「お前を愛している」と壁ドンされたけど、壁に穴が空いて私の秘密がバレました
新作です。
「……捕まえたぞ、リリアナ」
私、リリアナ・ベルンシュタインの目の前には、この国の第一王子であり、乙女ゲーム『薔薇と剣のラプソディ』のメイン攻略対象、フェリクス・ヴァン・オルディンがいる。
燃えるような赤髪に、切れ長の金色の瞳。
彼は私、リリアナ・ベルンシュタインを部屋の隅に追い詰め、逃げ場を塞ぐように壁に手をつく。
いわゆる、壁ドンだ。
乙女ゲームなら、ここでプレイヤーはときめいて胸を焦がす場面だろう。
だが、現実は違った。
ドゴォォォォォン!!
鈍い音ではなく、何かが破壊される轟音が響き渡った。
フェリクス殿下の右手が、あまりの気迫と、彼が隠し持っているチート級の身体能力により、頑丈な壁を貫通たのだ。
パラパラと白い粉が舞う。
そして空いた穴の向こう側――隣の小部屋の壁に貼ってあった『あるもの』が、剥き出しになってしまった。
そこには模造紙十枚分にも及ぶ巨大なチャート図が貼られている。
中央には、フェリクス殿下の似顔絵。
そこから無数の矢印が伸び、赤ペンでびっしりと書き込みがされている。
・フェリクスの出没時間:14:00~16:00(中庭に接近禁止!)
・視線が合ったら3秒で逸らすこと(魅了回避)
・微笑まれたら即座に胃痛のフリをして撤退せよ。
・左耳を触る癖は嘘のサイン。騙されるな!
それは、私が前世の記憶とゲーム知識を総動員して作り上げた、血と汗と涙の結晶。
名付けて、『対フェリクス王子用・徹底回避マニュアル(絶対絶命版)』。
沈黙が落ちる。
フェリクス殿下は壁から腕を引き抜き、その奥にあるマニュアルを凝視した。
そして、ゆっくりと私に向き直る。その金色の瞳が、かつてないほど妖しく、熱っぽく輝いていた。
「……リリアナ」
「は、はいっ!」
「まさか、これほどまでに……俺のことを見ていてくれたとはな」
「え……?」
「俺の行動パターン、癖、視線の意味まで……すべてを分析し、記録しているとは。愛が重いな、お前は」
「ち、違います! 誤解です、殿下! それは愛じゃなくて、生存本能的な……!」
「いいや、言葉はいらない」
殿下は破壊された壁の破片を踏み越え、私を抱きしめた。
「俺もお前を愛している。……もう二度と逃がさないからな」
どこで間違えたのだろうか。私はただ、処刑エンドを回避したかっただけなのに。
物理的に穴の空いた壁の向こうで、私の平和な老後計画もまた、粉々に砕け散ってしまった。
◇
時間を少し巻き戻そう。
私は十歳の時に前世の記憶を取り戻した。ここは乙女ゲームの世界。私はヒロインを虐めて断罪され、最終的にフェリクス王子の手によって処刑される悪役令嬢だ。
(処刑エンドなんて冗談じゃないわ! 私はしわくちゃのお婆ちゃんになるまで生きて、縁側でお茶を啜りながら老衰で死ぬの!)
