4 肉欲には勝てなかったよ……
森を抜けると広がる空と、なびくひとひらの白い雲。
不意に開けた空間に風が通り、背後に抜けた木々の連なりを揺らした。
「も、もう来たのか。出発は今日だったはずだが?」
トレーニング用ダンジョン入り口にベースキャンプを設けていたオッペンハイマー先生が、驚きながらも俺たちを迎えた。
ボロボロになりつつも大量買いしたヒーリング・ポーションで誤魔化しながら何とかたどり着いている訳で、びっくりされるのも無理はない。
「それでは記録を取るから、ステータスを開示したまえ」
痩身で鋭い目つきとワシのように尖った鼻が印象的なオッペンハイマー先生の指示に従って、俺たちは自分のステータスを示す。
俺、ユスティーナ、カヤは途中で遭遇したバイト・ラビットとの戦いで限界突破、レベルアップを果たしていた。
この世界の職業システムは、俺をこの世界に招いた猫耳女神、古代遺跡の意識体によって管理されている。
遺跡の端末と契約を交わすと先人の研鑽の蓄積、知識や技能、身体の使い方から様々なコツまでをデータ化して体に焼き付けてもらえるのだ。
ただし、これができる者は限られていて基本的に遺跡を造り出した古代上位種の血を引いている者。
身体に遺跡由来の魔力素子と呼ばれるナノマシンを取り込んでいる者だけが可能なのだった。
遺跡による職業の焼き付けは、ナノマシンを制御して体内に肉体と魔力を制御する神経系を構成することで実現している。
このナノマシンによる神経系を身体に馴染ませることを『経験を積む』という。
ナノマシンの作用によって実戦に適応し、身体自体が最適化されていくことで加速度的に人間離れした力を手にすることができるのだった。
「休む。もう休む。絶対に休むーっ。っていうか休ませろーっ!」
ギギギ、とターニャは歯ぎしりをする。
「口の中が血の味でいっぱいだしっ!」
激しい運動をすると血液中のヘモグロビンが肺を通して呼気に混じり、その中に含まれる鉄イオンが口の中を鉄臭くするんだったか。
ソシャゲ、リバース・ワールドをプレイしていた時には、一人につきバイト・ラビットを二匹倒せばレベルアップかー。
ゲームはお手軽だなー。
などと思っていたんだが、現実に戦うとなると本当にきつかった。
慣れない実戦を前に緊張で変な力が入ったのか、勇者学園での基礎訓練で鍛えられていたはずの身体がガタガタだ。
後方で魔術を撃っているだけでほとんどダメージを受けなかった俺ですらそうなんだから、肉弾戦を挑んだカヤたち三人は本当にグロッキー気味。
確かにこれは鍛えられるはずだと実感した。
ターニャでなくともすぐにでも休みたかったが、しかしオッペンハイマー先生は俺たちを解放してはくれなかった。
「ターニャ嬢はレベル1だと? しかしスタート時のステータスと比べて筋力と幸運値が上昇しているが」
「ああ、ドーピングしてますから」
「なに、希少な能力値向上アイテムをこんな段階で使ってしまったというのか!」
オッペンハイマー先生はDQNプレーヤー『ある意味勇者』オギワラが毒混じりに言い捨てる非常に偏った攻略法に影響を受け、能力値育成にこだわりを持っていた。
「いいかね、君たち。能力値の成長には職業とレベルによって決まるおおよその基準値があるのだ。だからドーピングによって一時的に上昇させたとしてもその分、次のレベルアップで上昇しなくなってしまう。つまりドーピングは大局的に見てレベルアップによる能力値上昇が見込めなくなった段階でするのが正しい……」
「いや、その理屈はおかしい」
いつもなら聞き流しているところだが、疲れていたのもあって俺は先生の長口上を遮った。
「能力の向上に基準値があるのではなくて、実際には職業とレベルに応じた成長上限値と下限値があってレベルアップではその間でしか成長しないというだけの話だ」
「何だと!」
オッペンハイマー先生が目を剥いた。
「レベルアップによる能力上昇は基準値などといった存在しない値に近づくように成長するのではなく、単に職業とレベル、そして資質に応じた上昇率が決まっているだけだ。つまりドーピングで能力値ブーストをしたとしても上限値に引っかからない範囲なら問題ない」
「そんなはずはない!」
オッペンハイマー先生は慌てて愛読書であるオギワラ語録とも言われる最強理論本を開くが、
「その本には書いていない」
