第21話
「ハハハ……ようやくおとなしゅうなったなぁ。さーてまずはペットとして首に縄でも着けたるかなー。でも縄なんて持っとらんし。
あ、そうや。殺した奴の腸でも使って代用したるかなー。でも臭いもんうちが持つのは嫌やな。でもそれもそれで面白そうやし、どうしようかなー」
「…………」
ヒンメルは無言だった。アトレアが口にしたどうあっても許されないような行為さえも今のヒンメルにはどうでも良かった。もう――――何も出来なかった。
――その時だった。ヒンメルが視界に捉えたのは高速でアトレアに突っ込んでくる陰。
端的に言ってそう――金色の筋に見える何か。
それがアトレアに突っ込んで来たかと思うと彼女に勢いよく斬り込んでいった。アトレアはそんな何かの攻撃を弾くと後ろに跳躍して距離を取った。
「大丈夫!? 助けに来たよ――ってあんたは確かヒンメル……さん?」
「貴様!? 確かナナとか言う……」
ヒンメルは少女――ナナを仰ぎ見る。長い金髪を横で縛った髪型に金色の瞳を持つ――新人類。かつてヒンメルが下種だと馬鹿した存在。それが今、ヒンメルを助けていた。
「……ふん。久方振りだな……童よ」
「……え、あ、はい。えーと、ヒンメルさん」
「何だ?」
「あたし達の事――『悪魔の子供達』って呼ばないんですか? まるで汚物を見る様な差別めいた目を……向けないの?」
「…………」
ヒンメルは一度沈黙した後に、
「貴様――貴様らは確かに下等な『悪魔の子供達』に違いないが、それでも貴様達自身は中々優秀な人材だ。それにたった今、窮地を救って貰った。一介の軍人としてそんな者に侮蔑の視線なんぞ送れるものか」
「……そう」
ナナはふっと破顔すると、直ぐに表情を引き締めて正面――アトレアに向き直った。
「なーんや、また会ったな『金色の悪魔』。同じ新人類のよしみや。ここは見逃したるからどっか行き。自分と戦うのは正直、気が進まん」
「それはこっちのセリフよ『赤き戦鬼』。こっちこそ見逃してあげるからどっか行きなさい。……つーか、嘘吐かないでよ。あんたみたいな狂人があたしを見逃す訳無いでしょう?」
「あ、バレた?」
アトレアは白々しい笑顔を見せる。ナナはそれを諦観の入り混じった表情で以て迎えた。
「……あんた、相変わらずエグイ事してるのね。いつまで経っても子供なんだから」
ナナはちらりと視線を落として、死屍累々と転がった死体に目線を遣る。
「自分は相変わらず甘いねんな。どーせ、今回も不殺だか何だかつまらない制約で自分を戒めとるんやろう? ばっかやなー……。自分もそこに居る奴ら――現人類に辱めを受けている口やろう? なら何を憚る事があるんや? 躊躇する必要が何処にあるん?
今からでも構わへん。そこのおっさん一緒に拷問しようや」
「一緒にしないでよ、狂人が。あたしはあんたみたいに他人の卑劣な所しか評価出来ないような根暗じゃないわ。現人類だって――あの人みたいな――お兄ちゃんみたいな素敵な人が居るのよ。そんな事すら分からないような奴に気軽に声をかけて欲しくは無いわね」
「ははーん……読めてきた、読めてきたでー……。自分、現人類なんて酷く不格好な連中の一人に誑かされとんのか。幾ら一緒に狂おう言うても乗って来ないからこいつおかしいんかなー思うとったけど実際は酷く滑稽な事やったんやな。弱い。弱いなー、ホンマに弱すぎるで自分」
「……何ですって?」
明確な殺意を込めて睨み付けるナナを前にしてアトレアは飄々とした口調で言葉を続ける。
「聞こえんかった? 自分は弱すぎる言うとるんや。何が楽しくてそんな下種な連中と遊んどんねん。そんなつまらないとこよりもうちの所に来なよ。
もっと楽しくて、面白くて、スリルがあって、それでいて『奴ら』に復讐が出来る――そんな日々を送らせたるわ。自分も本当は内心で恨んどるんやろ?
