不思議なウサギに振り回される少女 ①
「今日も今日とてってことでよしとするのもよかったんだけどね。それじゃやっぱり小夜がかわいそうだと思ったの。だからね、今日こそは動こうかなって思って」
カウンセラーとの話し合いが終わり、なんだか投げやりな最後だったなあと思いながらもゆっくり相談室を出た白藤の眼前に立ちふさがったのは、細身の女子生徒であった。スラリと背が伸びているが、その反面黒髪は短く切りそろえられている。キリッとした鋭い目が、廊下の中央にて白藤に注げられていた。白藤は一瞬この女子生徒が誰だったのかわからずに戸惑ったのだけれども、「昨日ぶりね、白藤さん。まあ私は貴女としょっちゅう会っていたりするんだけど」という女子生徒の言葉で思い出すことができた。基本的にうつむいていたせいで顔をあまり覚えていなかった白藤だが、それでも、ここまでヒントを出されて思い出さない訳がない。
この、女子生徒は。
昨日、女子トイレで会った女子生徒であった。
二人いた女子生徒の内の一人、いざこざを仲裁しようとしてくれていた女子生徒の方。
「あ、あの」突然の邂逅に戸惑いを覚えつつも、なんとか返事をしようとする白藤。「せ、先日はどうも、お世話になりまして……」
「お世話になりまして? ……いやいや、そんな大したことしてないよ。私は、小夜を止めようとしてただけ」
言いながらも柔らかい表情で白藤を見る女子生徒。その姿をみて白藤は、この人は良い人なんだなと判断した。と同時に、何故今自分を引き留めたのかについての疑念の念も抱いた。何を考えているんだろう。この人は、何を考えているんだろう。考えれば考えるほどわからなくなっていく。ほぼ毎回そんな感情の渦を抱いていて、そんな自分があまり好きではなかった。
俯いて押し黙ってしまった白藤を見て不思議に思ったのだろう。「どうしたの? 大丈夫?」と心配してくれる細身の女子生徒。その言葉を聞いて初めてまた自分が相手の目を見ずに地面を眺めてしまっていたことに気が付き、「す、すいません。大丈夫、です」と若干上ずりながらもなんとか答える白藤。相手の目を見て話す。小さな頃から推奨される話し方を実践することが、白藤にとって何より苦手なことであった。
「……まあ、そんなに固くならないでよ。今私が貴女を呼び止めたのはそんなにきつい用事があったからじゃないし」細身の女子生徒は目を頻繁にそむけてしまう白藤を見ながら言う。「ただ単純に、貴女に紹介したい人がいただけだから」
「しょ、紹介したい人……?」
「そう、紹介したい人。貴女に害をもたらさない上に、貴方に有益なことしかもたらさない。そんな人を、貴女に紹介しようと思ったの」
突然そんなことを言われても理解が追い付かないのが、白藤南子という少女であった。いや、白藤でなくとも細身の女子生徒の話を理解しようとしても厳しかったかもしれない。それほどに細身の女子生徒の発言は唐突で、なおかつ発言された方の人物の気持ちを全くと言っていいほど考えていないものであった。故に白藤は困惑し、発言の真意を問いただすしかなくなる。「ど、どういう意味なんでしょうか……?」
「どういう意味も何もないよ。言葉の通り。私は貴女にとって良い人を紹介したいの」ニコリと微笑む細身の女子生徒の表情が、白藤にとってみれば当惑するしかないその表情が、細身の女子生徒に張り付いている。「貴女、沢渡剛毅って男子、知ってるかな」
「……知りません」
「だと思った! やっぱり沢渡の奴、眼中にすらなかったんだ! あははっ、やっぱりね!」
白藤が答えると同時に、細身の女子生徒は腹を抱えて笑い出した。「でしょうね!」とか、「そりゃそうだわ! だって面識ほぼゼロなんだもんさ!」とか言いながら、思いっきり笑っている。しまいには「はー久々にこんなに笑ったわー」と言いながら目じりからほんの少しだけ涙をこぼしていた。それほどまでに白藤の発言が細身の女子生徒にとって滑稽だったのだろう。
白藤の発言。
――白藤が持つ、沢渡剛毅への認識。
それを確認しひとしきり笑った後、もういいのかな早くこの場から立ち去りたいと思っている白藤の態度を見抜いたのか、「ああ、ごめんごめん。貴女に用があること忘れちゃってたわ。だってもう笑うしかなかったからさあ」と細身の女子生徒は白藤に言い、もう一度真面目な表情を作り出そうとする。
「私が貴女を引き留めたのはね、その、沢渡剛毅についての話なの。そうそう、貴女、昨日の昼休みに私と小夜が貴女を女子トイレに呼び出した理由、把握してる? 私の見解だと、多分貴女は把握できてないと思うんだけど」