「はひぃっ!?」
VRMMOエインセル、そして共通の世界を使ったソシャゲ、リバース・ワールドのシステムについてはネット上でも様々な攻略サイトが構築されていたが、このことについて言及しているサイトはほぼ皆無。
いや、システムについて解析した者は居たが、そこから考察してドーピングアイテムの使用法に結び付けた者は居なかった。
何度も転生を繰り返し、プレイをやり込んだ俺だけが知っている独自理論だった。
「そして気付いていないようだが、レベルアップの能力上率が元の能力値とは関係無く決まっているということは、ドーピングを行っておけばレベルアップして成長していく値にもずっとその分が上乗せされていくということだ。つまり、ドーピングを行う時期はあんたの主張とは逆、早ければ早いほど得になる」
「ばっ、バカなーっ!」
燃え尽きたようにくずおれるオッペンハイマー先生。
ふむ、少々やり過ぎたか。
まぁ、サポート種族のネコビトである俺の主張を端から否定したりせず、正しいことをその頭の中に入っている従来のデータから瞬時に判断した思考力はたいしたものだと思うが。
この人も頭はいいんだよな。
「コジロー、凄い!」
俺の話が分かっているのかそうでないのか、カヤは無邪気に喜んでくれる。
「なるほど、勉強になります」
そう言って眼鏡の奥、知的な光を宿す切れ長の瞳を見開いて納得するのはユスティーナだ。
「あんた、鬼ね」
ターニャだけが、がっくりとひざを着くオッペンハイマー先生の様子に顔を引き攣らせていた。
ふうわりとした夕暮れの中、金色に彩られた雲が空を流れていく。
近くの水場を流れる清水の音。虫の鳴き声。
一日が終わり、心地良い気だるさが全身を包んでいる。
俺たちは森から集めてきた枯れ枝を薪に、焚火を囲む。
ナタなどは持っていなかったが、生木はともかく枯れ枝は脚で踏めば容易に折れるし、ナイフでも木目に沿って刃を入れれば割ることができる。
丸太だったら無理に割らずに端だけを焚火に突っ込んでおけばいい。
インディアン式焚火ってやつだ。
樹脂が多く燃えやすい針葉樹は最初の焚き付けに。
硬く燃えにくいが火持ちも火力も高い広葉樹を主に燃やす。
「こんなにチョロチョロと燃やさなくていいんじゃないの?」
小さな炎を前にターニャが言うが、
「くぅ? キャンプ・ファイヤーじゃないから炎を大きくする必要は無い。焚火は灯りじゃないよ」
野外生活に慣れている人狼族、カヤがそう答える。
「焚火の火を見ているとほっとしますね」
ユスティーナがそう言う。
人が原野で生活していた時代の名残だろうか、オレンジ色の炎を見ていると不思議と心が安らぐものだ。
焚火は最高の酒の肴とも言うしな。
「まぁ、食え」
「うわ、なにこの大きな肉!」
ターニャが驚いたように叫んだ。
俺はベースキャンプに持ち込んだバイト・ラビットの肉を調理して、ターニャたちに振舞ったのだ。
残りはふもとの村でオッペンハイマー先生に雇用された荷物運び、ポーターたちに売り払っている。
ただの村人には倒せないモンスターの肉と毛皮だ。
料理人の俺が解体したこともあって相場より高い金額で売り払うことができた。
黒光りする分厚い鋳鉄のフライパン、スキレットにたっぷりとバターを引いて岩塩とハーブで下味をつけた肉を焼いただけだが、鳥肉に似た風味のウサギ肉にバターがしみ込んでいて我ながら最高に美味そうだった。
バターは真夏でもない限り融けないので、どんなに密封しても容器からとめどなく染み出してくる食用油を持ち歩くより便利だし、何より美味だ。
沢から摘んできたクレソンに保存食のナッツをまぶしたサラダも作って添えてみたが、その緑が彩りとなって一層食欲をそそるように思う。
一口食べたターニャが目の色を変える。
「うーん、火傷しそうなアツアツのお肉からたっぷりと染み出る肉汁とバターの旨味のハーモニー! ハーブっていうの? この口にした瞬間に鼻に抜ける独特の風味が何とも言えないわね。学園の食堂で食べるお肉と全然違うーっ!」
はいはい、貴族様はハーブなんて雑草は使わず香辛料だもんな。
「あふっ、んっ。さすがコジロー!」
大きなウサギ肉の塊にかぶりつき、その熱さにはふはふ言いながら食べるのはカヤだ。
「はぐっ。食べれば食べるほど美味しくなる。これから毎日カヤのためにこれを作って欲しい」
告白された!
