第30話
次の日、三人娘とユリは朝から外へと遊びに行った。
正直俺もユリと遊びたかったが……まあ彼女達は彼女達でやりたい事はあるだろう。俺が居ると何かと気を遣うかも知れないし――――何より。
俺も俺でやるべき事はある。
「カルラ様。そこの工具を取って下さい」
「……はい」
今朝の事、真弓に「昨日、車の整備を行うと言い出したのはカルラ様なのですから、当然カルラ様も手伝ってくれますよね? まさか……私にのみ働かせて自分はぐうたらと遊ばれるおつもりですか? さすがは紐。やりたい事だけやって生きるとか人生イージーモードですね。本当、碌でも無いです」と言われ、引けなくなった俺は真弓の手伝いをせざるを得なかった。
よって今日は朝から庭にて車の整備を行っている。
俺は真弓に言われるがまま付き従う手下Aと化していた。
真弓さん、本当怖い……。何なのこの人、俺主人なのに……逆らえないです。
「カルラ様。もっとテキパキと手を動かして下さい。車の整備が終わったらまだやるべき事があるんですから」
「まだ働かないといけないのかよ……」
普段無職なのにいきなりこんなに仕事やっちゃ身体壊れちゃうよぉ……、どう考えてもハードランニングだよぉ……と文句を言いたい気持ちをぐっと押さえて仕事に没頭する。
幾ら俺が碌でも無い人間である事は疑いようが無いとは言え、自分で言い出した事を他人に押しつける程下衆な人間のつもりは無い。少なくとも今日、俺は真弓の奴隷である。
下の人間である以上、俺は考える事を止めねばならない。俺は真弓の言う事を聞く機械、考える事を止めた葦。上司に言われるがままに動く手足である。
手足は自己を持ってはならない……そう言い聞かせながら俺は自分の手足を動かす。
人間、諦めが肝心。生きる為には諦観を受け入れなければならないのである。
「カルラ様、今日は特別忙しいんですから……我慢して下さい」
「お前が忙しい人間である事は重々承知しているが……しかし、お前今日はどうしてこうも忙しいんだ? 手際の良いお前が俺に手伝わせるって余程だぞ?」
「仕方無いですよ。今日はユリ様とゆっくり過ごせる最後の日なんですから。いつもより一層豪勢な夕食とデザートでユリ様を送らなければなりません。こんな日くらいカルラ様も頑張って戴かないと」
「ああ……そういう事か。なら仕方無いな」
そう言われてしまえば文句も言えまい。
少女達の為ならば俺は考える事を止める事に最早依存など無い。
俺は少女の為だったら死んだって良いんだから。
「ええ。仕方ありません」
真弓も汗水垂らしながら休憩も入れずにせっせと働いている。
こいつに関しては本当頭が下がるばかりである。
そうして正午まで休まず手を動かし続け、ようやく車の整備が一区切り付いた。
「お疲れ様です、カルラ様」
真弓は笑顔で濡れた布巾を差し出してくれた。
俺は顔に付いている油汚れを落とす為、布巾で顔中を拭いてみる。
すると白かった布巾はあっと言う間に真っ黒になっていた。
「……疲れた」
自然、言葉が漏れた。言葉は秋風に乗ってどこかへと飛んでいく。
疲労感はあった。しかし心地良い疲労感だった。
これも三人娘の為だ。そしてユリの為。
彼女達の為ならば――――そう思えば俺は頑張れる。
むしろ俺の生きる理由などそれくらいしか思いつかない。
その為に犠牲にしたものは少なくないが…………それでも構わなかった。
「カルラ様。汚れはきちんと落として下さいよ。何ならお風呂で洗い流して下さい。これから料理の仕込みに入りますから。少しでも油汚れを持ちこんだら容赦はしませんよ」
「お前は本当容赦しなさそうだよな……」
汚れたままで台所に入ったら瞬間、ナイフとか飛んできそうである。
「じゃあ少し風呂に入って来るか――――」
そう言って立ち上がった時だった。遠くからフィオとミーシャが走ってくるのが見えた。
いやはや……元気だなぁ、あいつら。やはり少女は元気な方が良い――――と思ったのも束の間、俺は違和感を感じ取った。
外で遊んでいるにしてはフィオとミーシャの顔が酷く険しかった。焦燥感が顕わになっていて、またその足取りは常人では考えられない程素早かった。
とてもじゃないが遊んでいるようには見えなかった。遠くの彼方からやってくる二人だったが、そのとんでもない脚力からか二人はすぐにこちらへとやって来た。
「お、お兄……様……、お兄様! た、大変です!」