自分を虐げてきた連中に御礼回りしたいと思わへん? なあ『金色の悪魔』? なんならあんたを誑かしているっつー糞な現人類なんてうちが殺してきたるわ。
それなら思い残し無くうちの所に来れるやろう? 悪い事は言わへんから。な? どうや?」
「あたしのお兄ちゃんに――――」
「うん? 何やて? もう一度言うてみ?」
「あたしのお兄ちゃんに手を出したら――――殺すわよ!!」
ナナは吠えると刀を仕舞い、そして背中に背負っていた得物――一本の長竿を取り出した。長竿を包んでいた布を荒々しく剥ぎ取っていく。
そうして顕わになりナナの手元に収まっているのは一本の槍だった。ナナの身長を一回りも二回りも上回る槍をナナはいとも容易く振り回し、そして構える。
槍の穂先はただ一点――『赤き戦鬼』アトレアへと向いていた。
「ふーん。早速出すんか『それ』。こら穏便に済ませようなんて言っている場合や無いな」
「……よく言うわ。最初っから話し合いで終わる気なんて更々無かったでしょうが」
「まあ……そやね。でもさっきの話は割とマジやで。自分はどう思うとるんや」
「冗談」
「ま……自分がどれだけ首を横に振っていても、すこーし痛みつけて首を縦に振らせば良い事やさかい関係あらへんけどな!」
「出来るものならね!」
ナナとアトレア――両者は自分の得物を強く握りしめながら互いに相手へと踏み込む。
早く――速く――疾く。常人離れしたスピードで以て両者は衝突する。
「うおッ」
驚きの声を上げたのはアトレアだった。迎え来るナナの突く槍の軌道を予め予測していたアトレアは自身の得物――ククリ刀で弾こうと試みるが、ククリ刀は槍の切っ先に触れるや否やまるで『最初から貫かれていたかのように』穴が空くと、そのまま二つに引き裂かれた。
アトレアはギリギリで槍の軌道から逸れると、懐からアーミーナイフを取り出して投げる。ナナにそんな単純な攻撃は通用しなかったが、それでも一瞬の隙を作り出す事に成功し距離を取る。
「あいっかわらずホンマにえげつないなー『それ』。数ある古代兵装の一つ――『降伏せし槍』」
「もう少しであんたのどてっぱらに風穴開けられたのに……。上手く躱したわね」
「うちだって最初からその古代兵装の事、よう知らんかったら今頃とっくにお陀仏やったわ。全く幾ら現物を見せつけられたとしても信じられへんで。『貫くと決めた対象に貫いた結果を予め与える槍』なんて――――お伽噺も良いところや」
「だから古代兵装なんて呼ばれてるんでしょうが。現存する技術力、科学力、理解力、概念でさえも説明出来ない武装及びマテリアル、それが古代兵装なんてふざけた代物なんだから」
古代兵装。武器、防具、装飾の内でも正体を証明出来ないモノの事を一重にそう表している。
どんな理論も通用せず。どんな技術も到達出来ず、どんな常識をも覆す。
詰まるところ古代兵装とは人間の手に余りあるモノだった。
何処から生まれたのか、そして何処から来たのかも定かでは無い。
そんな正体不明の物質は時に一つ所有しているだけで戦況を覆す事の出来る途轍もない戦力であるとされて度々争いの道具として用いられてきた。
そんな古代兵装の一つ『降伏せし槍』をナナは強く握りしめる。
『降伏せし槍』――それは事象に割断を突き付ける言わば『貫けない物など無い、最強の槍』だ。防御不可と言う事はそれだけで相手にとって恐怖以外の何物でも無い。
「ふふん……ふふふ……やっぱ良いなー、これ。自分が殺されるかも知れない、自分がのうなってしまうかも知れない可能性と隣り合わせのスリル。
そしてそんなスリルを超えて生き残った時、うちはもっと強くなれる。もっと気高い存在になれる……うっとりしてまうわー、脳内がクリアになって突き抜けるような感覚…………うふふふふ」
「……だからあんたと会うのは――戦うのは嫌だったのよ。追い詰められれば追い詰められる程に狂っていく戦闘狂……」
ナナは心底嫌そうな顔をした直後に距離をもう一度詰める。
出来る事なら勝負を早く決したかったからだ。
より具体的に言うならアトレアが『あれ』を出す前に。
しかしながらそれは無理からぬ相談だった。
ナナの音速を超える疾さの突きは『何か』に『阻まれ』、そして――――『止められた』。
「ちッ! やっぱり面倒ね、『それ』――――『八俣刃』」
「ふふん……。自分の古代兵装は確かに厄介や。何でも貫けるってのは接近戦に置いて最強と言っても過言や無いし。でもそれはあくまでも『物』に限った話。『物』としての枠から外れている古代兵装には適応されないんやった――――な!」
『降伏せし槍』の刃を止めていたのは剥き出しになった一枚の刃だった。
それが空中にまるで固定されたかのように浮いているのだ。ナナが幾ら押し込んでも刃はピクリとも動かず、歯を食いしばり躍起になっているナナの横から別の刃がアトレアの裂帛の叫びと共に飛んできていた。
