五、荒野の命泥棒「その二、水は宝石」
北アメリカ中部、砂漠のまん中にあるミレッソ・タウンは、西部にはよくあるさびれた町だが、ある深刻な問題を抱えていた。荒野に住む者には命といえる水を、あるギャングの一団に独占されていたのである。
このあたりはミレッソから一キロ離れた場所にあるバウル湖にしか水資源がなく、かつては町から毎週出る鉄道でバウル湖から一週間分の水を運んでいたが、最近そこに居を構えたドン・セレス率いるセレス団が湖を占拠してしまい、ドンの許可なしでは水を運べないという横暴な事態になった。ミレッソの町長は何度か交渉しようとしたが埒があかないばかりか、逆らった町の若者が殺されるという悲惨な結果になり、事実上ミレッソ・タウンは、セレス団の支配下に置かれてしまった。
以前は、汽車の後ろの荷台に据え付けられた十メートル四方の巨大な樽一杯ぶんの水を毎週町まで運んでいたのだが、ドン・セレスはそれを三分の一という分量に減らしてしまった。また勝手に有料にされ、水を増やしてほしいなら三倍の額を払えと脅された。
当然水不足は町の住人の死活問題になったが、町の保安官ひとりではとても太刀打ちできない。町長は苦慮の末、あのキラー・ニノッチをこのあたりで見かけたという情報を得て、藁をもすがる思いでコンタクトを取ったのだった。
話を聞き、彼女は二つ返事で引き受けた。
「それで……水を樽一杯にして、町まで持ってくると」
ボスが作戦の内容を話し終えると、ユーリがぽつりと言った。バウル湖から数百メートル離れた岩場に張ったテントで会議中である。岩の向こうに線路が横たわり、湖から町まで延々のびている。
「そう、ばれないようにね」とニノーチカ。
「無理でしょ、そんなの」とヨーコ。
「だから、あなたの力がいるの」
「魔法でごまかしたとしても、水が減ってたらすぐわかっちゃうわよ」
「ところが、そうでもないのよ」
ニノーチカは椅子に背をもたれて、気持ちよさげに伸びをしてから言った。
「湖から取ってるだけだからね。はかるわけじゃなし、どんなに減ろうがわかりゃしないわ」
「それはそうだけど」
ヨーコはため息をついた。緊張感なさすぎである。こんなんで大丈夫だろうか。
今回は、特にヤバい相手である。ドン・セレスの冷酷さと悪名はこのあたりにとどろいている。名を聞くだけで馬も飛び上がって逃げ出す、とさえ言われるほどだ。
もちろん、この人と一緒にやると決めたときから半ば心中覚悟ではあるから、仕事はきっちりやるつもりでいる。だがそれにしても。
町長から出された報酬額は破格だが、それが目的でもあるまい。たんに面白そうだからだ。この人なら報酬なしでもやりかねない。まあ、だから逆に信用できるんだけど。
ほかの二人は、特に反論はないようだった。もちろんフラウは話のあいだじゅう、あれこれと心配してビビっていたが。
次の日の夜明け、バウル湖の裏にある別荘で目を覚ましたドン・セレスは、部下からの知らせに眉をひそめた。ここには数軒の家屋を建ててちょっとした町を作り、三十人ほどの部下を配置している。ミレッソ・タウンから大金をむしり取るためには、湖の管理は欠かせない。
だが、今朝は少しあわてた。湖上にバカでかい暗雲がたちこめ、今にも嵐が来そうだという。さっさと服を着て部下を集めると、予備の樽を大量に用意させた。豪雨が来れば、湖はあふれる。少しでも水を余計に貯えようという一見ケチくさい考えだが、この荒野では水は命である。高値で売れる宝石である。少しでも懐に入れておいて損はない。
「ようし、一番でかいのは湖畔に置いとけ」
ダミ声を吐いて、汽車に乗せているのと同じサイズの十メートルの樽を配置させると、ドン・セレスは頭上のまっくろな雲を見上げた。彼は太った恰幅のいい男で、ブルドッグのようなたるんだ頬と、いかつい口ひげに、でかい鼻と分厚い唇を持ち、いつもその眼光鋭い垂れ目をぎょろつかせて、金目のものを探している。金のためならコロシだろうが、どんなことでも平気でする男である。
彼はプライベートだろうが腰のホルスターに銃を入れていて、いつでも撃てるようにしている。誰が裏切るかわからないからだ。というか裏切りは自分がさんざんやった。恨みも買ってきたし、その意味ではあのキラー・ニノッチと変りない。
「先生は?」
聞かれた部下が「まだ、おねむのようで」と言うと顔をしかめた。
「まあ、いつものこった」
吐き捨てて指示に戻る。雇う自体が無駄な気もするが、いざというときのためだ。そう思って我慢した。
バウル湖にはダムがある。といっても木と岩を積んでせき止めているだけだが、樽と同じくらいの高さがある。ニノッチたち四人は、このダムの手前に作られた、こじんまりした駅に停まる汽車の前に集結していた。
案の定、部下は全員湖畔に出て、誰もいない。車両の陰からヨーコが湖上に向かって暗雲の幻覚を出している。これがバレる前に、コトを済ませなければならない。
汽車の後ろの荷台にでかい樽、蓋から太いパイプが出ていて、ダムとつながっている。ダムについているハンドルを回して水を樽に送る。樽にはすでに今週ぶんの三分の一が入っていたが、ニノーチカは満杯にするべくガバガバついだ。
ヨーコから(早く! いつまでも雨が降らないとバレるわよ!)のゼスチャーを受け、十分ほどでやっと終えると、汽車に乗り込んで釜に火をつける。あとは、ずらかるだけだ。
このまま町へ倍の量の水を運び、しれっとしてもバレることはない。汽車がいつの間にか町へ行っても、部下の誰かがやったと思うだけだろう。ちょろい、ちょろい……などと気楽に考えていた。
だが、そうはいかなかった。
「これはこれは……懐かしい」
小屋から出てきたリーボックは、暗雲を眺めて感慨深く言った。
「おや、お目覚めですかな、先生」
ドン・セレスは嫌みっぽく言うと、その奇抜な姿を横目で見た。リーボックはなでつけた金髪に、目には舞踏会で使うような黒い仮装眼鏡、口にも白いマスクをして顔を隠している。彼はお抱えの魔導士だった。その変に気楽で余裕があるたたずまいを、ドン・セレスは嫌っていた。
「なにが懐かしいのかね」とドン。
「ここまではっきりとした幻術は久しぶりに見た。思い出すなぁ。あれはたしか、私が幼少の――」
「ちょっと待て。幻術と言ったな?!」と顔が険しくなる。「すると、これは魔法か?!」
「さよう。ですから、樽などご用意しても、雨は降りません」
とたんに察し、部下に叫ぶ。
「すぐ駅に行け! 水が危ない!」
だがドンたちが駆け付けたときには、汽車は駅を離れてけたたましく爆走し、樽のでかいケツしか拝めなかった。窓から出てこっちを向いた顔に、ドンは歯ぎしりした。女は彼と目が合うと、車掌のようにこめかみあたりで二本指を振り、女神のように微笑した。
「キラー・ニノッチだ! 追え!」
ドンの叫びで、セレス団の三十人の部下たちが馬で走りだした。




