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第五録

 「……では取材の続きをば。童遊先生、私には少し気になっていることがあるのですが」

 

 「なんでしょう?」

 

 「先生が経営されているこの古本屋の屋号()は『鬼霖堂書房(きりんどうしよぼう)』といいますよね」

 

 「ええ、そうですよ。鬼霖堂書房です。それが何か?」

 

 「いえね、気になるのはそれも含めてなのですが、私は此処に来て何度か〝鬼〟という言葉を口にしたり耳にしたりしてきました。まずは『鬼霖堂書房』。次に先生の雅号(ペンネーム)である『()遊麒助』と処女作『凍螂』の題材たる〝鬼の一族〟。そして先程お話頂いた〝鬼〟面の般若……まあ厳密にいえば奥方の格好もそうなのですが……いえ、失礼しました。そういえば〝愧死〟という言葉。これにも〝鬼〟の字が入っていますが、何かこう鬼に対して(こだわ)っているような部分(ところ)があるのでしょうか? それこそ因縁めいたものがあるのでは? ――と事情を知らぬ人間は勘繰ってしまいます。そこのところ何か理由があれば、是非お聞かせ願えないでしょうか」

 

 何とも取材っぽくなってきたではないか。そうだこういったことを訊きたかったのだ――と、熾郎は内心安堵した気持ちで童遊麒助の次の言葉を待った。

 

 「…………」

 

 しかし、そうして待てど暮らせど童遊麒助からの返答は皆無(なか)った。

 

 「童遊先生?」

 

 「嗚呼、いえ少し考え事をしていました」

 

 「考え事?」

 

 「ええ、先程の質問に対して答えていいものかどうかの考え事です」

 

 「何か不都合なことでも?」

 

 それこそ童遊麒助の真実に関わることか――。

 

 それとも何か重大な事実に関することか――。

 

 一体、童遊麒助は何を考えているのかと熾郎がその様子を伺っていると、またしても色のついた紙手裏剣が童遊麒助の面にコツン――と当たった。

 

 「童遊先生、奥様はなんと?」

 

 もう何度目かのその遣り取りに慣れた口調で熾郎がそう問い掛けると童遊麒助は、

 

 「……『云うも云わないもあなたの自由よ』――だそうです」

 

 とだけ云って、また黙り込んでしまった。

 

 そこへまたもや紙手裏剣が飛んでくる。そうしていつものように童遊麒助はそれを解くと今度は黙読だけに済ませ、徐に襖戸に隠れた妻の方に視線を遣った。

 

 熾郎には、その姿がどこか母親に縋る子どものように見えた。


 そうこうして熾郎が(いぶか)しんでいると童遊麒助はどこか覚悟を決めたように、

 

 「隠す必要もないですね。こんなことは……」

 

 とだけ小さく呟いた。そうして、

 

 「小生はですね、簑辺さん。婿養子なのですよ」

 

 と、その重い口を開き始めた。

 

 「この鬼霖堂書房の亭主は小生で二代目になるのですが、その前は妻の祖父がこの店の亭主だったのです。先代の名は博右衛門(ひろえもん)と申しまして、この御仁(ごじん)、中々偏屈な性分の持ち主で己のことを鬼の子孫だと周りに触れ回っていたのです」

 

 「鬼の子孫ですか?」

 

 「ええ、しかし鬼の子孫などという家系は差ほど珍しいものではないのですが――」

 

 「そうなのですか?」

 

 「ええ、鬼を先祖に持つ家系は全国に多々あります。例えば兵庫県の大江山、これは世に名高い酒呑童子という鬼が猛勢を振るった土地として有名なのですが、そこに暮らす藤原家という一族はこの酒呑童子の子孫だといわれています。また奈良県吉野郡天川村坪ノ内には、柿坂という神主の家があるのですが、この家も代々鬼の子孫であるといわれ、それを象徴するかのように節分の豆撒きの掛け声などは【福は内、鬼も内】と掛けるそうです」

 

 「福と一緒に鬼も家の中へ招き入れるのですかッ!?」


 「そうです。これは鬼である先祖を敬った象徴的儀式行為ですね。それと――」

 

 「まだいるのですか?」

 

