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第二録

「いやいや先程は大変失礼いたしました。つい本を読むのに夢中になっていたもので」


「……いえ、こちらこそ折角の読書中にお邪魔してしまい本当に申し訳なかったです」

 

店での初顔合せを無事済ませ熾郎(しろう)は、目当てとした人物――童遊麒助に伴われて店舗兼住居である母屋の奥座敷に通された。


たおやかな藺草(いぐさ)の匂い香る室内である。先程までの雑然とした店舗とは打って変わって実に心の落着く柔軟(やんわり)とした(おもむ)きが其処にはあった。嗚呼、(たし)か田舎もこんな風だったかな、などと淡い郷愁感に囚われる一方、熾郎は久方振りに覚えた驚懼(おどろき)に酷く当惑もしていた。


――翁面(おきなめん)である。

 

あの能楽で(つか)われるような白い髭の生えた翁の仮面が、座卓を挟んでそれこそ()と向かって己と口を利いている。勿論その面自体が勝手に言葉を発している分けでは当然ない。発しているのは面を被った男の方であるのだが、一体何の腹積もりがあるものか、男は一向に面を取る気配も見せず怒濤のような言葉の波を憮然とする熾郎に浴びせ掛けてきた。

 

「いやですね、小生、本を読むことを何よりの楽しみとしているのですが、この面に空いた小さな穴から字を追いますとこれが中々骨の折れる作業でして、ついつい本に嚙振(かぶ)りつくように前のめりとなって読んでしまうのですよ、いやはや――」


「はあ……」


だったらその面を外せばいいのではないか――と熾郎は、相槌を打ちつつ心中で毒突いた。

 

一体何がどうなっているのやら。これは夢か幻か、或いは仕事に疲弊した己の脳が魅せる虚妄か妄想か、などと沈思している間にも真っ白な開襟シャツを着た翁面の男は、途切れることのない独言のような言葉を吐き続けている。

 

「御覧になって頂いたと思いますが、当店は実に陽当りの悪い立地に建って居りまして、とても暗い。なのであそこまで前屈みにならなければ満足に本も読めないのです。それ故、読書に意識を集中するあまり外部の物事に(とん)と疎くなってしまう。客商売をしていながらお客の存在に気がつかないとは全くお恥ずかしい限りです、はい」


「それならば電灯を増やせばいいではありませんか?」


別段対して聞きたくもない話を聞かされ熾郎は、特に愛想の善い当たり前な返答をした。 


 店での出来事は、熾郎にとって差ほど大したことではなかった。寧ろ問題なのはその後と現在(いま)である。


それこそ()だ相対する男の挙動が解らない。その心意も計り知れないし謎である。どういったつもりでそんな巫山戯た仮面を被っているのか理解できない。自分を馬鹿にしているのか虚仮(こけ)にしているのか、(はた)また、ただの表現行為(パフォーマンス)か、それとも神経が極端に参っている精神異常者なのか――まるで解らない。


そんな熾郎の気も知らず翁面の男は平然と言葉を続けた。

 

「いや、そうですね。それも一理あるのですが、如何せんご来店頂く常連客の中には、当店のような暗がりを好まれる方も(まま)()りまして、そう簡単には電灯を増やす分けにはいかないのです。そんなことをしては折角のお客が離れてしまいます」


「はあ、そんなものですか……」


「そんなものです」

 

……ここで解ったことがひとつある。どうやらこの古本屋(みせ)を利用する客の中には、根暗な本好きが儘いるらしい。熾郎の推度は又もや的中した分けだ。全く嬉しくもない誤算である。


翁面は云い続ける。

 

「まあ、多少暗くとも本が読めない分けではありませんし、静かな雰囲気でとても落着くと仰ってくださるお客もいらっしゃいます。そんなお客の心意を汲み取って店作りをするのも小生の勤めなのですよ。まあ、それによって多少の近視や遠視にはなりますが、小生が我慢すればいいだけのこと。失明しない限りは問題ないのです」


「そ――」


れならば、その面を取って読めばいいのではないかと、今度こそ口から出そうになった。

 

しかしそこで突込んだら負けのような気がして熾郎は、自ずとその言葉をぐっと呑み込んだ。


気持ちを入れ変えよう。此処には仕事で来たのである。

 

「ところで、先程お読みになっていた本は何の本だったのでしょう? とても分厚い書物に見えたのですが」


と云いながらさり気なくメモ帳を取り出してみる。


「嗚呼、あれは『現代の法医学』という本ですよ。金原出版の」


「現代法医学ですか、なるほど……あれ、そういえば先生の処女作でもある『凍螂(とうろう)』の主人公、雹堂猛(ひようどうたける)も法医学者でしたよね?」


少々(わざ)とらしかったか。熾郎は勘定台の前で目にした本の中身を覚えていた。本題に入るための切口として活用するためしっかりと記憶に留て置いたのだ――所謂(いわゆる)職業病である。


