虹の橋を渡った帰らぬ人と無言の再会 :約2000文字
「でねー、あっ! ちょっとヤダ。友達だわ。ねえ、いい? おーい!」
「え、うん」
ある日の昼下がり。二人の女が喋りながら道を歩いていた。すると、そのうちの一人――大崎がふと通りの先に知り合いを見つけたらしく、呼びかけながら駆け寄っていった。もう一人――佐野は戸惑いながらもそのあとに続いた。
「久しぶりー! 元気してた!?」
「あ、ああ……うん」
声をかけられた女は、どこかぎこちない笑みを浮かべながらうなずいた。
「あ、こちらお友達なの。佐野さん」
「どうも、こんにちは」
「どうも……三浦です……」
佐野が軽く会釈すると、相手の女――三浦はどこか沈んだ声で名乗り、小さく会釈を返した。
「元気そうでよかったあ」
「えっ」
「ん?」
「あ、ううん……」
佐野は軽く首を横に振った。いったいこの様子のどこを見て元気だと判断したのだろう――そう思いながら、佐野は改めて三浦を見やった。
うつむき加減で、表情にまるで笑みがない。目の下には化粧で隠しきれないほどの濃い隈が浮かび、背筋は丸まり、肩は落ち、ひどく疲れているように見えた。
「旦那さんは元気?」
大崎が訊ねた。
すると三浦はわずかに肩を震わせ、「主人は……」と呟き、視線を落とした。
「帰らぬ人になったの……」
「え……」
佐野は思わず声を漏らした。
「あらそう、お忙しいのねえ」
「えっ!?」
「ん? なあに?」
「いや、別に……」
佐野はそう答えたものの、小首を傾げた。
「あ、三浦さんの旦那さんね、役者さんなの!」
「あ、そうなんですか」
「ええ、まあ……」
三浦は小さくうなずいた。
「舞台やら撮影やらで、しょっちゅう各地を転々としているのよね。家を長く空けることも多いみたい」
「あ、そういうことか……」
佐野はほっとしたように息をついた。
「ええ……主人は今、静かな旅路に就いたの……」
「えっ、それは、その……」
「あらそう、いいわねえ。もういいお歳ですものね。そんなに無理して働くこともないわよねえ」
「えっ」
「ん? もう佐野さん、さっきからどうしたの。変な顔して」
大崎は眉を寄せ、佐野の顔を覗き込んだ。
「いや、その……そういう意味じゃないんじゃないかな、と……」
「そういう意味?」
「いや、その、三浦さんのご主人は……」
佐野は慎重に言葉を選びながら、ちらりと三浦に目をやった。
三浦は静かにうなずくと、少し間を置いてから口を開いた。
「主人は……星になったの」
「ほら、ね……」
佐野は小さく呟き、気まずさから目を伏せた。
「そう……すごいじゃない!」
「は!?」
「スターになったんでしょ! ついに実を結んだのねえ。ずっと頑張ってきた甲斐があったじゃない!」
「いや、いやいや、そういう意味じゃないんですよね? ね?」
佐野は頬を引きつらせながら三浦に訊ねた。三浦は相変わらず沈んだ表情のまま、静かに答えた。
「主人は……天の光に導かれていったの」
「そうよねえ、神様の思し召しだわ。この歳になると、いろいろ感じてくるものよね。そういうスピリチュアルな世界をね」
「いや、だから」
「主人は……虹の橋を渡ったの」
「ファンタジー作品で一発当てたわけねえ」
「だから、そうじゃなくて、ほら、お花を摘みに行くとか、そういうことかと……」
「お花? 欲しいの?」
「違うわよ。え、知らない? 本とか読まないの?」
「読むけど? ラノベ」
「主人は……幕を閉じたの」
「あら、そう……それは残念ね」
「ようやくか」
「役者を辞めたのね……」
「だから違うでしょ」
「主人は……無言の帰宅となったの」
「ほら、そういうことよ……」
「そう、それだけ役者というお仕事に誇りを持っていたのねえ。言葉が出なくても無理はないわ」
「だから違うってば」
「主人は……」
「あなたもあなただけどね」
「安らかな眠りについたの……」
「そうね。いっぱい休んで、また何か新しいことを始めたらいいわね。これまでの経験は絶対に無駄にならないもの。引退なさっても、素晴らしい役者さんであることには変わりないわ。二階級特進よ」
「お、おお? 本当はちゃんとわかってる……のかな?」
「主人は……静かに逝ったの……」
「ちょっとヤダ……下ネタ?」
「絶対違うでしょ」
「それで私、小さな客人を迎える準備に入ったの」
「……ん? え? まさか合ってるの!?」
「でも、実はそれって魔が差したの。心の針が少しだけずれてしまっていてね。別の灯りにほんの少しだけ惹かれちゃったの。ほんの少しだけよ? だってその頃、主人とは同じ地図を持っていなくて、同じ船に乗り続けることがどうしても難しくなってしまって……。それで主人は永遠の旅路へ出たの。だから私、すっごく元気!」
三浦は顔を上げ、目を見開いてそう言った。その瞳は爛々と輝き、口角が大きく吊り上がっていた。
「……そう! それはよかったわあ! じゃあね、三浦さん。またね!」
「えっ」
「はーい! またー!」
大崎は軽やかに手を振り、再び歩き出した。三浦も小さく手を振り返すと、その場を離れていった。佐野は慌てて大崎の背中を追い、戸惑いながら声をかけた。
「あ、あの、さっきの話って、結局どういう……」
すると大崎は大きくため息をついた。
「私、あの人ちょっと微妙なのよね」




