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近似と乖離と交差

 悲しげな笑顔と拒絶を見せた顔。昨夜の彼女の表情が一度に夢に出て来て目が覚めた。


「なんだってんだよ、ったく。少し前まで楽しそうにしてたくせに。」

 じんわりと顔や背中に滲んだ鬱陶しい寝汗がさらに苛立たしさを助長した。エアコンがついてない俺の部屋は、東向きで朝はとんでもない暑さになる。一度目を覚ますとあまりの暑さに二度寝なんて絶対に出来ない。顔の汗を拭いながら起き上がって、寝癖で爆発した髪を掻きむしる。

―いや、まずいまずい、大事な一本が抜けたら困る―

 思いなおして、優しく撫でつけた。暑さと眠気でぼうっとした頭のまま昨日のことを思い出す。

―大体、名前名乗っただけじゃないか。それまで普通だったのに…―


 その時、なぜか突然思い出したのだ。

 数年前の台風のことを。

―そうだ、あの時、亡くなった高校生ってたしか…―

 少なくとも、何かしらタカハシヒロキと関係のある人間だったのだろう。もちろん、鶴見香奈子からは連絡が来なかっし、きっと、鶴見香奈子経由で他の友人にも事情が伝えられたのだろう。誰もあの四人とは連絡がとれなかったらしい。



 けれど、偶然とは恐ろしいもので。

 駅前にあるチェーンの居酒屋。帰省シーズンともなれば毎日のように、同窓会やら飲み会やらが開かれている。店の奥にあるトイレから出た時、女性用から誰が出てきてぶつかりそうになった。

「…。」

「…。」

 少し話がしたいだけなんだけど。そう言えば渋々と鶴見香奈子は頷く。場所を廊下に移して口を開いた。

「最初にちゃんと名乗ってなかったのは悪かったよ。タカヒロなんてどう考えても下の名前だもんな。」

「私が悪かったよ、急にあんな態度とって。」

 ほんの少しだけ、鶴見は心の扉を開けてくれた。

「...何でなのかまで知ってるんだね。」

「まあ、さすがに同じ名前の人だし。数人、俺のことだと思って家に電話かけてきた人もいたからね。」

 あの時のことを思い出して、肩をすくめてみせる。


 電話に出たら、親戚のおばちゃんからで大輝君が亡くなっちゃったのよね、と泣かれ、俺生きてますと言うまで十分間も喋り続けられたりとか。

 反省して次にかかってきた別の電話には大輝です、と名乗ったのにしばらく泣かれたりとか。

 挙句の果てには兄だと思われて、弟が死んだのにふざけるな、と懇々と説教をされたりとか。ま、そんな悪い冗談をいうような性格だと皆に思われている兄には全く同情しないけど。


「ね、明日、暇?悪いと思ってんならさ、一日だけ付き合ってよ。」

 自分でも最低だなとは思ったけれど、この好機を逃すまいと、鶴見が閉ざせずにいる扉の隙間に体を滑り込ませた。



 旧市街にある昔ながらの駄菓子屋は冷房なんて勿論なくて、でも開け放たれた扉と窓の簾の間からそよ風が入ってくる。ちりんと涼しげな音を立てる風鈴を聞きながら、結露で濡れたように見えるレトロなガラスにふんわりと盛られたかき氷を食べる。駄菓子が所狭しと並ぶ店の片隅に、年季が入った木のテーブルと、椅子代わりの座布団が乗せられたビールケース。時間と空間が現代とは切り離された店は、昔と何も変わらない。流行りのキャラクターがカラフルに描かれたパッケージや箱だけが妙に浮いていた。

 記憶にある姿と全く変わっていない愛想のない婆さんが、カレンダーを小さく切った裏紙を伝票代わりに注文を取りに来た。

「メロン一つ。俺ね、昔っからメロン味好きなんだよ。この嘘っぽい色と味が何か好きでさ。」

「えー。私、宇治金時で。」


 どこかで大舞台を終えたセミが、最期の力でまばらに鳴く声が聞こえた。その音を掻き消すかのように俺達は無言で氷を崩しては掬う。

「うわっ、ってー」

 キンとした頭痛に襲われて、こめかみを押さえながら悶える。吹き出す声に顔を上げれば鶴見香奈子が笑っていた。

「一気に食べ過ぎだよ、ゆっくり食べたら良いのに。」

 呆れて窘める声色も笑いを堪えた声色で、この前みたいな悲しげな色はどこにもなかった。

「早く食べないと溶けちゃうだろ。氷の食感があるうちに食べないと。」

 スプーンを突きつけるように説教じみた口調で拗ねて見せれば、僅かに呆けた表情の後、どこか安心したような笑顔で鶴見が笑う。ちりん、と入り口の風鈴が心地良い音を立てて、長い髪がふわりと揺れる。先程までのキンとした頭痛がすっと遠ざかった気がした。八月の午後の少し傾いた陽光が差し込む中、穏やかに微笑まれればこちらまで安堵を覚えた。 

 だから。

 その目尻に涙が滲んだことには気がついていたけれど、気のせいだと思ってまた無言で氷を掬った。



 駄菓子屋を出た後は川沿いにある旧市街のメインストリートをぶらつく。昭和の初期に中心地だったこの辺りは、昔ながらの商店や古いビルが残っていて、地元に帰って来たんだなあと感じる場所の一つだった。