「正確には監察医ですね。街の観察医務院に勤めていますので、まあ行政解剖医です」


「なるほど。先生の執筆された『凍螂』読ませて頂きました。いや実に面白い構成(コンセプト)ですね。連綿と生き続ける鬼の一族と、それに属する男の鬼。そしてその鬼が愛した人間の女と娘の物語。中々鬼工に富んだ一作だと思います」


「いえ、あんなものは牛鬼蛇神(ぎゆうきだしん)の駄作ですよ。ただの戯れで書いただけのこと。全く以て自慢できるような代物ではありません」


「そんなご謙遜を。出版界でも見事な怪作として評判ですよ。売行きも好調だとか」


「そうですね。そんな話は星明(せいめい)出版さんからも克く聞かされます。しかし今のうちですよ」

 

「そうですか? それこそ私にはご謙遜にしか聞こえませんよ。これも一重に類い希な先生の才能の賜物だと思いますが」


「否、小生は、愚図で愚鈍な冴えない古本屋の亭主です。そんな才能など――」


と云って翁面の男は、恬然(ゆつたり)とした様子で面から伸びた白髭をその指先で弄くった。


童遊麒助(おになしきすけ)――それが今熾郎の眼前に()した男の雅号(ペンネーム)である。


童遊麒助は、昨年の師走に突如として文壇登場(デビユー)を果たした謎の人物であった。

 

本名不明。年齢不詳。出身地、来歴その他諸々一切不明のこの人物、解っている事実(こと)は、男であり珍気な古本屋の亭主であり、何より彼が手掛ける小説は、実に善く売れるということだけだった。


童遊麒助の代表作にして処女作『凍螂』は、発売一箇月で八十万部の大ベストセラーとなった怪作である。古より生き続けてきた鬼の一族と、それに汲みする男の鬼を主人公に据えた舞台構成は、その奔放な発想とは裏腹に実に涕涙(なみだ)を誘う純な物語として好評を博した。


その人気は世間のみならず出版界にも大きな衝撃を与え、まさに彗星の如く登場した〝鬼才〝として今、多くの話題と注目を集めている人物が――童遊麒助なのである。


そして彼の処女作『凍螂』は、発売から半年を経た今でも月の十万部は売れている傑作だ。

 

 しかしながら童遊麒助が、本名不明・年齢不詳その他諸々一切不明の仮面作家として有名なのは、事前に判ってはいたが、まさか本当に仮面を被っているとは思いもしなかった。


 これでは〝鬼才〟ではなく〝奇才〟だ――否、〝奇人〟と評するのが妥当であろうか。

 

 新進気鋭の若手作家は、実は日常的に仮面を被る変態者(へんたいもの)である、という事実は、まさに()衆娯楽(ストリ)誌が好みそうなネタではないか。この事実を会社(うち)の新聞部に持込めば、明日の朝刊の見出しはきっとこれで決まりだ。大いに売れるに違いない。大変な利益となるはずだ。

 

 しかし己は、いち会社人である前に作家を守るべき編集者である。そんな事実は、口が裂けても云えないし云ってはならない。作家の個人情報(プライバシー)に抵触することは、絶対に口にするなと耳に胼胝(たこ)ができるほど先輩編集者からも(きつ)く云われている。


 曰く作家の一番の味方は、編集者でなくてはならないのだ――とここで熾郎は、まだ童遊麒助に正式な挨拶をしていないことに気がついた。


 その奇怪な風貌に驚かされて()し崩し的にここまで上って来てしまったが、これではまるで誠意の欠片も無いではないか、と慌てて傍に置いた上着から自分の名刺を取り出した。

 

 「あ、すみません。ご挨拶が遅れました。私、校倉(あぜくら)出版編集部から参りました簑辺熾郎(みのべしろう)と申します」


 そう云って名刺を差出すと童遊麒助は、「嗚呼、これはご丁寧に」と云って、面を付けたまま軽く会釈をした。そうして小さな面の穴から紙に印字された名を見ていたかと思うと、


 「簑辺熾郎さんですか。なるほど〝簑火(みのび)〟ですね。これは中々面白い」


 と分けの解らぬ言葉を呟いた。


 「は?」

 

 「いえ、こちらの話です。どうぞお気になさらず」


 「はぁ」


 気にするなと云われれば気にする必要もないのだろう。ならば速やかに本題に入るべきだと考えた熾郎は、持ってきた鞄の中から一冊の雑誌を取出し颯然(さつ)と座卓の上に置いた。

 

 「早速で恐縮なのですが、こちらは弊社の出版編集部が、月に一度発行しております〝月刊 幽玄(ゆうげん)ノ友〟という文芸雑誌です。童遊先生には、是非とも今年の秋号よりこの雑誌の目玉となるような新作の連載をお願いしたく本日は正式にご挨拶に伺いました」


