0042. 閑話・【鞍馬の頭領】宿願は東の地へ
安房の国から戻ったおれは、再び一族の主だった者たちを里の集会所に集めた。
旅立つ前とは違う、静かだが、確かな熱を帯びた緊張感が一座を支配している。皆、固唾を飲んでおれの言葉を待っていた。おれが持ち帰った答えが、この一族の未来を決定づけることを誰もが理解していた。
おれは、皆の顔をゆっくりと見渡し、安房での出来事をありのままに語り始めた。
「――まず、里見家当主・義実殿と奥方様にお会いした。堀内氏兼殿の言葉に偽りはなかった。彼らは本気で我ら一族郎党を家臣として迎え入れるつもりじゃ」
次におれは懐から一枚の粗末な絵図を取り出した。旅の道中、記憶を頼りに描いた、安房の国の地図だ。
「我らが住まうことになる土地も、この目で見てきた。三方を山に守られ、南西は海に開けた、まさに天然の要害。伝え聞く鎌倉の地によう似ておる。西には穏やかな内海が広がり、漁に適しておる。東の山々は深く、我らが技を磨くにも、薬草や獣を得るにも不足はない。そして中央には、未だ拓かれておらぬが、肥沃な平野があった。皆が汗を流せば、必ずや黄金の稲穂が実るであろう土地じゃ。氏兼殿の言った通り、食に困ることはあるまい」
おれの報告に一座がざわめく。特に日々の食に苦労している者たちの目には確かな光が宿った。
「さらに、皆が気にしておった移動であるが、里見家は我らのために水軍を動かしてくださるそうだ。儂も驚いたが、移動のほとんどは船で行うことになる。
尼崎から紀伊、大湊などに寄りながらの旅となろう。これならば、年寄りや赤子の負担も思うたよりは軽いはずじゃ」
しかし、とおれは続けた。良いことばかりではない。
「我らが仕えることになる〝貴き御方〟には、会うことは叶わなんだ。その方がどのような御方か、今はまだ分からぬ。氏兼殿もまだお会いしたことがない様子であった。その御方は、里見家が全てを賭して秘匿する、まさに『至宝』。それ故に、我らのような外部の者が軽々に拝謁できる御方ではないのだ」
沈黙が落ちる。
そして、懸念していた通り、評定は再び二つに割れた。
「お頭の話は分かった。だが、土地や船の話は結構だが、それは我らを骨抜きにするための飴ではないのか! 正体も分からぬ主君のために、この本貫地を捨てろと申されるか!」
「いや、しかし、これほどの好機は二度とあるまい! このままこの山で飢えながら宿願を語るだけで本当によいのか! 生きてこそ、我らの技は役に立つ! 新たな地で一族を繁栄させ、来るべき時に備えることこそ、真の忠義ではないか!」
「お主、何を言うておる! 九郎様との約束を違え、見知らぬ主に仕えるなど、武士の風上にもおけぬわ!」
熱を帯びていく議論をおれは静かに聞いていた。
そして、一人の長老が最もな懸念を口にした。
「……沙門よ。その話、あまりにうますぎるのではないか。我らを誘い出すための罠ということもある。里見家が我らの技を全て吸い取った後、用済みとして切り捨てるやもしれぬ」
その言葉を待っていたかのように、おれは静かに立ち上がった。
「その懸念、もっともじゃ。だからこそ、おれは全てを賭ける」
おれは一座を見渡した。
「おれは里見義実という男の目を見た。あの男の目には曇りがない。我らを道具としてではなく、民として迎え入れようという、真の覚悟があった。そして、あの堀内氏兼という男の目も見た。あの者もまた、真の忠義者よ。策略であれほどのことはできぬ。そこにあるのは人としての『信』と『義』じゃ」
「もし、これが罠であったなら、その時は、このおれの首を差し出そう。全ての責めは、儂一人が負う」
おれは深く、深く、頭を垂れた。一族の長が皆に頭を下げる。その行為の重さに誰もが息を呑んだ。
「皆に無理は言わぬ。だが、おれはこの話に乗る。九郎様が目指した義の世の新たな一欠片をあの坂東の地に築くために。……どうか、おれと共に来てはくれぬか」
しんと静まり返った集会所に、おれの絞り出すような声だけが響く。
長い、長い沈黙。
それを破ったのは、最初に反対したあの老武者だった。
彼はおれの前に進み出ると、静かにおれの肩に手を置いた。
「……頭。顔を上げよ」
そして、おれが顔を上げると、彼はその頑なだった表情を和らげ、深々とおれに向かって頭を下げた。
「お頭。儂はお頭のその目に、かつて九郎様に従った我らが祖先の面影を見た。己が信じる義のために全てを賭ける覚悟。それを見せられて、従わぬわけにはいくまい。我らの宿願は、お頭、そなたに託した」
「お頭がその命を賭すと申すなら、我らに異論はござらぬ。我ら鞍馬衆、お頭の言う、新たな義の旗頭にこの一族の未来を預けましょうぞ」
その言葉を皮切りに、一人、また一人と皆がおれの前に進み出て、頭を下げていく。若者たちは目に涙を浮かべ、中堅の者たちは固い決意を表情に滲ませていた。
「「「お頭の、仰せのままに!」」」
その声はもはや反対も賛成もなく、ただ一つの固い意志の塊となって、集会所に響き渡った。
おれは皆の顔を見渡し、込み上げる熱いものをこらえ、力強く頷いた。
「皆、ありがとう。この沙門、生涯忘れぬ」
数百年にも及んだ、鎌倉からの我らの長い旅路。
それは、ここで終わり、そして、ここから始まるのだ。
「――皆の者、支度を始めよ! 我らの新たな宿願は、東の地にあり!」
おれの号令に、一座は「おおお!」という雄叫びで応えた。
こうして、我らの数百年にも及んだ鞍馬での暮らしは終わりを告げた。そして、東の地で我らを待っていたのは、想像を絶する〝姫御子〟様と我らが真の宿願を果たすための新たな戦いの始まりであった。