 木の枠にくすんだ硝子窓がはめ込まれた商店は、中の灰色の床を陽光に照らされていて、夏特有の気怠い人気のなさを匂わせる。日に焼けたせいで赤が消え青色だけが浮かぶ、剥がれかけた古いポスターは学生服姿の昔の歌手が描かれていた。店の隅にまとめられたマネキンの手足で、この店が昔は洋装店だったのだと分かった。コンクリートの道路が蜃気楼に揺れ、逃げ水が浮かぶ通りを、それを追いかけるように山へ向かってゆっくりと歩く。時々、身体よりも一回り大きな自転車に乗った小学生が俺達を追い越していった。

 今日の川は本当に人を飲みこんだのかと疑うほど、穏やかに流れている。川岸の草が夏の終わりの涼しくも柔らかい風にそよぎ、真夏と違って少し傾いて当たる日差しに水面はより一層きらめく。それを眺めながら俺と鶴見香奈子はのんびりと歩いた。

 途中、川岸の草むらに一か所だけ、カラフルな絵の具を散らしたように色々な花が咲いている部分があった。花達の気まぐれを面白く思って眺めていると、対岸から呼応するような笑い声が聞こえる。声の先に視線を向ければ、夏休み中の補講帰りなのか制服姿の高校生のカップルが自転車で並走しながら笑い合っていた。

 鶴見はそれをなんとも判別のつかない表情で眺めていた。

 微笑ましく思ってもいたのかもしれないし、羨ましく思っていたのかもしれない。あるいは、過去を思い出していたのかもしれないし、起こり得た過去を想像していたのかもしれない。きっと、鶴見自身も自分がどんな感情を持っていたのかなんてわからなかっただろうし、もしかすると全ての感情が起こっていたのかもしれない。カラフルな絵具で埋め尽くされたキャンバスの、それぞれがどんな色なのかは分かっていても、全体が一体何色なのかは言い当てられないように。

 歩きながら大学生活の話とか、最近あった面白い出来事とか色々なことを話したけど、高校生活には一度も触れられずにいた。


 突然、鶴見がこの前みたいな表情をしたのは街の真ん中あたりにある公園に着いた時だった。

「何にも聞かないんだね?」

 きっと俺がもう少し出来た人間なら、言いたくないなら良いよ、とか話して楽になるなら聞くよ、とか言って過去の悲劇を話さないように仕向けただろう。だが、いくら他人とは言え、同じ名前を持つ人間に何があったのか、それに鶴見香奈子とどんな繋がりのあった人物なのか、気になってしまった。

 後から思えば、きっとこれは独り善がりな嫉妬だったんだと思う。話をする時に、悲しい記憶を思い出す時に感じる計り知れない辛さを思いやることが出来ない嫉妬。そして、未熟者の俺が選んだのは無言という相手に選択の結果の責任を押し付ける手段だった。

 無責任な委任について鶴見は糾弾することもなく、ゆっくりと公園に入っていった。俺は足元の石ころを交互の足で飛ばしながらその後を追い、小学校の帰り道にこんなことをしながら帰ったなとまたどうしようもないことを思い出す。

「同学年生だったんだよ。同じ高校の。」

 キッキッとブランコの錆びた鎖が鳴った。


 高校に入学してしばらくした頃に、友達が同じ部だと言うタカハシヒロキと何となくしゃべるようになって、付き合いだしたのだという。

 俺も覚えてるけど、その頃にカップルでペアのキーホルダーとかストラップとかを買って、女子向けのアイテムを彼氏が持って、男子向けのアイテムを彼女が持つっていうのが流行った。

 鶴見達も付き合い出して1ヶ月した頃におそろいのキーホルダーを買って鞄につけたのだと言う。だけど、3日でそれを失くしたと言われた。その時は、鶴見もまだ可愛い女子高生だったせいか

「次は絶対失くさないで」

なんて言って、ちょっとだけ相手を責めつつも、また新しくペアのキーホルダーを買い直したそうだ。

 夏祭りの日に昼から待ち合わせしていたのに、遅れると言うメールの後タカハシヒロキは一向に現れなかったという。雨足が強まってきても来ず、この辺りが暴風域に入りそうだということで夕方に帰らされたらしい。タカハシヒロキが川に流されたと鶴見が知ったのはその日の夜。台風が過ぎ去ってようやく捜索が始められ、遺体は次の日の早朝に海で見つかったのだとか。

 タカハシヒロキが川に流された時に一緒に居た友人達の話で、何かの拍子に鞄のキーホルダーが落ちてそれを拾いに川べりに降りた。ただ、その時に急に川が増水して足を取られ流されたのだと知ったと言う。


―だからか―


 最初に海で会った時から、鶴見の陰のある笑みが気になっていたのだ。ずっと、心の中に楔のように後悔が突き刺さっていたんだろう。海を見る度に自分の罪を思い起こしていたのだろう。

「あんなこと言わなきゃ良かった…絶対失くなくさないで、だなんて。」

 泣くかな、と思ったけど表情すら変えることなく鶴見はブランコに揺られていた。泣く資格を持たないのだと思っているのかもしれなかった。


 またブランコがキッキッと鳴った。

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