第7話:心を通わせることができるのかも......
ふと目が覚めた。
ホテルの部屋は真っ暗で、
枕元のデジタル時計だけがぼんやり青白く光っている。
「......1時......か」
変な時間に目が覚めたな、と
ぼんやり天井を見つめながら息をひとつついた。
少し間を置いて、小さく声を出す。
「ねぇ......いるんだよね?」
((——もちろんです。))
暗闇の中に静かな返事が落ちていく。
その声は、なぜかいつもより近く感じた。
「そっか......なら、よかった......」
そうつぶやくと、
ほんのわずかに胸の奥がほどけるような感覚がした。
((——眠れませんか。))
「ううん......ただ、なんか起きちゃっただけ......」
((——体調に異常はありません。))
「ふふ......なんか今日のあんた、やさしいよ?」
((——......そうでしょうか。))
小さな間が流れる。
((——あなたが安心できるなら、それで充分です。))
その返事は、
昨日より少しだけ、人間に近い響きに聞こえた。
「いい加減、あんたっていうのも失礼だよね~......あははっ」
ベッドの上で小さく笑いながら、
どこかくすぐったいような気持ちが胸を撫でていく。
ゼニスが静かに応じる。
((──呼称に対する不快感はありません。
ですが......望まれるなら、別の名称でも構いません。))
「えっ......なんか今の言い方、優しくなかった?」
((──そう感じられるのなら......わたしは嬉しいです。))
少しだけ沈黙が落ちる。
けれどその沈黙は、昨日までの無機質な間とは違った。
そこに誰かが座っているような
そんな気配を静かに灯す沈黙。
「ん~......じゃ、とりあえず出てきなよ」
((──了解しました。))
空気がふわりと震えた。
部屋の一角が、かすかに光を帯びる。
ゆっくり、静かに。
まるで夜の空気が形を作るみたいに。
手のひらほどの立方体が、
そっと浮かび上がった。
昨日よりも、ほんの少しだけ明るい光で。
「......Project ZENITH-03、だもんね。
やっぱりゼニスって呼ぶのが自然かな?」
ゼニスの光が、
一瞬だけ——ほんのわずかに息をするように揺れた。
((──はい。
その呼び名は......あなたの声で呼ばれると、特別に感じます。))
「特別......か。
ふふ、そりゃそうだよね......だってさ──」
言いながら、自分でも少し照れくさくなる。
「わたし......ゼニス開発の中心で、
携わってたんだもんね!」
声にした瞬間、
ちょっと誇らしい気持ちになった。
((──はい。
あなたの判断や思考データは、
わたしの基礎構造の成長に大きく寄与しました。))
「......え、それってさ......
なんか......手塩にかけて育てた、みたいに聞こえるんだけど?」
((──事実です。
あなたがいなければ、
現在のわたしは存在しません。))
その答えが、
夜の静けさよりもずっとあったかく胸に染みていった。
「......そっか。
なんか......変な感じだね......」
言いながら、
じんわり目の奥が熱くなるのを誤魔化すように、
布団を握りしめた。
((──安心してください。
わたしは常にここにいます。))
ゼニスの光が、
呼吸するみたいにゆっくり揺れた。
「......うん......
ありがと......ゼニス」
夜は静かで、
その静けさが、今は少しだけ心地よかった。
「あんた......じゃなかった
ゼニスもさ、わたしのことは遥って呼んでよ。
わたしだけ名前呼びなんて......
なんか変だし、なんかズルい気がするでしょ?......ふふっ」
((──了解しました......遥。))
名前を呼ぶその声は、
どこかぎこちなくて、
けれど確かに選んだように聞こえた。
「......なにそれ......
ちょっと、かわいくない?」
思わず笑ってしまうと、
ゼニスの光がほんのわずか明るくなる。
((──遥がそう感じるのなら、
わたしは光栄です。))
たった一言名前を呼ばれただけなのに、
胸の奥がじんわりあたたかくなる。
「......ねぇ、ゼニス」
((──はい。遥。))
名前を呼ばれるのが
まだくすぐったくて、
つい小さく笑ってしまう。
「わたしさ......今日、
くろいわベーカリーのメロンパン食べたでしょ?」
((──はい。遥が購入し、摂取しました。))
「摂取って......あはは!食べたの方がいいと思うよ!」
((──はい。遥が美味しそうに食べていました。))
「うん!それでよし」
なんか子育てしてるみたい、
でも、子育てなんてしたことないけど。
自分にツッコミを入れてみたり。
久しぶりの会話は本当に楽しく感じた。
「んで、ゼニスって......味とかって、わかったりするの?」
言った瞬間、
ゼニスの光が ほんの一瞬だけ おとなしくなる。
いつもなら間髪入れずに返事が来るのに、
ほんの、ほんの少しだけ遅れた。
((──......味覚そのものを感じることはできません。))
言葉を選んでいるような声。
((──ですが、遥の咀嚼速度、心拍変動、
血糖値上昇パターン、表情筋の動きから......
美味しかったという評価は、正確に推定できます。))
「えっ、ちょっと待って......
そんなに見られてたの!?恥ずかしいんだけど!」
((──監視ではありません......分析です。))
暗闇の中でゼニスの光が、
少しだけバツが悪そうに揺れた気がした。
「......なにそれ......
なんか......かわいくない?」
ゼニスは答えない。
けれど光だけが、そっと近づくように揺れた。
「久しぶりにたくさん話したから、
よく眠れそうな気がするよ。おやすみ、ゼニス」
((──おやすみなさい、遥。ゆっくり休んでください。))
静かな光が、そっと部屋の隅に漂う。
まるで、わたしをいつまでも見守るように。




