16 赤い珊瑚と呼ばれた牛肉
どうして街の名前がビア・ガーデンだったりステーキ・ハウスだったりするのか。
それは古代遺跡の中で今なお細々と稼働している箇所がビールだったり牛肉だったりを生産するプラントであるためだった。
そこに現代の人間が住み着き、街を形成しているわけだ。
「しっかし、古代人って何を考えていたのかしらね」
地下に開けた広い空間を見上げ、ターニャがつぶやく。
地下都市というと東京や大阪、名古屋などの地下街をイメージするだろうが、実際にはドーム球場何個分? としか思えないだだっ広い地下空間に普通に建物が建っているのだ。
天井には欠けながらも今なお機能し続ける照明パネルがきらめく。
「来た」
狼の耳をそばだて、鋭い感覚を発揮したカヤが、モンスターの接近を告げる。
そうして現れたのは、
「ファイヤー・ドレイクか」
その名の通り、火炎を吐く大トカゲだった。
竜族の血を引いてるとも、炎の精霊力を取り込んだただのトカゲだとも言われる。
「よし、しんがりはターニャに任せた」
「ええっ、何でアタシが!」
「貴様ーっ、何のために貴様に新しい防具を用意したと思っているんだーっ!」
「それじゃあ、アタシはモンスターの攻撃から耐えるためにこのマントを渡されたって言うの?」
ザッツ・ライト。その通りだ。
ターニャはたまらず逃げ出そうとするが、そうはさせん。
俺は脚を引っ掛けてターニャを転ばす。
「へぶしっ!」
「悪いな。足が長すぎて持て余し気味なんだ」
そう言い捨てて、倒れたターニャを囮に逃走する。
「ひぁっ、あ、熱いっ! 熱いのらめぇっ!」
奇声を上げながら炎から逃げ回るターニャ。
せいぜい頑張ることだ。
バーベキューになりたくなかったらな。
何度かターニャが死にそうになって、彼女が持つ緩く波打つ金の髪も不自然に巻きが入りすすけているが、何とか俺たちはステーキ・ハウスの街へとたどり着いた。
「へぇ、これが赤珊瑚って言われる牛の肉?」
ひいひい言いながらたどり着いたターニャだったが、痛い目に遭ったこともケロリと忘れ、きらきらと輝く牛肉を前に目の色を変えていた。
さっきまでは死んだ魚のような目をしていたくせにな。
「この世界じゃあサシ、脂の入った霜降り肉は人気がなくて、肉というと赤身なんだよな」
俺がそう言うと、ターニャはバカにしたような目を向ける。
「当たり前じゃない。脂身なんかがあったらすぐにお腹が一杯になって食べられなくなっちゃうじゃない」
ターニャはまるで焼き肉屋で白米を頼むのを否定するかのようにドヤ顔で主張する。
いつもながら最高にむかつく表情だったが、言っていることは珍しいことにあながち間違いでは無かった。
地球でも西洋人が赤身の肉を好むのは、日本人の想像を超えた量の肉をもりもりと食うからだ。
その場合は確かに脂の乗った日本人好みの肉は向かないだろう。
しかしターニャは調子に乗った様子でこう言い放った。
「そんなのも知らないなんて、料理人としてまだまだね」
イラッ!
貴様に料理の何が分かるって言うんだ。
相変わらず人をいらつかせるのが上手いやつだぜ。
しかしターニャは俺の怒りに気付くこともなく先に宿へと行ってしまう。
まったく、食うだけのやつは気楽でいいよな。
さて、ステーキだが、肉の臭みを消し食欲を増進するコショウはあらかじめ肉に馴染ませ、塩は焼く直前にというのは基本だな。
味を染み込ませるためには塩を先に振って置いた方が良さそうに思えるかも知れないが、実際にはそれをすると塩で肉が締まってパサパサになってしまう。
また客の前で焼きながら塩コショウを振って調理するコックも居るが、実はパフォーマンス以上の意味は無い。
こうすると表面に塩を付けたポテトチップスのように塩コショウが直接舌に当たるために肉の旨味を感じるより先に塩からく感じてしまうのだ。
その辺のお約束を踏まえつつ、鉄板の前でフォークとナイフを握るターニャたちに聞く。
「さて、焼き加減はどうする、お嬢様方」
「牛肉だったら、血も滴るようなレアに決まってるでしょ!」
即答だった。
そんなターニャは置いておいて、
「カヤは?」
「一番美味しいの!」
カヤの主張はストレートだ。
「それじゃあ、カヤもレアを試してみるといい。ユスティーナは?」
「それでは、ミディアムで」
ユスティーナは無難に普通の焼き加減を選ぶのだった。
そして彼女たちの前で、靴底のようにぶ厚いステーキを焼く。