それを紙一重で躱すと、また別の方向から別の刃が飛んでいくのを目が捉えていた。それは『降伏せし槍』で叩き落とす。
しかし次から次へと襲ってくる刃に辛抱堪らずナナは距離を取った。
「ふふん……、我慢が足りんなぁ『金色の悪魔』。すこーし撫でてやっただけでもう逃げるんかいな。つまらんやっちゃなー」
「……逃げた訳じゃないわよ。……作戦、そう作戦よ」
「自分にとってうちの『八俣刃』から逃げる事が作戦の内なんかいな。全くしけた奴やね」
「……何とでも言えっての」
ナナは悔しそうに歯噛みする。強がってはみたものの、正直なところナナの持つ古代兵装、『降伏せし槍』にとってアトレアの古代兵装、『八俣刃』は天敵に他ならなかった。
『八俣刃』――持ち主の周りを持ち主の意のままに飛び廻る掌大の花弁のような八枚の剥き出しになった刃。
一枚一枚の殺傷力は然程高く無いものの、その手数は驚異的であり全身を舐められればあっと言う間に絶命させられるだろう。
そしてナナにとって一番厄介なのが古代兵装は『物』として見做されない事。『物質』でありさえすればどんなものとてバターのように突き崩せる『降伏せし槍』だが古代兵装は貫けない。つまり『降伏せし槍』は防具として機能する古代兵装を前にしては只の槍に他ならない。
「ほらほらほらほらほらぁ!!」
アトレアとてそんな事は百も承知なのでナナに対して攻めの一手に転じる。
「くぅ……」
八枚の迫りくる刃をナナは『降伏せし槍』を使い、払いのける。その槍裁きは正に驚嘆の一言に値するものだったが、それでも手数の多さに防戦一方にならざるを得ない。
どうにか態勢を立て直そうと距離を取るナナだったが迫りくる『八俣の刃』は簡単にナナを逃がしてはくれなかった。『八俣の刃』の射程距離は約十メートル。
そう簡単に作れる距離では無い。
「どうした!? 『金色の悪魔』! 自分の実力はこの程度!? こんなもんなんか!? 威勢が良かったにしては些か期待外れやでぇ!?」
「まさか……ッ! もう少しであんたに綺麗な風穴開けてやるから楽しみにしてなさいッ!!」
「ああ、ホンマ……ホンマ楽しみやな!!」
そうは言ったところで『現状』、ナナは手詰まりだった。
実際、今のままで勝てる見込みはほぼゼロに近かった。
そんなナナが狙っている事は――――二つ。
一つはアトレアのスタミナ切れを狙う事。
アトレアの持つ古代兵装『八俣刃』は圧倒的なスペックを持つ分、所有者に途轍も無い集中力を必要とさせる。アトレアが攻め続ける理由はそこにある。
早期決戦でなければアトレアはその内力尽きるのだ。ならばナナはその集中力が切れる頃合いを狙えば良い。
だがこの狙いはいつナナが事切れてもおかしくは無い。
今この一瞬にもナナは所作を誤り『降伏せし槍』をすり抜けた『八俣刃』の刃の一つがナナを切り刻むとも知れない。ナナもナナで相当の負荷がかかっている。
もしもアトレアの猛攻を耐え抜いたとしても、その時にはナナも既に満身創痍になっている筈だ。
だからこそナナが狙うもう一つの策こそが――――本命だ。
そしてナナが百とも二百とも知れぬ刃の攻撃を凌いだ時、ようやくそれが身を結んだ。
「――――ナナちゃん、よく耐え抜いたです!」
「――――ッ!!」
アトレアは背後の気配に攻撃を打ち出されようと言うその瞬間まで気付かなかった。
――――否。より具体的に言えば注意はしていたが警戒を解いてしまった――だ。
アトレアが気配に気づき、後ろを振り向いた時、視線が捉えた茶髪にピンクのカチューシャを付けた女の子――フィオ―レは宙に浮かんでいた。
『八俣刃』のように空中に固定されたかのように静止している訳では無かったが、それでもフィオ―レはふわふわと上空十メートル辺りを漂っている。
そんな彼女が右手を軽く動かしたかと思うと次の瞬間、アトレアは宙を舞っていた。
勿論、アトレア自らが跳躍した訳では無い。作為的にフィオ―レが作り出した『何か』によって吹き飛ばされたのだった。アトレアはそのまま廃都の瓦礫の一つにしこたま身体を叩きつけられる。
「がァ!」
短い悲鳴を上げるアトレアは憎々しげにフィオ―レを睨みつける。
そんなアトレアの視線に真っ直ぐ睨み返してやると同時にフィオ―レは冷や汗を浮かべるナナの元に近づいていき、そして着地した。
「フィオ……あんたねぇ、本当、待たせ過ぎよ……。もう少しであたし、切り刻まれるところだったじゃないの」
「ごめんね、ナナちゃん。中々隙を見せてくれなくて……」
顰め面で物言いをしつつも内心フィオ―レの助けに胸を撫で下ろすナナ。
そんなナナの性格を掴めているフィオ―レだったが、やっぱり申し訳無さそうに頭を下げた。




