Startegy8:白銀の消失
どこまでも続く、白い世界。
吹き荒ぶ風は身を凍えさせるに充分なほど冷たく、その風は身体のみならず心も凍らせていく。
そんな極寒の地でも快晴の時は綺麗な景色が拝めるという魔の岩山。
その遥か上空には巨鳥が群を成して飛行しており、先頭にいるのは深い灰色の髪を靡かせている女がいた。
真っ先に目に入るのは彼女の灰色の髪に栄える豪奢な銀の髪飾り。
積もった雪と厚い雲の間から覗く太陽の光に照らされ輝いている。
雪のように白い肌に淡く薄い唇を開いてこう言った。
「ルディアス、ダイアウィングは簡単に落ちたわね。ハルパスもハーディストタワーを制圧したら封じることが出来たし、あとは邪魔者を排除していくだけかしら」
彼女が話し掛けているのは先頭にいる男、名前をルディアスという。
彼女の話を聞いたルディアスは年齢の割に色気を強調しているルキリスを見て苦笑しながら返答する。
「ゼーウェル卿はリデルのところにいるから安心は出来ないぜ。しかし……俺達も嘗められたものだなあ」
ルキリスを見ていた時の苦笑とは裏腹に、悔しそうな表情を露わにする。
「ローレンは捕まえたがミディアとゼーウェル卿は逃がした。飛行じゃあ氷や雷を基礎で覚えている魔術師には勝てねえ……それにゼーウェル卿だけはリデルも裏切れない……かくなる上はハーディストタワーか」
「……ルディアス、リデルがゼーウェル卿を裏切れないように、私たちもリデルを裏切れないじゃない。こんなことが知られたら、あの方は黙っていないわよ」
ルキリスが苦悩に満ちた表情を浮かべるとルディアスもため息をついてこう答える。
「それを言うなよ、ルキリス。リデルのことはあとで考えようぜ、な? 兎に角、俺達がやらねえといけないことは唯一つだろ?」
ルディアスが同意を求めるように言うとルキリスも頷いた。
「そうよ、私たちの使命はレイザとディールの始末……今はそれだけを考えないとね」
遥か上空、どこを見渡しても白銀が広がる一帯を見下ろしながら若い男女は話していた。
身も心も凍らせるような寒さの中、彼らは与えられた使命を果たそうと動き出したのである。
彼らが乗っている巨鳥が一斉に羽を羽ばたかせ、再び群れを成して飛んでいくのだった。
****
一方、未だハルパスにいるレイザとディールと、新たに加わったミディアの三人はルディアス達が待ち受けるロック・レンブレムを目指して歩いていた。
「はああ、人の気配はないし、廃墟ばかりだし、そろそろ見飽きたよ」
詰まらなそうな溜め息をついたディールは小石を蹴りながら呟いた。
「まあまあ、ディール……そう言わないの」
レイザとは違い優しく宥めるミディアを見てディールは縋るような視線を向ける。
「絶対に変だよ! 一人や二人ぐらい見かけるはずなのに見当たらないし廃墟だし……そ、それに、何か、き、気持ち悪いし……」
言葉で説明することはどうやら難しいらしいが、ディールの顔を見ればこの街の雰囲気が異様であることに確信を抱いた。
「もしかしたら、フィリカそのものが異様だったりするのかもな」
いつもと違い、神妙な表情に独白のように静かな声で言ったレイザの脳裏にはフィーノの話がこびり付いて離れないでいた。
無限の力を持つ神がいるとしたら、その神にいったい何があったのか。
何故、ラルクたちのような者がいとも簡単に此処にたどり着いたのか。
少なくともゼーウェルを追いかけるのが目的だったのに、いつの間にか大それたことに巻き込まれたなと、レイザは思わずにはいられなかった。
(どうしてこうなったんだ……俺は聞いてないぞ)
誰にもぶつけられない怒りにも似た呟きを心の中でぼやき、再び歩き出した。
それと同時に淋しさも湧いてくる。
――ゼーウェルに、早く会いたい。
彼はどうして一人でフィリカに向かったのだろうか。
(……本当は、一緒に行きたかった)
