蔵姫追儺 07
警察署にその男がやってきたのは、その日の午後遅くであった。
「こちらに、三条さんという方がいらっしゃると思うのですが……」
腰の低い感じの男がやってきた――煙草をくわえた捜査官は、警察署の入り口できょろきょろしている青年を見て、そう思った。
庁舎警備にぺこぺこ頭など下げたりして、面白いことをしているものだと見ていると、青年はやがて受付の方でそんなことを尋ねた。
捜査官はアルミの灰皿に煙草を押し付けて潰した。
「三条って――一昨日、逮捕されてきた? 三条允太郎と……それから頼子と裕行さん?」
声をかけると青年が振り向いて頷いた。
「ああ、ええ」
「なに? 面会?」
煙草を揉み消す。
ソファから立ち上がると、青年は捜査官の姿を認め、歩み寄ってきた。
「あのう……あなたが担当の捜査官ですか? 三条さんの取調べは?」
「ああ、いま休憩中。ほら、ちょうど食事どきでしょう」
壁の時計を指差してやる。七時だった。
すると、青年は何やら人好きのする笑顔で、それはいい、などといった。
「いいこころがけです」
「なんだい、あんた。もしかして、弁護士?」
にこ、と青年が笑った。
「あ、申し遅れまして――私、こういう者です」
差し出されたのは、名刺だ。
「三人とも勾留は決まったんですね。弁護人はまだ決まっていないでしょう?」
青年は、東京弁護士会所属の弁護士だった。一見してそれとわかるほどまだ若い。
「三条さんの、弁護を担当させていただきたいと思いまして。接見、よろしいですか? 休憩中、なんですよね?」
☆
「さて」
朱いろの鮮やかな鳥居をくぐって、柚真人は立ち止まる。
東の方から藍色の闇が迫る時刻だった。
風渡る空は薄紅色に染まり、仄かに輝いている。あたりには葡萄色の空気が澱み、影絵のような枯れ枝がざわざわと哭いている。
冬の黄昏――ふっとこぼれる少年のため息が、夕闇に白く溶けていった。
息吹を整え、彼岸へ渡る魂を、迎えるために背を正す。
そして皇柚真人は言った。
「これでよかったかな。――『クラヒメ』様」
誰もいない宵闇間近の境内に問う。
凛とした透明な声が、水面に立つ波紋のように響いた。
おんおんと風が唸り、少年はそれに嬲られる前髪をおさえる。
――うふふ。
――うふふ。
それはかすかな笑い声。
境内の向こうは、皇の屋敷だった。
やがて、まっすぐ延びた石畳の中程、薄闇の中から――すうっと人影が浮かび上がる。
それは、二人の――よく似た面影をもつ少女。
実体のない、曖昧な影。
それでも柚真人はふたりの少女に微笑みかけた。
それは極上の笑顔だった。
「鍵を開けて友達を招きいれたのは、君だね」
――うふふ。
しんと冷えた空気に響く笑い声。
「……淋しかったの……かな……」
――あのね。美佳お友達になったの。
――あたしたち、友達になったのよ。
ああ――そうか。
師走大晦日――かつてそれは、あらゆる人がひとつづつ歳をとる約束だった日だ。三条美佳は、その日、蔵の中で死んでいった少女と同じ歳を数えたことになる。三十一日の数で。
そういう符号があったのか。
――あなた……あなたも、あたしのこと、怒る? 苛める? あたし……悪いこと、した?
柚真人は、かぶりを振った。
「君は、何も悪くないよ。……ずっと、あの暗い闇の中で、我慢したんだろう」
――うん。
「ただ友達が欲しくて、そうおもったら、扉が開いてしまったんだ」
――うん。
少女は怯えた目をしていた。
そういうこともある。それは、想いが――遥かな願いがおこす、わずかな不思議。
その後に起こったことは、不幸な事故。そして哀れな犯罪だ。生ける者の、我が身をばかり愛しむがためのなんとも愚かな行為。
死してなお、呪いを以て留め置かれた淋しい死者の想いは幼心にただ友を需めたにすぎない。この少女――『クラヒメ』にいかほどの罪があろうか。
「さあもう行くんだ。君を苛めた人は、報いを受けた。君を縛る呪いも、もう無い。君は自由だ」
――ふふ。
――ふふ。
少女たちは、密やかに笑いあう。
それは何かうっとりするような、さざめきだった。黄昏の中に蕩けてゆく、妖しい声が、耳にくすぐったい。
――綺麗なお兄さん。あたし『クラヒメ』という名じゃないわ。
「ああ……そうか。そうだね」
――鷺子というのよ。
――鷺子ちゃんね、寂しかったの。
――だから、美佳も一緒に逝くの。……お兄ちゃんに……ごめんねって……伝えてね。美佳、お兄ちゃんが、大好きだった。独りにして、ごめんねって。
「ああ――」
少年神主は、少女たちに約束を誓って頷いた。
永い間蔵に閉じ込められていた少女鷺子は、友達を連れて旅路についた。あどけない笑い声をあげて、ふたりは黄泉路を行くだろう。
そこには幼い純粋な楽しさしかない。
少女たちの姿は、そうして――やがて冷たい冬の夜に溶けて消えていった。




