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勾玉遊戯 みすまるゆうぎ/鬼と巫女、兄と妹、二重禁忌の転生・異類婚姻譚  作者: さかきちか


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ひとさじのお砂糖 01


 

 あ、と。


 隣を行く彼女が声を上げたので、(こうがい)優麻(ゆうま)はふと前方を注視した。

 



 

 灰色の人波の中に、ひときわ目を引く真紅のコートの後ろ姿があって、それがくらりと傾ぐのがわかった。

 

 歩行者天国の雑踏の真ん中で、少し前を歩いていた細身の女性がいきなり倒れるところだったのだ。


 二人は立ち止まった。

 他にも足を止めた人があったが、なにか物珍しいストリートパフォーマンスでも眺めやるような視線をちょっと投げ掛けただけで、皆一様に、再び歩き出して行く。


「……寒いわね……」

「そうですね」


 (あかつき)水月(みつき)が呟き、(こうがい)優麻(ゆうま)はそれに賛同した。赤い人影が、アスファルトの上に倒れているが、すでに歩行者に誰も、気に留めない。


 水月と優麻は本休日を利用して、ともに買い物に勤しんでいた。場所は新宿。


 目的物は様々あったが、客観的に見れば世間一般的にいうところの、デートというやつである。もっとも、優麻の主観的観点からいうなれば、女主人の我儘に振り回される執事といったところであり、他に人間がこの立場に立ったとしても皆即座に優麻の意見に賛同するであろうと思われた。


 二人は、立ち止まったままだった。


「どうします? 水月さん?」

「どうって……ねえ。ちょおっとお、嫌な物見ちゃったじゃない。どうしてくれるのよう……」


 水月がそういうので、優麻はふむ、と唸る。


「この場合、介護の義務はありませんよ。でも、関わりあいになったら、ある程度は面倒見をなければならなくなります。民法に曰く、事務管理といって――」

「煩いわよ弁護士。……しょうがないわねえ」


 ふ、とため息をつく。それから彼女は、自分の携帯電話を優麻に投げてよこした。


「救急車、召んで」

「一瞬でも迷うあたりが、あなたって相当に嫌な女ですよね、水月さん」

「あんたほどじゃあないわよ」


 肩越しにそう言って彼女はうつぶせに倒れた女に歩み寄り、その傍らに屈み込んだ。


「あなた……それでも、お医者様なのでしょうか、本当に」


 優麻は、呆れ返ってそう呟いた。



      ☆



「暁水月さん……。ああ、(あかつき)総合病院の。病院の名前は存じてます。私、坂田(さかた)と申します」


 水月が名乗ると、救急担当の医師がにっこり笑って手を差し出した。


 見た感じでは、三十路の大台直前といったところだろう、がっしり、というかどっしりとした感じの男だ。中身がぱつんぱつんに詰まっているような、そんな印象を受ける。

 どうやら握手を求められているらしいことを悟り、水月は、その手を優しく握り返した。


「心療内科を担当しております。よろしく」

「こちらこそ、よろしく」


 水月は、都内でも屈指の大病院である暁総合病院の院長の娘である。

 しかも院長に男の子供がなく、水月が病院のスタッフを勤めており、そのうえ独身で、いかにも男好きのする美人でもあることから、水月に対する男性医師の態度は例外なく柔らかなものに成り果てるのが常だった。


「それで、患者の容体はいかがです?」

「ええ。こちらへどうぞ」


 坂田もまた例外ではないようだ。

 彼はにこやかに頷き、水月は診察室へ通された。





 水色と白に塗り分けられた壁は少し冷たい印象を与えるものだったが、病院なんてだいたいどこも同じである。

 救急外来の診察室は雑然としており、ストレッチャが部屋の隅に放置してあった。患者は、病室に移されたようだ。


 水月は、すすめられた丸椅子に腰掛けると、足を組んだ。

 それから緩やかにに背中へと滑り落ちていく色の薄い髪を、さらりと指で梳く。


 淡いパープルのネイルを施した爪が鮮やかだ。

 本日の彼女の服装は休日仕様で、医者という理知的な職業を最も想像させにくいものといえた。コートの下はボルドーのキャミソールドレスで、丈はかなりいっぱいいっぱい。このまま白衣をまとったとすると女医というより風俗嬢である。


