはする。俺だって人間だからな。……本当、何が言いたい?」
「怒って戴いても構いませんよ。幾ら怒られても私は一向に構いません。しかしそれでも私はカルラ様に言わないといけません。メイドとして仕える身なれば主人を正しく導く役割が私にはありますから。言っておきましょう。カルラ様の考え方は普通ではありません。新人類は――兵器なんです。今じゃその考え方こそが世の一般論なんですよ」
「どこが――――」
俺は我慢が利かなくなった拳でテーブルを叩いた。
「少女が兵器でいる事のどこが――自身を兵器だと思う事のどこが普通だって言うんだ!」
「カルラ様。つまりこういう事なんです」
「……どういう事だ?」
「新人類である以上、彼女らは一般論で言えば人間では無いのです」
静かに、そして絶望的な事を真弓は言った。
彼女を俺との間を別つこのテーブルが一瞬広がったんじゃないかと思った。
「……何、言っているんだよ?」
「カルラ様は巷での新人類の扱われ方を知っているようで実はまるで理解していないのです。こんな辺鄙な所で隠居生活みたいな事を――もう十年近くになりますか? それだけ長くなれば気付かないのも無理は無いでしょうけれど。しかしながら私はカルラ様とは違い街によく買い出しに行くから分かるのです。新人類に対する世間の認識はカルラ様が思っているそれよりもずっと酷い。それはもう新人類は人間とは見做されていないと言っても良い程に」
「……人間とは見做されていない?」
俺は真弓の言葉を反芻した。
しかし意味は分からなかった。
分かりたくも――――無かった。
新人類が人間で無い――――そんな事を俺は知らない。
「新人類は昔から不当な扱いを受けていた人種です。住む場所は制限され飯は廃棄寸前、のものであればまだ良い。それこそ満足に喰えず餓死する者まで居る始末。着るものは布きれ一枚、見るだけで目が潰されると蔑まれ、列記とした職になど就けず、何て事無い理由で唾を吐きかけられ、酷い時には晒され、辱められ、殺される。それを人間だと言って良いのでしょうか?」
「……おい、真弓」
俺は震える唇で彼女の名前を呼ぶ。だが彼女は呪言のような言葉を止めてはくれない。
「また。これはここ最近で起こり始めた出来事ですが……。新人類の個体数も徐々に増え始め、彼らの勢力は増してきた。それが辿り着く先は私達、現人類への――復讐。その生まれ持った高い能力値に物を言わせて現人類を蹂躙する事件も多発しているそうです。それにより彼らの悪評――『悪魔の子供達』としての認識は更に高まっていく事となります。溝はより深まっていく。そんな中で彼ら――新人類が人間として見做されると思いますか? そんな訳はありません。もう対立関係は引き返せないところまで来ているのです。そんな中、新人類が兵器としてでも人間扱いして貰える。自分の価値を認めて貰える。それは彼らにとって光栄な認識と思っても正直仕方無いとは言えませんか?」
「…………」
俺は無言で以て真弓に言葉を返した。
新人類が人間じゃあ、無い?
――――待て。そんな事ある筈が無い。
だってあいつらは――ナナとフィオとミーシャは。
その一体どこに人間じゃない要素があると言うのだろうか。
だってあいつらは――歩けるんだ。走れる。言葉を喋る。笑ってくれる。悲しんでくれる。怒ってくれる。恥ずかしがってくれる。泣いてくれる。人を思いやれるし、人の想いを受け止められる。人の為に戦ってくれるし、人の為に苦しんでくれる。
人である為。人であるが為に――――苦しんでいる。
そんな彼女達が人間じゃあ無い――――だって?
あんなにも可愛んだぞ!? 可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて――――仕方が無くて。
俺はそんなあいつらに欲情してしまうのだ。
出来れば抱きしめたいという衝動にいつも駆られている。
そんなあいつらが人間じゃあ、無いのなら。それに情欲を覚える俺は一体何だと言うのか!?
詐欺師か!? 道化か!? それとも俺こそが――――人間じゃあ、無いのか?
俺こそが――――狂っているのか?
