2 ぶろうくん・ねこぱんち!
ターニャのせいで出鼻をくじかれた俺たちだったが、今度こそ出発をすることにした。
「アタシのせいするなーっ!」
「お前は何を言ってるんだ?」
勇者学園、初めての実習はノビスの街から半日ほどの山中にあるトレーニング用ダンジョンをクリアすることにある。
現時点で支給されているのは基礎訓練に使った演習用装備に銀貨が六十枚だ。
「世界を救う勇者に銀貨がたった六十枚ってどうなのよー。革鎧すら買えないじゃない」
ターニャはぶちぶち言うが、お前はまだいい方だろう。
貴族の印というマントを身に付けているお陰で守備力が多少なりとも高いし、実家から持ち込んだ家宝の細剣がある。
ネコビト料理人の俺なんてクッキングナイフ、つまり包丁に革のエプロンを簡素なネコビトの服の上に着けただけなんだぞ。
「そうは言いますが、ターニャ様」
ユスティーナが口をはさむ。
以前の主を失い仕える対象を持たないはぐれメイドになっていた彼女はというと、メイド服にカシの木でできた棒きれ、模擬戦用のバトンを持っているだけだった。
「銀貨で六十枚というのは街の住人一カ月分の生活費、それ以上の金額ですよ」
彼女が言うとおり支給金に関しては日本円にして二、三十万円程度と考えれば結構な額だと分かるだろう。
さすが王家と神殿が支援している勇者学園、太っ腹。
それを受けて俺は言う。
「そもそもこの実習は実戦における立ち回りを学ぶためにあるんだ。最初から強力な武具をもらって済ませてしまったら練習にならないだろ」
いわゆるゲームにおける練習モード、チュートリアルってやつだ。
死ぬ危険の少ないここで基本的な立ち回りを覚えないで武器の性能に頼った戦いをしていると、後でそれが通用しない強敵に出会った時点で詰む。
よく「どうしてゲームの王様は世界を救う勇者にショボい初期装備とはした金しか渡さずに魔王を倒して来いと言うのか?」という話を聞くが、こういうちゃんとした理由があるのだ。
「カヤ、がんばる」
カヤは可愛らしく狼の耳をぴんと立てながら気合いを入れるように言う。
だが、身一つで故郷の森を出てきた彼女は露出の高い人狼族の民族衣装に、模擬戦用に支給されたタルのフタに取っ手を付けただけのウッド・シールドを持っているだけだった。
盾使い、シールダーである彼女は武器、もしくは武器の代わりになるものすら持っていない。
「まぁ、そう力まずとも普段どおりでいいさ」
俺はそう、カヤに言ってやる。
東洋ではこんな時、加油と言うが、実際には真剣になるより、力まず気楽に構えた方が物事は上手く行く。
真面目にやること、それ自体にはあまり価値は無いものだ。
さて、
「カヤと俺は持ち前の爪で戦うという選択肢もあるが……」
俺はにくきゅうを備えた前脚から、出し入れ自由な爪をにゅっと伸ばして見せる。
爪研ぎを欠かしていないこともあってかなり鋭いのだ。
だが、ターニャはそれを見て恐ろしいことを言う。
「伸び過ぎじゃない? 切ったげようか?」
「ネコの爪を切るのは虐待だぞ!」
神経も血管も通ってるんだぞ!
下手な飼い主がやると出血するんだからな!