 水月はというと、そんなことには頓着しないでヒールの爪先を斜めに揃え、担当医を見遣った。

 坂田医師は、ええと、といいながら聴診器を机に置き、何枚かのレントゲン写真とCTによる断層写真を水月に示した。


「彼女は、『河上(かわかみ)真希(まき)』さんというお名前のようです。23歳。鞄の中に、免許証が入っていました」

「河上さん、ですか」

「ええ。それで、検査の結果なんですが……」


 水月は、レントゲン写真とCTスキャンの映像をみて首を捻った。


「これといって異常は、見当たらないようですね。脳疾患……、心臓疾患、……内臓出血もみられないわ。特に病気というわけではなさそうだわ」

「ええ、健康体といってさしつかえないと思います」


 坂田は頷いた。


「おそらく過労、ではないかと思いますよ。しばらく入院が必要になるでしょう。それで、……家族に連絡を取りたいのですが」


 どっしりと肉厚な医師は、そこで少し困ったように、水月を見た。


「彼女、一人暮らしのようなんです。入院手続きを済ませたいのですけれど――」

「……」


 水月は笑顔を作って小さく肩をすくめた。


 救急車を呼んだ後、上手く逃げたあの弁護士の笑顔が思い出される。


 暁水月は確かに医者であったが、それはあくまでも自分の患者の前でだけのことでもある。

 それ以外では、喜んで他人の面倒を見るほどの慈善家でも暇人でもなかった。

 そう、割り切らなければやっていられないのだ。万人を救おうと思ったら、医者は身を滅ぼすしかない。

 それが水月の持論であり、だから先刻からも、医者としての義務感だけは捩じ伏せているつもりだった。


 だが――こうなってはさすがに致し方ないだろう。

 放り出すのは人としていささかばかり問題だ。


「とりあえず、……ということでよろしいでしょうか?」

「保証人が必要ですものね。……ええ、結構です」


 水月はそれを了承した。


「私を保証人にして、手続きをして下さい」

「申し訳ありませんね」

「いいえ。何かあれば、病院の方に連絡して下さいます? 時間外でしたら、緊急用ポケベルで呼び出してくださればいいわ。折り返し、連絡いたしますから」


 そういって――水月は、番号を記したメモを渡した。


      ☆


 河上真希は、少し痩せ過ぎのきらいのある、女性だった。

 所持品は、免許証と財布、金属製のキーホルダがついた自宅の鍵、それにハンカチやポケットティッシュ、だけだ。そしてローズカラーの口紅がひとつ。


 いまは病室に移され、空きベッドに横になっている女性だったが顔色はあまりよいとは言えず、やはり過労か睡眠不足かと坂田医師は思う。自分の置かれた状況をいまいち把握しきれていない様子の女性に向かって、坂田は呼び掛けた。


「真希さん。あなたは、河上真希さんですね?」


 女性は、答えなかった。


 朦朧とした様子で、天井に視線を彷徨わせている。


 搬送されて来て意識を取り戻してから、彼女は、ずっとこんな調子だった。

 目は開いているが、認識があるのかないのかわからない。まるで腐った魚のように、まなざしが虚ろだった。


 と、その時女性がぽそぽそと口を動かした。

 聞こえない声で、何か言葉を紡いでいる。


「え――?」


「せんせい」


 と、聞こえた。


 坂田は、傍らにいた看護婦たちにも注意を促した。


「わたし」


 聞き取りにくい声で、河上真希は、言った。


「わたし、ひとをころしてしまったんです」

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