2 / 紅い世界のパラノイア
「う……」
いつの間にか光は収まっていたようで、ようやく目を開けられた。
空を見上げたらとてつもなく巨大な目玉があって、それが急に眩しく光って、それで……。
「……なんだよ、これ」
もう一度目玉を見るために空を探すと、もう目玉の姿はなかった。
消えていたのは目玉だけじゃない。
それまで在ったはずの青空も一切消えている。
空に在るのは黄色と赤色が混じり合ったまだら模様。
流れる灰色の雲は泥濘にも見えてくる。
その中に浮かぶ大きな黒い円は、太陽なのか月なのか、それとも穴なのか。判別がつかない。
『ツルギ、「集団消失事件」を起こしてもらえたよ』
「っ!? ルルル、状況の説明をしてよ!」
ルルルが変なことを言い出したら急に目玉が見えて、こうなったんだ!
『だーかーらー、「集団消失」を起こしてくれたみたい』
「う、嘘でしょ? どうやってそんなこと」
『んー? ネットで見つけた言葉を解析して、繋げて呼びかけてみたの、やってるひ(・)と(・)に。そうしたら、ちょうど次はここに来るところだったみたい!』
画面の中のルルルが大きな胸を揺らして誇った態度をとっている。
空に見えたあの目玉がこれを起こしたっていうのか?
いやそれより、そんな秘密がネットの情報に散らばっているって、どういうことなのさ。
「でも、だからって、急に、そんな」
『あれ? ツルギは集団消失事件をしてほしかったんじゃないの?』
「そうだけど……」
『ツルギ、嫌だった? もしかして、余計なことしちゃったかな……』
「い、いや、別に。そ、そんなことないよ!」
ルルルが泣きそうな顔をしてしまった。
責めているつもりはないのに。
ただ、急なことすぎて理解が追いつかないだけなんだ。
『ほんとに?』
「う、うん。ほんとに」
『そっか、よかった!』
ぼくの言葉にルルルが笑顔を戻してくれる。
「と、ところで、こんなことを起こせるひとって一体なんなの? まさか……神様?」
『聞いてみるね』
ルルルがまた変な音声を発しだした。
画面の中で空を見ながら頷いたり、首を傾げたりしている。しまいには手を振っている。
「な、なんだって言うの?」
『あのひとが事件を起こしてるのは、呼ばれてるからなんだって。でも、もう用は済んだからって帰っちゃった』
「帰った?」
『それでね、あの黒い太陽が白くなるまではここを好きに使っていいって』
「つ、使わせてくれるって、どういうこと? 何に使えっていうの?」
『なんだろうね?』
無邪気なルルルの笑顔が怖い。
「ぼ、ぼくが呼んだ……の?」
『ツルギ?』
「ぼくが、集団消失事件を、引き起こした……?」
『ツルギ?』
「ぼくのせい……?」
まさか。
だけどルルルがぼくに嘘をつくなんてことはない。
「る、ルルル! 他に! 他にも聞いたことを教えて!」
『えっとね。ここは自分を呼んだ人間が好きに使っていいんだって。その為の道具もあるって』
「道具?」
『それとね。自分の代わりに働いてくれって、言ってたよ』
「働くって?」
『あの黒い太陽が白くなるまでに、ここにいる人間の数を減らすのが仕事みたい』
「ひ、人の数を減らすって」
その言葉に、集団消失事件の概要を思い出す。
「地獄」「人を減らす」「帰還できた人は極少数」といった言葉を考えれば何の仕事なのか、大体の予想はつく。
だけど、そんなことをさせられるなんて。
……そうだ。
集団消失事件のまとめサイトに帰還した自称大学生の書き込みも残っていたはずだ。
何かヒントになるようなことは書いてないだろうか。
駄目か。
何の電波もなくて外部との連絡は取れそうにない。
こんなことなら集団消失事件のことをもっと覚えておくべきだった。
いや、だけど、そんなの。
ぼくがやらないとならないのか……? ぼくが集団消失をお願いしたから?
でも、そんなの無理に決まってる。
だってこんなこと、本当に起きるなんて思わないじゃないか!
