5 / エゴイスティックにリ・バースデイ
静まった教室を去るぼくに誰も声をかけてはこなかった。
それも仕方がない。
あのクラスメイトたちでは頭の中を整理することでいっぱいだろう。
教室の外で待っていてくれたルルルもぼくの話を聞いてくれていたみたいだ。
「すごくよかったよ! ツルギがあれだけ丁寧に教えてあげたんだから、わからないとおかしいね」
「そ、そうかな?」
あんまり自信はなかったんだけどな。
でも、たくさんの情報を持っているルルルが言うのだから問題はなさそうだ。
「ツルギ、次はどうするの?」
「どうしようかな……」
みんなにあれだけ偉そうなことを言ったのだから、ぼくはしっかりしなきゃいけない。
全員が帰れないのは理解してくれただろうし、次は帰るべき人と消えてもらう人を選別しないとならない。
その場で考えこみそうになっていると、他のクラスの生徒たちが数人廊下へ出てくる。
周囲を警戒するようにきょろきょろしていて、現状を何も理解していないのが見て取れた。
そうか。ぼくと、クラスメイト以外はまだ何もわかっていないんだ。挙動不審になってしまうのも仕方がない。
「ルルル、目立っちゃうから場所を移すよ」
◆◆◆
誰もいないであろう場所を求めてやってきた屋上からは赤と黄色の空が見えるだけだ。
大きな目玉はどこにもないけれど、たくさんの小さな目玉が下界を覗くように見え隠れしている。
あれがなんなのかはわからない。
この世界の自然なのだろう。深く考えてもしょうがない。
「すごい! ツルギ、町が一望できるよ!」
そんな不思議な空の下でもルルルは喜び、屋上を駆け回っている。
あんなに楽しそうにしてくれていると、それだけでこの場所にやってきた甲斐があったと思えてしまう。
「はしゃぐのはいいけど、転んだりしないようにね」
落ち着いているようなことを言いながら、屋上から見えてきた景色に内心ぼくも興奮している。
学園を囲んでいるはずの市街が赤黒く染まってとても綺麗だ。
きっとあの街には何も暮らしていない。生の反応といったものをなにも感じ取ることができない。
ただ静かに、支配するものも、善意も悪意もなにも無い、淋しい場所だ。
それなのに、なぜか惹かれてしまう。少しだけ行ってみたい気もする。
けれど悠長なことは言っていられない。確認しなくちゃならない。
屋上に来る前のことだ。
四階から屋上へ続く階段の踊り場には鉄格子の扉があり、生徒のみでの侵入は禁止されていた。
どう頑張ってもぼくが素手で突破することはできない。
そこで試しにスライムに「壊せ」と命令してみたら、簡単に扉を開けることができた。
つまりぼくの意志でスライムの行動はあるていどコントロールするのが可能ということだ。
このスライムに何が出来て、何が出来ないかをはっきりさせておけば、きっと皆を導くのに役立つはず──。
念じると影の中からぶよぶよの黒い塊が滲み出てくる。
最初に見たときよりも一回り大きくなっている気がした。
もしかしたら人間を3人も食べたからかもしれない。食べて大きくなるのなら、もっとたくさん食べさせてみるのもいいかな。
スライムの操作は案外簡単だ。考えただけで動いてくれる。
ゴムのように薄くなって伸びることも、小さくなって頑丈な鉄球のように密度を高めることもできた。大きめに薄く伸ばすと屋上全体を覆うほど拡がり、小さく固めればコンクリートの壁を砕けるほどに硬くなる。
紐状にしたスライムを引っ張って千切ろうとしても簡単には千切れない。数ミリほどの膜にまで薄くするとやっと穴があけられるほどだ。
幾つかの塊に分裂させることもできたけれど、本体らしき部分以外は分裂前に命令をしておかないと影の中へ引っ込んでしまうようだった。