でも、ゼーウェルがフィリカに向かうと言った時、彼の面持ちは妙に真剣で辺りが一瞬にして張り詰めた空気になったのは覚えている。
同時に突っぱねるような空気を纏っていたのも、きっと忘れられない。
(……ゼーウェル)
ディールとミディアの会話を聞きながら彼はゼーウェルのことを思い出していた。
初めて出会った時は変わった奴の印象が強かったけれど、それは自分が窮地に陥った時、彼は危険を顧みず助けに来てくれた姿を見た時に変わった。
不器用な奴。言葉に出すのも表情や身振りで表すのも下手だが本当は優しい人だと、レイザはゼーウェルを頼りにし、慕っていくようになった。
ゼーウェルの方はあくまでも自分を部下だと思っているようだが、レイザは彼を『パートナー』だと思っている。
それ故に、一人でフィリカに行くと言った時はショックを受けたのだ。
彼はそんなつもりはないだろうが、拒絶されたような気がしてならないレイザは意地でもフィリカに向かおうと思った。
(言ってやりたいことは山ほどあるんだ)
独り物思いに耽るレイザを見ていたのはディールである。
「……おーい、レイザ……大丈夫?」
話し掛け辛い雰囲気を纏っていたのか、ディールは恐る恐るレイザに向かって声を掛けた。
「……あ、悪いな。ところで次はロック・レンブレム、だっけ……合ってるよな?」
「うん、そうだけど……歯切れ悪いよ?」
いつもの自信に満ち溢れていたレイザはどこへ行ったのか。
彼に芽生えた微かな変化を感じ取ったディールは心配そうな眼差しを向けるが、レイザは力無く首を横に振る。
「いや、大したことじゃないから心配いらないさ……ロック・レンブレムまではあとどの位なんだ?」
するとミディアがレイザとディールを交互に見てこう言った。
「まだまだ大分あるわよ。ロック・レンブレムに突入するまでに険しい道もあることだし、ここは一旦休みましょう?」
レイザがゼーウェルの身を案じていることを察したミディアは穏やかに言った。
「そうしよう、ねえ、そうしようよ!」
嬉しそうに飛び跳ねるディールを見てレイザは頷いた。
彼としてもこのままでは行き詰まると分かったのだろう。
「ちょうどあそこに休憩できる場所があるし、行きましょう」
ミディアの案に二人は頷き、そこに向かって歩いたのだった。
****
気がつけば空には綺麗な夕焼け色が広がり、思わず目を細める。
「もうあと少しで夜がくる、か……」
ディールとミディアは相変わらず話が弾んでいるのか、レイザは一人で夕焼けを見ながら呟いた。
夜と言えばディールが魔術の勉強をしているのに付き合って散々な目に合うという日常しかなく、苦手だった。
リーフ・グリーンでも何かと騒がしくて休憩もあまり取れなくて、だから久し振りだったのだ。
「こんな静かな夜を過ごすのは、でしょう?」
レイザが考えていることを代弁するかのように現れたのはミディアだった。
「……ディールとの話は終わったのか?」
不思議そうな顔をしてミディアの方を見ると彼女は苦笑気味に言った。
「ディールがレイザのことを心配していたからね。それに、あなたディールが相手だと話せないこともたくさんあるでしょう?」
「……あいつは、な」
時々、ディールは妙に大人びた表情を見せる時もある。
しかし、レイザにとってディールはやはり守らなければ、見ていなければならないという思いが強い。
「まあ、レイザから見たら彼はまだまだ子どもよね。でも、ああ見えて色々抱え込んでいるのよ。フィリカに来た理由は初めて聞かされたけど……てっきりセティを追いかけてやって来たんだと思ったわ」
「……セティ?」
聞いたことのない名前に首を傾げるレイザにミディアは話を続ける。
「ディールの父親の弟子……でも、三年前、セティはその父親を手に掛けたと噂されているわ。事実、証拠もあった。確かフィリカに関するものだったらしいけど、噂ばかりが先行してもう何が何だか」