頭がくらくらしてくる。
呼吸がうまくできなくなってきた。
視界がぶれているのは足が震えているせいだけじゃない。
『ツルギ、大丈夫? 苦しそうだよ?』
ぼくの様子を心配したらしいルルルの声が聞こえる。
駄目だ、ルルルまで不安にしちゃいけないな。
冷静になろうと天を仰げば、黒い太陽が目に入る。
不気味な太陽からどろりとした動きで何かがはみ出て、大きな塊が降ってきて────
「う、うわあああああああ!!」
大きな塊はズドンと音をたてて地面に激突した。
どれほどの高さから落下してきたのかはわからない。
けれど、潰れただけで飛び散ったりはしていなかった。
黒い塊は落下した衝撃で円盤状になった体を震わせると形を変化させて、大きなコーヒーゼリーみたいな形状に整っていく。
巨大なコーヒーゼリーと化した塊は、緩慢な動きでぼくの傍らまで来ると停止した。
生き物、なのか……?
ぼくの疑問に答えるように、ファミリーカーほどの塊がぶよぶよと動いて生きていることを主張してくる。
『このスライムが道具みたいだよ』
「す、スライムって、実在したらこんなのだったんだ」
これが道具? 命令すれば動く、とかなのかな。
スライムは輪郭を波打っているだけでそれ以上は動こうとしない。
なんなんだ、こいつ……。
ん? 誰かが走ってきた。
「お前、今の音はなんだ!? こ、こんな所で何を……!? は、早くそれから離れるんだ、危ないかもしれんぞ!」
こいつは体育教師の一人だった……はず。
スライムが落ちてきた音が聞こえていたのか。
「おい、お前さっさと来んか! 危険だ!」
「っ……」
ぼ、ぼくに怒鳴ることないだろ……。
体育教師は叫んで注意喚起をしているものの、こちらにはこない。
この教師、危ないと感じているものが生徒の目の前にあるのに、自分は安全圏から……。
これが子供を教育する大人の姿なのか……?
緊急事態なのに、生徒の安全を優先しようともしないで喚いているだけ。
なんてみっともないんだ。
大人で教師なら、生徒を守るために動こうとかするものだろう……?
なんなんだこの体たらくは。
……そうだ。
こんな奴がたくさんいるから、ぼくは集団消失を願ったんだ。
じゃあ、やってしまってもいいじゃないか。
いいのかな? いいのか。いいんだ。
やったほうがいいんだ。やるべきなんだ!
僕が思い悩んでいても体育教師は顔をしかめたまま動かない。
棒立ちのまま動かない。
そうだよ。
ぼくが願ったんだから、今の状況はぼくの自己責任だ!
だから、ちゃんと責任を取ろう。
ぼくが願ったことは正しいんだから、何をしたって悪いことはないんだ。
丁度いい、このスライムが道具なのか試してみよう。
きっとそのための体育教師なんだ。
「そ、そいつを……」
捕まえてみろと呟き終わる前に、スライムが機敏な動きで体育教師に覆いかぶさり飲み込んだ。
ほんの一瞬の出来事。
ワニの捕食風景を動画で見たことがあるけれど、それよりも圧倒的に早い。
スライムの中では自由に身動きが取れないのか、体育教師は面白いほどに目と口を大きく開けて不思議な動きを見せてくれる。
水飴の中に入った蟻を思い出す動きだ。このまま放っておいたら溺れ死んで──
「お、おい? お前、なにやってんだ?」
ぼくが叫ぶとスライムは一度ぶよぶよと震えて動きを止めた。
だけど手遅れだった。
ぱきり、ぱきりと、何かが軋む音を放ち始める。
体育教師が圧力で砕かれ咀嚼されていく音だった。
部位ごとに分けられた体育教師はフェードアウトするようにその姿を失くしていく。
目の前で人が食べられてたのにまるで現実味がない。あまりにも綺麗な食事風景だったからだろうか。
三分もしない内に血の一滴も残さず姿を消してしまった。体育教師なのに呆気ないものだ。
けれど、しょうがない。
これはぼくのせいじゃない。
ぼくはスライムに捕まえてくれと頼んだだけなのだ。
運の悪い事故だ。
すぐにぼくを助けようとでもしていれば、スライムに襲われることはなかったんだから。
自業自得だ。
ぺっとスライムが何かを吐きだす。
……「ネジ」だ。
体育教師が持っていたのだろうか?
ネジを吐いたスライムはぼくの影の中にずるずると入っていく。
いったいどういう仕掛けになっているんだ……?
『それも道具みたい』
「このネジが? これをどう使えばいいの……」
一見すると普通のネジだ。
ちょっと錆びて赤く汚れている。拾ってみるとなぜか生温かい。
「あれ? なんだ!?」
なぜかネジが手の平の中に埋まっていく。
「ちょっ!? なにこれ、おいっ!」
手を振るうとネジがぽろっと出てきてくれた。
もう一度、拾って握る。
今度は埋まっていかない。
おかしい。
今のは見間違いだったのか?