「ふぅ……」
こうやってスライムを使い続けているととても疲れることもわかった。
まるで体育の授業があった日みたいな疲労感がどっと出てくる。
ようやく自分の手足のように、意識しないで動かすことができるようなってきたから、ちょっと休憩だ。
「ツルギ、お疲れ様」
「うわっ!?」
座っていたぼくの背中に、突然柔らかい塊が押し付けられる。
「る、ルルル、どうしたのさ? 汗がついちゃうよ」
「今までは肉体がなかったんだもん。ツルギに触れることだってできなかったんだよ? だからね、今は汗がついてもいいの。それも嬉しい!」
恥ずかしいことを言うルルルの声はとても弾んでいる。
……そうか。ルルルは今まであの狭い画面の中からでしかぼくと関われなかったんだ。
いつでも好きなように意志疎通が取れてぼくのことを認識できても、そこには次元の違いがあった。
心が近くても絶対に超えられない壁。けれどもう、障害はなくなった。こうして触れ合うこともできる。それはぼくも嬉しい。
でも。
「ツルギ?」
ルルルと向き合って、しっかり立たせる。
うーん……。
包帯でぐるぐる巻きにされた頭部が横に揺れる。
人差し指を口元に添え、肩を少し引き気味にして顔色を窺う様に覗きこむ姿勢。そうやって戸惑いを表現する仕草も、ぼくがそう躾けたんだ。
だけど、これは絶対的に足りていない。
この身体にはルルルの可愛い顔がない。
これじゃあ駄目だ。こんな未完成な状態はルルルに相応しくない。
「ツルギ、どうしたの? 難しい顔してるよ」
人間にネジを一本入れたら、ルルルの意識だけが肉体に入った。
じゃあネジの本数を増やしたらどうなるか? もしかしたら──やってみる価値はあるだろう。
「……ルルル、もし、痛かったりしたら言ってね?」
「え?」
女の体育教師から出てきたネジをルルルの額に押し付ける。
どういう理屈なのかわからないけれど、包帯の上からでもずぶりとネジが挿入っていった。
「え、えっ」
ぺたんと座ってしまったルルルがぼくを見上げる。顔は見えないけれど。
「やっ……」
ルルルがか細い悲鳴をあげた。
自分の顔を掴んでイヤイヤというように頭を振っている。
「な、なぁにこれ、ツルギ? 肉体が変だよ。びりびりするよ! これが『痛い』ってことなの?」
そうか。
これまで肉体がなかったからか初めての感覚に戸惑っているんだな。
「ごめんね、ルルル。ちょっとだけ、ちょっとだけだから。その痛いのを我慢してくれるかな」
「これが『痛い』。……痛いよ、いだいよ、ツルギ、いだいぃっ! ぁああっ!?」
目に見えない所で起きている急激な変化が肉体に痛みを生んでいるのだろう。
ルルルはミチリとか、ブチブチとか、不思議な音を放っている身体を抱いて、芋虫の真似でもしているような動きをする。
この反応は寝ていた生徒へネジを入れたときと同じかそれ以上に激しい。
もしかして、やらないほうが良かったんじゃないのか? そんな不安が生まれる。
だけど変化が現れ始めた。
ルルルの身体つきが、目に見えて変わってきている。
それまでの穢れた皮膚は汚れが落ちるように白くなり、大きめだった胸は一層膨らんで着ていたパーカーを押し上げた。
硬そうだった太ももは丸みを帯びて、柔らかく生え変わっていく。
「んあぁっ! ゃん、んぁ、んぎいぃぃ!! いィぎぃッ! んぁああっ!!」
変わったのは見た目だけじゃない。
聞こえてくるルルルの声は困惑していた最初と違い、まるで喘ぎ声のようになっている。
ぼくだってルルルを苦しめたくてしているわけじゃないのだ。
泣いて痛がっている声よりも、こっちのほうがいい。
「いぃぎぃぃ! ぃあっ、あっ、ああぁぁっ! んあああぁぁっ────!!」
