不思議なウサギに振り回される少女 ②―A
「改めまして初めましてだね南子ちゃん。私の名前は飯島光。よろしくねん」
「…………」
初対面の人物に対して上手く喋れない――所謂引っ込み思案というものを備えていた白藤は、突然紹介された飯島光という女子生徒に対して、硬直という対応をとってしまった。紹介した当人である橘はというと「んじゃそういうことだからよろしくお願いします、先輩」「おうよ」という飯島との短い会話をした後、早々にどこかへと立ち去ってしまった。白藤はというとあまりに急な展開についていけず、橘の真意を追求する質問も全くできず、結果、白藤は何が何だかわからないまま飯島光という女子生徒と二人きりになってしまった。
いや、二人きりというのには語弊がある。
昼休みも終盤に差し掛かっている十二時五十分。
周りには沢山の生徒が喋りながら廊下を歩いていた。教科書と、篠笛を持って歩いている。次の授業が音楽なのだろう。白藤達が在籍している高校では、一年生の時に篠笛を習うことになっている。つまりは今廊下を歩いている大半の生徒は高校一年生で、ああ私もあんな頃があったなあそうだったそうだったあの頃に戻りたいなと白藤は現実逃避をしていた。
「なぁに、南子ちゃん。一年生の頃が懐かしいのー?」
「うわっ」
あまりにも的確な指摘に思わずのけぞってしまった白藤。その様子をみて「え、えー……そこまでひかれちゃ私も罪悪感を感じざるを得ないわぁ……なんかごめんね」と今まで明るかった飯島が暗い顔でしゅんとなっていた。
「え、いや、違うんですその、飯島……せ、先輩が悪いとかじゃなくてその……」見ず知らずだったとはいえ目の前でテンションを下げてしまった人物を見て、いくら今の状況が不可解だとしても何も言わずにスルーする訳にはいかない。「い、飯島先輩が、私の思っていたことをズバリ言ってしまうもんですから、その……か、かか、感動した、といいますか」
「感動?」
「え、ええ。そそそ、そんな感じです、はい」
「そんな感じってどんな感じ?」
「え、うえぇ?」
「私ね、そんな感じとかいってごまかすのあんまり好きじゃないのよ」
さっきまでの低いテンションが嘘みたく、一転、飯島は真面目な表情で話を続ける。「『ああいう感じでお願いします』とか『その感じが好きです』とか言われてもね、曖昧でよくわかんないのよさ。なんとかな感じって時点で曖昧なのに、その上によくわかんない代名詞つけちゃうんだよ? こういう人は絶対人の上に立てない人だね。指示出しとか任せてもわけわかんなくて、下っ端皆苛々しちゃうっての」
「……飯島先輩は、今、苛々してるんですか」
「うん。苛々してる」ため息を一つついた後、一気にまくしたてる飯島。「初対面が相手で引っ込み思案だとしても、ずっと俯かれてちゃ話も出来やしない。んで、ようやく顔を上げたと思ったら、廊下歩いている奴ら見て独り言つぶやいて。挙句の果てには『そんな感じ』とか言われながら中途半端に褒められちゃって。弥生のやつに言われるがまま南子ちゃんの前に現れたんだけど、私はどうすればいいのかな? 私にどうして欲しいのかな。別にそんなに迷惑なら退散するよ、私。今まで通りぼそぼそつぶやいて、真実のあん畜生に目もくれない生活送ってればいいさ」
「……苛々してるんですね先輩」
「だからそうだって何度言えば――」
「――じゃあ、今の時点で私は先輩の上司ですか」
ニヤリと口の端をゆがめながら。
飯島の方を向いて、白藤はこう言い切った。
「は、はぁ?」今まで白藤がただの無口な後輩だと思って接していたのだが、ここにきてその前提が崩れ始めたことに素直に驚く飯島。「……なーにそれ。どういう意味ー?」
「言葉通りの意味ですよ、飯島先輩。私は今、恐らくというかまず間違いなく一つ年上の先輩を苛々させました。人の上に立つ人次第で下っ端は苛々する。――つまり私は、先輩という立場の人の上に立ってしまったということになります」
「ふーん」
「そして、今の私の願いは、私を救ってくれた男の子――山川真実君というらしい男の子――に、告白をするということ。でも私は見ての通りの臆病者。一人じゃこんな大それたこと出来るわけありません」
「そーかなー。南子ちゃんには楽勝だと思うんだけどもー」
「私には」
飯島の顔をまっすぐ見て。
顔を真っ赤にしながら。
思いのたけを述べる、白藤。「勇気が、ありません」
