0056. 閑話・【光賀】西海の商人と未来への手付け
坊津の混沌とした熱気の中、わしは己の小ささを痛感しながらも、必死に琉球へ渡る船の情報を集めていた。そして、いくつかの噂を辿るうちに、一人の男の名が浮かび上がってきた。
備中を拠点に瀬戸内を股にかけて大きな商いをしているという、三宅殿。湊の商人たちは彼を「瀬戸内の海賊働きもしている豪商」「気性は荒いが筋は通す男」と畏れと敬意を込めて語った。彼が数日後に琉球へ向かう船を出すという噂を聞きつけ、わしは一世一代の交渉を持ち掛けることを決意した。
湊の酒場で二人きりで酒を酌み交わす。腹の探り合いが始まった。三宅殿は日に焼けた顔に豪放な笑みを浮かべていたが、その目の奥は少しも笑ってはいなかった。
「――三宅殿。わたくし、東国にてあるお方のご贔屓を頂戴しております」
わしは探るように切り出した。
「その御方は若く、しかし、その野心は坂東の山々よりも高く、懐は海よりも深い。今、その領地では新たな町が築かれ、街道が整備され、見たこともない産品が次々と生まれようとしております」
決して「里見」の名も「安房」の地名も口にはしない。だが、言葉の端々に巨大な可能性を匂わせる。これは賭けだった。
「その御方は南方や琉球の珍しい品々を渇望しておいでです。……三宅殿、これはまだ誰にも知られておらぬ巨大な〝市場〟が東国に生れる話にございます」
三宅殿の日に焼けた顔に浮かぶ鷹揚な笑みがすっと消えた。その目がギラリと商人の光を宿す。
「……ほう。面白い。その〝旦那様〟の話、もう少し詳しく聞かせてもらおうか」
食いついた。わしは内心で拳を握りしめた。
「いえ、これ以上は信のおける商いの相手にしか。……実はわたくし、その御方からのご依頼で琉球へ渡る手立てを探しておりましてな。もし、
三宅殿がわたくしのこの小さな旅にご助力くださるなら、それは未来の大きな商いへの良き〝手付け〟となりましょう」
わしの言葉に三宅殿はしばし黙考した。酒場の喧騒が遠のいていく。
そして次の瞬間、彼は腹の底からがははと笑った。
「……面白い! 小僧、気に入った! よかろう、その話乗った! 琉球までわしの船に乗っていくが良い!」
「かたじけない、三宅殿!」
この男の器量は本物だ。そう確信したわしはもう一つ懐に抱える悩みを打ち明けることにした。
「……お恥ずかしながら。実は同じ御方より、もう一つ。戦乱で親を失った孤児らを数多く保護し、東国へ移したいという、厄介な仕事を請け負っておりまして。主な買い付け先は甲斐の国なのですが、それだけでは数が足りず、この西国筋でも行き場のない子供たちを集められないかと、頭を悩ませておりました」
「ほう……。その御方は野心だけでなく、慈悲の心もお持ちと見える。儲けにならぬ厄介事を抱え込むとはよほどの大物か、大馬鹿か。どちらにせよ、ますます面白い御方だ。……西国と一口に言うても、広い。わしが顔の利く、中国の備中やこの薩摩あたりで探してみるのが筋であろうな」
「そうなのです。ただ各地で集めた子供たちをどうやって東国まで安全に送り届けるか……」
わしがそう言うと、三宅殿は合点がいったようににやりと笑った。
「なるほど、そういうことか。よかろう、その話もこのわしに任せよ」
「なんと!」
「わしの船は瀬戸内を通り、紀州の湊にも寄る。かの地には、御坊という、力のある寺がある。わしとも懇意にしておる寺じゃ。備中や薩摩で集めた子供たちをひとまず、その御坊の寺に預けられるよう手配してやろう。そこまで運べば、あとはそなたが手配する船で迎えに来れるであろう。秋の刈り入れ後、霜月には連れて行けるはずじゃ」
「……三宅殿、そのようなことまで」
「なに、これも〝手付け〟じゃ。東国の巨大な市場、みすみす他人に渡すわけにはいかぬからの」
三宅殿はにやりと商人の顔で笑った。この出会いはわしにとって金子以上の価値を持つ大きな財産となった。
さらに十数日の船旅を経て、わしの目の前についに目的の地が姿を現した。エメラルドグリーンの海に浮かぶ、緑豊かな島。今まで見てきた日ノ本のどの湊とも違う、サンゴの石垣と赤い瓦屋根が並ぶ、色鮮やかな港町。琉球の湊だ。
「三宅殿、この御恩は決して忘れませぬ」
船を降り、改めて頭を下げるわしに三宅殿はにやりと笑った。
「なに、未来への手付けじゃ。我らは十日後には坊津へ戻る。積み荷があるなら、早めに知らせてくれ」
「はっ。……ただ、わしはここからさらに〝オキナハ〟という場所を探さねばなりませぬ。もし見つからねば……」
わしの言葉に三宅殿はきょとんとした顔をした。そして、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! 光賀殿、何を言っておる!」
彼は笑いながら、わしの肩を強く叩いた。
「〝オキナハ〟とは、この琉球のこの地の者たちの呼び名じゃ。そなたが探しておる場所はもう目の前にあるわい」
「…………え?」
まさか琉球とオキナハが同じ場所だったとは。そういえば、里見様も「琉球と呼ばれておるかもしれぬ」と仰せだった。わしはあまり気にせんでおったが……。なぜ、もっと注意深くお言葉を聞いておかなかったのか。自分の迂闊さに顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
「さて、どうする? 呆けておっても、商いは始まらぬぞ」
三宅殿は面白そうにわしを見ている。
「わしが懇意にしておる店がある。まずはそこへ案内してやろう。何を探しておるかは知らぬが、手掛かりくらいは掴めよう」
「……か、かたじけない」
わしは赤くなった顔を隠すように、深々と頭を下げた。
こうして、わしの生まれて初めての〝海外〟での買い付けが一つの大きな勘違いと共に幕を開けた。
しかし、三宅殿という強力な後ろ盾を得た今、わしの心には恥ずかしさを上回る、未知の商いへの強い期待が満ち溢れていた。




