白藤南子 カウンセリング
「ゆ、勇気をふりしぼるには、どど、どうすればいいんでしょうか……?」
相談室。
高校校舎の一階の奥の方にある、ひっそりとした場所。用がない限りは基本的に生徒も教師もあまり近寄らない場所に、二人の人物が向き合いながらソファに座っていた。壁際に設置されている四、五個の本棚以外はあまり物がない場所で、二人の人物が座っている。
一人は相も変わらずカウンセラーにしてはふざけた格好をしている男であった。周りに物がほとんどないこの場において、散らかったパーマの髪はあまりそぐわなかったが、それでも、カウンセラーが放つ眼光は真剣さそのものをあらわしていた。
対して、カウンセラーの前に座っている生徒はうつむいていた。カウンセラーの目を見て話せず、先ほど発した台詞もなんとか出せたといわんばかりにおどおどしていた。その生徒は女生徒であった。小柄な女生徒。長い黒髪はうつむいているせいで垂れてしまい、カウンセラーの眼前には黒髪だけが見えている。一見すると恐怖映像であるが、それでもカウンセラーは、しっかりと女生徒の方を見ている。
「勇気をふりしぼる……。これはまた曖昧な表現だね。具体的には、どんなことがしてみたいんだい?」
「ぐ、具体的、ですか」
「うん。例えば、休日の昼間にいきなり気になる女友達にラーメンを食べないかと誘うとか、女友達と一緒に食べることになったはいいけど行列がすごすぎて二時間並ばなきゃいけないラーメン屋の行列に並ぶとか、ラーメンを食べて物凄く美味しかったはいいけど財布を家に忘れてしまっていたことに気が付いて女友達にお金を借りる、とか」
「え、あの、それって実話ですか?」
「神のみぞ知るだよ」
「……ま、まさか本当なわけないですよね。それが本当だったらわりかし引いちゃいますよ、私」
「…………」
言う時ははっきり言う子なんだなと苦笑しながら女生徒の方を向く。会話の途中で顔を上げ、女生徒の顔が再度認識できるようになっていた。見ると女生徒の方もカウンセラーの苦笑を見て苦笑しており、たれ目がひきつっていた。印象としては薄幸美人といったところだろうか。カウンセラーがその女生徒の顔をみてまず抱いたのは、引っ込み思案な子なんだな、といった軽い感想であった。そんな印象であったのだが、今ではカウンセラーの方をみて苦笑している。「一旦この話はおいておこう。とにかく、どうだろう。具体的にどんなことを、勇気をふりしぼってやってみたいのか、言えるかい?」
すると女生徒は「えと、あの」とうろたえ始めてしまった。なんなんだろう。この女生徒は何を考えてこんな態度をとっているのだろう。女心が全くと言っていいほど理解できていないかもしれないカウンセラーがそう思うのは無理はなかった。何故なら女生徒は、「あの、その」とうろたえればうろたえるほど、顔を赤くしていくからであった。仕舞いには、「せ、せんせいのえっち」という始末である。
「な、え、は?」何でそんなこと言われなきゃいけないんだ、と叫びだそうとした自分をなんとか制することができた。冷静に落ち着いて、生徒に対処する。カウンセラーは強く頭にそう言いきかせ、深呼吸を一回して、もう一度女生徒に向き合う。「大丈夫、言いたくないことだったら言わなくてもいい。でも、もしよかったら聞かせてほしい。その方が白藤さんの悩みも解決しやすくなるかもしれないし、胸の内を吐き出すことで白藤さんの負担も軽くなるかもしれないから」
「……そ、そうなんですか」
「うん、そうだよ。悩み事を一人で抱えるよりも、誰か信頼できる人にも共有して抱えてもらった方が、間違いなく負担は軽くなる。一人より、二人で。二人より、三人でって感じかな」
「信頼できる人……」