大体、
「ネコに限った話じゃなく、人間だって野外に出るならある程度爪は伸ばしておくべきだぞ。爪は最後の武器であり道具なんだから」
「そうなの?」
「野草や薬草を摘むのにナイフ代わりになるし、木ぐらいは削れるだろ」
だから日本古来の猟師、マタギなんかは爪を伸ばして置けと言うそうな。
だがまぁ、しかし、
「殲滅速度を上げるためにもまともな武器を買い足しておいた方がいいだろうな」
高い武具を買うために安い武具を買わずに我慢するという方法を取る者も居るが、それによって攻略スピードが阻害されるぐらいなら買った方がいい。
現実では故買の相場は定価の三割程度というが、この世界では七割という超良心的な値段で中古品も下取りしてくれる。
安い武具のたかだか三割分の金額などすぐに取り戻せるのだ。
「ぼ、防具は?」
戦いが怖いのだろう、ターニャがおずおずと言うが俺は首を振ってやる。
「却下。死人覚悟でヒーリング・ポーション大量買い特攻をしないだけまだ優しいと思え」
ゲーム攻略方法としては定番なんだが、いくら何でも現実にやるには無理があり過ぎる。
俺はターニャの死体なんか運びたくないぞ。
ここは無理をなくすことで安定した攻略スピードを維持するのが得策だ。
「購買部に行くぞ」
俺たちは勇者学園内に設けられた購買部に向かう。
ここでは各種武器防具、アイテムなどが売られているのだ。
「いらっしゃいませー。勇者学園購買部へようこそー」
笑顔のお姉さんが対応してくれる。
この勇者学園は神殿の強力な後押しを受けている関係で、教師以外の職員はそちらから派遣された本物の見習いシスターたちだったりする。
制服ももちろん清楚な修道服。
その可憐さは戦闘訓練に明け暮れる俺たちには貴重な癒しになっていた。
「ユスティーナ?」
「……失礼しました」
やっぱり対抗しようとしていたか。
メイドとシスター、どちらも男性の人気が高い職種という点でライバル意識のようなものがあるのかも知れない。
「神殿の雌犬ごときが私の主を誘惑しようなどと……」
物騒なこと言うな、こええよ!
呟くなら聞こえないようにしてくれ。
俺は思わず自分のネコの耳を伏せた。
ネコビトの鋭敏な聴覚がうらめしいぜ。
まぁ、ソシャゲで俺のファミリアだった時の彼女もこんな感じではあったがな。
最初は先祖帰り、チェンジリングの半妖精だった彼女だが、俺と一緒に転生を繰り返す内に魂が覚醒し、最後には光妖精にまで至った。
人狼族にまでなったカヤも同様。
「ご主人様にだったら、愛を強制的にねじ込まれても構いませんのに」
「無茶苦茶言うな! 表現が露骨すぎるだろ!」
「カヤもー!」
「理解していないのに話に乗るんじゃない!」
まったく二人とも自分のことが分かっていないよな。
それぞれ違った意味で魅力的で男を誘うような顔と…… 身体をしてるっていうのに。
大っぴらに迫ってくるんだから大変だ。
ともかく。
支給された銀貨六十枚にノビスの街でユスティーナが手に入れてくれた金を加えると全部で百三十一枚になる。
購買部で買える武器だが……
ターニャに関しては今持っている細剣以上に彼女に向いている良い武器は訓練生向けには販売していないので不要。
ユスティーナの武器は鍛冶が居るトレーニング用ダンジョンのふもとの村の方が良い物が買えるので保留。
俺はというと、バトル・コックはモデルとなった最強のコックが愛用するアメリカンな大口径拳銃、コルトガバメントを再現するため射撃魔術を最初から習得しているので割り切って無しとする。非常時には自前の爪もあることだし。
となると一番有用そうな物は、
「やはり警棒あたりか?」
俺は銀貨百枚で買える木製の警棒をカヤのために選んでやる。
シールダーの使う盾には、機動隊の盾と同じく左手だけでなく右手も使って支えるための取っ手が付いている。
両手を使うことでシールド・スキルの効果を倍増させることができるのがレア職であるシールダーの強みだ。
ソシャゲ、リバース・ワールドで何度も俺と共に転生を行いシールダーを極めたカヤが、繰り返す時の中で使い方を確立した経緯にある。
半面、これをするには右手で持つ武器に制限が生じる。
そんなカヤでも使えるのが固く強靭なカシの木で作られた警棒だ。
柄の部分に付いた革ひもは手首に通して使い、すっぽ抜けを防止するだけでなく武器をしまうことなく手を離してシールドを支える、また手首から下げられた警棒を素早く持ち直すという使い方をする。
カヤはいくつかある物を持ってみて、造りがしっかりとしていることや握り心地、重心を確かめる。