「……昔は噂を丸ごと信じていたが、今は疑っているということか」
三年前と言えば丁度ゼーウェルと出会った時と重なっている。
先ほどのミディアの話からフィリカの噂を聞いたのも三年前、リーフ・グリーンでフィーノから聞いた話では此処に何者かが侵入してきたのも三年前だと言っていた。
「確かに疑うな。そもそもセティって奴がそんな行動に出たのか? 胡散臭いことこの上ないぞ」
「そうね、事実、そんな兆しはなかったのよ……それにセティはゼーウェルともう一人、ユリウスを助けたわけだし」
「……!」
今まで冷静に話を聞いていたレイザだが、ゼーウェルの名前が出た途端目を見開いた。
やはりゼーウェルのことが気に掛かっていたのかと思ったミディアは話を続ける。
「そうよ、ゼーウェルはまだ捕まっていないわ。噂によれば彼はまだハーディスト・タワー間近にいるらしいの……私はロック・レンブレムまでは一緒だったけど」
「……そうだったのか」
ミディアがフィリカについて妙に詳しいと思ったが、ゼーウェルと同行していたということか。
それを聞いて少し安心したと同時にアイーダの気持ちも分かってしまったのだが。
「アイーダは、怒るだろうな……」
「……ルイズ姉さんとアイーダには心配掛けたわ。でも、ゼーウェルが『一人でフィリカに行く』なんて言うもんだからセティと私が必死に説得して、漸く同行するっていう形になったんだけど……」
そこで話を切るとミディアは立ち上がった。どうやらディールのところへ戻るようで彼女の後ろ姿を見ていたレイザだが、彼女は不意にこう言った。
「……ゼーウェルはあなたのために一人でフィリカに行こうとしていたのかもしれないわね」
降って、地面に溶ける粉雪のように染み渡るミディアの言葉。
(……俺の、ため)
レイザにとってそれは決して嬉しいことでもなく、寧ろ言い表せぬ悲しみが強まるばかりだったのである。
****
夜が明け、再びハルパスからロック・レンブレムに向かって歩き出したレイザ達だが、徐々に雪景色が見えてきた。
ハルパスから少し離れると雪が積もり、整備のなされていない道を歩くことによる疲労感も増していく。
こう考えるとジュピターの遺跡もハルパスも人の手が入っているのだなと思わざるを得ない。
ゴツゴツとした岩が重なり、砂利道を踏みしめるように歩いているとリーフ・グリーンの道さえも生易しく思えてしまう。
一歩、また一歩と近付いていくにつれ、雪吹雪も強くなっていく。
「寒いね……」
身を縮めて寒さに耐えるディールの呟きが耳に入る。それに対して「そうね、ただ、ここまで寒くない筈だけど」と、ミディアが返すのでディールは驚いて彼女を見た。
「き、聞いていたのかよ……」
「当たり前でしょう。それに今から雪山に入るのよ」
何故そこまで驚くのかが分からず、呆れた声を出してしまったミディアだがレイザはただ一直線に歩くだけだった。
「……ねえ、ミディア」
砂利道だった場所も通過すると雪に埋もれた道へと変わり、疲れた表情を見せてミディアを呼ぶディールに彼女は呆れ返る。
「な、なんだよ、その表情は」
「……いや、レイザも大変だなあって思っただけよ」
「ちょっとそれどういう意味なんだ!」
「さあね。あ、それよりロック・レンブレム下腹部に突入したわよ」
どれほど強がっても、結局最後はディールのペースに振り回されているだろうと考えたミディアだが、それをレイザに言うと彼は顔を真っ赤にして怒るだろう。
ムキになって怒るレイザを想像すると何となく微笑ましく感じ、彼らには見えないよう小さく微笑むミディアだが、何となく上空を見上げた彼女の表情は曇る。
「……飛行物体かしら」
ぽつりと呟くミディアにつられて空を見上げるレイザ達。
「確かに、何か飛んでいるな。気をつけていかないとここは突破できないかもしれない」
「考えてみればこの先にハーディストタワーがあるんだもの……当然だわ」
