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32 銀の腕、アガートラーム

 次に俺が訪れたのはターニャの親がパトロンをしている彫金ギルドに所属する職人の店だった。

 貴族はこういった芸術、工芸に対して援助と保護を行うのが常だ。

 もちろん彼らが作った作品は庇護者たちによって優先的に引き取られ、その身や屋敷を飾りたてることになるのだ。


「仕上がりを見せてくれる?」


 ターニャの求めに応じて出されたのはオパール、折れた炎の魔剣の柄から回収したアクセラレータを使ったネコサイズの銀の籠手だった。

 それも右手の分だけ。


「何で銀?」


 ターニャが籠手を見て言うが、それはこちらから指定したことだった。


「銀は魔力を通しやすい性質を持つからな。マジック・アイテムを作るには都合が良いんだ」


 銀は表面が曇りやすいから手入れには気を使うが、まぁ仕方が無いだろう。

 俺は籠手を商人系の職業が持つ鑑定スキルで確かめた。

 名称は『銀腕アガートラーム』か。

 ケルト神話に伝わるダーナ神族の王、ヌアザは右腕を戦で失ったため、医神ディアン・ケヒト作の銀造りの義手を付けていたという。

 それ故に銀腕のヌアザ、ヌアザ・アガートラームと呼ばれていた。

 その名を冠する籠手という訳だ。


「効果は、はめた方の腕を使う技能の成功値上昇と敏捷値が三割アップか」

「それは凄いものですね」


 ユスティーナが珍しく眼鏡アイウェアの奥の切れ長な目を見開いた。


「そうだな。作用するのは片腕のみだから、ユスティーナが持つ魔力強化神経ブーステッド・リフレックスほどずば抜けた効果は望めないが、それでもかなり有用なアイテムだ」


 ただ、


「残念なのは干渉を起こすため呪紋との併用ができないってことだ」


 だから俺とカヤのどちらかに使うことを考えたんだが、シールダーであるカヤにはあまりスピードは求められない。

 故に俺専用、ネコビト用の籠手に仕上げたのだ。


「なるほど、剣として再生すれば剣を使うことにしか作用しませんが、こうして籠手にしてしまえば用途も限定されないということですか」


 俺の意図に目ざとく気付いたユスティーナが感心したようにうなずく。


「まぁな。それに俺はこの先、魔術だけではなく頑張る必要があるからな」


 それについては次の目的地に着いてからでいいだろう。




 彫金ギルドから出て一転、今度は薄汚れた旧市街に俺たちは足を向けた。

 ユスティーナの伝手で接触した裏の世界の仲介屋フィクサー接触コンタクトするのだ。

 この世界のメイドは隠密技能を有するため、盗賊系の職業に分類される。

 それゆえのコネクションだった。


「相変わらず、ここは活気が凄いな」


 俺は辺りを見回しながらつぶやく。

 酒場が林立し、娼館が軒を連ねる。

 客を当て込んだ美しい娼婦ストリート・ガールたちが居並ぶ通りを、武器や闘争などとはまったく無縁な普通カタギの人間と、コートやジャケットの下に物騒な物を隠している危険な空気をまとった連中が、肩を並べて歩ける限定区域。

 至上の享楽とスリルが味わえる歓楽街だ。

 俺はこの街が気に入っていた。

 ギャングやマフィアのような犯罪組織シンジケートが幅を利かせているものの、この街には危険と隣り合わせに混沌とした魅力があった。


「おなかすいたわねぇ」


 ターニャが鼻をひくつかせながら言う。

 通りには屋台ストリート・ベンダーが並んでおり、クイックフード……

 影ではジャンクともストリートフードとも言われるあぶり焼きにした肉の表面をナイフで削って食べるドネルケバブや、ロブスター一匹を丸ごと使ったという流行りのロブスターロール、東部名物の深皿ピザなどが売られている。


「たまにはこういう食事も悪くないな」


 俺たちは干しダラとジャガイモを豚脂ラードで揚げたフィッシュ・アンド・チップスを買ってみる。

 日本人としてはタラと言ったらタラちり鍋なんだが、あれは日本酒さけが欲しくなるからなぁ。

 熱燗、ぬる燗、井戸できりりと冷やした冷酒でも良い。

 秀真国から取り寄せた秘蔵の古酒をあけるのもいいなぁ。

 強く濃いのに澄んでいるというあの味わいは……


「あれ、店員さん、ナイフとフォークを忘れたようね」


 酒へと意識を飛ばしていた俺のネコミミに、ターニャの間抜けな声が届く。

 アホか。


屋台ストリート・ベンダーの食い物に何を求めてんだよ。歩きながらでも食えるよう、そいつは指でつまんで食べるようになってんだよ」

「あ、歩きながら!?」

「ん? ああ、お前一応、貴族令嬢だったな。そう言えば」


 食べ歩きなんてもってのほかってやつか。

 しかし、貴族がしばしば行う立食パーティーだって似たようなもんだろ。

 黙って食え。


「で、でもフライド・ポテトはともかく魚のフライは大き過ぎるわ。ナイフで切らなきゃ無理よ」


 ラージではなくミディアムを頼んだんだが、それでも衣をつけて揚げたタラの切り身は二十センチほどの長さがある。

 しかし、


「かぶりつきゃいいだろ」


 俺は見本を見せるように、タブロイド紙に包まれた切り身のフライを口にする。


「ほう、これはなかなかに良い」


 麦芽を原料とするモルト・ビネガーと岩塩が振りかけられたそれは、単純な料理だけに不味くなりようが無いというか、普通に食える。

 悪くない、悪くないぞフィッシュ・アンド・チップス!

 地球では飯が不味いことで有名なイギリス名物のくせにな。

 安価で、すぐに食べられ、さらに腹持ちが良い。労働者の食事というやつだった。


 俺に習うように食べ始めるユスティーナやカヤの様子を見ていたターニャは、おずおずと聞く。


「わ、笑わない?」

「他人の食事の仕方を見て指さして笑うような不作法はしないぞ」


 十九世紀、イギリスのヴィクトリア女王は客が指を洗うためのフィンガーボウルの水を誤って飲んでしまった時、相手に恥をかかせないよう自分も同じように飲んで見せたという。

 マナーとは、お互いに気持ちよく社会生活を円滑に送るためのものだ。

 その目的を忘れて箸……

 ナイフとフォークの上げ下げなんかの細かいことに目くじらを立てるのはバカのやることだろう。


「そ、それじゃあ……」


 ターニャは右を見て、左を見て、視線をさまよわせた後、決死の表情で自分の分にかぶりついた。

 その様子に思わず俺は視線を逸らした。

 ダメだ。

 肩が震える。


「やだ、やっぱり笑ってるじゃない」


 顔を赤らめ食ってかかるターニャ。


「いや、食い方にじゃなく、お前があまりに必死なんで驚いたんだ」


 そんな俺たちを余所に、カヤはもう食べ終えていた。

『暴食』の称号持ちの彼女には物足りない様子だったのでローストチキン、鶏の丸焼きを追加してやる。


「いいの、リューヤ?」

「ああ、カヤにはいつもがんばってもらってるからな」


 肉に合うローズマリーを筆頭とした十種類以上のハーブと岩塩を擦り込んで一晩寝かせ、鶏一羽をまるごと専用のグリルで焼いたものだ。

 チキンを回しながら焼くことで旨み全体に回って余計な脂が落ち、口にすればパリッとした皮が弾け熱い肉汁が湧き出す肉を味わえるという寸法だ。

 焼きたての香りといい風味といい、カヤは幸せに酔ったようにかぶりつく。


「うまい!」


 そいつは何よりだった。

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