幽霊の夢
先に来ていたのか、美紀はサジの隣に座って、携帯を覗き込んでいる。
親しげに身を寄せ合って座っている姿に一瞬どきりとする。サジの腕に手を添えているし。
サジは夢の中で見たように、現実でも髪を黄色に染めている。昨日のうちに染めたようだ。
「昨日会ったばかりなのに、何でそんなに仲良くなっているの?」
「え?」
美紀は驚いて、サジから身を離す。
そんなに慌てなくても……思った以上に険のある言い方をしてしまったのだろうか。
まあ、ほやほやしている美紀に代わって、怪しげな男かちゃんと見極めないと。
(まあ、今までの言動ほぼすべて怪しいが)
私が席に付いた途端、サジは携帯を私に突き出す。
「これ、昨日の?」
私は 携帯に撮られた写真と動画。めいいっぱいまで引き伸ばされたであろうその画像には、私と、私と同じ学校の制服を着ている男の子が写っていた。
「下手ですね」
「暗いし、ビルの天辺なんだぞ。これが限界だ。この男の子に見覚えは?」
昨夜の夢の内容はかなり鮮明に覚えていた私だったが、この人物までは思い出せない。
このときの私は、肝心なことを不思議に思わなかった。
「美紀さんも見覚えないね?」
「はい」
返す美紀の声は消えかけのろうそくみたいな声だ。どうも、暗い。
「じゃあ、君の行動範囲を教えてもらう。高校は桜森でよかった?」
昨夜の夢のことを確認したかったのに……夢と何の関係があるのだろう。
サジは市内の地図を取り出す。まあ、桜森で間違いないんだけれどさ。
「この角で分かれて、ここを通ったんだと思います。遥の家はここです」
って、なんで美紀がさらりと私ん家、指で指しているよ。
「ねえ、なんでこんなことしなきゃならないの?」
「じゃあ、限定的に……5月18日の君の行動を。特に夕方の6時から7時までの記憶を教えてくれないか」
昨日の行動? これは……
「アリバイ確認? あんた、刑事」
「えっ、俺、普通の会社員だけど?」
普通の会社員はそんなの根掘り葉掘り聞かない。
「じゃあ、サスペンス好き」
「まあ、『動き出す死体』とか、変なタイトル付いてなければ、たまに見るけれど。
「確か、学校出て……あなたに占ってもらって、公園のほうを歩いていたのね。で、……そのまま、家に帰ったはずだけれど」
いつもの行動過ぎて、あまり印象に残っていない。
「覚えていないなら……今から行くか」
サジは立ち上がる。美紀も硬い表情で立ち上がる。
「美紀どうしたの?」
心配になって手に触れようとしたが、距離をとられてしまう。
本当に、どうしたのだろうか?
「ごめん。大丈夫だから」
本当に申し訳なさそうに……でも、口元は『なんでもないよ』と安心させるように、淡く微笑んでいた。
◆
二人に連れられてたどり着いた先は公園だ。隣には神社がある。
手先が冷たくなったかと思うと身体が息を忘れたようになる。何か支えるものと周りを見回すが、ほんの1メートル先にある手すりが遠い。
「げっほげほ」
「大丈夫?」
「無理して動くな。とりあえず座れ」
サジは顔を真っ青にして、私を支えてくれる。
「制服、汚れるじゃない」
「石段に座るのは危険だけれど立ってるよりかましだ。背を低くして。頭を打ったら大変だ」
「大げさな」
あの、ベンチまで行って、休めばいいじゃない。
たった数段なのに、上る気力がわかない。仕方なく石段に座り込んで……意識を失った。
◆
「大丈夫?」
サジに支えられている私に美紀が声をかける。
「降りれるか?」
「さっきは立ちくらみがしただけで、大丈夫よ」
ただ、そう言ったものの、石段を一段降りるたびに、なぜか息を吸っても吸っても、空気の中の酸素が取り込めない。
階段を降りきったところにいつの間にか赤い水溜りができている。
現実を思い出す。
その途端、現実が目の前で一つの狂いもなく再生される。
いや、眺めるのではなく、階段の上でその役を演じている。
目の前に同じ学校の男子が立っていて、「美紀さんとの仲を取り持ってくれ」と言われて、でも、今まで一度も会ったことない男子をほいほい美紀に紹介できるわけない。
第一、私が男の子を紹介なんかしたら、美紀は『遥が紹介してくれた人なら大丈夫ね』とか言って、何の警戒もなくその男の子とお付き合いしかねない。
「私からは紹介できません。自分でがんばって下さい」と伝え、石段を降り始めた。
引っ張られたのか、押されたのか……
いつの間にか、長い石段を転がり落ちる自分を、石段の下--美紀とサジの隣で見上げている。
血溜まりの中心に自分の頭部が--
叫びそうになる、いや、倒れる私は自分の金切り声を聞いていた。
◆
「まだ、呼吸が速い。深呼吸できるか? ゆっくり呼吸するんだ」
サジに言われたとおり、深呼吸を何度か繰り返す。 サジは血溜まりの中に両手両膝を付いた私の隣で汚れるのもかまわず、膝をついて体を支えてくれる。
どれくらい経ったろうか。
私が落ち着くのを待って、立ち上がらせてくれた。
石段の上に男子生徒の姿はなく、遺体もすでに消えている。
美紀が、がたがた震えたまま立ち尽くしている。
「いつから、私は……」
なんで、さっきおかしいと思わなかったのだろう。
--夢の中で撮った画像が、現実の世界の携帯に保存されているはずないのに。
夢に入り込めるくらいだから、念写もできるのだろうと勝手に都合のいい解釈をして、疑いもしなかった。
「最初に占いに来ていたときは現実で……、その日の夜に君は死んだ。君の夢に俺が入り込んだのは、その日--18日の夜だ。 で、今は20日の夜から21日の未明だ」
現実の彼は髪を黄色の髪になど、染めていないのだろう。
「私はこれからどうすればいいんですか?」
……三途の川を渡った覚えもないし、走馬灯を見た記憶もないのに。
死んだ実感はない。
息が苦しくなったときや石段から突き落とされたときも、本当に苦しくて痛かったが、今冷静になって思い返すと、死ぬほどの痛みではなかったような気がする。
サジに『サスペンスドラマ好き』とか言っといて、自分がサスペンスドラマにありそうな死に方するなんて。
幽霊らしく、私を突き落とした男子生徒を呪えばいいんだろうか。
「君は死んだんだ。何もできないよ」
その言葉に、『ああ、死は何もないのだ』と知った。
その事実が、ゆっくり私の中に染み渡り、代わりに何かが抜けていく。
「遥!……絶対、絶対っ、敵取るからね」
叫ぶ美紀の言葉を聞いて思ったのは、ああもう美紀は私の手を握ってくれたり、肩を抱いて慰めてはくれないんだなと言うことだった。
彼女は、ファミリーレストランから公園に向かうときも、私が呼吸を乱していたときも、私が血溜まりの中に手足を付いたときも、そばに駆け寄ってはくれても、決して触れてはくれなかった。
こんな手の届きそうな距離で美紀が叫んでいるのに、その叫び声をひどく遠く感じた。