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旧友

 駅前で友人と待ち合わせをしているという鶴見に、暇を持て余していた俺は付き合って歩いていた。公園に向かった時とは川を挟んで反対側の道を歩く。今歩いている側は繁華街になっていて居酒屋やバーが軒を連ねていた。

 夏の夜はまだ日が暮れるには早く、はっきりと顔が見えない人影が数人立っていて、まさに誰彼刻であった。顔は見えないまでも、数人のうちの一人のシルエットに見覚えがあるような気がして、その人影をじっと見つめた

「お前も忙しいだろうけど、来いよ。せっかく皆集まるしさ。ちょっと経を上げる間だけでもいいから…」


 漏れ聞こえて来た会話の声にも聞き覚えがあった。俺の視線に気が付いたのか、相手もじっとこちらを見返して、やはり知り合いだと確信するが名前が浮かばない。

 誰だったか、と考えながら近づいて行くと、同じ年くらいの男が三人立っていた。一人は、よく日に焼けたやつで、肩や腕ががっしりしていて海の男って感じがしたが、僅かに首を傾げて気だるげに立つ姿に何となく見覚えがあった。もう二人は知らない顔で、一人は出勤前のホストっぽい感じ。もう一人はすこし体に合ってないTシャツにGパンで、他の二人に比べるとなんだか野暮ったく見えた。顔色が青白い奴で、他人ながら体調を心配してしまう雰囲気の奴だった。

 見覚えがあるのは一番日に焼けてる奴だけだったが、自分の友人にこんな海の男って雰囲気のやつなんかいただろうか、と思案する。

―あ、そう言えば…―


「タカヒロ!!久しぶりだな!!」

「船木だよな?」

 話しかけてきた笑顔は中学時代の顔と全く同じだった。友人か、と思って他の二人に視線を移せば、それに気が付いたのか船木はホストっぽい一人を示した。

「あ、こいつね、名取っていうの。で…」

「関です。」

 もう一人が、軽く会釈をして名乗る。

「俺、高校入りなおしただろ?そっちの高校での同級生。」


 船木は、一度は俺と同じ高校に入ったのだが、一年の夏休み明けに突然漁師をやっている爺さんの跡を継ぐと言い出して退学し、次の年に同じ市内の水産高校をわざわざ受け直して入学したのだった。

 どうやら本当に漁師になったらしく、船を操っているとか、魚の卸がどうとか聞くと、遊び回って講義をロクに聞いていない怠惰な自分が申し訳なくなった。


「こいつ、みんなタカヒロって呼んでんだけど、高橋大輝っての。中学一緒だったんだよ。」

 途端、名取と関がぎょっとしたように俺を見た。それだけで、この二人がタカハシヒロキの知り合いだったのだろうと想像できた。しばらく当時の想い出について話をしていたが、

「なんか、前にさ、一回タカヒロが死んだみたいなデマ流れたよな?あの時、マジでびびったわ。」

 思わず船木の手を引き、気まずい空間から一歩とはいえ遠ざかる。

「同じ名前のやつが亡くなったんだよ。今一緒にいる子、そいつの知り合いだからその話パス。」

 声をひそめていたとは言え、二人には聞こえてしまっていたようで、二人は随分驚いたように鶴見を見た。名取は鶴見を値踏みするように上から下、下から上にと何度も見る。ただ、手に持った煙草が震えていて見た目ほど落ち着いていないのが分かる。関と呼ばれた方は元々血色の悪かった顔をさらに青白くさせていた。

 あまりに気まずくどうしようかと思っていると、

「あの、ごめん。私、待ち合わせもあるし、行くね。」

「あ、俺も駅前に用事思い出したから行くよ。船木、悪いけどまたな。近々ゆっくり飲もうぜ。」

 鶴見の手を取ると逃げるように駅へ向かった。

「ねえ。」

 角を曲がり三人の姿が見えなくなると、ふと足を止めた鶴見に声をかけられた。

「13日、空いてる?家でお墓参りとか行くの?」

「昼は分からないけど、夕方とかなら空いてるけど。」

「じゃあ、明けといて?一緒に、途中まででいいから一緒にお墓参り行ってほしいんだけど。」

 意外な事に、一度もタカハシヒロキの墓参りに行っていないのだと言う。確かにクラスも部活も違うと、皆で墓参りに行く機会はないし、言い方は悪いが、そんな中にたった三ヶ月付き合っただけの鶴見が一人混ざって行くのも少々都合が悪い。そして一度タイミングを逃すと、どんどん足が遠のく一方になってしまう。