そして、更に難を極めるのは雪山であることだ。
突破は容易ではない上にゼーウェルが捕まっていないなら相手は警戒するだろう。
「氷や雷が使えれば、射抜けるけども」
魔法が使えないと厳しいだろう。とりわけ武術に精通しているレイザにとっては飛行が相手の場合、不利を通り越して殆ど勝ち目がない。
「俺、それなら使えるよ!」
ミディアが作戦を考えていた矢先、そう言ったのはディールだった。
「あら、そうなの? じゃあ私とディールで先頭を歩いて、レイザには後ろに回ってもらおうか」
「そうだな。しかし、そう言えば、ここは魔法は使えなかった筈じゃ……」
確かにそうだ。事実、最初フィリカに到着した時は使えなかったのだ。
するとミディアが説明を始める。
「あら、全然使えないわけじゃないのよ。ただ、エネルギーの消費がここでは通常よりも大きいから連発できないんだけどね。多分、ハーディストタワーにあるとされる魔鏡の影響でしょうね」
「魔鏡?」
新しい単語が出て来て、レイザは首を傾げながらミディアに質問したので、彼女は引き続き説明した。
「魔鏡っていうのは放たれた魔力を吸収する鏡よ。その魔力は主となる者に供給され、好きなように使用できるとされる」
「じゃあ、逆に言えば、魔鏡を壊してしまえば制限がなくなるわけか」
「そうなるわ。恐らく、相手はゼーウェルが魔術師であることを知っているから魔力を制限したのよ」
ミディアの話を聞き、そこで思い出したのはリーフ・グリーンでディールがハワードを倒した時だった。
ディールが放った攻撃――あれは確かに魔法だった。
術名を発声しなかったので首を傾げたのだが。
「もし、そうだったら、ゼーウェルさんはかなり苦戦するんじゃ……」
間から口を挟んだのはディールである。
「俺もさ、一発だけ使ったけど、かなり疲れたよ……通常より魔力の消費が大きくなるなら限界もくるんじゃ、ないかな」
そう言ってディールは苦笑したが笑い事ではない。
フィリカまでは同行者がいたがロックレンブレムは一人で突破したのだ。ここを突破する時点ではまだ耐え切れたのかもしれない。
しかし、敵も早く終わらせようとゼーウェルに猛攻を加えるかもしれない。
そう考えると、あまり長くは耐えられそうにないだろう。
「一刻も早く行くしかないな……さて、突入するか」
「――ええ」
レイザに対してミディアが重たい返事をしたのをディールは不思議そうに思ったのだった。
****
目の前に広がる白銀。最初は透き通るような水色が上に広がっていたのだが、雪山に足を踏み入れた途端に粉雪がちらつき始めた。
「皮膚に、当たるな……着やすい服にしたのだが」
「……明らかにアイーダの選択間違いよね」
粉雪が皮膚に落ちる度に冷たさを感じ、思わず呟きを漏らしたレイザにミディアは苦笑しながらアイーダのことを話した。
「なあ、これじゃあ中腹部にいくまでに力尽きるぞ」
「寒いよう……」
これも姉ミディアを危険なことに駆り出したゼーウェルを恨めしく思うアイーダの仕返しなのだろうか。
「……やむを得ないわね……表れよ、ヒートウォール!」
ミディアは手を前に出して詠唱すると、赤く薄い膜がレイザたちを包んだ。
「これで少しは防げるでしょう」
「おお、温かくなったな。よし、どんどん歩くぞ」
「行くぞーっ!」
「……やれやれ、あんたたち単純よね」
降り注ぐ雪の粒を弾いている膜を見た二人のはしゃぎ方を見たミディアは溜め息をついた。
こんなことで休みたいと言うディールや、焦るあまり行き詰まりかけたレイザを落ち着かせられるなら、早くやれば良かったとミディアは心から思った。
膜はそれぞれ三人を包み込み、寒さや雪を弾いている。
「ただ、問題なのはよ。この膜は衝撃に弱いの。だから、斬りつけられたりしたら敵に炎の粒子をぶつけて消えてしまう」
「じゃあ、敵に突っ込むのは無理か。残念だな」
