八月十五日午後四時四十分
夏祭りの日。夕方に鶴見と待ち合わせをしていたが、昼前に高校が同じだった隣の市の友人から連絡が来た。時間もあることだしと、軽い気持ちで電車を乗り継ぎ隣の市まで行く。ただ、うっかり時間を忘れてしまって気が付くと、待ち合わせにギリギリの時間だった。
「あ、やべ。電車間に合うかな。」
駅まで急げば何とか間に合うだろうと高を括っていたのだが、そう言う時に限って駅までの道のりの全ての信号に引っかかってしまった。電車が来るのが見えて改札へと駆け込むが、ICカードの残高不足で足止めを食らった。慌てて入金するが、乗るはずだった電車を見送った瞬間、たらり、とこめかみを流れる汗に無駄足だったと思い知らされる。
「ああ、くそっ。」
苛立たずに先に連絡を入れればよかったのに、次の電車の到着時間を調べ始め…スマホの電池が切れた。
「なんなんだよ。」
拭わずにいた汗が何も映さない画面に落ちる。息が上がり、口を半開きにする情けない顔が黒い画面映り、無性に腹が立った。
結局次の電車に乗り、乗換駅で待っていると、遠くで雷が鳴る音が聞こえた。
―降られるかな、傘ないんだよな―
乗り換えた電車に乗っている間、電車の中にいても聞こえるほどの雷が鳴り始めやがてガラスに雨粒が当たり、徐々にバチバチという音がするようになった。段々雷の光と音の間隔も短くなってきた。一際大きな雷鳴が轟く。
途端、電車の電気が一瞬消えてまた点く。ただ、空調が止まったのが分かった。
―もしかして…―
窓の外を見ればこの辺りだけ停電していた。焦って時計を見ると、約束の5分前。
―あと三駅なのに―
大きな溜息が洩れた。
急いで買ったビニール傘も無駄になるほど走って、待ち合わせの場所に駆けつけた時、すでに約束の時間から40分近くが経っていた。もちろん、鶴見の姿はない。辺りは夕暮れ時であることを差し引いても薄暗くなっていて、車のスモールライトが雨の中を漂っていく。
―帰ったのか?近くの店にでも入ってるとか―
そう思って、近くのカフェや本屋など、暇つぶしが出来そうな所を見て回るが、どこにも鶴見はいなかった。
―帰ったのならいいんだけど―
ふと、電気屋が目に入り、「充電サービス」の文字が見えた。ちょっとでいい。メッセージを確認できて、電話がかけられるだけ充電されればいい。充電中のランプをもどかしい思いで、見つめる。
『1時間に50mmの激しい雨が降っています。また、突風や落雷にも注意が必要です。』
電気屋のテレビから淡々と天気のニュースが流れる。誰かが店に入って来たのと同時に風が吹き込んできた。
冷たい何かが足元から這い上がり濡れた背中を撫で、言い知れぬ不安が襲ってくる。
待ち合わせ。
雨。
そして、タカハシヒロキ。
慌ててまだ少ししか充電されていないスマホからコードを引きちぎるように抜いた。鶴見に電話をかけるが一向に出ない。何度かけても結果は同じだった。
―おかしい―
外へと飛び出す。
灰色の街は、雨で煙って白く見えた。車のライトや信号の光が、彷徨う人魂のようにぼやけて漂う。
自分でもどうかしていると思う。待ち合わせの場所に遅れて行ったら、相手が帰っていた。ただそれだけの筈だった。何も、こんなに慌てて川へ向かわなくても良いのにと頭では思っていたのだ。
それでも、同じ頭の中、どこか冷静になって数年前の悲劇が起きた場所を必死に思い出してもいた。一番近場の橋にはそれらしい影は見えず、ほんの少し胸を撫で下ろしつつも、川沿いの道を上流に向かって走る。川の流れがいつもより早く、いつかに見た色とりどりの花も流れてないかと急に心配になった。
ふと気が付く。
―あの川辺の花ってもしかして、タカハシヒロキの献花か…―
毎年花を手向けている内にいくつか根付いた花があったのだろう。そうでなければいくらなんでも不自然な光景だった。
―確か、もう二本上の橋―
雷光が灰色の空を駆け抜け、間髪いれずに轟音が響く。これだけ大雨なのに、山の向こうには雲の晴れ間すら見えた。
「鶴見!!」
ようやく見つけた人影に向かって思わず叫んだ声も、雨のカーテンに阻まれ、雷と風とアスファルトを叩く水の音にかき消される。
「待てよ!!鶴見!!!」
もう一度叫んだ途端、横を通ったトラックから盛大な水しぶきを浴びせられ、思わず怯んで脚を止めてしまった。顔にかかった水を払って、橋を見れば魂が抜けたように橋の真ん中に佇む鶴見が川を覗き込んだ。
―間に合わない―
何かに呼ばれるように鶴見の体が傾いた。
「何やってんだ!!」
茫然として橋の下を覗いていたら、誰かにいきなり腕を掴まれた。物凄い勢いで後ろに引っ張られて橋の上に転がされる。地面についた左足に水がまとわりついて、冷たさで段々感覚がはっきりとしてきた。
「鶴見!!」
道の向こうから、この前会った方のタカハシヒロキがびしょ濡れで走ってきた。
「あれ?」
なんだか急に頭が冷静になる。
「良かった...。」
隣を見れば、関って人が真っ青な顔で立っていた。駆けつけたタカハシヒロキが頭を抱えてしゃがみこんで、骨が一本曲がったビニール傘がその肩からずり落ちた。二人の姿が雷に照らされ、轟音が響き、びくっとなる。二人があんまり深刻な様子でこちらを睨んでいるもので、口を開けずにいた。
重苦しい空気を割ったのは、きっとその空気を察していない訳ではないタカハシヒロキの場違いに明るい声。
「ごめんな、遅くなって。」
タカハシヒロキが傘を拾い、差してくれて、立ったら?と手を差しだす。冷え切った自分の手に他人の温もりがしみ込んできた。
ー来て、くれたー
「うん。」
優しくて、真面目で。
初めて手を繋いだ時は私よりも緊張していた。
それから、高校生の男子なんていくらでもこれから身長が伸びると思うのに、実はちょっと背が低いのを気にしていて。私と目線の高さがほとんど変わらなかったヒロキ。
目の前にいるタカハシヒロキは、柔らかそうなアッシュが入った茶髪で、人懐っこそうな感じで。
誰にでも気軽に声をかけられるようなタイプの男性で。
私の目線は肩の高さで。
全然、似てなかった。
全然、似てなかった、けど。
もしかしたら、初めてこの人の顔をきちんと見たかもしれない、と立ち上がった時に目が合って気が付いた。彫りが深くて、でも丸い目が幼い印象を与えるタカハシヒロキ。どちらかと言えば、切れ長な目で彫りが浅いヒロキとは全然似てなかった。
でも、ほっとしたように私を見てくる目はどっちのヒロキも同じだった。