はは……はは、はははははは。そんな事って……。
「今に新人類が戦場に立つ。それこそが正しいと思える、思ってしまう時代がやって来ますよ」
真弓は言う。素っ気なく、あたかも当然かのように。
いや……。実際に『当然』の事なんだろう。
「今に新人類が戦い、殺し、そして忌み嫌われる。今よりももっと――もっと――もっと――もっと――もっと――もっと――もっと――――兵器として扱われる。そんな時代がやって来ます。いいえ――もう来てしまっているのかも知れません。それこそ毎日爆弾背負って生活して、ボタン一つで四肢が爆散するような日々に新人類は埋没する事になる。それでも――そんな事になってもカルラ様はお三方を――ナナ様、フィオ様、ミーシャ様を少女として扱えますか? 人間として接する事は出来るでしょうか?」
「……………」
俺は――――考えた。
彼女達の四肢が無惨にも爆散し、砕け散るところを。
戦場で華々しく散り、そしてそれが当然かのように考えている自分を。
想像、してみた。そして――思う。
――――それこそが間違っている、と。
吐き気がして吐き気がして――仕方無い。
そんな事は間違っている。絶対に認めちゃあならない。
もしかすれば俺以外の人間――真弓だって、ロンドだって、ナナとフィオとミーシャを見る目が変わっていくのかも知れない。彼女達は兵器だとそう――認識していくのかも知れない。
それでも――それでも俺だけは変わらないだろう。
俺はそう言い切る事が出来た。
俺だけは変わらない。変われない。何があっても絶対に屈しない。
全員が全員、彼女達を蔑んだとしても俺は。俺だけは――彼女達を愛し続ける。
人間は人間で。少女は少女で。そう――あるべきなのだ。
決して兵器とは認めない。あの少女達が兵器である筈が無い。
皆が新人類を兵器だと断言するのなら。俺は声高々に叫ぶ――――新人類は人間なのだ、と。
俺が間違っているんじゃない。社会が間違っているのだ、と。
世界こそが――――間違っているのだ、と。
「皆が何を言っても俺は新人類――ナナ、フィオ、ミーシャを人間だと思い続ける。愛し続ける。欲情し続ける。俺は彼女達の胸を揉みしだきたいし、太腿を舐めまわしたい。わきに顔を埋もれたいし、髪を口で甘噛んでみたい。ちっちゃな尻に抱き着いてみたいし、あの弱弱しくも頼りない足で顔全体を万遍なく、そして思い切り踏まれてみたい。浮き出た肋骨をごりごりと撫でまわしたいし、肩甲骨の感触を指で味わってみたい。ふくらはぎを枕にしてみたいし、お腹を吸ってみたい。全部が全部、一つの漏れも無く俺はあいつらに欲情している。少女が俺、俺が少女みたいになるまでに俺はなってみたい。それにさ――」
俺は言った。絶対の自信と、そして確信を以てそう――言える。
「少女の裸を見て欲情しない人生なんて――――それこそ寂し過ぎるだろ?」
「…………」
真弓の視線が痛かった。彼女の凍り付いた視線を受けた頬が赤く燃え上がる。
それでも俺は前言を撤回しない。
これが俺の偽らざる本心だったから。
「そうですね。それでこそ――それでこそカルラ様です」
彼女は深く瞑目しながらそう言った。
慈しむように俺の名前を呼んだ。
「……何だよ、その反応。俺、結構頭おかしい事言ったぞ。その自覚くらい、ある」
「ええ。ですからカルラ様は間違っていますよ。世間一般で言って恐らく狂人の類です。私は恐れていたのです。狂人となったカルラ様が自分の本性に気付いた時、自分自身を傷つけてしまうのではないか、と。いつか狂っている事に狂ってしまうのではないか、と。しかし……」
真弓は静かにこう述べた。
「カルラ様は普段からこう言っておられますよね? 『俺は――弱い』と。それをメイドである私が否定しましょう。そんな事はありません。貴方様は――強いです。こんな世界に生きていても尚、間違っているという自覚がありながらも貴方様は間違える事に迷いが無い。だからこそ貴方様は大丈夫でしょう。狂っている事に狂う事は無い。そんな貴方様に仕えられる事を私は嬉しく思います。数々の失言、真に申し訳ありませんでした」
「……失言だったって――そう思っているのか?」
俺が恐る恐る尋ねると真弓は何ともなしに言う。
「ええ。私だってカルラ様に仕える身なれば――どうして少女の事を嫌いになれましょうか」
「……そうか」
つい――笑みが零れた。
俺がこの世界に置ける狂人だとするならば真弓だって同じ類だ。
だってこんな俺に――狂っている俺に平然とついてきてくれるのだから。
そんなメイドを持っている俺は多分、世界一の幸せ者だ。
「――それに私には一生カルラ様にお仕えすべき理由がありますから」
「理由、ね……」
「ええ。理由です。貴方様がその事を覚えておいでで無くとも……私にはその理由があります。それは主従契約を結ぶ事と相成った証なのです」
「それは――――」
俺は狼狽しながら彼女の言葉を聞きうける。
その理由を失った事に俺は罪悪感を覚えずには居られない。
「言わなくても分かっていますよ、カルラ様。例え貴方様がお忘れになっても私は一生貴方様にお仕え致します。カルラ様に生きる理由があるように私にはこれこそが生きる理由に違いないのですから。そしてその理由を失くした貴方様を私は一生涯――許しません」
「…………」
「夜も遅いです。私はこれにて……では」
そう言って真弓はリビングから出て行った。
残された俺は湯呑に残っていたお茶をぐいっと呑み干した。
お茶をもうすっかり冷めていて。夜の外気に冷やされた蜃気楼を思わせた。




