35 シュバルツ伯爵家からの贈り物
「こちらにおいででしたか」
俺たちが王都での用事を終え帰路につこうとしたところに、聞き覚えのある丁寧な男性の声がかけられた。
「しつじさん?」
カヤが言う通り、先日知り合ったシュバルツ伯爵家の執事が片眼鏡を光らせ、馬車を背後に控えていた。
今日は丈が長いコートにケープを合わせたデザインを持つインバネス・コートを着込んでおり、いかにも紳士と言う風体だ。
「どうしてここに?」
ターニャの問いに、恭しく頭を下げて告げる。
「先日の件、お礼を差し上げていないことを大奥様が気にかけております。そんな折、王都の街で皆様を見かけたというお話を聞きまして、伝手を辿ってこちらまで」
「伝手って……」
俺は顔が引き攣るのを感じた。
俺たちが最後に行ったのは裏社会の、しかも特別な酒場であって、それを追いかけることができるほどの伝手となると……
俺の様子に気付いたのか、考えを読んだように微笑む。
「昔取った杵柄というやつでして。まぁ、こちらにたどり着くには人脈だけではなく少しばかり足を使った情報収集も必要でしたが」
どんな過去があるのやら。
やっぱりこの人物は侮れない。
いや、侮る気は毛頭無いが。
「どうぞ、よろしければこちらへ」
その招きを受けて、黒塗りの馬車へと乗り込む。
シュバルツ伯爵家では、先代当主の妻であるシュバルツ夫人が出迎えてくれた。
「まぁまぁ、みなさん、良くおいで下さりました。こちらは先日手に入ったレモネードですわ。良く冷やしてあるので美味しいですわよ」
使用人がビンからポンとコルク栓を抜くとしゅわしゅわと炭酸が泡立った。
出されたのはこちらの世界では初めて見る炭酸飲料。
イギリスではレモネード。
アメリカ、カナダではレモンスカッシュと呼ばれる飲み物だった。
コルクの栓は地球でも昔レモネードに使われていたが炭酸が抜けやすいため、あのビー玉で蓋をするラムネのビンが考案されたという。
王冠をビンに着ける技術は無理でもラムネビンぐらいはガラス職人に頼めばできないだろうか?
試してみる価値はありそうだった。
グラスに注がれたそれを口に運び、
「ふむ、美味いな」
そうつぶやきが漏れた。
久しぶりの炭酸に喉が刺激されるのが心地良い。
特に炭酸が好きな訳でも無かったが、こうして飲むと何だか懐かしく感じられる。
レモネードと言いつつ、レモンだけでなくライムも使われている様子で、日本で飲むラムネと風味が似ているから余計にそう思うのかも知れないが。
「何これ、喉と舌がピリピリする」
ターニャが舌の上で弾ける炭酸に驚いた様子で言う。
「勇者様は初めて飲まれたのかしら?」
夫人が機嫌良く尋ねる。
「はい、話には聞いたことがありましたが実際に飲むのは初めてで。刺激的な味ですね」
ターニャはそう答える。
貴族の令嬢である彼女でも飲んだことのない、こちらでは珍しい飲料らしい。
ユスティーナとカヤも無言でグラスを傾けていた。
ユスティーナはいつも通りの涼しげに整えられた表情。
カヤは炭酸の刺激に驚いているのか目が寄っているのが可愛らしい。
「あらあら」
夫人はカヤを見て微笑ましそうに瞳を細めた。
その後は貴族らしく時事の話題を一通り交換し……
ベンソンが勇者学園から去ることになった一件の顛末も伝わっていて、改めて貴族の情報網に感心したりしたが。
ともかく、本題に入る。
「私から贈らせて頂くのは、先祖伝来の武具の中から、勇者様に使えそうな鎧と兜を一揃え」
使用人が持ってきた鎧は現在ターニャが使っている簡便な鋼の胴鎧より凝った造りで、防御力もその分高そうなものだ。
「魔術避けの加護も込められた品ですのよ」
それは掘り出し物だな。
夫人は鎧職人も招いており、この場でサイズ合わせまで行ってくれる。
蒼く輝くそれは岩妖精の呪化鋼板を打ち出して造られたものらしい。
「馬子にも衣装か」
それらを身に着けたターニャは格好だけはいっぱしのものになっていた。
「素直に誉めなさいよね」
