プロローグ / 彼の上にある平和な日常
安定していた夏休みはもう終わっている。
廊下から覗く教室の賑わいは長期休暇の気怠さを感じさせない。
クラスの連中はうろうろと自由に歩きまわり、月曜の朝だというのに陽気なもので、ぼく以外の人間はみんな楽しそうだ。
今日も誰かがぼくの机に座っていた。
あれは……川谷だ。
後ろの席の山上と談笑している。
下品な顔で笑っているのが見えただけで、頭の悪そうな笑い声が廊下にまで聞こえてきそうだ。
山上と、コバンザメの川谷。
ぼくのことをからかい、玩具にして楽しむ、どうしようもなくクズなDQNだ。
どちらもキンシコウみたいな髪の色に、肉体労働の奴隷になるため生まれてきたような体躯。見た目通り、その中身には知性が一片たりとも感じられない。
いつだって馬鹿笑いをしながら取り巻きを引き連れて、何につけても悪目立ちしようとする。
クラスメイトの連中も山上の一団には逆らわず、まるであの集団がクラスのリーダー格であるかのように気を遣う。
この教室は馬鹿だらけだ。
今日も頭痛を感じながら、予鈴までの数分を扉の前で待機する。
…………。
…………。
やっと鳴った。
…………。
…………。
……おい。
もう時間だろ。
なんでまだ居座ってるんだ。早く自分の席に戻れよ……。
「白野、なにやってんだ?」
「ひっ!?」
やってきた担任の椙田に突然声をかけられた。
「予鈴は鳴ったんだぞ」
「あ、で、でも、川谷がぼ、ぼくの席に……」
自分から話しかけてきたのに椙田はぼくの弁明を聞かず教室へ入っていく。
クソっ、よく見ろ。
ぼくは悪くないじゃないか。
川谷がぼくの席にいるのがいけないのに。
あの教師はどうしてぼくだけを注意したんだ! 最低だ。最低だ、クソ中年。老害め。
「白野、さっさと席に着かんか」
「は、はい」
クソッ、だから注意するのはぼくじゃないだろ!
くすくすとクラスメイトの笑い声が聞こえる。
幾つもの目がぼくを見て笑っている。ぼくを馬鹿にして嘲笑っている。
こいつらも山上や川谷と一緒だ。
今笑ってる奴らはみんな消えろ、ぼくの視界から消えてしまえ。
歯を全部折って、舌を切り取って、口角を切り裂いて、口の中に石を詰めて……苦しんだまま消えていけばいい。
いや……。こいつらは可哀想な奴らなんだ。
くだらないことで、弱いものをいじめて楽しむしかできない、哀れなクラスメイト。
だからぼくが苦しむ姿を見ることでしか安心できないんだ。
ガツンと。急な衝撃がぼくの意識を戻させた。
山上がぼくの椅子を蹴ったようだ。
「はやく座れ。目障りだろ」
「う、うん。ごめん」
にやにやしてぼくの反応を楽しんでいる。
なんて気持ちの悪い不愉快な顔だ。
「今日は午後から特別授業があるからな、忘れるなよ。来賓にいらっしゃるのは市の方、教育委員会の方、他に────」
ぼくらの様子を気に掛けることもなく椙田が連絡事項を語っている。
どうでもいいことだ。
そんなことをするよりも他にもっと気にすることがあるだろ……。
日常と化した光景に誰も気を留めない。
ぼくがいじられ困惑し、そしてうろたえる姿を大勢が楽しむ。
ぼく以外は誰も傷つかない、ぼく以外は平和な、なにもおかしくはない正常。
それが自然の姿。
それがこの教室。
ぼくを犠牲に成り立っている平穏。
今日も嫌な気分のまま授業が始まる。