第14話
夏の夜は暑苦しいと言うのが常識に近い客観的な総意だろうが、しかしこの日の夜は割と涼しかった。
俺達の家が通気性に優れていると言うのも勿論理由には挙げられるのだろうけれども。風がそよそよと吹いていて涼しかったのだ。
夏の暑さが少しでも緩和されるようにと半ば悪足掻きに近い形で置いていた風鈴が風に合わせてちりんちりんと鳴り響く。
この風鈴という奴は真弓によるとどうやら東国の文化の一端らしい。
しかしながらどうしてこの風鈴の音と言う奴はこうも涼しさと安らぎを俺達に届けてくれるのだろう。
少し考えたが、頭の悪い俺にそんな事が分かる筈も無く、結局理由など分からずとも涼しくなれるものだという考えに落ち着いた。
大抵、単純馬鹿として真弓に罵られている俺などが考えて出す結果などこのようなものだ。
状況を受け入れればそれなりに幸せになれるのが俺と言う人種なので、それに関しては多分幸運な事なのだろう。
「カルラ様、一体何を考えておいでなのですか?」
「ふうむ、まあどうでも良い事さ」
「……考えるだけの脳味噌を持っていたのですね。個人的に驚きです」
「お前が主人に対して直球で能無しと言える事こそが俺には驚きだよ」
「だってカルラ様。どう考えたって学習能力皆無でしょう?」
真弓は俺を膝枕で抱えつつ先程負った怪我の治療をしてくれていた。彼女は口こそ悪いがやはり優秀だ。いつもながら的確な処置に思わず感嘆してしまう。
「いつも、いっつも私があれだけ注意しているのにも関わらず病的な迄に危険へと赴く。しかもその理由がナナ様、フィオ様、ミーシャ様の覗きなど……。全く以て理解し難いとしか思えません。変態、馬鹿、紐の三重苦ですね。ここが民主主義の社会なら極刑ものです」
「…………治外法権で我ながらほっとするよ」
「おっと。あまり動かないで下さいよ、手元が狂います」
「ああ、済まないな。いつも」
「手元が狂って眼球を抉り出したくなります」
「それってもうお前の願望だよね」
しかも猟奇的なところに真弓の怒りを沸々と感じる。
「それに済まないと思っているのでしたら、怪我しそうな事には手を出さなければ宜しいのに……。全く馬鹿なんですから……」
少し微笑みを見せながら真弓は俺の治療を続けた。
皆が皆、やるべき事を終えたのか居間で三人娘も合わせた計五人、思い思い寛いでいた。
ナナは退屈そうに寝転がりながら、フィオはストレッチのつもりか身体を伸ばしながら、ミーシャは眼鏡をかけ何やら紙を広げてペンを走らせている。
何もしなくて良い、ゆっくりとした時間が流れている平和な光景。
そして俺はこんな時間が大好きだった。
「お兄ちゃんってばそもそも大袈裟なのよ。毎回真弓さんに治療して貰ってさ、それで膝枕されたりなんかしちゃったりして……。
大体あたし達を覗きに来るなんてどうかしているとしか良いようが無いでしょうに。自業自得なのよ。
そんなの唾でもつけて放って置けば良いのに……。まったく……真弓さんが優しいからって甘えちゃってさ」
「どうかしている、という評価は全面的に認めよう」
ロリコンという性癖は正直、自分でもどうかしていると思う。
「いやいや、そこを受け入れてどうするのよ!? 直しなさいよ!」
「もっと言えばナナ、お前の唾をつけて貰えるなら喜んで受け入れたい」
「つ、つけないに決まっているでしょう!? 冗談、冗談よ!」
「……冗談かよ。ちぇっ、お前の唾だったら凄まじい勢いで自己回復しそうなのに」
「そんなんで治る奴はエイリアンか何かよ……」
「いやロリコンを侮っては困るな、ナナ。ロリの唾で回復するぞ、俺は」
「そのロリコンってのはエイリアン並の自己回復力と同等なの……?」
怪訝な顔付きでこちらを見るナナ。まあロリの話を理解して貰うのは難しい。
……所詮他人の関心事は無関心なものか。寂しいな。
「でもさナナちゃん、ナナちゃん。ナナちゃんはお兄様がそのままで居て欲しいと思っているの、フィオ知っているよ」
「は、はぁ!? なな何言っているのよ、フィオ!」
「だってさ、ナナちゃん」
フィオはナナに向かって微笑みかける。さながら天使の微笑みとイコールで繋げて良い、その可愛らしい微笑みは先程俺に向かってアサルトライフルをぶっ放した人間とは思えない。
……いや、あれも照れ隠しの一環なのだろうけれども。たまーにフィオは過激なんだよな。
「お兄様が今のお兄様のままなら今のナナちゃんはすっごい好みって事だよ。それは凄い事じゃないのかな?」
「そ、それは…………」
「……ナナねぇ、顔赤い……よ……」
ずっとペンを走らせていたミーシャも顔を上げる。
「う、うるひゃい! そんな事無いったら無いのよ! あんまりお姉ちゃんを怒らさないで!」
「……ナナちゃん、いっつもこれだから…………やれやれです」
「……逃げ、た」
奇声を上げるナナに対し他娘二人はやれやれと肩を竦めた。
「大体お兄ちゃんは言葉足らずなのよ……。ちょっと声をかけてくれれば、あたしだって…………その……言ってくれれば少しくらい……」
「少しくらい? 言ったらナナは何をしてくれるんだ?」
俺はようやく会話に入れそうだったので言葉を挟んだ。
