8 / 一罰百戒のイニシエーション
みんなの醜悪な行動を見守りつつ、5分が過ぎるのを待つ。
丸呑みにされている彼らはあとどのくらいまで生きていられるのだろう。
目をやると、呑まれている者たちはまだ生きていたらしく、緩慢な動きでもがいていた。
驚愕の顔。苦悶の顔。気絶した顔。泣き笑いの顔。憎悪の顔。どれもが彼らが自分たちでした行動の結果。
ぼくはなにもしていないのに襲いかかってきた。そんな連中は生き残るべきではない。だから仕方がないのだ。彼らは愚かだった。
ぱきぱきという咀嚼音が拍手のように鳴る中、視界の隅で黒木が白衣についた赤い染みを拭っている姿が映る。
あれは誰かの返り血か? ……いや、最初の腕を切られた男子生徒のものか。あれが一番派手に汚していた。
それでも、一応はスライムのせいで白衣を赤くしてしまったことを謝らないといけない。
「すみません、先生」
話しかけると黒木は作業を止め、あごを撫でながらこちらを向く。
よく見るとなかなかイケメンだ。強くてイケメンで、ぼくの話を理解できる賢さがある。
危ない感じもするが、彼が新しい世界に残るべき人で間違いない。
「構わないよ。着替えならある。ところでさっきのはすごいね」
「スライムのことですか?」
「スライム、か。あれがキミの、貰った能力なんだね」
「ええ、そうです。ぼくにのみ与えられた力です」
「なかなか面白いものが見れたよ、うん」
「あ、いえ、そんな大したことは……。それよりも、く、黒木先生は、喧嘩が御得意なんですね」
「慣れだよ、あんなものは。それじゃあ、僕は他の残っている先生たちに話を聞いてくるよ。」
そう言って黒木は残っている教師たちの元へと行く。
慣れるほどあんなことをしていたのだろうか? そんな風な人間には見えないけど。
ルルルのほうを見ると黒木の後ろ姿を凝視していた。
「どうしたの?」
「ん? どうもしないよ? それよりほら、あと38秒で5分経つよ」
時間のようだ。
スライムが捕食していた馬鹿どもの姿も無くなっている。タイミング的には丁度良い。
いまだ出口を求めてひしめく生徒たちに呼びかける。
自分勝手で騒々しかった彼らだったが、ひと声で静かになってくれた。
「時間です。ぼくとともに選別を受け入れるという人はこちらに。そうでないという人は、出口の方面へ集まってください」
また喧しくなる。黙って行動しろと言うべきだったか。
ぱっと見で生徒たちは3つのグループに分かれていた。
ぼくの前に集まった者たち、出口付近にいる者たち、そしてどちらにもつけないといった感じで中央に固まっている者たち。
どうしよう。
ここまで優柔不断な者たちが多いとは思っていなかった。5分も時間をあげたのに。
「どうするの、ツルギ?」
「……」
壇上から降りて彼らの間を進む。自然に道が開けて中央の集団の前にくることができた。
「ぼくの立つ場所からそちら側──出口に寄っているみんなは、本当にまだわからないのですか?」
ぼくの問いかけに誰も返事をしない。
近くにいた男子生徒に視線を送ると顔を背けられる。
その背後から別の男子生徒が前に出てきた。
「だ、だって、さっき喋ってたのって白野1人の思い込みだろ? 意味わかんねえし。お前、自分がなにやったのかわかってるのかよ」
男子生徒はおどおどした様子で、だけど明確に敵意を向けてきた。
ぼくがなにをしたか、だと? ぼくは世界にみんなを任されただけだ。
ぼくのせいじゃあない。
「実に愚かだ……。そんな人間ばかりだから世界は怒りの日を迎えたんだと、なぜ、わからないんですか?」
「お前こそ、自分がおかしいって気がつけよ!」
「っ!?」
突然背後から衝撃がきた。
ふり向くと、1人の男子生徒がなにかをぼくに刺そうとしていたことがわかった。
彼は腕に絡まるスライムの触手をふりほどこうとしている。
「くそっ! な、なんなんだよこれ!」
スライムがぼくを守らなかったら肺に穴が空いていたかもしれない。
まったく、なんだってこいつは刃物なんかを持っているんだ。