 もしかしたら、もう一人のタカハシヒロキが一緒に行くことで、タカハシヒロキが死んだと言う現実を飲み込めると思ったのかもしれない。

 俺も何でここまで鶴見に執着するのかと自分でも不思議だったが、誘われるがままに頷いていた。



 盆の夕方。

 日が暮れかけて、迎え火が街のあちらこちらで焚かれる中、海から山へ緩やかにうねりながらも続く登り坂を二人で歩く。日が暮れ始めると真夏に比べ幾分過ごしやすく、蝉の鳴く声に交じって時々秋の虫の声も聞こえる。


 気持ちのいい夏の夜だが、鶴見は緊張からか微かに息が荒く、足取りも重い。線路よりも山側、真ん中あたりの橋まで来た時、

「やっぱり無理。行けないや。」

 重々しかった鶴見の足がついに地面から離れなくなった。

 同時に太陽が水平線に隠れたのだろう。急に薄暗さが増した。過ごしやすくなったとはいえ、涼しくはない夏の夜の空気がまとわりついてくる。


「なあ、ここから見ると、迎え火が帰ってくる霊を導いてるって本当なんだなって思うよな。」

 道沿いの家々の前で迎え火が焚かれ、海から山まで灯りが揺れる。飛行場の滑走路のライトのように、蛇行する通りに沿って山へと続く。海から生ぬるい潮風が吹けば、本当に何かが海からやって来ていると思えるような光景だった。

「帰って来てるなら、会いに来てくれれば良いのに。」

 慕情と懺悔とある種の苛立ちが混じった呟きが聞こえた。オカルトとかスピリチュアルとかなんてものを信じていないからか、中途半端な慰めをする気になれなかったからか、嘘でも「きっと近くに来てるよ」とは言えなかった。


 その時、迎え火に飾られた道の暗がりが蠢いた。

 怪訝に思い暗闇に目を凝らせば、段々と人の輪郭が滲んだように現れる。人影はどこか覚束無い足取りで、夢を見ながら歩いているのか、それとも夢の住人なのか。唐突に暗闇から人が湧いたようだった。

 思わず注視していると人影は俺達の姿を認めて、一瞬足が止めるが、今度は迷いなく向かってくる。

 暗闇の中、極端に青白くなって見える顔が浮かび上がって思わず息を飲んだ。

「関だったっけ?」

 意外な人物に会ったなと思っていると、鶴見へ視線を向けた関はさらに顔色を悪くする。

「タカハシヒロキの彼女だったのってあんただよな?」

 俺のことかと一瞬勘違いをしたが、どうやら亡くなったタカハシヒロキのことらしい。鶴見は関の異様な空気にしばらく無言でいたが、やがてゆっくりと頷いた。関もまた何度か口を開きかけては、そこから空気が通るだけの音が聞こえる。

 それを繰り返して秒針が何周もしたかと思える時間が経った時。


「俺達があいつを、...タカハシヒロキを…殺したんだ。」


 空気がじわりと重くなった。


 鶴見は突然の罪の告白にも眉一つ動かすことなく続く言葉を待つ。もしこの時、俺が彼女の手を握っていたのなら、泰然とした表情とは裏腹に、爪が皮膚を突き破るくらい強く握りしめられた手と、強張りすぎて震える肩に気がついただろう。

「聞いてたかもしれないけど、中学の時、あいつのことムカついてて、しょっちゅう嫌がらせみたいなことしてた。あいつは気にもしてなかったけど、そのカンジがまたムカついて。」

