62 普通にやれ、普通に!
ともあれ、俺はニスロクの挑発にこう答える。
「俺のスープの具はこれだっ!」
「な…… なんだそれは!」
料理人の目で俺の取り出した食材を瞬時に見定めたのだろう、ニスロクが驚きの声を上げる。
「木の根、草の根、紫キノコ。それにくさった魚の汁だとぅ!」
「ぶーっ!」
あ、お冷を口にしていた審査員、大魔王様が盛大に吹いた。
「こ、コジロー、正気なの!?」
縋り付いて迫るターニャを俺は振り払う。
「お前に正気を疑われるほど落ちぶれちゃいないぞ」
ニスロクは真剣な表情で呟く。
「あれでスープができるのか? まさか!」
かっと目を見開く。
「いや、この男の目に秘められた確信の光。この男には、そのまさかがあるっ!」
「無いわよっ!」
おお、大魔王様自らがツッコミを。
だがニスロクの耳には入っていないようだ。
「そうか! そのすべてを煮込むことによってスープの旨味を一層引き立たせる魂胆かっ!」
「そんなバカな!」
そう叫んだ大魔王様は周囲を見回すとそろそろと舞台を下りようとするが、
「逃げるのは卑怯ですぞ、大魔王様!」
「逃亡を許すなっ!」
周囲からそう言って止められる。
人望無いなー。
しかし、
「ふっ、驚くのはまだ早いぞ。まだまだとっておきの秘策があるんだ」
俺の挑発に、ニスロクは包丁を構える。
「大層な自信だな、コジローとやら! だがその自信、この包丁さばきを見てまだ言えるのか?」
宙に放り投げた食材を、目にも止まらない包丁さばきで空中で微塵に刻んでしまう。
「で、でたーっ、ハッパ微塵切りっ!」
ハッパ微塵切りとは直心影流の剣技、八相発破を源流とする小太刀の技とも、落ちてくる葉っぱを空中で切り刻んでしまうからそう呼ばれるとも、縦に八回、横に八回刻むことで八かける八、つまりハッパ六十四分割する技とも、果てまた菜を刻む、つまり葉っぱを微塵に切る技とも言われる剣技だ。
「確かに凄いが何の役に立つんだ、あれ?」
「普通にやれ、普通に!」
観客席から鋭いツッコミが飛ぶが、それはお互い無視をして勝負を続ける。
「これが俺のとっておきだ!」
俺は準備してきたものを取り出して見せた。
「なっ、これはクッキー? そうか、クッキーをスープに入れるのかっ!」
驚くニスロクに俺は深くうなずく。
「そう、クッキー。このクッキーがスープの美味さの秘密なのさ」
「嘘つけ!」
「クッキー入りのスープなんて食えねぇよ!」
観客席のツッコミ、切れがいいなー。
「そっ、そんな方法があったとはっ!」
ニスロクが歯ぎしりする。
「やだーっ!」
悲鳴を上げるのはもちろん、大魔王様。
そうして、鍋に材料をぶち込み煮立てることしばし。
「できたっ、これが俺の特製、クッキースープ!」
「クッキースープじゃねぇよ!」
「ふやけたクッキーがふよふよ漂ってる! 漂ってるよ!」
いやぁ、ノリがいいな、観客のモンスターたち。
「うむっ!」
大魔王様が真面目な顔で審査員席から立ち上がるとマントをばさりと翻し、
「何だかんだやって大魔王様が逃げるぞ!」
「誤魔化すな!」
「取り押さえろーっ!」
逃げようとして止められていた。
「かっ、勘弁しなさいよっ!」
「いや、審査員が居ないと」
「いーやーだー!」
「叫んでもダメ!」
仲いいなー、大魔王様と愉快な下僕たち。
「あ、ちょっと待ってくれ」
「コ、コジロー!」
大魔王様がすがるように俺を見る。
「今までのは全部冗談よね。私を驚かそうと本当の料理を隠してある……」
「俺のスープには最後にこの草を、根っこごと入れてさっと火を通すんだ」
白いヒゲのような根っこごと刻んだ物を入れる。
「入れるなーっ!」
大魔王様が絶叫する。
「さぁ、食べてみてくれっ!」
「いや、食べてみてって……」
口ごもる大魔王様。
その隣でモンスターたちが言う。
「何という工夫!」
「くーっ、そんな秘密があったとはぁ!」
「そんなこと言うんなら、あんたらが食べなさいよっ!」
「いやいやいやいや」
俺は大魔王様にスープの皿を手に迫る。
「さぁ、冷めない内に」
「嫌がらせよっ!」
大魔王様はそう叫ぶが、周囲のモンスターたちは容赦が無い。
「往生際が悪いですぞっ、大魔王様!」
「さぁさぁ一気に!」
大魔王様の威厳って……
敬愛される上司にはほど遠いみたいだな。
「うぐっ!?」
周囲のモンスターたちにスープを無理やり飲まされた大魔王様が固まる。
そして、
「美味いっ!?」
大魔王様が驚きの声を上げる。
「き、木の根は、別に固くなくて歯ごたえがいいし」
「そりゃゴボウだ。立派な野菜だぞ」
第二次大戦中に日本人が捕虜のアメリカ人にゴボウを食べさせてやったら木の根を食べさせられたと戦後に訴えられたって話があったな。
大魔王様たちが木の根と誤解したのも無理は無いだろう。
「草の根もシャキシャキしてる」
「それはセリだ。クレソンの親戚みたいなものかな。三関セリは春が旬の普通のセリと違って秋から冬がシーズンで鍋にも良く合う。白くて長い根が美味いんだ」
だから三関セリの産地、東北の秋田では鍋といえば白い根のセリが入っているものだった。
「紫のローソクみたいにてかてかのキノコも美味しい」
「紫シメジだな。若いと鮮やかな紫色が目につくが、ちゃんとした食用キノコだ」
これはヨーロッパでも食用にされていたはず。
この世界では一般的じゃあ無いのか?
「スープも美味しい」
「今回は醤油が手に入らなかったから、魚醤を使ったんだ」
「ギョショウ?」
「魚を発酵させて作るソースだな」
タイのナムプラーとか、日本だと秋田のしょっつるなどが有名か。
鍋に使うとこれが美味いんだ。
「クッキーも白くてもちもちしてる。甘くなくて嫌いじゃない」
「そりゃあ、南部せんべいだからなぁ」
小麦粉を練って作った南部せんべいは、鍋に入れると出汁を吸って餅のように柔らかくなる。
これを利用したのが青森県八戸市周辺に伝わるせんべい汁だ。
俺が再現したのは、このせんべい汁だったのだ。
「何だぁ」
「普通に食べられるものだったのかぁ」
周囲のモンスターたちが拍子抜けしたように言う。
何を期待していたんだ、何を。
「あんたたちーっ!」
「わーっ、大魔王様が怒ったーっ!」
「逃げろーっ!」
蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出すモンスターたちと、それを追いかける大魔王様。
やれやれだった。