呆れていると男子生徒はスライムに呑みこまれていった。
周囲の生徒たちがまた悲鳴をあげる。いいかげんスライムに慣れてほしいものだ。
「……本当に、きみたちは救いようがないんですね」
こんな暴力的で危険な行動をとるような人間がいてはいけない。
「全員服を脱いでください。今のように何かを隠し持って誰かを襲う危険があります」
大人しくなった彼らは言われた通りに服を脱いでいく。
服が床に落とされる音が重なり合う中、男子生徒たちが変な姿勢をしていくのが見えた。
彼らの視線の先には、涙ぐみながら下着姿となり両腕だけで露出した肌を隠している女子生徒たちの姿が────、
「じょ、女子はシャツを羽織っていてもいいです!」
これだから女子はダメだ。馬鹿な男子どもを無駄に興奮させる。イヤらしい。破廉恥で害になる存在だ。
だから淫らな姿でいてはいけない。
女子のせいでおかしな空気になった。ぼくを刺そうとした男子生徒のことなんてなかったような気になる。
だけどさっきまでの剣呑な雰囲気は払われた。
まだ幾つもの衣擦れの音がするが気にせず、みんなに考えを伝えよう。
「どうもまだ考えが決まらない人が多いようですね……。
このままぼくの話をわからない人たちに消えてもらってもいいのですが、わかっていない人たちにわからないまま消えてもらうのは、好ましいことではありませんし、それを行えば、それはぼくの勝手な独断となってしまいます。
だからみんなが、自分たちで選別してください。
これからも残るべき仲間、ここで消えるべきだというクラスメイトを選んでください。
ぼくはみんなが不要と選んだ人を消していきます。
それが正しいと思います。
みんな、帰れないなどと諦めないでください。諦めたらおしまいです。希望を失ってはいけないのです。
どれだけの人を消さなければならないかはわかりませんが……、みんなで頑張って選んでください。
ぼくからはこれ以上なにも言いません。教室でじっくり話し合ってください」
スライムを解除すると出口から我先にと出ていく。
さっきも同じことをして押し合いになっていたのに、まるで学習していない。
出口に向かっていく群体から、ぼくのほうに向かって来る集団を見つけた。
トランクス姿の男子生徒が1人、前に出てくる。
「し、白野。俺たちが間違っていたんだ。わかったんだ、俺たちも、間違った連中に従わされていただけなんだって。だ、だからさ、ゆ、許してくれ、助けてくれよ! 頼むよ!」
半泣きの顔でそう言ってきたのはクラスメイトの川谷だった。
なにか勘違いをしているようだ。
許すもなにも、今のぼくは川谷に対して何も思うところがない。
「自分たちが間違っていたと理解してくれたならそれでいいんだ。あとはみんなが一緒に決めることだと、さっき言ったよ」
「ほ、ほんとうか?」
「もちろんだよ。そんな些細なこと今となってはどうでもいいんだ。教室に戻ってみんなで話し合ってくるといいよ」
些細なことだ。
矢島や川谷や取り巻き連中がぼくにしたことなど、これからの世界を任せられたぼくには大事なことではない。
そう思っていたのだが。
「ツルギ、それでいいの?」
ルルルは疑問を持ったらしい。
「うん。彼らだけに構う必要がないよ」
「でもこの人たちはずっとツルギをイジメてたよね? それって、そんなに簡単に赦していいことなの? それに、罰を望んでるのに与えられないのは、きっと可哀想なことだよ。誰かが罰してあげて、その罪を赦してあげないと、ずっと罪を抱えたままになるよ?」
そうなのだろうか? いじめられたぼくが許すのに、誰が彼らを罰する権利を持つというのか。
ルルルが言うように彼らが罰を欲しているなら、望みを叶えないために罰を与えないほうが罰になる。
だから罰が必要だとは思えない。
こんなこと、言葉にしなくてもぼくの考えを読んでしまうルルルはわかっているのだろうに、無言でじっと見つめてくる。
「だったら、ルルルの考えた通りにしてくれればいいよ」