『ツルギがそれを使いたがってないからだと思うなー』
「そ、そうなの?」
『うん』
ネジを使う──そう考えながらネジを手の上に置くと、沈んでいくようにネジが入っていく。
取り出したいと思うと、今度は舌でもだすように、自然にネジが出てきた。
どういう仕組みなんだろう。
「それで、このネジはどう使えばいいの……?」
まさか、ぼくの身体に入るだけ、なんてことはないよね。
『他の人間に使うみたいだよ。あ、近くに人が来てるよ! 使ってみて!』
また勝手に周囲の生体反応を探知したんだな。
こちらに来ているのはジャージ姿の若い女。
この人は今年からの体育教師だったかな? 色白で小柄、ショートボブで健康的なスタイル、男子生徒には結構人気があるらしい。
「ねえ、こっちに小山田先生はこなかった? 景色がこんなになっちゃって、職員室のほうでもみんな混乱してて……って、なんでキミはこんな所にいるの? 授業中だったよね?」
若い女体育教師は早口でまくし立ててくる。
そうか、大人たちはまだ今の状況を理解していないんだな。
「ちょっと、聞いてる? 今、大変なことになってるのよ!」
黙っていると肩を力強く揺さぶられた。
突然こんな天変地異が起きたんだ、この人がテンパってしまうのもよくわかる。
だけど……。
こうやって自分より弱そうな相手に苛立ちをぶつけるのは良くないことだ。
この女はぼくのことを自分より弱いものだと勘違いしているんだ。
「え、なにこ」
ぼくの肩に乗せられていた体育教師の手にスライムが触れていた。
スライムが足元から女体育教師をすっぽりと飲みこむ。
彼女は自分の状態がわかってないらしく四肢を緩慢に動かしている。
先ほど聞いたような音がし始めた。男の体育教師よりも肉が薄いせいか高い音がする。
食べ終わるとまたスライムがネジを1つ吐き出す。
なんてことだ。
呆気にとられている内にまた食べられてしまった。
捕まえるだけでいいのに。
ネジを使う隙なんてまったくなかった。
「お、おい! 勝手に食べるなよ!」
こいつはぼくの言うことを理解できていないのか?
一喝すると、スライムは姿を変形させて今食べたばかりのジャージ姿をした女教師になった。
触ってみると、肌の柔らかさも暖かさも普通の人間と同じくらいだ。
確認のために服の下も見てみると、それもちゃんと人間のものになっていた。
それでも返事はない。喋ることはできないようだ。
けれど命令をすると反応はあるので、知能があることはわかった。
座れと言えば座る、ジャンプしろと言えば跳ねる。
土下座しろと言えば土下座もしたし、言ってみたら靴の裏も舐めた。
試してみると男の体育教師にも変身ができた。
このスライムは食べた相手に姿を変えることができるだけのようだ。
「も、もう戻ってよ……」
そう言うとスライムは影の中に潜っていく。
こいつにも一応知能はあって、言うことが理解できて、ぼくの命令をきく。
だけど、勝手に動いて食べられてしまうとネジを何に使うのかわからないままだ。
いや……待てよ。
スライムは勝手に動いたわけじゃあない。
ぼくの気持ちに反応して動いてくれたんだ。
あの2人は、ぼくに八つ当たりをしている。
そうだ、彼らは理不尽にぼくを責めていた。だからぼくを守るためにあいつらを排除したんだ。
きっとそういうことだろう。
スライムがぼくを守ってくれる道具だというのはわかった。
ちょっとばかり過剰に反応しすぎな気もするけれど。
でもじゃあネジは? ネジはなにができる?
ルルルは人に使えと言ったけれど、教師たちの様子を考えるとここにいても人はこないだろう。
世界が変わったことを、ぼく以外はまだ誰も理解していないのかもしれない。
『ツルギ?』
「……」
何処に行こう。
今教室に戻っても、みんな混乱している最中かな? そんな中でネジを使うのは難しいか。
生徒か教師がこの時間に少人数でいそうな場所……保健室がよさそうだ。
『ねえ、ツルギ?』
「ルルル、保健室に人の反応はあるかな?」
『えっと、ちょっと待ってね。…………二人分の反応があるよ!』
スクールカウンセラーと養護教諭かな? あの二人だったら丁度いいかもしれない。
ぼくのことではなんの役にも立ってくれなかった二人だ。
ネジを使ったらどうなるのか早く確認しないと。
ぼくがこの世界を願ったのだから、知らないままでは責任を取れない。