 「嗚呼、はいはい。その話は以前、聞かせて頂きましたよ。慥か白沢――さんでしたか?にお話を頂きまして、そのとき、はい是非ともとお返事をした次第です。こんな愚図で愚鈍な冴えない古本屋の亭主が綴る駄文に貴重な(ページ)を割いてくださるのですから、全く有難い話です、ええ」



 愚図で愚鈍な冴えない古本屋の亭主――童遊麒助は、自身をそう卑下して飄然(ひつそり)と笑う。


 どうやらそれが童遊麒助自身の存在認識(アイデンティティー)なのであろう。自虐的ともいうべきか。


 そこには、世間が熱烈に支持する鬼才(カリスマ)性など微塵も感じられない。


 相対する物腰は、極めて柔順(やわらか)く且つ優々(ゆうゆう)としている。奇怪な風貌に(だまさ)れ勝ちになるが、言葉はしっかりと通るし人格もまたおかしなところは見当たらない――今のところはだが。

 

 総合的な印象から判断して今に至り熾郎は、童遊麒助なるこの人物に差ほど(あし)き感じを抱なくなっていた――寧ろ好感とまでは行かないが、それに近い感興が芽生えつつある。


 と感ずるならば、その貌に張りついた奇妙な面も差して気にならなくなってくる――否、寧ろそれこそ気にしてはならないものなのだ、と熾郎は思った。


 その仮面はきっと童遊麒助なる作家を構築する最大の要素(ファクター)として絶対的に必要な個人記号(トレードマーク)なのだ。その下の貌は、決して暴いてはならない。謎が謎を呼ぶという触込みは、武器になるし何より読者の目を引く。ひとつでも謎が欠けたら謎ではなくなるのだ。謎は謎の儘がいい、そう思う――とはいえ全く気にならないと云えば嘘になるのもまた人情である。


 ――なので、もし不可抗力の事態によって仮面の下の素顔を見る機会に恵まれたとしてもそれは決して自分の責任ではない筈だし、仮に見たとしても己の胸の内に秘匿して於けば、謎は謎の儘で終わらせることができる――筈だ。


 ――嗚呼、白沢さん御免なさい。好奇心にはやっぱり勝てません。


 と心の中で先輩である上司の名前を呟いた熾郎は、童遊麒助の素顔を暴く決心をした。


 それはそれとして本題の続きである。

 

 「そう云って頂けると助かります。何分校倉出版(うち)は中堅出版。この雑誌も発刊して未だ二年目と日が浅くこれといった名物企画もないものでして、もし先生の連載が始まれば一気に知名度も上がり売上げも伸ばすことができます。ですので本日ご挨拶も兼ねて是非とも先生の独占取材(インタビユー)をさせて頂きたいと思うのですが、如何でしょうか?」


 「独占取材ですか?」

 

 「はい。不躾なお願いかと存知ますが、秋に連載が始まる号に先駆けまして、次々回発行する号に先生の独占取材(インタビユー)記事を掲載したいのです。題目(タイトル)はズバリ〝鬼才 童遊麒助 新作連載特別記念準備号〟。雑誌内容は、先生の独占記事一色で占め、ファンが涙を流して喜ぶような先生の知られざる一面を赤裸々に綴った読み応えのある一冊です。どうでしょう――?」


 「それは、小生のすべてということですか? すべてが載る?」

 

 「いえ、勿論秘密(オフレコ)もありということで。何なら仕上がったゲラ刷りを確認して頂くこともできます。先生のご意見は極力尊重させて頂きます」


 そこで童遊麒助は暫し思案するように面の白髭を指先で弄くると、


 「解りました。受けましょう、その取材」


 と心善く快諾してくれた。



 その言葉を耳にし熾郎は即座にもう一手考え倦ねていた提案を口にすることに決めた。


 「有難うございます。それでは取材(インタビユー)を始めさせて頂きたいと思うのですが、その前に先生の仕事部屋を見せて頂くことは叶いませんか? 出来れば其処で試みたいのですが」


 「仕事部屋ですか……いいですよ。ご案内します。着いてきてください」


 そう云って童遊麒助は立ち上がった。そうして座敷の襖戸に手を掛けその向こうへ消えゆく姿を追って熾郎もまた立ち上がる。

 

 そのときの熾郎は、鬼才童遊麒助の本性を暴き出すことで頭が一杯だった。その素顔を垣間見るための前哨戦として、まずはその生態を観察すべきだと密かに妙計を巡らす。


 その心意は、編集者の風上にも置けないものだったのかも知れない。しかしそれに勝る好奇心の火焰(ほのお)が、熾郎の胸の内で炎々(めらめら)と燃えていたのもまた事実であった。


 それ故、何度も何度も心中で上司に詫びの言葉を掛けるのも忘れない。


 御免なさい御免なさい御免なさい――と言葉にならない声が波紋となって輪唱していく。


 ――嗚呼、本当に御免なさい。


 最後に口の中でそう呟くと熾郎は藺草の匂い香る座敷を愁然(ひつそり)と後にした。




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