ターニャは俺の言葉にぶつくさと反論する。
それはともかく、
「このような見事な品、ありがとうございます」
夫人に礼の言葉を告げる。
すると夫人は首を振ってこう答える。
「いいえ、後は受け取って頂けるか、いえ贈り物と言っていいのか微妙なのですが……」
そう言ってテーブルに差し出してくれたのは一枚の地図だった。
「王都に隣接する我が家の領地、その奥の試練渓谷にあるのが家宝と言われるシュバルツシルトですわ」
「シュバルツシルト?」
ドイツ風、この世界で言う帝国風の名前を、舌先で転がすターニャ。
夫人はうなずいて話を続ける。
「はい、伝説の名工、ドゥエインの手による生きた武具。それを手にできるのは試練を乗り越えた者だけという話です」
「そのような品を貸して頂けると?」
家宝と言うからにはここは借りるだけとしていた方が良い。
下手に譲り受けたりするとターニャはシュバルツ家の者と見なされ、その後継者と結婚ということにもなりかねない。
まぁ、リア充野郎のターニャがどうなろうと知ったことじゃなかったが。
こうして配慮した言動をしてしまう自分の理性が憎いね。
「ええ、試練を受けて頂かなければお渡しできないのが心苦しいのですが」
夫人の言葉に、俺は首を振った。
「そのようなお心遣いは無用に願います。ターニャは勇者なのですから」
視界の隅でターニャがげぇ、とでも言うような顔をする。
人前なんだから、そういうのは控えてくれると嬉しいんだがな。
ともかく、夫人の申し出はありがたく受けさせて頂く。
「それでは次の、勇者学園の休日に伺わせて頂きます」
今この瞬間に休日が潰れることに決まった。
そのため死んだ魚のような目をするターニャだった。
そして次の休日の早朝。
「今日は安息日よ。神様だってまだ寝てるわ」
「お前は勇者だぞ。世界の平和の為なら休暇は無し。早出、残業は無制限。スト権も無しだ」
ついでに言えば徹夜もありありだ。
俺たちはターニャのジャンプの魔術で王都に跳躍すると、そこから目的地である試練の渓谷に向かう。
しかし、その周辺で出現するモンスターは異様に手強かった。
「ターニャ!」
土くれのゴーレムから強力な一撃を受けるターニャ。
それでも何とかこらえることができたのは、
「あっ、ぶなぁ。鎧を新調してなかったら今のは完全にアウトだったわぁ」
シュバルツ伯爵家から譲り受けた鎧兜のお陰だった。
そして、
「ねこ・ぐれねーど!」
魔法の籠手、銀腕で加速された右手を素早く敵に向け魔術を繰り出す俺。
その爆発でのけ反るゴーレムに、カヤが銃を向けた。
訓練されているカヤは七メートル以内の敵に対しては照準にサイトを使用せず自然の感覚で発砲するポイント・シューティングと呼ばれる特殊な射撃方法を用いる。
「ふっ!」
片手で構えた魔導リボルバーをマシンガンのようにわずか一秒にも満たない時間で撃ち尽くした。
つんざくような銃声が辺りにとどろく。
シリンダーに込められた火炎石からほとばしる炎の精霊力が銃身に刻まれた呪化旋条により加速、呪化され撃ち出された。
素早く、それでいて正確なトリガー・コントロールにより全弾が命中する。
一発一発は初級攻撃呪文ほどの威力しか無いが、それが連なるように六発もぶち込まれると大ダメージが叩き出される。
無論、複数の敵に対してばら撒くことも可能だ。
一般に、スライドが前後して弾を弾倉から自動的に装填するセミオート銃の方が、引金でシリンダーを回転させながら撃つ回転式拳銃より連射が効くイメージがある。
しかし射撃を極めた場合、引金を絞るスピードを上げれば射撃速度が上げられる回転式拳銃の方が、機械的に決まったサイクルでしか装填のできないセミオート銃よりはるかに素早い連射が可能なのだ。
六発撃つ毎にクールタイムが必要だが、それでもなお、持つ者の技能次第で強力な威力を発揮する。
それが魔導リボルバーという武器だ。
これらの新たに用意した武具の働きによって、俺たちは何とか敵を退けたのだった。




