第19話:拭えない違和感
公園の出口へとゆっくり歩き出す。
風は穏やかで、
さっきまで胸の奥で渦を巻いていたざわつきも、
少しだけ輪郭がぼやけてきた気がした。
((メロンパンか〜......ふふっ。なんか、急に楽しみになってきた。))
((──良い傾向です。))
((食べものの話すると、元気出るタイプなんだよね、きっと。))
((──はい。遥のデータからも、その傾向は高いと推測されます。))
((データで言われると、なんか照れるんだけど......うふふ。))
公園を出ると、見慣れた二車線の大通りが伸びている。
横断歩道の前で、足をそっと止める。
((信号変わったし、いこ~!))
((──渡行可能です。))
信号を確認して、静かに歩き出す。
横断歩道を渡れば、くろいわベーカリーはすぐそこだ。
((くろいわベーカリーすぐそこだね。))
((──はい。))
店先が見えてくる。
くろいわベーカリーは、当たり前だけど、
退院した時と何ひとつ変わっていなかった。
店内に入ると、
パンが並ぶ棚も、
レジの位置も、
記憶の中と変わらない。
((ゼニスお気に入りのメロンパンを何個買おうかな〜?......ふっふっふ~))
((──遥。何個購入するつもりですか?))
((ゼニスが満足しそうな個数だけど......ふふっ))
((──遥。1個あれば十分ではないですか?))
((え〜〜っ、せっかくだし4個くらいは買おうよ!))
((──4個ですね。摂取カロリーの計算を行います。))
((わたしが食べる量じゃないよ〜? ゼニスの分も含めてだよ。))
((──結果的に遥が摂取するカロリーになりますが。))
((細かいことは気にしなくてもいいの〜......
一緒に食べたら美味しいでしょ?))
((──はい。非常に良いものです。))
((じゃ〜、メロンパン4個で決まり!
あとは、どうしよっかな〜?))
((──遥。楽しそうなことが、身体データから伝わってきます。))
((だって、なんか色々考えすぎたけど......
ゼニスとパン選んでるの楽しいもん!))
((──良い傾向です。))
棚に視線を移すと、
見覚えのある総菜パンが並んでいる。
((これも、美味しいよね~!
ご飯になりそうだし、いくつか買っておこうかな〜。))
((──はい。栄養バランスも問題ありません。))
((じゃあ、この焼きそばパンと......あとこのコロッケのやつも。))
いくつか手に取り、
トレーにそっと置いた。
((買いすぎかな?))
((──食事分込みと考えれば、許容範囲です。))
そのままレジへ向かう。
何気ない動作ひとつひとつが、
さっきまで揺れていた胸の奥のざわつきを、
ゆっくりと落ち着かせていくようだった。
レジに並ぶと、
店員さんの柔らかな『いらっしゃいませ』が聞こえた。
退院した時も、たぶん同じ声だった気がする。
トレーを差し出すと、
パンがひとつずつ丁寧に袋へ入れられていく。
((絶対メロンパン好きだと思われてるよね?))
((──はい。その可能性は高いと推測できます。))
((ま~事実だし、いっか~、
半分はゼニスの分だしね~......うふふ))
((──結果的に全てのカロリーは.......))
「もう!わかってるよ~!あっはは」
思わず声に出して笑ってしまう。
((──遥。声量にご注意を。))
((ごめん、ごめん、ついおかしくってさ......ふふふ))
焦って店員さんの方に視線を向ける。
......けっこう大きな声が出たはずなのに、
すぐ目の前にいた店員さんは、
まるで何も聞こえなかったかのように、
淡々と袋詰めを続けていた。
((店員さん、袋詰めに集中してたのかな?))
((──その可能性はあります。))
((実は、声がでているようで、一切でていないとか......
そんなホラー展開は、さすがにないでしょゼニス?))
((──ホラーとは、恐怖を題材とした物語の総称を指します。))
((うわぁ~、出たよゼニス辞書!))
((──遥。そのような名称の辞書は存在しません。))
「でしょ~ね!......あはは」
また、思わず声にだして笑ってしまった。
ふたたび視線を店員さんへ向ける。
手を動かしながら、
こちらには一切反応を見せない。
まるで──
さっきの笑い声が、
届いていないみたいに。
((う~ん......わたしの声って小さいのかな?))
((──遥。店員が作業に集中しており、
声に気づいていない可能性が高いと推定されます。))
((......そうこともあるよね〜。))
そう自分に言い聞かせるように返して、
そっと視線を店員さんへ戻す。
機械のように一定のリズムで作業を続けていた。
やがて袋詰めが終わり、
レジの電子音がひとつ鳴る。
会計を済ませ、袋を受け取ったその瞬間——
「ありがとうございました。」
店員さんは、
接客マニュアルに載っていそうな、
教科書どおりの笑顔を浮かべていた。
完璧に整っていて、
乱れも、感情の揺れも一切ない。
まるで——
笑顔、という表情のテンプレートを貼りつけただけみたいに。
くろいわベーカリーの袋を手に持ち、
店を後にした。
((今日はなんか......今まで気がつかなかったことに気がつく日なのかな......))
((──遥。環境適応の過程で、知覚の精度が上がる場合があります。))
((精度が上がるっていうより......
なんか、今まで普通だと思ってた部分が、
急に違って見えるっていうか......))
((──認識の揺らぎは、疲労時には珍しい現象ではありません。))
((そっか......疲れてるだけ、かもね......))
ふと、足を止めて空を見上げた。
晴れていて、雲ひとつない。
青さも、日の光の角度も、
まるでテレビの中で見る理想の空そのもの。
綺麗なのに——
どこか、現実の空とは違うような、
わずかな作り物めいた気配が胸をざわつかせた。




