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有馬皇子

 有馬皇子。

 従者が有馬温泉の出身だったから、有馬とつけたらしい。

 ・・・・・・うおお! なんて単純なんだ! 古代は。


 さて、これからお話しする物語は、天武と有馬が対立し、立場の弱い天智がいて、というもの。

 結果だけを追求すれば、有馬皇子は悪くなかったように思うんですねぇ、これが。

 有名な、

赤兄あかえに聞け。さすれば、すべてわかろう」

 蘇我赤兄。

 彼はいったい、なぜ有馬を裏切る人物としてでてきたんだろう?

 調べたつもりなんだけど・・・・・・。

 

 わかったことは、天武天皇が絡んでいたことくらいだった・・・・・・。

 井上靖が額田王書いたけど、うう、有馬皇子、切なすぎ!


 

 私は昔、神官の資格を取るために、ひたすら神道学などを学んだんですが、いやー、なんかだめ。

 皇學館と國學院大學といって、そこの神道学科という場所を受験したんですが、あのころはドイツ語も学びはじめで、受験対象としてはちょっと学力不足だったせいか、ちょっとアウト。

 国学院ならドイツ語はできました。

 でも皇學館は英語! がーん。

 英語、実は読めません。

 ドイツ語できるんだから英語もできるだろうって、それは器用な人間に対して言う言葉ですな。笑

 私は不器用にしか生きられないのさっ。はっはっは。

 そんなわけで、自分の力でしか神道を学ぶことができず、あせりました。

 

 今は哲学科です。

 そんな私の書く古代日本。

 ぜってーうそくせーから 笑。

 

 有馬皇子は、孝徳天皇の息子。

 

 こまかいくだりは、無論詳しくないけれど、要するにこの時代はよそからの侵略を防ぐために、戦ってもいたし、蘇我と物部の争いも少し昔にあって、とにかく荒れていたってことらしい。

 そのうえ、内乱。

 中大兄皇子(葛城皇子)が蘇我入鹿の首を、皇帝、じゃなかった皇極天皇のまえではねたことから、はじまった事件も・・・・・・。

 いやはや、ほとんど忘れてしまって知識が追いつかない。

 このころ、つまり天智天皇が治めるころには、宗教の暴動もやんでいた。

 

 

 少し話を飛鳥時代に戻し。

 思うんですが、なんで宗教は戦争を巻き起こすのでしょう。

 神のせいにするのはどうかと思うわけですが・・・・・・絡んでいないこともないんじゃないかなぁ。

 インド思想や中国思想を取り入れてきた聖徳太子と、古来からの神道を守り続ける物部。

 二つの思想はぶつかり合い、結果として融合。

 しかしこの融合には問題があった。

 神道に道教、儒教を取り入れた結果、本来の神道として成り立たないものと、なってしまったわけです。

 これ以降だと度会家行(この人の大ファン)の時代にまでとぶので、ストップ。



 

 


 さて、舒明天皇が崩御した後、軽皇子かるのみこつまり孝徳が即位した。

 しかし、孝徳天皇はお飾りであった。

 いや、多くの天皇がそうであったように、彼もまた、傀儡の一人だったんですな。

 踊らされたってわけ。

 そして病に臥せった孝徳を見舞うこともせず、葛城皇子はしらんぷり。

 孝徳天皇は幼い有馬にこう告げたのだった。



「お前の母も葛城のものだし、は、さみしい・・・・・・」



 もしかしたら、ここで有馬は復讐を考えたかもしれない。

 父を見放して見殺しにした、葛城たちに対して。

 

 だから、年頃になった有馬は、蘇我赤兄とともに、クーデターを起こそうとしたんだろうと。

 じつは葛城、皇位を狙ってはいたものの、孝徳天皇を殺してしまったために即位できずにいたわけよ。

 見殺しにしたとか言われてね。

 そのせいで、葛城は赤兄に金握らせて、

「たのむ。有馬をはめてくれ」

 とでも言ったのではなかろうか。

 

