39 ジャスト・イン・タイム
「一方で、当時は遺伝病の治療のための遺伝子工学も高度に発達していました。そのため勇者と同様な存在を遺伝子改造で作り出そうという動きがあったのです」
ふむ。
「人工の勇者ね」
だが、猫耳女神は首を振った。
「しかし、遙か以前にあった優性学の頃から議論されている倫理的な問題」
人が人を改造することの是非か。
優生学というのは、生物の遺伝子構造を改良することで人類の進歩を促そうとする学問だ。
遺伝的素質を向上させ劣悪な遺伝子は排除することを目的とし、俺たちの世界ではナチスの人種政策の元になった。
そのため、以後は人権上の問題があるとしてタブー視されたのだった。
「そして、勇者が魔力素子に適応した人類に代わる進化した種であるのなら、進化に取り残された者たちは、かつて現人類に滅ぼされた旧人類のように駆逐されるのではないかという強迫観念」
考え過ぎとも思えるが……
当時の人々には差し迫った危機と感じられたのだろうな。
「また、この遺伝子改造が一般化すると生物の存続に必要なゆらぎ、多様性が失われてしまうという将来的な問題もありました」
優れた技術であればあるほど、人はそれを望むからな。
すべての人類にこの技術の恩恵を与えれば、種の単一化、進化の袋小路に陥ってしまう危険があると言う訳か。
一つ例え話をしよう。
狩りが上手なライオンと下手なライオンが居たとする。
当然、狩りが上手なライオンの方が、より多くの食物を得られ繁栄する。
普通に考えれば優れた者として評価されるだろう。
しかし、ここで干ばつがライオンの生息域を襲ったとする。
狩りが上手なライオンは、早々に獲物を狩り尽くしてしまうため、餓死してしまう。
一方で、狩りが下手なライオンは獲物を狩り尽くしてしまうということが無いので生きのびることができる。
つまり、優秀な者が常に生きのびる訳では無いということだった。
劣っていると考えられる者も、状況次第によってその立場は逆転するのだ。
だから、優れた者だけを残すような進化をして多様性が失われた場合、環境の変化によってその種は滅びる可能性が高くなる。
はるか昔に絶滅した恐竜のように。
「ですので、この研究は一般化されることなく限定された環境下でのみ行われたのです。これは当時の技術を持ってしても遺伝子改造に必要とする特殊なマテリアルの抽出が困難で、その施術には莫大な費用がかかるという事情もありましたが」
特殊なマテリアル、ね。
「専用の生産用魔法生物の体内のみで、それも非常にまれに精製される物質です。進化の種、と後世には伝えられていますね」
それが、このアンプルの中身か。
俺は小箱に納められていた進化の種と呼ばれるアイテムを手にする。
この世界を模倣したVRMMOエインセル、そのソーシャルゲーム版であるリバース・ワールドでは、とある希少な魔法生物から物凄い低確率で得られるものだったな。
「しかしゲーム上では、このアイテムを使っても勇者そのものにはなれなかったよな」
ゲームでも存在したアイテムだったが、効果は今話された内容とは違っていた気がする。
「はい。当時の価値観を反映して、肉体強化による直接戦闘力が高かった勇者に対して、術者寄りに調整されています。これにより、勇者では限定的だった魔術の使用が制限なく使えるようになります」
確かにゲームで進化の実を使用したキャラはそのように強化されていたな。
「うん?」
そこまで言って、俺は置いてけぼりになっているターニャとカヤに気付く。
「何を言ってるのか全然理解できないんだけど」
ターニャが言う。まぁそうだよなぁ。
「共通語は難しい」
カヤはそう言うが、言葉の問題でもないんだがな。
ともかく、言えることは一つだけ。
「進化の実を使えば、魔導士と癒し手の両方の魔術をすべて使える上級職になれるんだ」
「それじゃあ、アタシが……」
「ただし勇者を除く」
これまでの話を総合すれば当然のことだった。
しかし、ターニャはショックを受けたように愕然とする。
「さっ、差別だー! 職業選択の自由をー!」
そう叫ぶ彼女に言ってやる。
「勇者にそんな物は存在しない。勇者は生まれた時から勇者で、死ぬまで勇者だ」
「人の一生をそこまで要約すんな!」
「人もうらやむシンプルライフってやつだな」
しかし、ターニャはせっかくの俺の言葉にも喜ぼうとしない。
その場に膝をつくと血を吐くような叫びを上げる。
「神はアタシを見捨てたのかっ!」
おかしなことを言うな。
「神は自分に似せて人を造ったと言う……」
聖書にもある言葉だったな。
俺はターニャを見下ろして言う。
「お前のようにアホな神など居るかっ! 貴様に神など存在しないっ!」
ついにその場にへたり込むターニャ。
「かっ、神は死んだ!」
罰当たりなやつだな。
「目の前に居るだろうが」
猫耳女神さまがな。お前の目は節穴か。
「あらあら」
猫耳女神はというと、俺たちを微笑ましそうに見て笑っていた。
「じゃあ、コジローが使うの?」
カヤがこてんと首を傾げて俺を見るが、残念ながら違う。
「いいや、ここはユスティーナに使う」
俺は、猫耳女神をその身に降ろしているユスティーナを見つめた。
「何のためにユスティーナに魔力強化神経の呪紋を刻んだと思う?」
それは、猫耳女神にも説明するためにも口にした言葉だった。
「これまでは素早さを生かした回避盾に。そしてこれからは魔術で先手を取るために、素早さに優れた盗賊系の職業、メイドである彼女に使ったんだ」
これが俺の攻略法だった。
弱点を補強するよりも長所を伸ばした方が尖った人材になり、使いつぶしが効くようになる。
「なるほど、各段階において計画的に特性を生かすよう戦略を立てていた訳ですね。さすがです」
猫耳女神は感心した様子でうなずいた。
聡明な女神さまがお察しの通りで、トヨタ自動車で有名なカンバン方式をゲーム攻略に取り入れたとも言う。
『ジャスト・イン・タイム』、つまり『必要なものを、必要なときに、必要なだけ』用意することで、それ以外の無駄を省き、戦略資源の集中化を行うのだ。
プレーヤースキルに優れているはずのオギワラに対して、俺が優位に攻略を進められるのはこの戦略が功を奏しているからだ。
これはソーシャルゲーム、リバース・ワールドで何度も転生を繰り返し極めたからこそできること。
オギワラにはまだ、それが理解できていないのだった。