ゲームのシナリオ通りに進めば、私は十八歳の卒業パーティーで断罪される。
回避方法はただ一つ。
フェリクス王子と関わらないこと。これに尽きる。
婚約破棄されれば万々歳。しかし、我がベルンシュタイン公爵家は、王家の守護を司る家柄。父は「王家との絆は絶対だ!」と、聞く耳を持たない。
ならば、向こうから「お前など嫌いだ」と振ってもらうしかない。
そのためには嫌われる必要がある。
だが、ただ嫌がらせをするだけでは、「興味を引こうとしている」と勘違いされる恐れがある。なぜなら、王子の思考回路はポジティブすぎるからだ。
だから私は決めた。
『空気のように気配を消し、物理的に距離を取り、存在そのものを認識させない』
これこそが最強の生存戦略である。
私はその日から、フェリクス王子の行動パターンを徹底的に研究し始めた。
彼がいつ、どこで、誰と会うのか。
どの道を通って教室へ行くのか。
好きな場所、嫌いな場所、機嫌が悪い時のサイン。
それらを全てノートにまとめ、自室の隣にあるウォークインクローゼットの壁一面に貼り出した。
それが、あの『徹底回避マニュアル』である。
私の朝は、このマニュアルの更新から始まる。
「今日のフェリクス様の公務予定は午後からね。……ということは、午前中の図書室は危険地帯よね。裏庭の温室へ避難するのが吉だわ」
「食堂のメニューはAランチがステーキ。肉好きの殿下は必ずAを選ぶはず。私はパンのみを購入して教室で食べる!」
「移動教室の廊下ですれ違う確率は30%。もし遭遇したら直前の角を曲がって、女子トイレへ緊急退避!」
完璧だった。入学から二年間、私はフェリクス王子とまともに会話することなく、影のように過ごしてきたのだ。クラスメイトからは、「リリアナ様って、たまに気配が消えますわよね」「忍者とお呼びした方が……」と囁かれていたが、命には代えられない。
しかし、私の完璧な計画に綻びが生じ始めたのは、三年生の春だった。
◇
ある日の放課後。
私はマニュアルに従い、人気のない旧校舎の裏手で時間を潰していた。ここは殿下が絶対に立ち寄らない『安全地帯Sランク』の場所だ。
(ふふん、今日も平和ね。このまま下校時刻まで粘れば遭遇リスクはゼロよ)
文庫本を読みながら優雅に過ごしていると、突然、頭上から声が降ってくる。
「……見つけた」
心臓が止まるかと思った。見上げると、二階の窓枠にフェリクス殿下が座っていた。
夕日を背に、赤髪が燃えるように輝いている。
「で、殿下!? なぜ、このような場所に!?」
「それはこちらの台詞だ、リリアナ。お前こそ、なぜ俺がここを通る時間にわざわざ待ち伏せしていた?」
(え? ここを通る時間?)
私は頭の中でマニュアルを検索した。
おかしい。データでは殿下は今頃、生徒会室でヒロインとお茶をしているはず。
「俺は最近、公務の疲れを癒やすために、人目を避けてこの旧校舎でサボることにしているんだ。……知っていたんだろう?」
殿下がニヤリと笑い、窓から軽やかに飛び降りてきた。着地と同時に、私との距離がゼロになる。
「ひっ!」
「待て、逃げるな。……俺がここに来るようになってから三日。お前も三日前からここにいるな?」
(嘘でしょ!? 偶然よ! ただの偶然!)
「俺の行動を先読みし、俺が一人になりたいタイミングでさりげなく側にいる……。お前、なかなかやるな」
「誤解です! 私はただ、静かな場所が好きなだけで!」
「ああ、俺もだ。気が合うな」
殿下は私の手を取った。
その手は熱く、力強い。
「お前はいつもそうだ。俺が食堂へ行こうとすると、先回りしてパンを買って消える(※混雑回避のため)。俺が図書室へ行くと、入れ違いで出ていく(※遭遇回避のため)。……まるで、俺の思考を全て読んでいるようだ。最初は偶然かと思ったが、ここまでタイミングが合うと認めざるを得ない。……リリアナ、お前はずっと俺を見ていたんだな?」
(違うううっ! 確かに見てたけど! 監視してたけど! 意味が違うのよおおおっ!)
私は青ざめながら必死に手を振りほどいた。
「し、失礼いたします! 用事を思い出しました!」
私は脱兎のごとく逃げ出す。
背後で殿下が楽しげに笑う声が聞こえた。
その日から状況は悪化した。私が回避行動を取れば取るほど、殿下が『そこにいる』のだ。
角を曲がってトイレに逃げ込もうとすれば、なぜか女子トイレの前で殿下が待ち構えていた(※男子トイレの配管工事の視察だったらしい)。
温室の茂みに隠れれば、「珍しい花が咲いた」と殿下が入ってきて、私を見つけた。
マニュアルを更新し、裏をかこうとすればするほど、なぜか殿下と鉢合わせる。
まるで、磁石のように。
(なんで!? 私の回避アルゴリズムは完璧なはずなのに! バグなの!?)
