第9話
「……美味しかった。美味しかったわ……。……もう絶対に入らない」
ナナが椅子にもたれかかりながら苦しそうに呟いた。ナナは食事の最中は一切、手を止める事無く真弓の料理を胃に流し込む作業に夢中だったからな。
今頃ナナの胃は追い付かない作業にエラーを起こしている頃合いだろう。
「まったく……ナナちゃんってばフィオが忠告したのに結局、限界まで食べるんですから……。少しは加減ってものを覚えて欲しいです……」
「あたしはあんた達よりもお姉さんなんだから一杯食べて当然なのよー……」
「ナナねぇ……お腹が、すっごい膨らんでる……」
「……ナナちゃんがフィオ達よりもお姉ちゃんなのは分かりますけれども。でも身体はすっごい小さいんだから無理しない方が良いと思うのです……」
「フィオー……あたしが小さいんじゃないの……。フィオの身体、特におっぱいがばっかみたいにおっきいのだけなのよぉー……」
「ナナちゃんはエッチです……」
「フィオねぇ……赤くなっている……」
三人娘は食事の後の余韻に浸っている。俺はそれを眺めつつ顔を綻ばせ真弓が後片付けを進めている。正にいつもの図式だ。
「カルラ様。今日もコーヒーはお飲みになりますか?」
「ああ。いただくよ」
俺は真弓の気の利いた一言に肯定の返事を返す。
「うへぇー……。お兄ちゃんはよくあんなにっがい飲み物を喜んで飲むわよねぇ……」
「ナナも大人になったら分かるよ。真弓の淹れるコーヒーは一級品だぜ? ……言葉遣いは兎も角として」
「カルラ様。下手な事を言っていると殺しますよ」
真弓はドス黒い笑みと共にコーヒーを俺の前に持ってきた。ことり、とコーヒーをテーブルの上に置いた後すぐさま踵を返し食後の後片付けに戻る。
「遂に直球の言葉になったな……」
俺は小言もそこそこに真弓の淹れてくれたコーヒーの香りを堪能する。柔らかく、そして落ち着くコーヒーの香りが鼻腔を通り抜け肩の荷を下ろさせるような感慨を抱かせる。一口飲むと芳醇な味わいに驚嘆を覚える。味は濃いが、それでも整っているところに真弓のコーヒーを淹れる技術の高さを感じとれる。温かな、されど熱過ぎないのもポイントだ。絶妙の温度が食後の落ち着いた一時を演出してくれる。
「……ふぅ。美味しい」
俺は何とも無しに感想を述べた。俺の満足気な表情をナナが不思議そうに眺めていた。
「……お兄ちゃんってば本当に美味しいの、それ?」
「じゃあナナも飲んでみろよ。ほら」
俺はコーヒーをナナの前に差し出した。
「……いいわよ。この前飲んだけど泥っぽい味しかしなかったわ」
「泥とは何だ、真弓が丹精込めて淹れてくれたありがたいコーヒーだぞ。……それに今回のコーヒーは前よりも少し甘い」
「え、本当?」
「飲んでみると分かる」
「…………。じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」
ナナは俺の右手からコーヒーの入ったマグカップを受け取り両手でぐいっと飲む。
途端、ナナの表情はくしゃくしゃに歪んだ。
「――――ッ!! やっぱり苦いじゃないのぉ! お兄ちゃんの馬鹿――ッ!!」
「はははは!!」
言葉巧みにナナの間接キスをゲットした俺は上機嫌に笑った。
さーて、早速ナナの唇の味を堪能する為ペロペロでもしようかと俺がコーヒーを入れてあるマグカップに手を伸ばそうと言う最中、
「むー……」
と。こちらを不機嫌そうに覗くフィオの姿があった。
「どうした、フィオ? 苦虫を噛み潰したような顔して」
「ナナちゃんだけズルいです。お兄様と仲良さそうにして……」
「……仲良さそう? そう見えるのか?」
俺がナナを騙して唇(間接)を奪っただけの話なんだがな……。フィオには一体どういう姿で俺達が映っていたのだろうか。謎である。
「むー……。フィオもお兄様のコーヒー飲むです!」
「いや……。別に構わないけど。でも多分ナナと同じで苦いと思うぞ?」
「飲むです!」
「…………。まあ良いけどさ」
こちらとしては少女の間接キスをゲット出来るという特典が付くので儲けもんである。
真弓の淹れてくれたコーヒーが無くなるのは少々手痛いが、それでも少女の唇(間接)を奪えるならば安いものである。
「いくです!」
フィオはそう意気込み、俺から奪ったコーヒーを飲んだ。
「うううぅ……やっぱり苦い、です……」
渋い顔をしつつ、フィオは口を濯ぐつもりなのか洗面台の方へふらふらと歩き出した。
いや……可愛い、可愛いけどさ……。何故彼女は苦いと分かっていながらもコーヒーに挑戦したのだろうか。だが子供の好奇心とははたまたそう言うものかも知れない。
そして子供と言うからにはうちにはもう一人居る。
「……カルラ。ぼく、も……コーヒー……」
「お前もかよ、ミーシャ」
ミーシャが俺の横に近づいてきながらも上目遣いでおねだりをしてきた。破壊力抜群。
彼女のような可愛い少女がおねだりをしてきた時点で断るなんて事を俺がする訳無いのだろうけれども、それでも首を傾げざるを得ない。
「まったくお前達は……。最初のナナは兎も角としてフィオやミーシャまでも苦いと分かっていて飲むのはどうかしていると思うぞ? もう少し大人になってコーヒーの苦みが美味しいと分かるようになってから飲んだ方が良いんじゃないか?」
「大人、なったらコーヒー……美味しく、なる?」
「大人になったら人生の苦みまでも愉しく感じられるものなんだよ……」
俺は渋い顔でミーシャにそう言ってやる。
……決まったな。苦味は人生を彩るエッセンス。
「カルラ……得意気な顔……調子に乗ってる……」
「苦々しいコメントだな……」
コーヒーだけにという言葉を俺はすんでの所で押しとどめる。
どうやらミーシャは辛口採点らしいからな。これ以上、少女に駄目出しをされたば俺は自分のセンスに自信を失くしてしまう。
「ん……カルラ」
そんな風に俺が苦い顔をしていると彼女は両手を広げ、尚もコーヒーを催促してくる。
「ナナねぇとフィオねぇ……飲んでぼくだけ、飲まないのは……嫌」
「ふむ」
仲間外れが嫌だとか、同属意識だとかそういうもんかね。
「それ、に……カルラとか、かんせ……つ……」
「……かんせつ?」
俺が聞き返すとミーシャは首を振ってみせた。
「何でも……無い。良いから……コーヒー、飲みたい……」
「…………? まあ、良い。分かったよ。お前も飲んでお姉ちゃんと一緒に口を濯いで来い」
コクン、と頷いてミーシャはマグカップを両手に握りしめ残っていたコーヒーを一気に飲み干した。途端、顔を歪ませてマグカップを俺に押し付けてから洗面台へと走りだした。
「……少女の気持ちってのは分からねえものだなぁ」
ロリコンとして少女の気持ちを全て理解したいという欲求はあれども、やはり全てを理解するという境地に俺は至れないのである。全く以て口惜しい限りだ。