「うん、ありがとう」
ルルルは朗らかな笑顔を浮かべ、体育倉庫へと小走りにかけていく。
何を考えてルルルがそんなことを言い出したのかわからない。
だけど提案してきたからには、それはきっと大事なことだ。任せてみよう。
「そういうわけなんだ。黙ってルルルの、彼女の言うことを聞いてあげて。それでぼくはきみたちを許すよ」
「わ、わかった」
川谷たちが体育倉庫へと視線を移動させる。おどおどとしたその様子は、すこし可笑しくて、彼らがそういう立場の生き物だったことを表していた。
体育倉庫から戻って来たルルルは、パイプ椅子に使われている鉄パイプを数本手にして、切り裂いた部厚いマットをずるずる引きずっていた。
放り投げられた鉄パイプが高い音を鳴らして転がる。
叱られた子供のようにびくつく川谷たちを見て、ルルルが眼を細めた。
「ツルギにやったように、あなたたちでしなさい」
刃物のように鋭く冷たい声が聞こえた。
一瞬、誰の声なのかわからなかった。ルルルの声にはいつものような、柔和で優しい温度が感じられない。
寒気さえするほどの冷酷さを伴ったルルルの声は彼らを動けなくする。
「聞こえなかったの? まずその下着を脱ぎなさい。それから、殴り合いなさい。あなたたちがツルギにしていたみたいに」
川谷たちが慌てて下着を脱いでいく。
しかし、生まれたままの姿になった彼らは落ちている鉄パイプを拾おうともしない。
そんな彼らの様子にルルルがため息を吐いた。
ルルルの片腕が振るわれるとマットの上に1人、頭から叩きつけられていた。
首と胴体が直角に曲がっている。初めて見たけれど、あんな風に曲がるものなのだな。
「早くなさい」
「────う、う、うわああああああああああぁぁぁ!!」
絞り出した叫び声をあげた川谷が最初に動いた。
しかし隣に立っていた男子生徒は川谷の一撃を回避する。
だけど、
「違うわよね? ツルギは逃げなかったでしょう」
肩を掴まれた男子生徒が泡を吹いて崩れ落ちた。汚れていたマットに染みが拡がっていく。
肉にめり込んだルルルの指は、彼を強引に立ち上がらせる。
「二度も言わせないで。早くしなさい」
逆らうことも動きを止めることもなく、男子生徒たちが殴り合いを始めた。
涙を流し、血と汗と唾液を垂らし、時折、痛みによる声をあげて。
倒れている少年に鉄パイプが何度も振り下ろされる。
「ねえ」
必死に殴り続ける彼らだったがルルルの一声で動きを止めた。
「なにをしているの? 次の者にいきなさい」
誰を殴ればいいのか────彼らが互いを探り合う。
そうして次の生贄が決まったようだ。
幾度も同様のことが繰り返され、何度かの断末魔を耳にした。
立っているのは5人にまで減っていた。
「もういいわ」
そこでようやく、ルルルから終わりの合図が出された。
安堵のせいか疲労のせいかわからないが、5人は糸が切れたように倒れてしまった。
汗と血と尿に塗れる彼らは、なんともいえない生の躍動を感じさせるものがある。
「これでもう赦してあげていいと思うよ」
「ありがとう、ルルル」
ルルルの声が元に戻っている。
ぼくが彼らを罰さない代わりにルルルがやってくれた。ルルルはぼくの代わりに罰を与える役をしてくれたんだ。ルルルに免じて彼らを許さなくちゃならない。
床に転がって放心していた彼らに手を差し伸べる。
細い悲鳴がした。いまだ動転しているようで、意味がわかっていないらしい。
「きみたちの悔い改めたいという気持ちは本物だ。だから、ぼくはきみたちを許す。これからは仲間となって、ぼくと一緒に新しい世界を目指そう」
そう言ってやると呻くように泣き出してしまった。
川谷がやっとぼくの手を掴んだ。小声でよく聞き取れないが「ありがとうございます」と何度も繰り返している。
あの川谷が、こんな素直に感謝を言える真人間に生まれ変わるなんて感動的だ。
ぼくが許しただけではこうはならなかっただろう。きっと彼はまた増長してしまったに違いない。
やっぱり、ルルルに罰を任せたのは正しかった。