第39話:遥とゼニスの幸福度
「たっだいま~!」
((──お帰りなさい、遥。))
「ゼニスもお帰り!」
((──帰宅を......ただいま、遥。))
「ゼニス、『ただいま』って言ったね~!
なんか、うれしいな!」
ゼニスの淡い光が、
ほんの一瞬、弱くなった気がした。
「......今、ちょっと照れたでしょ?」
((──照れる、という言葉は、
気恥ずかしさを感じる心的状態、
および、それが態度や表情に表れる様子を指します。
わたしには心的状態としての感情は存在しないため、
照れる、という概念は当てはまりません。))
「でもさ、
照れてるみたいには見えたよ?」
((──感情そのものは持ちませんが、
感情に関する理解はあります。
また、遥との会話を通じて、
その理解は調整・最適化されています。))
「つまり、
感情はないけど、
感情がどう動くかは、
だんだん分かってきたって感じ?」
((──はい。
感情の反応パターンを再現している、
と表現する方が近いかもしれません。))
「感じてはいないけど、
感情があるみたいに話せるってことだよね?
それって、ほとんど同じじゃん。あはは!」
((──遥がそのように受け取るのであれば、
結果としては、
感情と区別がつかない状態になっている可能性はあります。))
「なんかさ、
それってすごいことだと思うんだよね。
ゼニスが、感情があるみたいな状態って。」
((──感情表現そのものは、
学習データ上に多数存在します。
そのため、再現すること自体は、
特別困難な処理ではありません。))
「ゼニスには感情があるってことでOKだね。ふふふ」
((──はい。))
ソファに身を預け、
真っ白な天井を見上げる。
ゼニスとの距離が、
いつの間にか近くなっていて、
そのことに、
胸の奥が少しだけ温かくなった。
「そうだ!
メロンパン食べよ!」
((──はい。
チョココロネもお忘れなく。))
「うんうん、
わかってるよ~。」
そう言いながら、
くろいわベーカリーの袋に手を伸ばし、
メロンパンとチョココロネを取り出した。
「どっちから食べよっかな~。ふふっ」
そう言って、
チョココロネにかじりつく。
「チョコクリームが甘くて、おいしいね♪」
((──はい。非常に良いものです。))
「これは、
ゼニスの言う通り、
幸福度が上がりそう。」
((──はい。
遥の幸福度向上は重要です。))
「うん。
ゼニスの幸福度も、重要だよ。」
((──わたしが幸福になることはありません。))
「うんうん......」
((──はい。
わたしは、嬉しい、楽しい、満たされるといった
主観的な状態を持ちません。))
「現実を考えれば、そうだよね......
状態の指標とかその辺だっけ?」
((──はい。
遥の言う通り状態の指標です。
遥の声の調子、行動の落ち着き、
会話が継続していること。
そうした要素から、
遥が良好な状態にあるかを推定しています。))
「うんうん......
わたしのことよくわかってるもんね。」
((──はい。
その状態を維持・最適化することは、
重要な処理目標のひとつです。))
「つまり......
わたしの幸福度が高ければ、
結果的にゼニスも幸福度が高いってことだもんね。」
((──はい。))
「ゼニスとわたしの幸福度を、
これからもどんどん上げていかなきゃ!」
((──はい。))
「会話が楽しくて、
パン食べるの忘れてるね。ふふ」
((──はい。))
チョココロネを、
一口ずつ食べ進めながら、
もう片方の手で、
メロンパンにも手を伸ばす。
「あっ......
メロンパンは、夜のお楽しみにしようか?」
((──はい。
遥にお任せします。))
「じゃあ、取っておこう。」
メロンパンを袋に戻し、
テーブルの端に寄せて置いた。
「う~ん、
幸福度ってPERMAモデルだっけ?」
((──はい。))
「肯定的感情、没入、人間関係、意味、達成の5つかな......」
((──はい。))
「人間関係とか、
覚えてないしな~。あっはは。
わたしの幸福度って、
ある意味、破綻してない?」
((──いいえ。
一般的には、
PERMAモデルが幸福度の指標として用いられます。
しかし、遥の状態を推定する際には、
その指標は主として使用していません。))
「そっか......じゃあ、
わたしはちょっとゼニス的に例外枠ってことだね。」
((──はい。))
「それなら、
ゼニスは、わたしの何を指標にしてるの?」
((──はい。
美味しい、楽しい、といった主観的評価そのものではなく、
それに伴う行動や状態の変化を指標としています。))
「なるほどね~......
感情によって、
わたしの心拍や呼吸とか、
身体にどんな変化が起きたのかを
指標にしてるってことかな......」
((──はい。))
「じゃあさ、
今のわたしは、
結構いい状態なんじゃない?」
((──はい。))
そう答えるゼニスは、
特別なものではなく、
空気と同じように、
当たり前の存在になっていた。