脂が乗っているので一際激しく音を立て、辺りには旨みを含んだ香りが漂う。
目と耳と鼻から食欲に直撃する刺激を受け、ターニャとカヤは心なしか身を乗り出して焼ける肉を見つめている。
いつも通り泰然とした風情のユスティーナの眼鏡の奥の瞳も、何だか怪しいきらめきを宿しているかのようだった。
沖縄に行った時に、こんな風にコックが目の前で焼いてくれたっけと思いつつ、さっと火を通しただけのレアステーキをターニャに渡してやる。
できたての肉に、さっそくフォークを突き立てナイフを走らせるターニャ。
口にして驚いたように固まり、そうしてそれを取り戻すかのように咀嚼して、叫ぶ。
「おいしーっ! 何この柔らかさ。レアだとはいえ、こんなの初めてだわ。それに口の中に広がるこの旨味! これに比べたら、今まで食べたステーキなんてサンダルの底よ!」
お褒め頂き幸いだ。
歓声を上げるターニャ横目で見つつ、カヤがじれたように言う。
「コジロー、カヤにも」
「分かってるって」
俺は、ナイフとフォークを併用した食事に慣れていないカヤのことを考え、賽の目状に切ったサイコロステーキにして彼女に渡す。
カヤは上機嫌で食べやすい一口大に切られたステーキを口にする。
「はふっ、はふっ、おいひい!」
火傷しそうなくらい熱い焼き立てのステーキに、喜びの声を上げるカヤ。
「最初からカットされた肉を出すなんて分かってないわね。そんなことをしたら肉汁が逃げるでしょうが。肉は食べる時に自分で一切れごと切って食べなきゃ」
通ぶったターニャがしたり顔で主張するが、
「その辺のテーブルナイフで切るのと、鋭い包丁で切り分けるサイコロステーキ。実際には大して差はねーよ」
料理人を極めた俺に意見するとは十年早い。
肉汁を逃さないという意味でなら、逆に一口大のサイコロステーキの方がいいくらいだ。
カヤもあふれる肉汁で口の中を火傷しそうになってるだろ。
コツは、肉切り用にカーブの効いた刃を持つ包丁で一息に切ること。
慣れない人間だと刃の真っ直ぐな部分で切ろうとして切れず、ノコギリのように前後にギコギコやってしまうが、そうすると肉の細胞が崩れ美味い肉汁が外へ逃げてしまうのだ。
最後に、ミディアムに焼いた肉をユスティーナに取り分ける。
「さすが赤珊瑚の名を冠したお肉ですね。こんなに厚いにも関わらず、まるで溶けて行くような柔らかさ。赤身肉の深い味わいに芳醇な香り。旨味も申し分ありません」
相変わらず、グルメマンガの登場人物のようなセリフだな。
「そうよ、これでコジローも赤身肉の素晴らしさを知ったでしょう? 脂の旨味なんて邪道よ、邪道」
ターニャの発言に俺たちは顔を見合わせ、そして爆笑した。
「な、何がおかしいのよっ!」
食ってかかるターニャ。
いやはや、本当、お約束を外さないやつだよ、お前は。
どうしてこの肉が赤珊瑚と呼ばれるのか。
この肉の見事な赤さ、表面のきらめきは、実は融点のごくごく低い脂がきめ細かく乗っていることによるものなのだ。
ターニャが立ち去った後で、俺の『あいす・ねこぱんち』の魔術を応用して出したねこぱんちの形をした氷塊で肉を冷やしてやると、赤身だと思っていた肉全体に白いサシ、雪を散らしたかのような脂の白さが現れた。
俗に言う霜降り肉であることが分かったのだった。
だから、ターニャが絶賛する旨味も肉の柔らかさも全部、脂によるものなのだ。
「ふっ、口ではどうでも言えるが身体は正直ってやつだな」
まぁ、彼女には本当のことを言わない方が幸せだろうから、俺たちだけの秘密だがな。
「さて、お前ら肉ばっかり食べてないで野菜も食え、野菜も。焼きトウモロコシもできあがったぞ」
醤油の香ばしい匂いが辺りに漂う。
焼きとうきびと言うと北海道、札幌のが美味かったな。
あの味を再現できていればいいが。
「食べる!」
まるでリスのようにトウモロコシに噛り付き、回転させながらあっという間に丸裸にしていくカヤ。
「人狼族っていうと肉食のイメージがあるけど野菜もいけるんだな。故郷の森じゃあどうだったんだ?」
彼女が求めるままに食い物を与えていたが、今更ながら良かったのかと思い聞いてみる。
「森では穀物と野菜と果物を食べてた。でも肉も食べない訳じゃない。時々いっぱい食べる。獲れた時に、獲れただけ」
狩猟民族の生活というやつみたいだった。
「コジローとの生活は楽しい。毎日がお祭りみたいだから」
カヤは瞳を細め、にぱっと笑った。