そうして最も良さそうな物を購入した。
「ありがとう、コジロー」
カヤはにぱっと笑って、俺に礼を言ってくれる。
「カヤにだけずるーい」
ターニャがぶーたれるが、
「何なら俺たちは武器を買わずにひたすら防御して、お前が殲滅担当という戦法もありなんだが?」
と言うと顔色を変えてぶんぶんと首を振る。
本当に、能力はあるくせに頭が残念過ぎるというか、セコイやつだよな、お前は。
どんなに優れた力を持っていても、性格ですべてをダメにするのがターニャというやつだった。
「何かひどいこと思われてる!?」
変なところが鋭いし。
しかしこいつの勘の良さは役立つ場面では発揮されないか、感知したとしても本人の知恵が残念なため俺たちが想定もしない斜め上の反応をして結局は自滅するのでまったくの無駄スキルといって良かった。
後は残金が銀貨三十一枚だから、移動用アイテムのリターン・クリスタルを一つだけ購入した。
これは俺たちの中で一番素早いユスティーナに渡しておく。
通常の転移の他に、行き先は選べないものの戦闘中に使えば強制離脱用アイテムとしても働くからだ。
貴重な呪的装備だったが、購買で販売されているのは供給元だった独立商会を神殿が金の力で買収してしまったためだ。
以来、神殿はこのアイテムを独占販売し、それにより勢力の維持に役立てている。
最初から相手が持つ技術を獲得する目的で商会の買収・合併(M&A)を行うのは、商売では良くある手法だ。
多額の技術開発費を費やすことなく高度な先端技術の入手が可能になる他、市場や設備、ブランドを育てる労力や時間を金で買うことができる。
リターン・クリスタルも元々、神殿との共同開発で造られた物とも聞くが、表面上では握手を交わしながら裏で出し抜くのがビジネスの世界だった。
敵はどこに潜んでいるか分からない。
ある意味、魔族などを相手にするよりよっぽどシビアだ。
「よし、それじゃあふもとの村まで一気に移動するぞ」
「はぁっ、いきなり!? 最初はその辺でウシガエル相手に体を慣らしたりしながら購買で買えるもので装備を整えるのがセオリーでしょ」
ウシガエルは比較的簡単に倒せる割に後ろ足が高級食材になる。
初心者にとっては稼ぎに使いやすいモンスターだ。
地球でもカエルの足はフランス料理の食材に利用されているしな。
鳥肉に近い味だという。
ターニャにしては珍しく常識的な発言だったが、こいつはただきついのが嫌なだけだ。
しかしターニャはふっとため息をつきながらやれやれとでもいうように肩をすくめる。
そして、なぜか上から目線でこう言った。
「まったく、これだから素人は」
イラッ!
……平常心、平常心。
相手と同じレベルでやり合っても不毛なだけなので俺は言葉を飲み込む。
そんなことをしても勝ち負けもへったくれも無い泥仕合になるのがオチだからだ。
『もっとも良い復讐の方法は、自分まで同じ行為をしないことだ』とも言うしな。
俺は頭を切り替えてこう答える。
「却下だ。ふもとの村近辺はワンランク上のモンスターが現れるが、現状でも一戦だけなら全力で当たれば勝てない訳でもない」
そもそも、ウシガエルのようなほとんど抵抗できない相手を狩る趣味は無いしな。
ザコに興味は無い。
「要は戦術だ。実戦初体験でも痛くないよう、俺が上手くリードしてやるさ」
頬を歪ませ笑ってやると、ターニャは顔を真っ赤にして口ごもる。
「ばっ、ばばば、処女って……」
経験が無いのが丸わかりな反応だった。
「私たちには治癒術を使う者が居ませんが」
言外にヒーリング・ポーションの購入を促すのはユスティーナだったが、
「いや、ふもとの村まで真っ直ぐ向かえばモンスターとの遭遇は一回程度で済むはず。非常用として手持ちのヒーリング・ポーション一個があれば十分だ」
これはシールダーの固有スキル、応急処置を習得しているカヤに持たせておく。
こうして俺たちはふもとの村に向けて出発したのだった。
俺たちは最短距離を辿ってふもとの村に向かった。
そのために森の中に走る林道を突っ切る選択をする。
しっとりと濡れた豊かな緑の木々が放つ芳香を感じながら、足元の大地を踏みしめ進む。
身体が緑に染まり、時がゆっくりと流れていくような感覚を覚える。
風にざわめく葉の一枚一枚が透明な空気を通して木漏れ日をきらきらと瞬かせた。
入山して結構経つが、まだモンスターには遭遇していない。
そうして、木々の間から村が見えてきた時だった。
「村だわ! やった! モンスターに遭わずに済んだっ!」
休めるとばかりにターニャが歓声を上げる。
アホ、いらんフラグを立てるな!