私は知らなかった。フェリクス殿下が、「俺から逃げ回る面白い女がいる」と興味を持ち、王家の諜報部を使い、私の行動を先読みし始めていたことを。
つまり、これは高度な読み合いという名の鬼ごっこだった。
◇
そして迎えた、卒業パーティー前日。
私は寮の自室に引きこもり、最後の作戦会議を開いていた。
明日のパーティーはゲームにおける『断罪イベント』の舞台だ。ここで殿下に捕まれば、大衆の面前で婚約破棄(これは歓迎)からの、処刑宣告(これは困る)が待っている。
私はクローゼットの壁に、最終決戦用のチャートを書き加えた。
・フェリクス殿下の入場ルート:中央扉。
・私の待機位置:南西の柱の陰(死角)。
・殿下がヒロインに話しかけた瞬間(隙)に、北口から退場。
・万が一、目が合ったら即座に気絶したフリをして医務室へ搬送されること。
壁は真っ赤な文字と付箋で埋め尽くされている。
まるで狂気的なストーカーの部屋だが、これは私の生存戦略マップだ。
「よし、これで完璧ね。明日は開始十分で退場して、そのまま実家の領地へ馬車を飛ばすわ」
私は赤ペンを置き、満足げに頷く。
その時、コンコンとドアがノックされた。
「リリアナ、いるか?」
聞き覚えのある低く甘い声、フェリクス殿下だ。
(は? ここ女子寮よ!?)
「へ、返事はしません! 私は寝ています!」
「……起きているじゃないか、入るぞ」
ガチャリ。鍵をかけていたはずのドアが、いとも簡単に開いた。王族権限か、それとも魔法か。
殿下が悠然と入ってくる。
「ひっ……!」
私は反射的に後ずさり、クローゼットの前で仁王立ちになった。この後ろには見られてはいけない『回避マニュアル』がある。これを見られたら不敬罪か、ストーカー容疑で即牢屋行きだ。
「殿下、不法侵入です! 出て行ってください!」
「つれないな。明日のパーティーのパートナーだぞ? エスコートの打ち合わせに来たんだ」
「打ち合わせなど不要です! 私は欠席しますので!」
「ほう?」
殿下が目を細め、一歩近づいてくる。
威圧感がすごい。
「欠席だと? 俺という婚約者がいながらか? やはり、お前は逃げるつもりか?」
「逃げるも何も最初から参加するつもりはありません!」
「嘘をつけ。お前の瞳が泳いでいるぞ。……何を隠している?」
殿下の視線が、私の背後のクローゼットに向けられる。
勘が鋭すぎる。
「な、何も隠してません! 下着とか干してあるだけです!」
「公爵令嬢が下着を干すわけがないだろう。そこをどけ」
「嫌です! 絶対に嫌です!」
私はとっさに殿下の前へ滑り込み、両手を広げて立ちはだかった。
殿下は深いため息をつくと、私の手首を掴んで壁際に押しやった。
ドンッ。
背中が壁にぶつかる。
逃げ場はない。
殿下の顔が目前に迫る。
「……リリアナ、いい加減に認めろ」
「な、何をですか?」
「お前が俺を避けるのは照れ隠しだろう?」
「は?」
殿下は真剣な眼差しで言った。
あまりに的外れな推理に、私は口を開けたまま固まった。
「俺は気づいていた。お前が俺を見つめる視線の熱さを。俺が近づくと、顔を真っ赤にして逃げ出す愛らしさを」
「えっ、あの……それは……(※全力疾走による紅潮です)」
「明日のパーティーで、俺はお前との婚約を正式に発表し、結婚の日取りを決めるつもりだ」
(ええええええっ!? 待って、断罪は!? ヒロインはどうしたの!?)
「ちょ、ちょっと待ってください! ヒロイン……いえ、男爵令嬢のことはどうするんですか!?」
「彼女か? 彼女は俺の弟といい仲だ。応援してやっているぞ」
シナリオが崩壊していた。
私が逃げ回っている間に、弟王子ルートに入っていたらしい。
「だから観念しろ。……俺は、お前が欲しい」
殿下の顔が近づいてくる。
キスされる、そう思った瞬間、私の生存本能が暴走した。
「い、嫌あぁぁぁっ!」
私は反射的に殿下の胸を突き飛ばそうとした。
しかし相手は屈強な男性。びくともしない。
代わりに勢い余った殿下の右手が、私の耳元の壁に突き刺さった。
――ドゴォォォォォン!!
そして、今に至るのだ。
漆喰の粉が舞う中、殿下は壁の向こうの『マニュアル』を読み込んでいた。
・フェリクス殿下の出没時間。
・好きな食べ物:辛いものは苦手。甘党。
・弱点:雷が鳴ると少し震える。
「すごい…………」
殿下が震える声で呟いた。
「俺の好みが甘党であることなど、王族の極秘事項だぞ? なぜ、お前が知っているのだ? いや、まさか、ゴミ箱の中まで調べていたのか……?」
(調べてないし! ゲームの設定資料集に書いてあったのよ!)
