だから君には一輪の花を
ガーベラの花言葉は色によって違うそうです。
ピンクは熱愛 、童心に帰る
白は希望です。
享年86歳。
私は安らかに旅立った。何をするにも一番最後。みんながゴールで休憩を取り、さぁ、再スタートという時にゴールする。思えばそんな人生だった。
友人の結婚のご祝儀を、出産のお祝いを儀礼的に通過させ、みんなが子育てに慌ただしくなった頃に結婚が決まり、みんなが資金繰りに勤しみ始めた頃、第一子が生まれた。
結婚の時は子どもが小さ過ぎて欠席の通知が多く、子どもが生まれた時は、みんな学校行事、パート、家事などに忙しく、私と子供の顔を見に来る機会もなかった。だから、私はみんなの夫の顔、子どもの顔は知っているが、みんなは私の夫、子供の顔は知らない。それを言うと、夫はよく年賀状にでも写真を載せればいい、と言っていたのだが、私はどうしてかそれが嫌で出来なかった。
なんか、自慢しているみたいで…。
夫はそれを「君らしい」と言って、12月初旬になると私のために年賀状の宛て名を刷ってくれていた。私はそれを期限ぎりぎりまでかかりメッセージを書き込んでいく。
そういえば、中学の時母が何をするにも遅い私を心配し、担任の先生に相談したことがあった。
「この子大丈夫でしょうか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。学期末にはちゃんと追い着いてきています。こつこつマイペースな子なんでしょう」
こつこつマイペース。そう言えば、学期始めは赤点でも、学期終わりには平均から満点の間の点数になっていた。だから、高校もそこそこ、大学もそこそこ名の知れた所へと進学したのだ。ただ、高校で進路を考えなければならなかった。将来の夢。
ゆめ、ゆめ、夢…。
私は小さい頃漠然と生きていけば「お母さん」になるものだと思っていた。だから、夢なんてもっていなかったのだ。今時幼稚園児でも夢の一つや二つ答えられそうなものなのに、私は全く職に興味がなかった。それに、お母さんになるためには、その前段階で「恋愛」という物を経験しなければならないのだが、私はそれが非常に苦手だった。こつこつマイペースでは成果が出ない。
これが、基本ぼんやりしている私が感じた初の躓きである。
結局私は「保育士」をすることに決めた。みんなのお母さんだ。
ここでも、特に優秀ではなく、特に不真面目でもなく過ごしていた。学期始めと学期終わりのテストはないが、一年最初の試練「運動会」と、最後の試練「発表会」があった。とにかく、「前に出て」「率先して」が苦手で、常に赤点だった気がする。そして、22歳から35歳までの間そこで働いた。
夫に出会ったのは33歳の時だった。
あの時は確か運動会時期だった。運動会のアイデアがなかなか浮かばずに躓いていたのだ。躓いている時には、夜の散歩に出たくなる。そして、公園のブランコをこぎながら、恐ろしいことを想像するのだ。
何を出しても駄目だしの主任。やることなすことおかしいという先輩方。どうしようもなく動かない自分。煮詰まってしまった頭の中は、もうグニャグニャの状態だった。そして、ブランコに揺られながら、私につらく当たった人の首を頭の中で並べていく。一つ目、二つ目、と棚に並べて……、というような。そして、並べ終わると何故かすっとする。みんな首だけで、何も出来ない。私も出来ないことはしない。明日は出来ることをしなければ、とブランコを下りる。
そこで、夫に出会った。
出会いは最悪だった。夜中に私の落とした財布を拾ってくれたのだが、つけられていると思った私が交番へ駆け込んだのだ。二人ともおまわりさんに注意されることになったが、あんな時間に声も掛けず追いかけた夫の方が悪いと私は今でも思っている。
二度目は偶然、駅のホームで出会った。それから、夫は奇遇にも私の落ち込んだ時に現れ、愚痴を聞いたり励ましたりしてくれるようになった。不思議なことに、夫と話をした後は心が軽くなり、うまくはまらないパズルのピースのようだった歪な私が、みんなと同じパズルのピースになったようにぴったりはまるようになった。
そして、二年経った頃、夫は一輪の花を持って私にプロポーズしてくれた。
ピンク色のガーベラだ。
「プロポーズと言えば、薔薇じゃないの?」
「いや、君は薔薇って感じじゃないし」
そう言われて、納得してしまった。どちらかと言えば、夫の方が薔薇の似合う雰囲気を醸し出しているのだ。
「で、返事は?」
もちろん、という勢いはなかったが私の中で承諾の選択しかなかった。
夫はIT関係の仕事をしているらしいが、内容はあまりよく分からなかった。ある日、珍しく夫の様子が深刻そうで、どうしたものかと思ったことがあった。しかし、考えてもいい考えは全く浮かばない。だから、温かいコーヒーとチョコレートをお皿に載せて持って行ったのだ。
「どうしたの? 仕事うまくいかない?」
夫は疲れたように微笑んだ。
「何してるの? ……ウイルスをやっつけるソフト作りとか、ゲーム作りとか?」
「いいや」
肩を落とした私に気付いたのか、夫は「当たらずも遠からずだよ」と苦い顔をしながら教えてくれた。
それ以来、夫が深刻そうな顔を見せることはなかった。
三年後には娘が生まれた。そして、子ども好きだと思っていたのだが、実はそうではなかったことに、気付いてしまった。いや、嫌いではなく、ただ、生まれてきた私によく似た小さきものに苦手意識があったに過ぎないのかもしれない。
私が私自身に手を持て余しているのに加え、同じ気持ちで苛立っている娘の気持ちが分かり過ぎて、二重に苦しくなるのだ。こんな時どう扱えばいいのだろう。私だって自分が分からないのに……。それで頭がいっぱいになる。
それに違い、私の扱いに慣れている夫は娘の取り扱いにもよく慣れていた。自然に、娘が拗ねた時、わがままを言った時の担当は夫、ということになった。娘も夫によく懐いていた。
全く夫には感謝しても足りないくらいに『私』が迷惑を掛け続けた。
そんな娘も大きくなり、大人になり結婚することになった。私の結婚が遅かったのに対し、娘は22歳という若さで、突然結婚相手を連れて来て、すぐに孫が生まれた。娘によく似た女の子で、娘のかわいさに気付くきっかけの子だった。その後、彼女の結婚式にも出席することができ、曾孫まで抱くことになった。
人生は本当に不思議の塊だった。
お葬式に友人は誰も来なかった。家族葬という手前以前に、訃報を知らせるべき友人が残っていなかったのだ。私は友人全てのお葬式に出向いた後、彼らが待つ「あの世」という場所へと向かったのだ。
そして、今はこの世に意識がある最期の時。
棺に眠りながら、夫の声を遠くで聞いていた。それは、プロポーズの時の言葉だった。
「君は僕にとって特別な花だ。だから君には一輪の花を贈ろう。その一輪があれば、安らげる。君は取り換えの利かないこの花だ」
全く、どうして彼はこんなうすら寒いような言葉を平気で言えるのだろう。私は、あの時思った正直な感想をもう一度蘇らせていた。この言葉に続き、「だから、結婚しよう」と彼が言った。
棺の中の私は骨に皮がへばり付いたような細い指で、白いガーベラを握り、ピンク色のガーベラに包まれてうっすらと微笑んでいる。夫の顔はとても優しく、平和に満ち溢れている。心安らいだ私はそれを見て満足した。
取り換えの利かない、あなた。あなたは、私にとって、唯一の宝物。
ありがとう。