「赤兄」


 有馬が相談をするために あずまや にやってくる。

 そして赤兄は、葛城に仕込まれたとおりの計画を持ち出す。

 

 ・・・・・・というのが、一説目。


 二説目は、天武が絡んでいること。

 この事件の背景にはなぜか、天武が出てこないのである。

 入鹿事件に関してもそうだし、いったいなぜか、ということを考えてみたことあるだろうか。

 

 それは、有馬殺害、入鹿殺害の首謀者が、天武だった、という仮説を立ててみたので読んでほしい。

 


 

 

 以前から仮説を立てるたび出すのが、天武ユダヤ人説。

 ユダヤ人は商法などにも精通しており、非常に冷酷な面もある。

 だから、キリストを殺したときも残酷な方法をとったのだろう。

 天武の性格から考えてもそうで、有馬を殺すときも抜かりない。

 そのため、歴史から自分の汚い部分を消してしまったのだ。

 


 それは、わざと天智を即位させることによって、自分の即位を正当化できるからであった。



 その前に邪魔者は消さねばならない。

 目の上のたんこぶ、それが有馬だった。

 しかしただ殺しても正当化を主張できないので、策を練る。

 それが赤兄の利用。

 

 天武天皇は、いや大海人皇子は武勇にすぐれ、学術も達者というが、実は乱暴なだけだった。

 ヴァイキングを知っていたら、たぶん理解が早いかもしれない。

 ノルウェーやデーンのヴァイキングは策略家であり、乱暴であった。

 天武のやり方も実は似ている。

 遠征もしたし。

 

 思うに、吉野篭りをしたのは、有馬殺害からこうむる災いを避けるためだったのではないか。

 全部兄貴のせいにしちゃえと。

 ある意味、ひどいな。


 

 実は天智と天武は兄弟ではなく、他人だったと仮定できた。

 天智は朝鮮系か何かで、天武がユダヤ。

 となれば当然、対立もあった。

 しかし天武は皇極たちに取り入って、何とか息子にしてもらえたのだろう。

 でなければ、天智がなぜ妹をふたりも天武にあてがったのか、理由に納得いくはずがない。

 ふつうはひとりが相場だった。

 それにいくらなんでも、血が濃すぎる。

 天武がユダヤ系ならば、そのことも承知していただろうから、実の姪などほしがるはずがなかったのでは?

 ユダヤ社会では近親婚は禁じられていたのだから。

 その渦中に引き込まれたのが、かわいそうな有馬だったということ。

 有馬は天武から恨まれないように、狂ってごまかそうとしたが、天武は狡猾で鋭敏な戦士。

「そのようなことで、朕は騙せない」

 有馬はここで観念したのだろうか。

 


「はめましたね」

 有馬は嘲笑するように笑う。

 自分への嘲笑・・・・・・。

 天武は情けをかけてやり、歌わせたり干し飯を与えたとあるが、実際は違っていた。


「俺が次期天皇だ、くやしいだろう。お前の父を見殺しにしたのが俺であることを思えば、お前はただの犬死を食らった、ガキに過ぎぬ。十九の人生を、せいぜい惜しみながら逝くのだな」

  

 昔は天武が好きだったのに、やっぱりいやな人だったんだな。

 伊勢神宮を建てた理由もわかっちゃったし・・・・・・。

 呪術的な意味合いが深いダビデ。

 あの星の形、じつは有馬とかを殺してしまったことの恐れというか、そういうのもあったんじゃないかな。

 いろいろ知ってしまうと、結構つらいもんが・・・・・・。

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― 新着の感想 ―
[一言] 中大兄皇子(葛城皇子)が蘇我入鹿を殺したとすら私は思っていない。 実行犯の一人だったと思うけど、主犯ですらない。   蘇我親子が天皇の忠臣であり、 律令制への功労者と考えて、 論点を整理して…
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