「勇気、ねぇ」
「そう、勇気。確かに私は変な性格しています」
「あれ? 自覚してるんだ」
「ええわかってます、自覚してます。突飛な拍子におかしなことを口走ってしまうことがあります。恐らく今さっきまでの私がそうです。ごめんなさい、飯島先輩」
「まー、いいんじゃない? 若干、というかかなり苛々しちゃったけど、自覚済みなら別問題だわ。謝罪も真摯にしてるってことがわかるし、まー、許してあげるよ、うん」
「ありがとう、ございます」
――一度口が滑りだすと止まらなくなる性格。
そんな奇妙な性格を、白藤は持っている。
性質、といってもいいかもしれない。
とにかくそのたちの悪い性格を、白藤は自覚していて、そんな自分を好きになってもらえるかわからないけれども、それでも白藤は山川に対して告白したい。
今まで、こんな感情をもったことがなかった。
いや、持ったことがあるかもしれないが、少なくとも――ここまで大きな感情ではなかった筈。
山川のことを想うと、居ても立っても居られなくなる、今すぐ山川の元に駆け寄り、「好きです」という四文字の熱い言葉をかけたくなる。
――だが。
その一歩を止めてしまう、白藤の一面があった。
「勇気が欲しいんです。私には、勇気が足りない。何でかわからないんですけど、私は山川君に近づけないんです。私を止めているこのよくわからない感情を打破するためにも、私は勇気が欲しいんです」
「……ふーん。そうなんだー」
実をいうと飯島も、橘によって突然突き動かされた人物であった。
橘が、「昼休みに相談室の前に来てください。恐らく私と小さな女の子が喋っていると思うので、大きな声で合図を出しますからその時まで隠れて様子をうかがっていてください。飯島先輩にはあることを手伝ってほしいんです――」と頼み込んできたので、受験勉強の合間の暇つぶしにちょうどいいかと軽く判断し相談室の前で待機していたのだった。
なので。
白藤南子という後輩が、どんな人物なのかについての前情報が一切なかった。
正直なところ、白藤南子が山川真実にふさわしくない人物であった場合、告白を手伝う気はなかった。「やっぱ私受験勉強忙しいから手伝えないやー、ごめんねー」といって早々に立ち去る気でいた。
――けれども。
「うんわかった。お姉さんが、南子ちゃんの一世一代の告白を手伝ってしんぜよう」
と。
飯島は、白藤に断言した。それを聞いて、「あ、ああああありがとうございます、飯島先輩!」と顔を尚も真っ赤にしながら飯島の手を握って喜ぶ白藤。その姿を見ながら、「安心なさいな。私は真実と同じ部活の先輩って立場だよん。南子ちゃんと真実を引き合わせることなんて余裕さー」と言いながら、飯島は次に言いたい言葉を頭の中でゆっくり紡いでいた。
「……南子ちゃん」
「はい。何でしょうか」
「あんたさ、真実に似てるんだよ」
「え、そそそ、そうなんですか!」
「うん。引っ込み思案なところが特に、ね」
そう言って。
白藤は思い出す。
山川と初めて会った日のことを。
当時新入生で。
飯島の言うことに対して、話半分な返事か、もしくはあたりさわりない返事しかしなかった山川。
そうかと思いきや、意外と演技が上手かった山川。
変な奴が入ってきたなと、思わずにやけてしまったのを飯島は覚えている。
そう思ってしまう飯島も、変な性格の持ち主ということなのだろう。
「ま、なにはともあれ南子ちゃんにはこの私がついてるんだ。どーんと構えなさいなー」
「はい! ありがとうございます、先輩!」
白藤と飯島が笑い合うと同時に
チャイムが、鳴った。
昼休み終わりを知らせるチャイムが。
次の授業が始まることを知らせるチャイムが。
「あ……」チャイムを聞き、慌てる白藤。「これはまずいですね飯島先輩。長い時間引き留めてしまってすいませんでした。放課後に図書館で待ち合わせでいいでしょうか。これからよろしくお願いします。失礼します」
「いんや、待ちなよ南子ちゃん」
「あ、図書館前じゃダメでしたか? それとも放課後に何か用事が……あ、飯島先輩そういえば受験生でしたね。すいません、失念していました。では明日の朝にでもまた話を……」
「いやいやいやー、そういう話じゃないのよ、南子ちゃん」
「じゃあ、どういう……」
言われた飯島は。
にしししっと、笑い。
「いい機会だ」と、言った。「次の授業、ふけちまおう」