八月十五日午後五時十分
夏祭りの日。もうすぐで九月とは思えないほどの太陽が空でギラつき、絵に描いたような入道雲がまだまだ夏の空だと陣を張っている。せっかちなトンボが数匹飛んでいるが、蝉はより一層賑やかさを増していて、どこもかしこも夏の気配しか感じられなかった。
ちりん、とどこかで風鈴に似た音がした。
「あっつ。」
下ろしていた髪が鬱陶しくて、手首につけていたヘアゴムで後ろに結ぶ。
「何にする?」
「宇治金時。ヒロキは?」
向かいでは、ヒロキが制服のズボンからシャツを出して中を煽ぎながら、段ボールに筆で書かれただけの品書を眺めていた。
「俺、練乳味が好きなんだよね。メロンとかイチゴ味ってなんか嘘臭いじゃん?」
「たしかに、あたしも、そういう味は選ばないなあ。」
塊になってスプーンに乗って来た氷を口に入れれば、頭がキンとした。思わず顔をしかめて眉間を揉んだ。
「ゆっくり食べないからだよ。」
ヒロキがちょっと馬鹿にするようににやけながら、スプーンの先にだけ氷を乗せて口に運ぶ。そんな食べ方をするから、半分も食べる頃には、器の中の氷は溶けかけていた。それじゃあせっかくのかき氷が溶けちゃうじゃないと、指摘すれば、
「こんくらい溶けた方が好きなんだって!」
ちょっと拗ねたように笑う笑顔が、夏の夕日を背景にしてオレンジ色になった。
『各地で大気の状態が非常に不安定になっています。突風と雷、大雨にご注意ください。警報が出ている地域は次の通りです。』
夕日の中の想い出は、無機質な堅い声と冷たい風にかき消され、突然曇りだした空と灰色の風景が目の前に現れる。灰色の中で、近くのローカルラジオスタジオのガラスだけが切り取られた世界みたいに明るく浮かんでいた。
―夕立が来るかな―
溜息を吐いて、すごい速さで動く厚い雲を眺めた。その隙間から見える青い空の遥か上空では、白い綿みたいな雲が我関せずとのんびり止まっている。
ぼうっと、待っている人が来ないかと目の前を通り過ぎる人達を眺めた。
知らない人が皆、空を見上げては厚い雲に眉をひそめて、足早に通り過ぎる。横断歩道の前で信号を待つ人々が青になった途端、掃いたようにいなくなり、また徐々にたまる。その光景を何度も何度も見ていた。
時間を見れば約束の時間を既に20分近く過ぎていた。
スマホを見ても、それらしい連絡は来ていない。メッセージにも既読がつかないままだ。一体どうしたのだろうと、眉をひそめる。風が強まって雨の気配がして、遠くで雷が光った。とりあえずかけてみようか、と思い発信ボタンを押す。電話はかからず、電源が入っていないと言われてしまった。予想外の反応に、眉をひそめた。
―待ち合わせしてるんだから、連絡取れるようにしておいてよね―
ぽつぽつとアスファルトが黒く濡れ始め、サンダルから出ていたつま先に雨が当たり指先が冷える。段々と苛立ちが心配と不安に変わった。それを煽るかのように、冷気が足元から這い上がってきた。
待ち合わせをするのは嫌いだ。
待ち続けて、相手が来なかったらと思うと、恐ろしい気分になる。
雨の日が嫌いだ。
雨の日には何か大事なモノが失われそうで。
海も嫌いだ。
時には容赦なく何かを奪って行くくせに、何かを飲み込んでしまうくせに。
なのに。
静かに満ち引きする波が揺れる青い海原は、涙が溢れるほどに美しいのだ。そして、その美しさと雄大さは、時に慰めにすらなる。
―きっとまたスマホの電池が切れただけだ...すぐに慌てて来てくれる―
繋がらないスマホを強く握りしめて、いつの間にか人気が少なくなった交差点を睨んだ。
灰色だった景色は強い雨のせいで白く霞んでいた。
―すぐに来てくれる?―
―本当に?
『ところによって非常に激しい雨が降っています。増水した川や用水路などには近づかないようにしてください。』
―違う、川に、行くのを止めないと―
薄暗い街を時折轟音と共に雷が照らし、さらに雨が強まる中、走り出した。川の中を走っているかと思うほど水が流れて行く道路。川を挟んだ向かい側の景色はグレイスケールに変えられたのかと見紛う程に色を失っていた。サンダルが役に立たず、いっそ脱いでしまおうかと思う。ようやく、橋が見えてきた。
強い雨で霞んで見える川向うの古い商店の前に学生服姿のヒロキが見えた。
―待って!橋に近づかないで!―
その瞬間、目の前の道路をトラックが一台盛大に水しぶきを上げて通って行った。思わず背を向けて、顔を伏せる。頭から泥水を被って、情けないやら悔しいやら涙が浮かぶ。はっとして橋を見れば、そこにヒロキの姿はなかった。
―ああ、まただ―
ふらふらと橋に近づくと、誰かが橋に置いた花束がこの雨でみすぼらしく崩れている。
―また、間に合わなかった―
茫然としながら橋の下を覗けば、いつもよりもずっと近い位置を流れて行く水面に、大粒の雨が穴を穿っては消えて行った。




