0057. 閑話・【光賀】南海の果て、宝の山を見出す
三宅殿に案内された先は、那覇の湊でも一際大きな明の様式で建てられた店だった。異国情緒あふれる赤い瓦屋根と精緻な彫刻が施された柱が日ノ本のどの店とも違う威容を誇っている。
三宅殿ほどの豪商が懇意にしているだけはある。わしは背筋を伸ばし、彼の面目を潰さぬよう心して敷居をまたいだ。
店に一歩足を踏み入れた瞬間、わしの鼻腔を経験したことのない香りがくすぐった。甘く、それでいて鼻の奥を鋭く刺激するような不思議な芳香。陳列された陶磁器や織物よりも先にわしの商人の魂はこの未知の香りに鷲掴みにされた。
(……なんだ、この匂いは。腹の虫がきゅぅと鳴る。これほど人の心をかき立て、食欲をそそる香りならば、里見様はきっと、これにも途方もない値を付けるに違いない……!)
わしはこの未知の香りの源を店の片隅に並ぶ、干された木の実や草の根、色とりどりの粉末に見出し、その光景を心に強く刻み込んだ。
店の奥でわしを迎えたのは、王賛と名乗る男だった。年の頃はわしとそう変わらぬように見えるが、その目には幾多の荒波を乗り越えてきたであろう、百戦錬磨の商人の光が宿っていた。日ノ本の者かと思ったが、その顔立ちは明らかに明の者。しかし、彼の口から発せられたのは驚くほど流暢な日ノ本ことばだった。
「これはご丁寧な挨拶、ありがとうございます。わたくし、当店の手代をしております王賛と言います。して、光賀殿。三宅殿のご紹介とはいえ、お求めの品によってはご期待に沿えぬこともございますぞ」
挨拶もそこそこにいきなり先手を取られた。手強い相手だ。
「はっ。わたくしが探しておりますのは、二種の獣。一つはこの地で〝ウヮー〟と呼ばれるという豚。もう一つは南蛮渡来の白い牛にございます。持ち帰り育てたいのですが、何かご存知でしょうか」
わしの言葉に王賛はわずかに眉を動かした。
「『ウヮー』ですか。それならこの辺りにおります。育てたいとのことらしいので、雄と雌を数頭ずつですな。ええ、三宅殿の船が出られる十日後までには雄雌三対ほどご用意できましょう。
……しかし、白い牛となりますと、話は別。私が知る限り、あれは遥か天竺と呼ばれていた地に住む獣。ここからだと我らが南へ仕入れの船を出した際に手配することになります。戻りは早くて半年先になりましょうが、よろしいかな?」
「かまいませぬ。半年程度ならば、お相手にお届けするまでの時間と考えれば問題ございません。必ずや、手配をお願いいたします。こちらも雄と雌を数頭ずつお願いしたい」
本命の商談が、思いのほかあっさりとまとまった。わしは安堵の息をつき、最後の、そして最も曖昧な依頼を切り出した。
「実はもう一つございましてな。この店に入った時から気になっておりました、この不思議な香りの元……あちらに並んでいる木の実や草の根をお譲りいただくことはできませぬか」
わしが指し示すと王賛の、それまで私に見せていた顔がすっと能面のように無表情になった。
「……光賀殿は鼻が利かれる。しかし、あればかりはいかなる値を積まれようと、お売りできませぬ。我が店の秘伝、わしの飯の種でしてな。売り先は決まっておりましてな」
きっぱりとした交渉の余地のない声だった。
(……駄目か)
これほどの香りの品、逃すはあまりに惜しい。だが、商人が「秘伝」とまで言うものを無理強いするのは野暮というものだ。わしは潔く引き下がった。
「なるほど。それは失礼を申した。では、気を取り直して……わが相手先は大変な物好きでしてな。何かこの地にしかない、他の珍しい作物や植物があれば見せてはいただけませぬか」
その言葉に王賛は、初めてにやりと口の端を吊り上げた。
「……光賀殿は、面白い旦那様にお仕えですな。よろしい。そのような物好きの方にしか、お見せできぬ〝珍品〟が、いくつか」
「いえ、王賛殿」
わしは穏やかに、しかしはっきりと彼の言葉を訂正した。
「お仕えしているわけではございませぬ。あくまで、商いの相手。ですが……確かに、これほど面白いお方はおりませぬな」
わしの言葉に王賛は、ほうと面白そうに目を見開いた。彼はわしを店の奥の薄暗い土蔵へと案内した。
そこに広げられていたのは、わしが生まれてこの方、一度も見たことのない奇妙な野菜の山だった。
ごつごつと泥のついた、ただの芋塊にしか見えぬもの(ジャガイモ)。不思議な甘い香りのする奇妙な形の緑色の瓜。
そして、黄金色の粒が宝石のようにぎっしりと詰まった美しい穂。さらには砂糖の元になるというキビの束や緑の縞模様が入った大きな瓜まで転がっている。
(……なんだ、これは)
わしの商人としての全知識を総動員しても、目の前の品々の価値は、皆目見当もつかない。食えるのかどうかすら怪しい。
だが、脳裏にあの底知れぬ里見様の顔が浮かんだ。あの鋭い全てを見通すような目がわしに語りかけてくる。
『――安房に無い品であれば、そなたの見立てで、買い付けてまいれ』
(……博打じゃ)
これは博打だ。この得体の知れない野菜の山に里見様から預かった大金をつぎ込む。しくじれば、わしの商人としての信用は地に落ちるだろう。だが、もしこの商いを成功させれば、わしはあの御方の唯一無二の御用商人となれるやもしれぬ。
「王賛殿! ここにある珍品、根こそぎ、全てわしが買い受けましょう!」
わしはさらに山と積まれていた瑞々しい果実にも目をつけた。
「それから、そちらの果実もいただきたい」
「光賀殿、そちらの果物は日持ちしませぬ。遥か東国への長い船旅では、着く頃には腐ってしまいますぞ」
王賛が親切に忠告してくれる。
「構いませぬ。相手先は、その〝種〟にこそ価値を見出すやもしれませぬのでな」
わしはそう言って笑った。綿花の種子を探しに来たのだ。他の作物の種にもきっと興味を示されるに違いない。
帰りの船の上。
わしの船倉には数頭の豚、そして、得体の知れない野菜とすぐに腐るであろう果実が所狭しと積まれている。
わしは潮風に吹かれながら、遥か東の坂東の地に思いをふけった。
里見様との出会い、父の助言、三宅殿との縁、そしてこの琉球での大博打。わしの人生を変えたこの長い旅ももうすぐ終わる。
あの底知れぬ里見様は、この奇妙な土産の山を見て、一体どんな顔をなさるだろうか。呆れられるか、それとも、あの将の目でわしの見立てを評価してくださるのか。
だが、このわしが博打で買い付けた積荷が坂東の国の、いや、日ノ本の未来の食卓を大きく変えることになるなど、この時のわしは知る由もなかったのである。