言いながら、カウンセラーに白藤と呼ばれた女生徒――白藤南子は、「信頼……信頼……信頼……」とぶつぶつ呟きながら、チラチラとカウンセラーの顔をみている。話すに値する相手かどうか悩んでいるのだろう。その段階で悩むのなら相談室に来ないほうがよかったんじゃないかいと言いたくなるのをカウンセラーはなんとか我慢する。
そうして、何回かカウンセラーの顔をみた後。
白藤は、「よし」と決意の声を出し。
カウンセラーと、向き合った。
「女子トイレにいきなり彼氏顔でやってきた男の子に告白したいんです」
「……は?」
思わず唖然としてしまったカウンセラーだが、無理もない。白藤の決意表明はあまりにも言葉足らずで、それだけを聞いたカウンセラーが意味の分からない生物として白藤を認識してしまうのはどうしようもないことであった。一方で白藤は、顔を真っ赤にしながらうつむきながら、なんとか言えたやった言えたこれで先生も相談に乗ってくれると当初は喜んでいたのだが、何も言ってこないカウンセラーの態度が推し量れず恐る恐る顔を上げてみると――そこにはこれこそ鳩が豆鉄砲を食ったような顔なのだろうと一瞬で察知できるカウンセラーの表情があった。
何故こんな顔をしているのだろうと白藤は首を傾げながらゆっくり考え、そしてその原因がもしや自分の決意表明にあるんじゃないかという思考に行きつくことができた。
「え、あの、もしかして……私の言葉が足りなかったりしましたか……?」
「……言葉通りとったら白藤さんの評価をひっくり返さなきゃいけなくなるんだけれども」
「あ、あの、違うんです」ようやく事態を完全に把握した白藤は、「あわわわわ」と慌てながらも、なんとか自分の言いたいことをカウンセラーに伝えようと言葉を紡いでいく。「あの、私、昨日の昼休み、知らない女の子二人にいきなり女子トイレに呼び出されたんです。それであの、その女の子が好きな男の子が私のことを狙ってるみたいなこと言われて、そのことで責められて、すごくつらかったんです。そしたらいきなり扉が開いて、見てみたら男の子で。『ああ、待って待って。その子、僕の彼女だから。あんまり強くあたらないであげて』って決め顔で言ってくるんです。私を責めてた女の子も、傍でみてた女の子が突然の状況を理解できないみたいで。それでも決め顔の男の子を見て、私、シュール過ぎて思いっきり笑っちゃったんです」
「…………」
「そしたら男の子が『え、あ、ごめん』とか謝ってきて、それがまた面白くって笑っちゃって。私のことを責めてた女の子が『笑ってんじゃねーよ』ってまた私のことを責めるんですけど、同時に突如女子トイレに現れた男の子にどう対処しようか迷ってて。どこに怒りをぶつけていいかわからなくなっちゃったんでしょうね。私のことを責めてた女の子が男の子を突き飛ばして、『覚えてろよ!』っていう捨て台詞残して去って行っちゃいました」
途中から口がノってきたのだろう。白藤は先ほどまでの姿勢がどこへやら、雄弁に語りつくした。カウンセラーに伝えていなかった部分を、言葉足らずだった部分を。カウンセラーも最初はまだ呆気にとられていたのだが、徐々に白藤が伝えたかった内容を理解していき、最後にはまた唖然としてしまった。「で、結局どうしたいんだっけ」
「そ、その男の子に、こ、告白する勇気をふりしぼりたいんです」
「なんでそう思ったの」
「え、なんでって、そ、そんなの当たり前じゃないですか」
「何が当たり前なの?」
「だって、その男の子は――私を助けにきてくれた王子様なんですから」
白藤の言葉を聞き。
苦渋に満ちた表情をカウンセラーは浮かべ。
目を閉じ腕を組み、結局のところ白藤さんが助かったのは白藤さん自身の力が大きいんじゃないかと思い。
カウンセラーは、こう言うことにした。
「白藤さんならなんとかなるんじゃないかな」