「元々相手は飛行系よ。突っ込んで勝てる相手じゃないのよ」
「あ、でも、ドラゴンに乗っていたらどうするの?」
飛行物体にも色々ある。
飛行物体を操る人間は自分と心を通わせる者たちと一体となって戦う。
ドラゴンからワイバーンまで様々だ。
ワイバーンなどの飛行物体は雷を通しやすい性質なのか、雷や氷を放って攻撃すれば良い。
しかし、堅い鱗で体を作っているドラゴンは雷を通さないため、雷では対抗できないのだ。
「まあまあ、そんな時こそ氷よ。ドラゴンは冷たさには耐性がないの」
ドラゴンの鱗は固く、鉄も熱さも通さないが、氷の冷たさと鋭利さには弱い。
仮に、一回の攻撃で耐え切れても寒さにより確実に体温が下がっているだろう。
こちらも不利だが、向こうもそれほど有利なわけではなく、手早く潰しておかないと持たない。
「じゃあ、迫って引いてを繰り返せばいいわけか。ただ、様子を窺っていると向こうも動かないから攻撃には出向かないとだめだろうが」
そう、問題はそこだった。相手もそれほど有利ではない。これこそが頭を悩ます理由だ。
つまり、不利なのに無闇矢鱈と余計な攻撃を仕掛けることは先ずしないだろう。
こちらが範囲に入れば突撃する――そうなるとこちらも相手を動かさなければいけない。
「俺が動くしかないわけだ」
ミディアとディールには呪文を詠唱するという役割がある。よって、この二人はあまり動けないだろう。
レイザが如何に二人を気遣いながら相手を引きつけられるかにかかっている。
「相手は機動力を持ち合わせているわ。気をつけて」
「ああ、二人も常に攻撃できるように準備しておいた方がいい。あと……」
「どうかしたの?」
何か言い淀んでいるレイザを心配するディール。ロックレンブレムに差し掛かる前からレイザの顔色が優れないことに気付いていた。
「……何か、強大な……強大な力が働いている。区別はつかないが……」
どうやらレイザは何か得体の知れない気配を感じ取っていたようで、それが何なのかを考えていたようだ。
「……さあ、行きましょう」
レイザの話にミディアは少し間を空けて、先に進むよう促した。
どうやら、彼女の返しを聞く限り何か知っているように思われる。
そう言えば、ミディアがゼーウェルの元に駆け付けた時、彼は彼女が最初から来ることを予想していたような発言を残していた。
もしかしたら、彼女は単にゼーウェルと同行してフィリカを知っていたわけではない。
もっと、この世界の根本的なものを知っているように思われる。
(腑に落ちないな……)
レイザの違和感はここから来ていた。サッグのメンバーも何を思ってフィリカに入ったのだろうか。
フィーノが言っていたことよりも重要な何か――いや、フィーノ自身も誤解しているような何かがあるような気がするのだ。
(ハーディストタワーに行けば分かるか)
きっと、答えはその中にあると、レイザは信じて再び歩き出した。
****
一方、薄暗い空間の中で、息を荒くしながら歩く者がいた。
身につけている服には返り血と己の流した血の両方で元の色は判別できない。
この空間は、レイザたちの目指すハーディストタワーの内部であった。
「……ようやく、ここまでたどり着いたのか……これで、あとは、あの力をレイザに渡せば……」
そこにいたのはゼーウェル本人である。いったいどういうことなのだろうか。
彼は敵がいないことを確認し、彼は細い通路の死角の場所に潜り込み、息を潜めた。
「レイザ……今度こそ、私は……。あの時、お前が私を助けてくれたように、私も……例え、レイザが覚えていなくても」
本当は巻き込みたくなかった。
でも、この世界に足を踏み入れた時に気がついた。
レイザ自身、ここに来なければならないことを無意識に感じているということに。
「あいつは私の手で決着をつける。あいつはただ、私のために……フィリカのために……」
ずっと前から気付いていた。