 一旦、口をつぐむと、告解すると決めた意志が消えぬようにごくりと唾を飲み込んだ。つま先を睨んで、口を開く。

「あの日も、たまたま、橋の近くで会って。名取と中学ん時みたいに絡んで軽くケンカになったんだけど、鞄に彼女と交換したってすぐ分かるようなキーホルダーが付いてたから。それを取った。そしたら、今までシカトしてたあいつが急にキレて、取り返そうとしてきて、面白がった名取が川岸に投げて...。」

 これからが罪を詫びる方も、裁きを与える方も辛い真実なのだろう。鶴見は瞬きもせずに目を見開いて、関の唇から言葉が発せられる瞬間までをも見逃すまいとしていた。

「川までにはまだ距離があって、危なっかしかったけど、落ちるような所じゃなかった。降りてまで必死に探し回るあいつを橋から見てた。最初はその姿がおかしくて、名取と笑ってたんだけど、でもそのうち段々側の方に入って行って、流石にヤバいんじゃないかって思ってた時に。」


 一度言葉を切ると、二度、喉仏が上下する。


「急に足をとられて。」

 関は顔をすっと上げて、真っ直ぐに鶴見の視線に対峙した。

「あいつはすぐに起き上がろうとしていたけど、滑って転んでるうちにまた水が勢い増して...すぐに流されて。」

 どちらも必死になって何かを堪えていた。互いに堪える物があるのなら、もう形振り構わずに晒け出してしまえば良いのだ。泣いて許しを乞い、泣いて罵れば良かったのだ。


 二人にとっては永遠の様な時間が、眺めている俺にとっては映画の1シーンを見るようだった。どんなに心を揺さぶられていたとしても、例えそれが自分に起こり得た事象だったとしても、決してスクリーンから飛び出して自分に入り込むことのない出来事だと分かっている感覚。


「警察とか救急車とか呼んだのは俺達なんだ。もう、怖くて。あいつが流されたきっかけを作ったなんて言えなくて。名取が『何かを川岸に落としてそれを取りに降りて水に流された』って言った時、嘘じゃないけど本当じゃないなんて言い出せなかった。」


 湿った重苦しい空気が満ちて、心なしか空も一際厚い雲に覆われたような気がする。

―雨が降るかもしれないな―

 星も月も見えない沈んだ闇色の空を見てそう思った。


「そっか。そう、だったんだ。」

 震える声で応えた鶴見の声は、飽和状態の空気に響くこともなく溶けた。

「ありがとう。聞けてよかった。」

 関にしてみれば、罵倒された方が良かったに違いない。だが、関を糾弾する資格があるとは鶴見は思わなかったのだろう。赦されることのない罪を背負った二人は、その重みに堪えかねたのか肩を落として項垂れた。


 そしてまた重苦しい沈黙が夜を満たした。

 ふわりと湿った匂いが、少しだけ温度の低い風に運ばれてきた。

「雨、降りそうだ。早めに帰った方が良い。」

 傍観者という暢気だが場違いな立場に相応しく、二人の間の沈黙を崩す。

「な?」

 返って潔いほどの明るい調子でそう言えば、関は無言のままと来た道の闇へと溶けていった。

「帰ろう、送ってくよ。」

 鶴見はじっと海の方を眺めていた。その哀しげな目には迎え火をたどる魂が見えたのだろうか、幾多の魂の中の一つを見つめているようでもあった。

 終始無言のまま坂を下る。その間もずっと、建物で見えない時ですら、鶴見の目は羨望の色を伴って海を見つめていた。そのせいか覚束ない足取りに、言い知れぬ不安が俺を覆う。

「...夏祭り、行かない?」

 次の約束をしなければ二度と会えないのでは、という不安は恐怖に変わり、咄嗟にそんな言葉が口をついた。彼女にとって夏祭りがどんな意味を伴うのか思い至ることもなく、それがどれだけ残酷なことなのか気がつく事もなく。

 現実へと意識を引き戻した鶴見は動揺する素振りも見せず、俺を見つめ返してきた。そして陰のない笑みを浮かべて、

「いいね、行こうよ。」

と言ったのだ。


 無言で歩く帰り道。

 重苦しい空気に耐えられなくなったのか、ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。

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