三人娘のやり取りを見ているのも微笑ましくて良いんだが、やはり会話して関係性を良好しなければ。それに少女と話せるという幸せは何物にも代え難いものなのである。
「言ってくれればあたしも裸くら……」
そこでナナははっと我に返るようにして口を抑えた。
「裸? 何の事だ?」
「はだッ! ええと、あの……違くて、違くてね、お兄ちゃん! その、あの……そ、そうだ! お兄ちゃん、言ってくれれば、その……フィオが裸を見せてくれるみたいだよ!」
「見せてくれ、フィオ」
俺は脊髄反射的にフィオへお願いする。
……いや、少女の裸が見れるなら土下座くらい幾らでもするよ、俺は。今は真弓による治療中だから土下座こそしないけれども脳内では絶賛揉み手の最中だ。
ただ、治療中の真弓の手に若干の力が入ったのは気のせいだろうか。つうかちょっと痛いんだけど。
「えええ!? ナナちゃん、フィオそんな事言って……いや、それもそうだけど、でも違うのです! やっぱりフィオはその、えと……やっぱり駄目ですぅ!」
「あんな……立派な、ものがあるのに……使わないと損、だよ……フィオねぇ」
「ミーシャちゃん、立派とか言わないで下さい!」
フィオは顔を赤く染め上げ涙を浮かべながらミーシャに物言いをする。
「そもそ、も……二人共、どっちも、どっちで……照れ屋……さん。カルラにもっと積極的……になっても良いと、思う……」
「……ミーシャ、あんたも大概でしょうよ」
「否定、は……しない……」
コクン、とミーシャはナナの言葉に頷く。
「さっきからミーシャは熱心に何をしているんだ? ペンを走らせているみたいだけど」
俺はミーシャに尋ねる。ミーシャは無表情で答えた。
「……戦場、での……遠距離、射撃のデータ、纏めている、の……。弾道予測、とか風のデータとか……今日の感覚、忘れない……うちに記して置こうと思って……」
「ミーシャは真面目だな」
「カルラは……不真面目、だよね」
「それは違うな、ミーシャ。俺は不真面目に対して真面目なんだ」
「意味……分からない、よ……?」
そうだろうな。断言しといてなんだけれども俺だって自分の言っている意味が分からない。
そーゆーのは出来ればニュアンスで受け取って欲しい。
「会話の途中、真に申し訳ありませんがカルラ様。治療が終わりましたよ」
「おう。……やっぱり上手いもんだな。ありがとう、真弓」
「いえ……。このくらいは褒められる事でもありません。一般常識です」
「謙遜するなよ、大したもんだぜ?」
真弓の先祖は代々遡れば東国の生まれらしく、謙遜する事が美徳になっていたらしいけどな。
まあ自分を卑下して他人を敬うという基本姿勢は確かに好感が持てなくもないが。ただ自分を過小評価されては元も子も無いと俺は思うんだけどな。
「まあ一般常識さえまともに把握していないカルラ様から見れば私が立派に見えるのも仕方の無い事かも知れないですけれど……」
「お前は取り敢えず罵倒から入るのな」
その姿勢は兎も角、曲げない心意気は主人として褒めるべきだろうか。
「……まあカルラ様は罵倒される理由の塊のようなものなので」
「何? 俺って生ゴミの一種か何かなの? 肥料にされちゃうの?」
「いえ。生ゴミは肥料に出来る時点で役立つので。カルラ様と一緒にしないで下さい」
「…………」
どうやら俺の価値は生ゴミ以下らしい。
「そんな事よりも皆様、西瓜を冷やしているのをすっかり忘れていました。良ければ皆様、いかがでしょうか?」
「…………。俺への罵倒をそんな事呼ばわりしたのは戴けないけれども。西瓜は上手そうだ、戴くよ。お前らも食べるだろう、西瓜。甘くて美味しいぞ」
俺は三人娘に声をかけた。当然ながら「うん! 食べる食べる。ありがとう、真弓さん!」「西瓜……太っちゃわないかな……でも食べます。食べない訳にはいきませんです!」「食べる……美味し、そう……」と三者三様ながら肯定の返事を返される。
真弓はその様子を見て破顔し、そして台所へと歩いて行った。
俺は一息吐くと同時に目を細めた。幸せとはこういうものなのか、と感じ入ったからだ。
幸せとは高い所を目指す必要は無いと俺は思う。でも決して俺は幸せを過小評価している訳では無い。好きな人と好きな空間を共有していられる事、それがどれだけ幸せな事なのか俺には理解出来るから。
新人類――――悪魔の子供達。かつてそう言った『言葉』で蔑みを受けていた少女達の姿はここには無い。この場所だけはナナ、フィオ、ミーシャの三人は皆、ただの少女で居られる。
それを――――それだけを俺は嬉しく思う。
ずっとこんな光景が続くと思っていた。想い、続けていた。
偏見にまみれ続けた少女達にもこんな幸せがあって良いじゃないか、俺はそう思う。
戦場でこそ華になると言われ、蔑まれ、そして恐れられた新人類。だが俺はその評価を受け入れない。俺は俺の視点で以て、俺の目線だけで少女達を判断する。受け入れる。
それが俺の俺としての決定だ。誰にも文句は言わせない。
だって人の願いとは本来そうあるべきものなのだから。
風鈴がまたもちりん、透き通った吐息を漏らしていた。