「ど、どうしたんだ、二人共? 酷く焦っているようだが……」
息も絶え絶えの二人。彼女達の息が切れるなんて事は余程珍しい事だった。恐らくかなり遠くから走ってきたに違いない。
「あの、あの……ユリちゃんが……」
「取り敢えず落ち着け――」
「そんな場合じゃないんです!」
俺の言葉を遮るや否やフィオは俺を抱えて来た道を戻る為、走り出した。
「うおッ!?」
驚いた声を発する俺の顔に向かって凄まじい風が拭きつけてきた。思わず目を瞑ってしまう。
ようやく拭きつける風にも慣れて恐る恐る目を開けた時、そこは広大な大地の上だった。フィオに抱えられながら俺は大地の上を凄まじいスピードで移動していた。
景色が目まぐるしく通り過ぎていく。時速にして何十キロ出ているかも最早分からなかった。
「おい……一体どうしたんだよッ!?」
「……フィオねぇ、はカルラ抱えていて大変、だから……ぼく、が説明……する」
フィオの横を並走しながらミーシャは口を開いた。
「ぼく、達……今日、朝から川とか、で遊んでたんだけど……昼から、は場所を移して……森に行ったんだ。あそ、こ……はユリちゃんとぼく、たちが……始めてあった場所だか、ら」
「……それで?」
「それで……暫くはユリちゃん、と一緒に……遊んでたん、だけど……一瞬、目を離した、隙に……ユリちゃんが居なくなっちゃった……。それで捜してたら急に、悲鳴、聞こえて……ユリちゃんと……そして鳥のさえずりが……」
「……鳥、だって?」
鳥。その単語にはちょっと前に聞き覚えがあった。
ミーシャはその先を続ける。
「……うん。悲鳴の聞こえた、先――空を見上げた、ら……大きな鳥、みたいなのが……ユリちゃんを掴んで……遠く、飛んでいく姿、見えたの……。ぼく、あれ知っている。あの大きな鳥は――鳥じゃない……。幻獣種――ヒポグリ、フだよ……」
「ひ、ヒポグリフだって!?」
俺の悲鳴にも似た声を聞いてミーシャは前を向いたまま頷いた。
ヒポグリフと言えば身体の前半身が儂、後ろ半身が馬という姿だけ見れば奇妙奇天烈な生き物だ。カテゴリ的には幻獣種に当たり大きさは人間の約数倍にも及ぶ。
身体の小さな少女であるユリを抱えて飛ぶ事など朝飯前だろう。
しかしながら……。
「……どうしてヒポグリフがこんな所に? ……いや。そもそもヒポグリフは誇り高い生き物だ。普段、人間を攫うような生き物じゃない筈」
「多分、群れか、らはぐれた……個体だと、思う……。それにこの時期、……ヒポグリフは気性が荒くなって餌を食べる量……が多くなる。群れから離れて……餌、無くなったヒポグリフが仕方無く……村からユリ、攫ったんだと思う……。それであの森まで運んで、きた……。それをぼく、たちが……見つけて家まで連れてきた……。でももう一度森まで連れてきちゃった……から……。まだ森に潜んで、いた……はぐれのヒポグリフがもう一度ユリを攫った……」
「……成程」
ミーシャの説明ならこの地域にヒポグリフなんかが居る事、人間の少女を攫った事に説明が尽く。そして一人、ユリがあんな森に居た事にも取り敢えず納得がいく。
ユリの言っていた『でっかい鳥さん』というのはヒポグリフの事だったのか。
確かに鳥っぽいと言えば鳥っぽいが……。いや今はそんな事を考えている場合では無い。
「それ、で……ぼく達……はカルラを呼びに来た……。でもナナねぇ……は一人……ユリちゃんを抱えた……ヒポグリフを追って……行っちゃった……」
「何!?」
ナナが一人で……。いや、それは仕方無いだろう。ナナの性格やユリへの感情を考慮すればそんな行動に出た事はむしろ自然だと言える。
それにヒポグリフを相手取ったところでナナならばそう心配する事では無いだろう。
だって彼女は――――
違うな。そう言う問題では無い。ここで最悪のケースはむしろ――――
俺はその先を考える前に首を振った。考えてはならない。
今はユリを助けるのは先決だ。
「ユリと……ナナの行方は追えるのか?」
「分から、ない。けれど……ヒポグリフ、が飛び立った森……に行ってみればぼく、達なら何とかなるよ」
「まあ……そうだな」
俺はミーシャの言葉に頷いた。
今は彼女達の力に任せるしか無いだろう。
「……はぁ……はぁ……急ぐ、です!」
俺を背負ったまま走り続けるフィオが気合い混じりの一言を口にする。
最悪のケースにだけはならぬよう俺はまたも祈るしか無かった。