向こうからすれば自分やレイザこそが悪しき者だと思っているだろう。 しかし、この世界は本来、存在してはならない世界だ。
自分が果たすべき役割は『あいつによって具現化している世界を元に戻すこと』が大事なのだ。
フィーノもきっと一番に望んでいることだ。サッグを止めろと懇願するように言っていた。
それだけではない、セティやミディアもそれを心から望んでいる。
フィリカという世界を知ってしまった者たち共通の認識だった。
「……セティ、すまない……」
自分がハーディストタワーにいられるのはセティのお陰だと思い、同時に彼の犠牲に胸を痛めるゼーウェルは謝罪の言葉を呟いた。
光も届かず、闇だけが彩るこの空間は正しく『あいつ』に相応しい。 暫く休憩を取った後、ゼーウェルは壁伝いに歩き出し、先へ先へと進んだ。
いつ、現れるか分からない存在を常に警戒しながら。
****
一方、ロックレンブレムをひたすら進むレイザたち。
そんな彼らを上空から見下ろし、範囲に入ったと確信して槍を構え、急下降してきたのだ。
「よし、来たぞ! 二人とも……」
「わかった!」
「任せて!」
レイザの号令を合図に二人は詠唱を始めた。
魔力を奪う魔鏡の影響で発動にもかなりの集中力と持久力が問われる。
急下降して槍を突き刺す位置を予測していたレイザは身構え、そのまま一直線に向かってくる者を見据えた。
「凍てつく波動よ、凪払え! ブリザード!」
真っ先に発動できたのはミディアだった。
範囲に入ったことで発動でき、尚且つ威力も強大なものにできたのだ。
その者は一言も言わず、まるで粒子のように崩れゆく。
「……人じゃ、ないのか……」
唖然とするレイザにディールが「多分、誰かが作り出した幻影だよ」と答えた。
「そうか、襲い掛かってくる者たちは皆、作り出された霊体か……」
「レイザ……」
粒子のように消えた者を見たミディアも、これ以上は耐えられないと目を逸らした。
(こんなの、間違っている。突然呼び出されて、駒のように使われて、何事もなかったように消えていく……)
二人も知らない真実。それは、この世界の摂理。
「レイザ、行きましょう」
ゼーウェルはきっと待っている。
早く行かなければ、連れて行かなければならない。
レイザは首を縦に振り、また歩き出した。
(私、絶対にフィリカを止めるわ)
ミディアの決意は遙か彼方の澄んだような青い色が見える空に届いた。
****
その後も雪山を進む三人に襲撃者は突如襲いかかった。
何れも名前のない戦士、倒せば粒子が下に落ちて雪と同化する。
生死を感じない者たちの相手は楽だったが抱く虚しさは大きい。
突然呼び出されて、呆気なく消えていく存在に心を痛めるしかなかったのだが進路を阻む以上は倒さなければならない。
「進む度に虚しくなっていくな……。そんな風に考えている俺はだめなんだろうか」
レイザの、いつもの強気な顔がしかめられていく。それはディールも同じだった。
「フィーノから聞いたでしょ。ここは無限の力を授けてくれるかもしれない神の国だって」
「でも、これは……これは間違っていると思う」
ミディアの説明にレイザは途切れ途切れの言葉で返すと、彼女もレイザに同意する。
「……そうね。間違っているわ……でも、奴らはその魅力に取り憑かれてしまったの」
「あら、聞き捨てならないわね。ミディア・オールコット」
「その声は!」
ミディアの言葉にすぐさま反論し、声を辺りに轟かせる。
「ブリザーレイン!」
瞬間、上空から無数の氷の雨が降り注ぐ。
切り刻むような痛みに三人は目を開けることもかなわず、身を縮めて耐えるので精一杯だった。
「ミディア、それからレイザ、久し振りね。ルディアスから聞いたわ。あなた、ゼーウェルのところに身を寄せているみたいね」
パサパサと羽音を立てながらゆっくりと降りていく。姿を現したのは背が高く凛とした女性――。
「ルキリス!」