だいたいそんな大声を上げたら普通にモンスターに気付かれるだろうが、この大マヌケ。
「来る!」
森に慣れている上、鋭い感覚を持つ人狼族であるカヤが何かを察知したのか狼の耳をそばだて警告を発する。
俺のネコミミにも反応があり、身構えたところに下草を押しのけてバイト・ラビットの群れが襲い掛かってきた。
その数、四匹。
俺たちは勇者学園の演習で必要最低限の訓練は受けているが、自分たちの能力を完全に把握できている訳ではない。
腕試しにはおあつらえ向きな相手だった。
「よし、手はず通り行くぞ」
隊列は主力のフロントアタッカーがターニャ。
回避盾としてガードウィングがユスティーナ。
守備の要のセンターガードがカヤ。
後方から魔術による援護をするフルバックが俺だ。
この場合、ユスティーナを前面に押し出してはいるが現段階で攻撃力が極小な彼女には攻撃ではなく回避に専念させる。
敏捷値に能力を割り振った盗賊系、メイドのような回避型は、耐久値に能力を振って高い体力で攻撃を受け止める戦士系、シールダーなどの耐久型より被ダメージが低く抑えられ一般的に有利と言われている。
この選択はかなり有効なはず。
俺は右腕を高々と掲げ、魔力を練る。
魔力が腕の周囲に肉球を備えたネコパンチを形成し、それが高速回転を始めた。
「ぶろうくん・ねこぱんち!」
どっこーん! という轟音と共に高速回転をしながら撃ち出されるネコパンチ!
先頭のバイト・ラビットにぶち当たるが、ネコパンチの勢いは止まらない!
遺跡から脳に書き込まれたナノマシン、魔力素子が拡張した視野にダメージがパーセント表示される。
20…… 35…… 50…… どんどん上昇して行く。
「粉砕だっ!」
ついにバイト・ラビットのヒットポイントがゼロになり、その身体をブッ飛ばす。
魔術を行使する時、満ちてくる魔力に感じる充足感と万能感。
日本で暮らしていた頃には味わうことの無かった力の行使によるこの解放感は何なのか。
「ね、ネコなのに強い」
目を丸くしているターニャ。
よそ見すんな!
そして、
「バトン・ダイナミック!」
仲間が倒されたことに怯む別のバイト・ラビットへ、カヤが警棒を振り下ろす。
『バトン・ダイナミック』は警棒を使って放つことのできるシールダーの固有スキルだ。
カヤが俺と共にソシャゲ、リバース・ワールドで転生を繰り返した末に編み出した固有スキルであり、序盤は非常に頼りになる。
コンパクトなスイングがバイト・ラビットのこめかみへ命中。
そこは獣型モンスターの急所だった。
たまらずくずおれるバイト・ラビット。
これで二匹。
「はっ!」
ターニャは残るバイト・ラビットに細剣の突きを見舞う。
「あっ、アホ!」
能力だけは高いターニャ、綺麗に決まった。
しかし、技の後の隙を別のウサギに突かれ腕に噛み付かれる。
「うにゃああああっ!?」
ターニャが悲鳴を上げて慌てふためく。
こうなると持続的に体力を削られて行く。
この特殊攻撃からバイト・ラビット、つまり『噛み付き』ウサギと呼ばれているわけだ。
「早いところ振りほどけ!」
俺の指示に、ターニャはその場で転げまわって何とかバイト・ラビットから逃れる。
「突きは避けられた時も、攻撃が当たって刺さった後引き抜くまでも隙がでかい。味方のフォロー無しに使うもんじゃない!」
だから槍などの突く武器は味方が居る集団戦か単独の敵相手にしか向かない。
また、突くより引く動作、突いた後即座に元の体勢に戻す方が大事と言われるのだ。
この辺は事前に言っておいたのだが、このアホには身体で分からせないと理解できないようだった。
「カヤ、アシストを頼む」
「うん、防御集中!」
シールダーのカヤはシールド・スキルのお蔭で防御に集中すれば、盾の防御力を二倍にできるボーナスを持つ。
前に出てバイト・ラビットの突進を受けるが、効いていない。
よし、
「まだまだ行くぞーっ!」
「ひにゃあー」
変な声出すなターニャ。
気合を入れろ、気合を。