 「云いましたでしょう、全国に多々いると。まあそういった例もありまして、博右衛門は己のことを鬼の子孫であると信じていたのですが、何分この家には、それを証明するだけの文献や資料果ては家宝などといった証拠となるものは一切伝わっておらず、一体何を以て己を鬼の子孫だと断定したのか克く解らない人だったのです」

 

 「……とても口にはし辛いのですが、その、気が()れていたのですか? 博右衛門氏は」

 

 「それならばまだ良かったのですが――」

 

 「そうではなかった、と」

 

 「はい。博右衛門はとても意志の強い思考の持ち主だったのです。家族が彼の意に(そぐ)わぬ言葉を吐けば、それを正論にして返し論破してしまうような思考の明瞭(はつきり)とした人だった」

 

 「それは厄介ですね」

 

 「ええ、家族共々ほとほと困り果てていたそうです」

 

 「そうです、とはその時分には先生はまだ婿に入っていなかったのですか?」

 

 「小生がこの家に婿に入ったのは、博右衛門が鬼の研究をはじめ、この古本屋(みせ)を開業して暫く経ってからのことです」

 

 「鬼の研究? それはなんです?」


 「それはですね――」

 

 童遊麒助はそこで浅く息を吸い込んだ。そうして、

 

 「――博右衛門自身が口にするように己が鬼の子孫であると証明するための研究です」

 

 と静かに云った。

 

 「鬼の子孫であることの証明……」

 

 「そうです。先程もお話しましたが、博右衛門が己を鬼の子孫であると証明するだけの文献資料などは、残念ながらこの家には伝わっておりません。そこで博右衛門は、その根拠となる物的証拠を外部に求めたのです」

 

 「外部と云いますと――嗚呼、」

 

 「そう、この国には古くより鬼の子孫として繁栄してきた家系が多々あります。それこそ全国津々浦々――なので生家の家系にその根拠となる痕跡がないのであれば、外の家系にそれを見出せないかと、博右衛門は考えたのです」

 

 「もしかしたら、余所の一族の家系図などにその痕跡が残っているかもしれないと?」

 

 「如何にもその通りです。そう考えた博右衛門は、まず全国に古くから語り継がれている鬼の伝説や説話などを収集解析し始めました。それによって多くの文献や資料などを山のように買い込み研究に取り組んだのです」

 

 「ならばこの古本屋は――」


 「云ってしまえば博右衛門の夢の残骸でしょうか。研究を始めたものの大量の書物を買い込んでしまったせいで直ぐに資金は底を尽きました。それからは借金地獄ですね。質の悪い高利貸しに手をつけ、金を借りては本を買い、また借りては本を買いを繰り返し、到頭多大な負債を抱え頸が廻らなくなってしまった。そんなとき始めたのが、この『鬼霖堂書房』です」

 

 「なるほど」

 

 「幸いにも博右衛門が収集した書物の数々は、歴史的にも非常に価値が高いものも含まれていたため借金に関しては、店を始めて直ぐに返済できたそうです」

 

 「自分の蒐集品(コレクシヨン)を売っぱらってしまったのですか」

 

 「博右衛門は、一度読んだ本の内容はしっかりと記憶していましたから必要がないのです。それに蒐集品という認識もありません。一度読んだ本は紙切れ同然だと云って興味が失せていたようでしたから」

 

 「ほう」

 

 それもまた立派な書淫家である。しかし――

 

 「しかし家族に迷惑を掛けてまで、その鬼の研究とやらに没頭する理由があったのでしょうか? 私には噸と解り兼ねますね――」


 鬼の子孫であることの証明――それはどうにも途方のない話のようだった。


 そう熾郎が憮然と考え込んでいると童遊麒助は云った。

 

 「鬼の子孫であることの証明よりも、寧ろ〝鬼〟に対する畏敬の念の方が強かったのかもしれません――」

 

 「と仰いますと?」

 

 「この店の屋号『鬼霖堂書房』の〝鬼霖〟とは、『伯州日野群楽々福大明神記録事(はくしゆうひのぐんささふくだいみようじんきろくごと)』という文献に登場する牛鬼と呼ばれる鬼の怪物が巣くう山の名――大林山の別名、鬼林山から由来しています。博右衛門は、なぜかその書物だけは売らずに取っておりましたから何か深い思い入れがあったのでしょう――」