二人が同時に女性の名前を叫ぶと、彼女は愉快そうに笑いながら話し続ける。
「あら、ミディアもレイザも覚えていてくれたのね。特にレイザ……あなたが国から離れた時、私もルディアスも心配したのよ……でも!」
束の間の再会に安堵を一瞬だけ見せたルキリスだが、それはほんの一瞬だけだった。
彼女は二人を見据え、直ぐに険しい顔へと塗り替えて持っていた槍を構え直す。
「私は神の力を手に入れる! この島を具現化させれば、悲しい思いをしなくても済むの……人の死に耐える必要も、なくなる……。それを邪魔するあなた達は、私の手で潰すのみ――舞い上がれ!」
「来るぞ!」
レイザたちもルキリスの攻撃が届く一歩手前まで進み、防御体勢に入る。
「スロウウィング!」
舞い上がった瞬間、急降下し、更に真っ直ぐと駆け抜ける。
「……っ!」
ミディアとディールは後ろに下がり、詠唱を始めていたため攻撃が当たることはなかった。しかし、レイザはルキリスの一撃が肩をかすめ、思わず顔をしかめる。
「レイザ、あなたさえ潰せば」
再び槍を構えて降下する。
「全て思うがままなのよ!」
今度も槍先が当たることはなかったが急降下で起こった突風で目が眩む。
再び空に舞い上がったルキリスは手を翳した直後、勢いよく手を振り下ろした。
「ダイアモンドウェーブ!」
氷の結晶が肥大化し、落下と同時に砕け散る。
「うわああ!」
レイザの腕に一撃が命中した。即座に刻まれた傷からは血が流れ落ちる。
「……ルキリス……!」
忌々しげに呟くミディアの声が背後から聞こえ、彼女にも攻撃が命中したことを如実に物語る。
「気が変わったの。先ずはミディア――あなたから潰すわ」
ルキリスの槍はレイザの後方に立つミディアを狙っている。
吹雪が舞い上がる灰空の下、彼女は静かに告げる。
「……レイザ、行きなさい」
「え……しかし」
「躊躇っている隙はないわよ、レイザ……。ルディアスまで止められないのが残念だけど、ルキリスは引き受ける。早く行きなさい」
言うが早くミディアは降りてきたルキリスに向かって複数の氷の結晶を投げつけた。
ミディアの放った攻撃を振り払うのに精一杯でルキリスは攻撃できないでいる。
「――ミディア」
一歩前に躍り出て、今度は岩石を作り出してルキリスにぶつけた。
一見すればかなり押しているように思える状況。しかし、魔法を連発している分、ミディアの方が不利だろう。
「……楽しかった。少しの間、会えて……話ができて良かった」
ディールもミディアの置かれた状況を知り、悲しげな表情を浮かべる。
「ミディア……ありがとうね。俺、必ずハーディストタワーに辿り着くから……」
彼女に別れを告げ、二人は目を背けるようにして先へと進んでいく。
二人の姿が見えなくなった頃、ルキリスに放った攻撃は止み、ミディアは苦痛に顔を歪める。
「……敬意を払うわ。魔法を連続的に放つとどうなるか分かっているのに、レイザ達のためなら危険も顧みない姿勢には。でもね――」
ルキリスは槍を構え、ミディアに狙いを定める。
「――死んでもらうわ!」
もう、ミディアにはルキリスを阻むだけの魔法も武器もなかった。ルキリスはそれを知っていたのだ。
「悔いはない――」
静かに呟くとミディアは目を閉じた。
――白銀の地に多量の赤が落ちたのは、すぐ後のことだった。
****
ミディアと別れ、二人は一心不乱に前進し続けた。
勝敗は一目瞭然だったのだ。彼女も分かっていただろう。
ルキリスはミディアが連発してから一回も魔法を使わなかった。
魔法は基本的に一発使えば暫く休まなければならない。
身体に宿す魔力は決まっていて、無限に作り出せるわけではない。
時間が経てば少しずつ回復していくものなのだ。
回復を待たずに連発すれば魔力が欠乏し、負担は肉体に回ってくる。
そんな危険を冒してまでルキリスに猛攻をしたのは自分たちをハーディストタワーへ行かせる為だろう。