「雷が苦手……これは幼少期のトラウマだ。誰にも言ったことがないのに……お、お前は俺の過去まで包み込んでくれていたのか……」
(違うの! 雷の日にデートイベントが発生するから警戒してただけ!)
「視線が合ったら3秒で逸らす……なるほど。見つめ合うと理性が保てないから、あえて逸らしていたのか。いじらしい奴め」
(魅了スキル対策よ!!)
殿下の解釈は、全てポジティブな方向へと暴走していた。私の必死の回避努力は『深すぎる愛ゆえの行動』として、上書き保存されていく。
「リリアナ」
殿下は粉まみれの手で私の頬を包んだ。
その瞳には狂気じみた感動の涙が浮かんでいる。
「これほどまでに愛されているとは知らなかった。すまない、俺の察しが悪かった……」
「あの、殿下、これは誤解で……」
「恥ずかしがらなくていい。このマニュアル……いや、『愛の観察日記』は俺たちが結婚した後、王家の宝物庫に永久保存しよう」
「やめてええええ! それはただの黒歴史ですからぁぁぁっ!」
私の悲鳴は殿下の熱い口づけによって封じられた。
壁に大穴が空いた部屋で、粉塵にまみれながらのファーストキス。ロマンチックのかけらもないが、殿下だけは、「この壁の穴も俺たちの情熱の証だな」と、満足げだった。
◇
翌日、卒業パーティーの会場に、私は連行された。
逃げ出さないように、殿下に腰をガッチリとホールドされながら。
「皆、聞いてくれ!」
殿下が高らかに宣言する。
「私の婚約者リリアナは、私の全てを知り尽くし、陰ながら支えてくれていたんだ!」
(……いや、物理的に逃げていただけです)
「彼女以上の妃はいない! よって、ここに結婚を宣言する!」
会場中がどよめき、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
ヒロインの男爵令嬢も、「おめでとうございます! リリアナ様、いつも王子のことを見てましたもんね!」と祝福してくれた。
私は監視的な意味で見てただけだが、引きつった笑顔で手を振るしかなかった。
心の中で、「違う、そうじゃないの!」と叫びながら。
◇
あれから数ヶ月。
私は王太子妃として、城の離宮で暮らしている。
いや、暮らしているというより、飼われているに近いかもしれない。
この離宮は殿下の指示によって改築された。
壁という壁が鋼鉄入りの強化コンクリートで補強されているのだ。
「これなら俺がまた壁ドンしても穴は空かないし、リリアナがトンネルを掘って逃げることもできない。完璧だな」
殿下は満足そうに壁を叩いた。
「殿下……私、別に逃げませんよ。もう諦めましたから」
「諦めた? なぜ、そんな悲しいことを言う。そこは『愛に降伏した』と言ってくれ」
殿下は後ろから私を抱きしめ、首筋にキスを落とす。
「ああ、そうだ。リリアナ、新しいマニュアルを作っておいたぞ」
「はい?」
殿下が差し出したのは分厚い革張りの手帳。
表紙には、『リリアナとの愛のスケジュール』と書かれている。
・07:00:起床のキス。
・08:00:朝食
・12:00:公務の合間にリリアナ成分補給(15分)
・20:00~就寝:朝まで離さない。
中身は分刻みで私とのイチャイチャ予定が書き込まれていた。
かつて私が作った回避マニュアルの完全なる逆バージョン。
「これからは俺がお前を観察し、記録する番だ。覚悟しておけよ、俺の愛しいストーカーよ」
殿下は極上の笑みを浮かべると、私は観念して、手帳を受け取った。
壁に穴を開けてしまった、あの日。
私の逃走ルートは完全に塞がれ、代わりに底なしの溺愛ルートが開通してしまったようだ。
まあ、悪くはない。
この暑苦しいほどの愛に慣れてしまえば、案外快適な監獄生活かもしれない……なんて、最近思い始めている自分が一番怖いのだが。
お読みいただきありがとうございました!
他にも↓投稿してますので、ぜひ見てくださいませ。
【短編】辺境の城に生贄として捨てられた令嬢ですが、そこは至高のグルメ天国でした
https://ncode.syosetu.com/n9067lm/
【短編】効率厨の悪役令嬢は婚約破棄RTA記録を更新する。「お前を愛することはない」は、チュートリアルなのでスキップします
https://ncode.syosetu.com/n9694lm/
ブックマークと、↓【★★★★★】の評価をお恵みくださいませ! それではまた( ´∀`)ノ