 

 「それこそ、その書物に己の起源(ルーツ)を視たのではないですか?」

 

 「そうかもしれません。しかし慥かなことは解りません。なぜなら博右衛門はもう此処にはおりませんから」

 

 「そうですか。それでその鬼の子孫とやらの証明はできたのですか?」

 

 「いいえ噸と――」

 

 と云いながら童遊麒助は窈然(ゆつくり)と頸を横に振った。

 

 「ふぅむ。(さぞ)かし未練が残ったでしょうね。鬼の子孫たる証明も果たせぬまま鬼籍に入ってしまわれるとは――」

 

 「いいえ、生きていますよ」


 「はいっ?」

 

 「ですから博右衛門はまだ存命しています」

 

 「え、とお亡くなりになったのでは……」

 

 「いえいえ、小生にこの店と己の研究を任せ今は各地の鬼の子孫を訪ねて歩き廻っております。まあ、今は何処にいるのか報せも全くなく殆ど行方知れずに近い状態ですが、生きていると思いますよ。あの御仁(かた)は」

 

 「あの、童遊先生、何かその、云い淀んでいらしゃったのはなぜです……?」

 

 「嗚呼、それは鬼の子孫などと嘯き豪語する博右衛門のことを、親類縁者皆して身内の恥と思っておりますので、敢えて話題に乗せるまでもないと考えたからです」

 

 「そうですか、飛んだ失礼をしました。では先生も博右衛門氏のことをそう思っていらっしゃるのですか?」

 

 「いいえ、小生にとって博右衛門は生涯を掛けての大恩人です。そんな嫌うなど。孫である香子も博右衛門のことはとても好いていますよ。ええ」

 

 「はあ……」

 

 どうにも途轍もない肩透かしを喰らった感じである。

 

 話の出始めが何やら辛気臭い様子だったので思わず聞きなしてしまった。

 

 否――独自に解釈してしまったのだ――それこそ己の都合良く。


 この話はきっと口外することの許されぬ秘め事なのだ――と勝手に思い込んでしまった。

 

 その結果がこの落胆である。そしてそれは己の欠点でもあるのだ。

 

 何かと分析したがる性格は、勝手な想像を巡らせ事実を酷く捻じ曲げてしまう癖がある。

 

 これは編集者として致命的な欠陥なのだ。身勝手な想像や妄想をしては仕事にならぬ。

 

 事実を事実として受け止める技術(スキル)――感性(センス)をこのときばかりは強く欲しくなった。

 

 己はまだ未熟なのだ。未熟であるが故に過ちを犯す――嗚呼、願わくば改善されたし。

 

 ――などと心中でひたすら猛省している熾郎の耳に童遊麒助の声が響いた。

 

 「小生が鬼の一族などという荒唐無稽な題材を取り小説としたのは、一重に博右衛門の研究があってこそです。あの御仁(かた)の研究なくして『凍螂』は書き上がりませんでした」

 

 「下地があった分けですね。鬼のことに関する下地が」

 

 それこそ由縁という奴か――否、

 

 「では先生の雅号(ペンネーム)もまた博右衛門氏の研究に端を発しているのですか? それこそ畏敬(リスペ)(クト)的な意味を含んだ――」

 

 「どうでしょうね。下の名は本名を(もじ)ったものですが、姓の童遊(おになし)は、小生の卑しい身持ちを反映させたものです。畏敬の(リスペクト)など飛んでもないこと――かと」

 

 「どうゆう意味です?」

 

 そう熾郎が訊くと童遊麒助はまた云い淀む素振りを見せた。そして、

 

 「簑辺さん、〝河童〟という言葉をご存知ですか?」

 

 「河童? 河童とは、胡瓜が好物で人の尻子玉を抜き頭に皿を乗せた、あの河童ですか?」

 

 「その河童です」

 

 また突飛なことを訊くものである。しかし何か思惑があってのことだろう。

 

 瞬時にそう思った熾郎は、童遊麒助の次の言葉に素直に耳を貸すことにした。


































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