「……ミディア」
ディールは始めて声を出した。
自分たちを庇ってくれた彼女の名前を呼び、悲しみに暮れている。
しかし、レイザが声を出すことはなかった。
――どこかで気付いていた。
恐らくミディアがフィリカに行った時、既に彼女は覚悟を決めていたのではないだろうか。
同じく、ゼーウェルもそのような覚悟を決めてフィリカに来たのだとしたら。
レイザは無意識に唇を噛みしめる。薄らと血の味を感じたが止めることはなかった。
無言の彼らを嘲笑うように吹雪が舞い、視界を狭めていく。
流石に敵もこのような吹雪で自由に立ち回れる自信はないのだろう。襲来することはなかった。
白い大地を踏みしめて、そこに足跡をつけて、確実に近付いている頂上。
そして、変化が起きたのは突然だった。
「……吹雪が止んだ……」
視界を狭めていた吹雪が止み、空は青々としている。
見上げていると、上空から声が降って来た。
「――レイザ、ディール」
頂上で待ち受けていたのはルキリスともう一人。
「ルディアス……」
レイザは、ルキリスの相棒の名前を知っている。いや、正確に言えば忘れることが出来ない名前だった。
「元気にしていたか? お前は相変わらず無茶なことをする。ゼーウェルが、フィリカに行って何をしようとしているのかも知らないで」
ルディアスはレイザがハイブライトに滞在していた時の友人だった。指折りで数えられる友人だった。
――彼が死ぬまでは。
「……夢みたいだな……俺は死人と喋っているのか……」
「夢じゃない。レイザ、俺は確かに此処にいる。そして、俺たちを助けてくれた人がいる。この島は俺たちのような者達が沢山住んでいる。ああ、長かった……でも、漸く俺は再び戻って来れる。それなのに、それなのに」
ルディアスの死は突然だった。彼の家に泥棒が侵入してきて、彼は死んでしまった。
確か、その時は丁度彼から話を聞いていて、行くつもりだった。
恋人ができたという話。
「ルキリスだったのか……」
「そうだよ、レイザ。お前に紹介するつもりだった。その前にあんなことになってしまったけど……でも、戻れるんだ。戻って来れると信じていた。それを、ゼーウェルが邪魔したんだ!」
気のよい友人からは程遠い、苦痛に苛まされた顔。
「レイザ、お前は何でゼーウェルのような奴に従っているんだ? 皆が夢見ていた復活を邪魔した奴なのに、どうして付き従う」
悲痛な叫びにレイザは返答をすることができないでいた。
ルディアスの言うことが本当なら、彼らが完全悪とは思えなかったからだ。
(ここは神が治める……無限の力を与えてくれる、か)
無限の力の意味を、レイザは始めて知った。
しかし、ルディアスに賛同することはできなかった。
「ルディアス、ゼーウェルは、ただ……」
フィリカにいる者達が復活してしまえば摂理が変わってしまう。彼はそれを恐れただけなのだ。
今ある摂理に干渉されるのを、ただ恐れただけなのだ。
恐らく自分も干渉されるのを良しとは思わないだろうとレイザは考え、ルディアスを見据えた。
「……レイザ、どうやら、理解してくれないんだな」
今までの悲痛な叫びから一転し、ルディアスは敵意を剥き出しにしつつも武器を下げて静かに告げた。
「……お前とはまだ戦わない。ゼーウェルに会わせてやる。お前と戦うときはゼーウェルと二人で来た時だ。それまでは戦わない」
「……ルディアス」
「ミディアの最後の願いだ。あいつはお前たちを庇って死んだよ。あいつの、せめてもの願い、叶えてやろうじゃないか」
徐々に掠れゆく意識の中で、ルディアスの声だけが鮮明だった。
悲痛な叫びでゼーウェルを非難した彼を、レイザは責めることが出来なかった。
「ゼーウェルこそが間違っていることを、知ればいい」
意識は途絶えた。
しかし、ルディアスに立ちはだかったゼーウェルを憎む声だけは鮮明に聞こえ、レイザは胸を痛めたのだった。