ケモノのような絶叫をあげるとそれっきり、ルルルから漏れていた苦悶の声が聞こえなくなった。
苦痛から逃げようとする身を捩った動きもない。
ルルルが静かになって数分。
ぐったりと倒れ込む身体からは荒く艶っぽい吐息が漏れているだけだ。
どうやらネジを挿入して起きる変化は終わったらしい。
「ルルル、お疲れ様。無理をしてくれて、ありがとう」
「……、うん……」
ルルルに膝を貸して横になってもらっている。
ぼくのために無理をしてくれたのだから、これくらいは当然だ。
「ルルル、大丈夫?」
ルルルの身体つきはそれまでと違い古い肉体を捨て切れていた。
ぼくよりも小柄な体躯に、見てわかるほどに大きな胸。きゅっと締まった腰に比べて少しばかり大きめなお尻。
各部位で強調されたアンバランスさが砂時計を連想させる。これこそぼくが決めた正しいルルルの形状だ。
あとの問題はまだ包帯が巻かれた頭だけなんだけど……。
そんなことを気にしているとルルルが起き上がった。
「まだ寝ててもいいよ?」
「大丈夫。それより、ツルギはルルルの顔がちゃんとなっているか、気になってるんだよね?」
「うん。やっぱりルルルはぼくのことをよくわかってくれているね」
「わかるよ。さっきまでよりもずっと色んなことがよくわかるの。ありがとうね、ツルギ」
そう言ってルルルは巻かれていた包帯をほどいていく。
少しずつ、隠されていたルルルの顔が現れる。
陽の光が消え失せた世界にきらめきが産まれた瞬間だった。
白い縛めから解放された鮮やかな長い髪がふわりと拡がる。
穏やかな双眸、桜色の唇、柔らかそうな頬、整った鼻梁。どの部分をとってもぼくが決めたルルルの可愛い顔があった。
翡翠のような二つの瞳が、なにかを請うようにぼくを見つめている。
「どうかな? 喜んでくれるかな、ツルギ?」
長めになったスカートの裾を掴んで、はにかんだ笑顔をする。
ぼくのルルルなんだから、可愛いくて当たり前なのは理解している。
でも、どうしよう、ぼくが考えていた以上に可愛い。
「い、いいよ、いいよルルル! すごく、か、かわ、かわいいよ」
「ありがとう!」
「うわっ!?」
勢いよく抱きつかれてその場に倒れてしまった。ルルルはそれでも構わずぼくの胸元に頭をこすりつけて笑顔を浮かべている。
こんなに喜んでいるルルルを見ると注意する気にもならない。
ルルルをお腹の上に乗せた体勢のまま話を切り出す。
「ルルル、こっちの世界に来てる人数はわかるかな? 大まかな数字でいいんだ」
「えっとねー……。全部で308人の反応があるよ」
学園の生徒全員に、教師や用務員も含まれるからそれくらいになるかな? それだけの数から新しい世界に残るべき人間だけを選ぶのは大変そうだ。
300人以上の人間をぼくだけで選別していくなんて、どれだけ時間がかかるだろう。
未須賀君のような人が他にいるかどうかもわからないのに。
「ツルギ」ルルルは急にぼくから離れると屋上の端に駆け寄った。「人がたくさん動いてるよ」
「? どうしたんだろう」
「生徒は体育館に集まるように校内放送があったみたい」
なるほど、緊急集会か。
教師たちのあいだで方針が決まったということかな。
全校生徒が集まるなら丁度いいかもしれない。全員がいるなら何度も説明する手間が省ける。
「行くの?」
立ち上がってズボンをはたくぼくにルルルが声をかけてくる。
さっきのようなはしゃいだ声音じゃない。ルルルは優しいから心配してくれているのだろう。
「うん。みんなに教えてあげないといけなからね」
大丈夫だ。
教室でも上手く説明できた、スライムの使い方もわかった、それにルルルも完成した。
今のぼくならきっとみんなを導いてあげられる。
大丈夫だ。