「……よく、わかりません。小夜、さん、ですか。あの人がなにゆえ私にきつくあたっていたのか、まだわかっていません」もじもじとしながらも、伝えるべきことはきちんと伝える白藤。「あ、でも、あなたは小夜さんを止めようとしてくれていました、よね。感謝しています。ありがとうございます」
「あなた、じゃなくて、弥生って呼んで」
「弥生?」
「うん。私の名前。橘弥生」
「人に名前を呼んで欲しい時は、自分も人の名前をちゃんと呼ぶべきではないでしょうか」
「……言う時は言うんだね」
目を見開いて驚きながらも、「あー、ごほん」と一呼吸置き、細身の女子生徒――橘弥生は言葉を紡ぐ。「弥生って呼んで、南子。私、小夜ほど貴女のこと嫌ってない。むしろ好きな部類だわ」
「好きな部類の人をいきなり廊下で呼び止めたりしないでください」
「……うん、やっぱり好きな部類」
あははっ、と快活に笑う橘。
対して「そ、そうですか」と流れ的におかしいのにもじもじしながら笑う白藤。それを見て、やはりこの子は意外と面白い子なんじゃないかと思わず笑顔になってしまう橘。「うん。それじゃあ早速、用件をばばっと言っちゃおっかな」
「お、お願いします」
橘の発言に対して、改めて姿勢を正そうとする白藤。その様子がおろおろとしていて、橘はまた微笑んで――そして、そのまま用件を話すことにした。
「昨日、小夜が貴女を女子トイレに呼び出したのはね、沢渡剛毅っていう男子のことなの。小夜はね、沢渡のことが好きなのさ。んでもって、沢渡はなぜだかわからないけれど、南子のことが好きなの。ここまでオーケー?」
「全然全然全然全然オーケーじゃないですけれども、もういいです、すす、進めちゃってください話」
「あははっ、それで大丈夫? まあいいや、進めちゃうね。んでね、南子は沢渡のことが眼中になかった。アウトオブ眼中なわけですね、これがね。そんでもってそんな南子の眼中にあるのが、私の予想だと女子トイレに入ってきて南子を助けた男子――山川真実だと思うんだけど、どうでしょうか」
「な、え、はぁい?」
思わず声が裏返ってしまう。俯いてしまったことを自覚した白藤は、それでも、橘の発言になんとか対抗しようと顔をあげ、「な、なんで知ってるんですかぁ?」とこれまた裏返った声で質問を試みた。
「あははっ、あっさり認めちゃうんだね。面白い面白い。……うん、私ね、なんとなくだけどわかるのよ。いわゆる恋愛の機微というやつが」白藤の発言を受けた橘は、白藤とは対照的に自信満々であった。「誰が誰を想ってるのか。誰が誰に嫉妬してるのか。――誰が誰を、想い始めたのか」
なんとなくわかっちゃうんだよねーと、軽く言う橘。
その発言を受けて白藤は、凄過ぎるでしょこの人、と内心で驚愕するしかなかった。
――と、同時に。
自分の顔が、どんどん青ざめていくのがわかった。
橘は、自分があの白馬の王子様を好きなことを知っている。橘の話では、白馬の王子様の名前は山川真実というらしい。図らずも名前を知ることができたのだが、その事実に対して喜ぶ余裕は白藤の中になかった。
――そんな状態の橘が、紹介したい人。
青ざめていく白藤をみながら、ニヤニヤと笑っている橘。
そんな橘をみて、更に青ざめていく白藤。
「来ていいですよー」と、白藤の方を向きながら、大声で誰かを呼ぶ橘。
振り返りたくなかった。
誰がいるか、火を見るよりも明らかだったから。
それでも見なければならないのだろうか。
自分は、こんな表情のまま、白馬の王子様に会わなければならないのだろうか。
泣き出しそうになっているのを自分でも感じながらも、出来る限り鋭い視線を橘に向ける。その視線を受けた橘の反応は、「ほらほら。後ろを向いてごらん」という無慈悲な推奨であった。
肩を掴まれ、時計回りに半回転させられる。
気付けば白藤は橘と同じ方向を向いていて、気づけば白藤は橘が呼んだ人物の方を向いていた。
「にしししし。どもども初めまして、飯島光と申しまーす」
小柄な女子生徒であった。白藤と立花の中間ほどの背丈をもつ女子生徒。短く切りそろえられた黒髪が映えている。全く状況についていけずに尚も表情を青ざめ続けている白藤をみて、「なーにこの子、顔色悪くない? こんなんで大丈夫なの、弥生ちゃん?」と心配そうに言う。その発言を受けた橘は、「心配いりません。南子はいつもこんな感じですから」とそれでいいのかという言葉を発した。「南子。こちらは飯島光さん。私達より一学年上の、三年生。――今から南子には、山川真実君に告白しにいってもらいます」
そう、言われて。
白藤は、もう、何も言うことが出来なかった。