料理を褒められるのは嬉しいが、そうやってすぐ求婚したら駄目だぞカヤ。
「滅茶苦茶スタンダードなプロポーズよね」
ターニャが目を丸くして言うが、
「プロポーズなんて、いつ、どこで、誰がやったってスタンダードから逸脱することは無いのさ。人の歴史が始まってからどれだけ繰り返されたと思う? あらかたのパターンは出尽くしてるもんだ」
まぁ、好きなものは好きと言えるのは勇気だと俺は思っているが。
それこそつまらないプライドは捨てて素直で居られるのは勇気だろう。
「疲れた身体に肉の塩気が染みますね。食べると身体が喜んでいるのが分かります。このサラダのドレッシングはオリーブオイルと粒マスタードですか? ほのかに柑橘の風味もあってよろしいですね。シャキシャキした歯ごたえがたまりません」
ユスティーナ、お前はグルメ評論家か。
まぁ、ともかく。
「どうだターニャ、働いて食う飯は美味いだろ。これはお前が倒したバイト・ラビットの肉だぞ」
これを言うために、わざわざ売らずに残した肉だった。
肉体労働なんて底辺がやる仕事と考えている上級国民、勝ち組野郎に思い知らせてやるのだ。
「ぐっ、絶対、肉欲なんかに負けたりしないっ!」
おかしな言葉の使い方すんな。
「なら、お前の分はもう要らないんだな?」
「肉欲には勝てなかったよ……」
へたれるの早いな、おい。
「あぅ、何だかエッチだ」
「エッチですね」
うるさい。黙れ。
しかし、それにしても……
「あれだけ疲れ果てていても食えるとは、お前らも大概タフだよな」
水泳や自転車のロングライド、登山の縦走などといった全身を酷使する運動をすると内蔵を始め身体のすべてが疲れ果てる。
結果として胃腸が弱いと食べ物を受け付けなくなってどんどん痩せて行ってしまうのだが、さすがターニャは『才能を打ち消すほどのアホ』の隠し称号を持つだけあって食欲が落ちるような繊細さは持ち合わせてはいないようだ。
そしてカヤは『暴食』の称号持ち。
ユスティーナの称号『努力の人』も二人に比べれば弱めとはいえ体力の成長補正が高い。
ただでさえナノマシンにカロリーを取られるのだから、とにかく食べないことには体力が上がらないのだ。
一見、攻略に向かないように思える称号持ちの彼女たちだったが、方法さえ間違わなければかなり有利に進めることが可能だ。
俺はというと最高の体力成長補正を持つ『タフボーイ』の称号持ちだ。
バトル・コックは低レベル帯では魔導士の魔術を拾得するため、術士寄りの成長特性を持つ。
体力の伸びは比較的低いから、称号が持つ補正で補ってやるのだ。
高い体力は、魔王攻略では何よりの資質になるからな。
「ふかしたてのジャガイモもあるぞ。熱い内にバターを乗せてとろけさせるのもよし、シンプルに岩塩をふって食べるのもよし」
「食べるっ!」
「カヤもっ!」
本当、食いつきがいいな。
「蒸し器も持たれているんですか?」
そこに気付くのはやはりユスティーナだ。
「普通の鍋でも蒸し料理は可能だぞ。石ころを鍋の中に敷き詰めて少量の水を注げばいい。これに食材を入れて蓋をして火にかければ蒸し料理ができる。ついでに蓋の上に重石を乗せれば内部が高温高圧になって短時間に調理が仕上がるし」
意外な手だったんだろう、ユスティーナは眼鏡の奥、切れ長の瞳を見開いてうなずく。
「なるほど、石ならどこでも手に入りますね」
まぁな。
「蒸し料理は食材の旨みと栄養を逃さない調理法だからな」
カリフラワーなんかは茹でると水を吸って甘みが残らないし。
「湧き水にビンを漬けてキンキンに冷やした白ワインもあるが」
「飲む!」
実家で飲み慣れているのだろう、ターニャが間髪入れず即答する。
「ワイン?」
カヤは何だかわかっていない様子。
まぁ、帝国産の白ワインは等級が高くなるほど極甘になるからお子様舌でも美味しく飲めるだろ。
「疲れて火照った喉を通るキリリと冷やした白ワイン…… ああ、反則。いえ犯罪的です。身体が欲しいと言っています」
ユスティーナもいける口か。
「なら、持って来よう」
「やったー!」
俺的にはマタタビ酒が欲しいところなんだがな。
空を見れば流れゆく雲が赤く染まり、気温が下がった分、空気が少し湿ってきたように感じた。
夕暮れの匂いってやつだった。
メジャーなゲームでも結構間違った攻略法がネット上に上がっていることがあるんですよね。
鵜呑みにせず、広く情報を収集し自分で判断することで思いも寄らない事実に気付くこともあるかも。
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