0044. 閑話・【飯母呂の頭領】坂東武者の新たなる誓い
約束の日、おれの前に昨日の使者と熊のような大男が座していた。
広間には、張り詰めた空気が満ちている。おれの背後や天井裏には一族の精鋭が息を殺して潜んでいる。相手が少しでもおかしな動きを見せれば、たちまち蜂の巣となる手筈だ。
「某、安房里見家家臣、堀内兵部少輔氏兼」
大男が揺るぎない声で堂々と名乗る。
次いで、昨日の使者が口を開こうとした、その時。おれは先手を打って、試すように声をかけた。
「ほう。昨日は確か、〝弥太〟と名乗っておったな。その目、その気配、ただの使い走りのものではない。お主、鞍馬の中でもかなりの手練れと見た。本当の名は何と申す」
おれの言葉に男は動じることなく、悪びれもせずに、ふっと笑みを浮かべた。そして、深々と頭を下げる。
「これは一本取られましたな。さすがは飯母呂の頭領。昨日はまず貴殿の器量を見極めさせていただくため、立場を伏せており申した。おれが鞍馬衆を束ねる沙門と申す。見事なご慧眼、恐れ入った」
「ふん、お互い様よ」
おれは、鼻を鳴らした。
「お主もただの使い走りではないことは、その匂いで分かっておったわ。……おれはこの里の頭領、筑馬と申す。して、本題は何かな、氏兼殿」
腹の探り合いは、ここまでだ。互いが一筋縄ではいかぬ相手だと理解した。
氏兼殿が単刀直入に切り出した。
「我が主君は筑馬殿ら飯母呂一族に安房へ移り住み、我が家の家臣となっていただきたいと考えておられる。役目はこちらの沙門殿らと同じく、ある貴き御方をお守りすること。その御方はただの貴人にあらず。我が里見家が、いや、この坂東の未来そのものを託された天からの授かりもの。その御方を守ることは、すなわち、新たな時代の夜明けを守ることにございます」
やはり、そういう話か。足利の一門を匿っているという事か。
「鞍馬衆ほどの使い手がいて、まだ足りぬと申すか」
おれの問いに口を開いたのは、鞍馬の頭領・沙門だった。
「筑馬殿。我らだけでは足りぬ。この任、それほどに重い。我ら鞍馬衆も貴殿ら飯母呂の力を必要としておる」
同類であるはずの男が頭を下げてきた。これは一筋の縄ではいかぬ。おれは最後の探りを入れた。
「我らには将門公以来の悲願がある。我らが公が目指したのは、京の傀儡ではない、坂東武者による真の独立。その魂を捨ててまで、安房の主に仕える義理はない」
すると沙門殿は静かに、しかし力強く言った。
「我ら鞍馬衆にも九郎様との約束がある。だが、おれは安房の地でこそ、その本懐を遂げられると信じた。……筑馬殿、是非一度、その目で安房の地と我が主君を見てくだされ。話はそれからでも遅くはありますまい」
影に生きてきた男の実直な言葉。おれの心は動かされた。
「……よかろう。その言葉、信じる。お主らの主君に会わせろ。ついでに、我らが住まうという土地も見せてもらう」
安房の地でおれは我が目を疑うことになった。
案内された土地は、肥沃で三方を山に守られた天然の要害。
そして、謁見した里見家当主・里見義実殿とその奥方・真里様。二人はおれの過去を承知の上で、一切それを口にせず、一人の武将として対等に接してくれた。
義実殿は言った。「将門公の志、坂東武者として、儂もまた尊ぶもの」と。
二人の瞳の奥に宿る光はただの野心や欲望のそれとは全く異なっていた。それはこの乱世において、人ならざるものを守り育てるという、常人には計り知れぬ重圧とそれでもなお揺るがぬ覚悟。王の光、いや、それ以上に、何か神聖なものに仕える祭主の光だった。
(……この主君になら)
おれはこの時、すでに心を決めていた。
里に戻ったおれは、再び、一族の者たちを集めた。
「皆に話がある。おれが見聞してきた全てを」
おれは語った。自分たちが、いかに滅亡の瀬戸際にいるか。そして、安房の里見家が、我らにいかに破格の未来を提示してくれているか。
「……里見家当主・義実殿と奥方様にお会いした。あの御二方は信じられる。我ら飯母呂が数百年ぶりに真の忠義を捧げるに値する御方じゃ」
一座が息を呑んでおれの言葉を聞いている。
「おれは行く。この筑波の地を離れ、安房の地へ。将門公の悲願をこのまま風化させるのではなく、新たな土地で新たな主君の下で必ずや成就させるために。おれは安房で将門公が見た夢の続きを見た!」
おれは立ち上がり、一座を見渡した。
「おれは決めた。……さて、皆は、どうする?」
一瞬の沈黙。
それを破ったのは、一人の若者の力強い声だった。
「大将! あんたのその目に光が戻った! おれたちはその光についていきやすぜ!」
「そうだ! 我ら飯母呂、一蓮托生よ!」
「安房の地で我らの力を見せてやろうぞ!」
その声は次々と伝播し、やがて里全体を揺るがす、一つの大きな鬨の声となった。
おれは天を仰いだ。
将門公。我ら飯母呂は、本日、長き眠りから覚め、再び、この坂東の地で歴史を動かし始めますぞ。今度はあなた様が果たせなかった夢を、我らがこの手で。新たな主君、そして、天が遣わしたという貴人と共に!
そう、心の中で遠い祖先に報告した。




